銀河英雄伝説~其処に有る危機編


 

第一話 世は全て事も無し

 
前書き
本編では帝国歴487年に主人公が宇宙艦隊副司令長官になっていますがもしもそうなっていなかったらというIFストーリーです。 

 


帝国暦 487年 1月 29日  オーディン  軍務省尚書室  エーレンベルク元帥



「済まぬ、遅くなった」
統帥本部総長シュタインホフ元帥が部屋に入って来た。“こちらへ”と招くと私達を見て訝しそうな表情を見せた。
「ミュッケンベルガー元帥もおられるのか? 何か厄介事かな?」
「少々、いやかなり厄介な事になっている」

ミュッケンベルガー元帥が答えると“フム”と言ってシュタインホフ元帥がソファーの空いている場所に座った。ミュッケンベルガー元帥の隣だ。そして私とミュッケンベルガー元帥を交互に見た。
「それで何が起きたのかな? 人事の事か?」

ミュッケンベルガー元帥と顔を見合わせた。ここは軍務尚書である私から話すべきか……。
「ヴァレンシュタインが宇宙艦隊副司令長官への人事を断った。大将昇進も受けられぬと言っている」
シュタインホフ元帥が眉を寄せて顔を顰めた。

「無理に引き受けさせれば良い話ではないかな、今更変更は出来まい」
ミュッケンベルガー元帥が首を横に振って否定した。
「そうはいかぬ。ヴァレンシュタインは軍規を犯した者を昇進させ栄転させては軍内に結果さえよければ何をやっても良いという風潮が生まれかねぬと危惧しているのだ」
シュタインホフ元帥が唸り声を上げた。

「理はヴァレンシュタインに有る。ローエングラム伯の下で副司令長官など御免だという感情も有るのだろうがそれだけではないな。軍の統制が滅茶苦茶になると本心から危惧している。無理強いすれば軍を辞めるとまで言っている。無視は出来ぬ」
ヴァレンシュタインは実際にそれが原因で滅茶苦茶になった軍隊が有ると私とミュッケンベルガー元帥に過去の例を挙げて説明した。そして私もミュッケンベルガー元帥もそれを否定出来なかった……。

「ヴァレンシュタインには野心が感じられない、その所為で我らはこの問題を軽く考えたのかもしれぬ。ここで対応を間違えると軍内部にヴァレンシュタインが危惧する様な風潮が生まれかねぬ。皆、出世したいのだからな」
私とミュッケンベルガー元帥が事情を説明するとシュタインホフ元帥が腕組みをしてまた唸り声を挙げた。

「なるほど、確かにそうだな。一度許してしまえば次からは咎める事は出来ぬ。軍規など有って無いような物になるか……」
シュタインホフ元帥の口調には力が無かった。その通りだ。おそらくは収拾がつかなくなる。統制の取れない軍など軍とは言えない。酷い敗北を喫する事になるだろう。それこそ帝国の屋台骨を揺るがしかねない程の敗北だ。軍が力を失えば相対的に貴族の力が強くなる。内乱が起き易くなるという事だ。私がその事を言うとミュッケンベルガー元帥、シュタインホフ元帥が顔を歪めた。

五分程無言の時間が過ぎた。シュタインホフ元帥が腕組みを解いた。
「已むを得ぬな。ヴァレンシュタインの大将昇進、宇宙艦隊副司令長官就任の人事は白紙に戻さねばなるまい」
やはりそうなるか……。シュタインホフ元帥が来るまでの間、ミュッケンベルガー元帥と二人で話した。白紙に戻さざるを得ないという意見で我々も一致した。という事は……。

「つまりローエングラム伯の宇宙艦隊司令長官も白紙に戻すという事だな、シュタインホフ元帥」
私が確認するとシュタインホフ元帥が“そういう事になるな”と渋い表情で答えミュッケンベルガー元帥が溜息を吐いた。私も溜息を吐きたい気分だ。

ローエングラム伯は不満と屈辱に塗れるだろう。だが我らもザマアミロ等と喜ぶ事はとても出来そうにない。三人の意見が一致したが我々は混乱して右往左往しているのだ、情けない程に……。
「ミュッケンベルガー元帥、やはり卿に司令長官に留まって頂くしかあるまい。その下にローエングラム伯を持ってこよう」
「私も軍務尚書の意見に賛成だ。国務尚書には事情を説明して納得して頂く」
「……已むを得ぬか。気が重い事だ」
ミュッケンベルガー元帥がまた溜息を吐いた。退役を決意したのに現役に留まる事になった。本人にとっては納得し難い部分が有るのだろう。

「後はヴァレンシュタインだな。彼の処遇を如何するかだが……」
シュタインホフ元帥、ミュッケンベルガー元帥、両元帥が顔を顰めた。問題はこちらなのだ、私とミュッケンベルガー元帥の間ではどうにも良い意見が出なかった。陛下からもヴァレンシュタインの処遇については急げと御言葉が有った。ここはシュタインホフ元帥に期待したいところだが……。

「本人は何らかの形で処罰したという事を周囲に明らかにする必要が有ると言っている」
「少将のままでは?」
「それが出来れば苦労はせぬ。ティアマトで戦った将兵達が納得するまい。暴動が起きかねぬ」
何とも面倒な事だ。ティアマトで戦った六百万の将兵を納得させねばならんのだ。ミュッケンベルガー元帥とシュタインホフ元帥の遣り取りを聞いて思った。

「シュタインホフ元帥、ミュッケンベルガー元帥。ヴァレンシュタインの階級は中将に戻しポストで処罰した事を示す、そういう形で収めるほかあるまい。具体的には兵站統括部から転出させる。本人もそれを強く望んでいる」
「しかし軍務尚書、何処に異動させる? ポストと言っても……」
「……」
シュタインホフ元帥が困惑気味に問い掛けてきたが答えを返せない。兵站統括部は決してエリートコースとは言えない部署だ。何処に異動させたら罰を与えた事になるのだ? ミュッケンベルガー元帥に視線を向けた。彼も口を閉じたままだ。

「それにオーディンの外には出せまい」
「うむ、万一の場合は私を助けて貰わねばならん」
「人の多い職場という制限も有るな。貴族達が妙な事を考えんように」
益々条件が厳しくなった。人が多くて閑職? 兵站統括部以外にこのオーディンにそんなポストが有るのか? 頭が痛くなってきた……。



帝国暦 487年 2月 7日  オーディン  士官学校校長室 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



鐘が鳴った。ジリジリと単調な音だ。おそらく何処の講堂でもこの音を聞いているだろう。
「閣下、中間試験が終わりましたね」
私が話しかけるとヴァレンシュタイン中将が穏やかな笑みを見せ“そうですね”と頷いた。今回中将は二月一日付で兵站統括部から士官学校校長に異動した。異例の人事で帝国では大きな話題になっている。

銀河帝国では同盟と違って士官学校校長は閑職らしい。退役前の年寄り、但し人格者が就く仕事なのだとか。年齢、才能、性格の悪さ、如何見てもヴァレンシュタイン中将が就くポストじゃないんだけど異動になった。その理由は昨年の第三次ティアマト会戦に有る。あの会戦は帝国を激震させた。

第三次ティアマト会戦は帝国軍の勝利で終わったがその勝ち方が問題だった。宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥が戦闘中に倒れ指揮を執れない状況になってしまったのだ。本当ならとんでもない混乱が生じて大敗を喫していてもおかしくは無かったけどヴァレンシュタイン中将が万一の時のために用意しておいた手配りの御蔭で勝つ事が出来た。

でもその手配りが問題なのよね。いささか非合法でどう見ても軍紀に違反している。という事で少将に一階級降格、一年間俸給の減給、一ヶ月の停職という処分が下された。処分については妥当、いやむしろ緩いと思うからその事に不満は無い。私が不満に思ったのは中将が私に何の相談もせずにそんな危ない事をした事よ! 私は副官なのよ、副官! 私の事は考えているとか、捲き込みたくなかったとか言っているけど一言有ってしかるべきでしょうが! 情けなくって仕方が無いわ。もうちょっと私を信じて欲しいし頼って欲しい。

「幸い違法行為をする生徒はいなかったようですね、結構、結構」
「いつもは居るのでしょうか?」
私が問うと中将はちょっと小首を傾げるそぶりを見せた。
「さあ、如何でしょう。私が士官候補生の時は毎回では有りませんが毎年不祥事が有りましたね。処分を受けている候補生が居ましたよ」
処分か、つまり退学よね。まあ同盟も似た様なものかな。成績不振で退学は不名誉だからイチかバチかで不正行為を行う生徒がいる。大体見つかって退学になるけど。

停職が明けるとヴァレンシュタイン少将には大将への二階級昇進と宇宙艦隊副司令長官のポストが用意されていた。ミュッケンベルガー元帥が退役しローエングラム伯が宇宙艦隊司令長官になるのでヴァレンシュタイン中将を副司令長官にして国内治安を担当させようという事だったらしい。

平民階級の軍人が宇宙艦隊副司令長官に就任するのは帝国では初めての事だって聞いた。実力を評価されての事、私だったら喜んで受けるけど中将は断った。理由は軍の統制を乱す、将来に禍根を残す、だった。凄いわ、断った事も凄いけどエーレンベルク軍務尚書とミュッケンベルガー司令長官を説得し押し切ったんだから凄い。

その後はとんでもない騒ぎになった。内示まで出ていたミュッケンベルガー元帥の退役とローエングラム伯の宇宙艦隊司令長官就任は急遽白紙撤回された。帝国軍三長官は大慌てでリヒテンラーデ侯と皇帝フリードリヒ四世に事情を説明して御許しを頂いたのだとか。宇宙艦隊司令長官職は親補職だから皇帝への説明が要る。帝国軍三長官は大分汗をかいたらしい。

そしてローエングラム伯は副司令長官への異動と格下げになった。噂ではローエングラム伯は面子を潰されたと怒り狂ったって聞いている。気持ちは分かるわ、でもね、その若さで副司令長官って十分凄いじゃない。これから上に行くチャンスは幾らでも有るんだし。そんなに怒る事は……、溜息が出そう。

そしてエーレンベルク軍務尚書から改めて中将に提示されたのが士官学校校長のポストと少将から中将への昇進だった。中将は少将のままで良い、校長じゃなくて教官で良いって言ったんだけどティアマトで戦った将兵達が納得しないから受けてくれと懇願されたんだとか。なんか軍務尚書が凄く可哀想。とんでもない部下を持っちゃったわよね。普通昇進を嫌がるとか有り得ないし。でも将兵達からは凄い人気。無私無欲の人、清廉潔白の人なんて言われている。

異動して一週間、ヴァレンシュタイン中将は毎日上機嫌だ、今日も楽しそうに書類を見ている。何でそんなに上機嫌なんだろう。妙な人だ、信頼しているし付いていこうという気持ちは変わらないが私にはこの人がもう一つ掴みきれない。宇宙艦隊副司令長官から士官学校校長、大将へ二階級昇進の筈が中将への復帰。何でそんなに喜べるの? 出世欲が無いのは分かるんだけど仕事が嫌いなわけじゃない。宇宙艦隊副司令長官の方が士官学校校長よりもやりがいのある仕事だと思うんだけど……。



帝国暦 487年 2月 7日  オーディン  士官学校校長室 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ヴァレリーがこちらを見ている。何かを探る様な、訝しむ様な目だ。最近そんな目をする事が多い。多分、俺が仕事を楽しんでいるのが疑問なのだろう。気付かない振り、気付かない振り。その通りだ、俺は士官学校校長という仕事を楽しんでいる。敵を殺す事を考えなくても良いし補給で頭を悩ませる必要も無い。ラインハルトの下で副司令長官なんて罰ゲームに等しいポストに比べれば薔薇色に輝くポストだ。仕事は楽しくやらなくては。

それに俺を優遇するなんて事は有ってはいかんのだ。軍というのは暴力装置だ、それだけに扱いが難しい。間違っても制御が出来ないなんて状況にしてはならない。特に今は戦争が常態化しているからな、危険なんだ。俺を副司令長官にするなんて軍内部に爆弾を抱え込むに等しい。昭和の日本陸軍を見ろ、満州事変で完全に統制を失った。

俺は事変の首謀者、石原莞爾を全く評価しない。石原には私利私欲は無かっただろう。だが奴が満州事変を起こした事で、陸軍が奴を処罰しなかった事で日本は陸軍への統制を失い陸軍は軍への統制を失った。統制を失った軍などならず者の集団でしかない。そのならず者達が日本を破滅させた、そう思っている。石原がどれ程崇高な理想を持とうとも現実にやった事は日本を潰す爆弾を作っただけだ。同じ事をするわけにはいかん。

TV電話が受信音を鳴らしている。番号は……、ミュラーだな。受信ボタンを押すとスクリーンにミュラーの顔が映った。ナイトハルト・ミュラー、相変らず感じの良い男だ。何でこいつに恋人がいないのかさっぱり分からん。ルックス、人間性、地位、将来性、全部揃っている。俺が女なら放って置かないんだが。

『やあ、エーリッヒ。元気か?』
「ああ元気だよ」
『退屈してるんじゃないのか? 士官学校の校長なんて卿には物足りないだろう。皆心配している』
「残念だが忙しいんだ。軍の将来を担う人材を育てているんだからね。いずれ私の教え子から帝国軍三長官が出るだろう、楽しみだ」

ミュラーが困った様な表情をしている。強がりだとでも思ったか? 忙しいと言ったのは本当だぞ。シミュレーション偏重の教育を見直したいし軍事だけじゃなく政治、経済にも関心を持たせたい。特に同盟、フェザーンとの関係も理解させたい。戦争しか分かりませんなんて軍人じゃ困るんだ。

それにリヒテンラーデ侯、帝国軍三長官の爺様達にレポートを提出しろと言われている。内容は? と聞いたんだが何でもいいそうだ。役に立つなら使うという事らしい。好い加減だよな、もっとも爺様達は俺に自分達の下に居るんだと意識付けをしたいのかもしれない。犬と同じだな、飼い主を忘れるなという事だ。まあ色々と無理を聞いてもらったから無碍には断れん。レポートは提出するよ、役に立つかは分からんけど。

『楽しみか、好い気なもんだ。こっちの苦労なんて何も分かっていないんだな』
「何か有ったかな?」
大体想像は付く。だけどここはあえて無邪気に、そして能天気に行こう。帝国軍三長官からも大人しくしていろと言われている。世は全て事も無し、天下泰平、宇宙には愛が溢れている。あらら、ミュラーが溜息を吐いている。
『分かっているだろう、ローエングラム伯の機嫌は最悪だよ。毎日険しい表情をしている』

「ほう、変だね。ローエングラム伯爵家を継いで上級大将に昇進、宇宙艦隊副司令長官に就任した。本当は毎日が楽しくて仕方ないんじゃないかな。機嫌が悪いのは多分照れ隠しだろう、気にする事は無いさ」
あれ、今度はミュラーだけじゃなくてヴァレリーも一緒に溜息を吐いている。なんで二人ともそんな恨めしそうな目で俺を見るんだ。

『本気で言っているわけじゃないよな?』
「いいや本気で言っている。気にする事は無いよ。例えローエングラム伯の機嫌が本当に悪くても卿の所為じゃないからね」
『……』
ついでに言うと俺の所為でもない。
「不満が有るなら帝国軍三長官に言えば良いんだ。あの人達が決めたんだから」
『……伯はそうは思っていないぞ。卿が仕組んだと思っている』
「被害妄想だな、私は関係ない」

被害妄想だ。悪いのは帝国軍三長官とリヒテンラーデ侯で俺じゃない。俺は人事に介入する程偉くは無いんだ、ただ自分の昇進は受けられないと言っただけだ。ラインハルトを陥れようとした事など無い、結果的にそうなったとしてもな。だからミュラー、ヴァレリー、そんな目で俺を見るんじゃない。俺は詐欺師でもペテン師でもない。俺には疾しい事は無い。

「それで、何の用だ。正規艦隊司令官になってそっちこそ忙しいんじゃないか。私に愚痴を零している暇は無いだろう。まあ愚痴を聞いてくれと言うなら聞くけど」
『いや、そうじゃない。ちょっと困った事が有ってね、相談に乗って欲しいんだ』
「私で力になれるならね」
『艦隊の編成が上手く行かないんだ。中央に伝手が無いからな、司令部は何とかなったんだが分艦隊司令官が足りない。誰か良い人間がいないかな?』
弱り切った表情だ。なるほどなあ、非主流派だから人集めは苦手か。心当たりは有るが……。

「良いのか、私なんかに相談して。ローエングラム伯が嫌がるぞ。先ずは伯に相談したらどうだ?」
『駄目だよ、ローエングラム伯にそんな余裕は無い。伯自身艦隊の編成が終わっていないんだ。俺達が抜けたからね、その後任者が未だ見つからない。総参謀長も決まっていないし宇宙艦隊司令部は半身不随の状態だ』
ミュラーが肩を竦めた。お手上げ、そんな感じだな。

「酷いな、ミュッケンベルガー元帥は?」
『艦隊編成は好きにやれと言って静観しているよ。御手並み拝見、そんなところかな』
「……分かった。心当たりは有る。少し時間をくれないか」
『頼む』
「それとこの件は内密に頼む。ローエングラム伯を必要以上に刺激する事は無いからね」
『勿論だ』

通信を切った。ヴァレリーが心配そうな顔をしているのが分かったが敢えて無視をした。安請け合いして大丈夫なのかと思っているのだろう。大丈夫だ、俺には原作知識という強い味方が有る。ヴァルヒ、シュナーベル、ハウシルド、だったな。こいつらが何処にいるのか確認しないと。

それにしても宇宙艦隊の状況は酷いようだな。宇宙艦隊が半身不随なのにミュッケンベルガーは動こうとしない。おそらくラインハルトに対して何らかの不満が有るんだろう。この場合はラインハルトが頭を下げて力を貸してくださいと言えれば良いんだが……、あの性格だ、難しいよな。もしかするとラインハルトは疑心暗鬼になっているのかもしれない。それでミュッケンベルガーとも上手く行かない……。

副司令長官なんだ、ミュッケンベルガーと張り合う必要は無い。むしろミュッケンベルガーをおだてながら上手く利用する、そう思えればかなり楽になるんだが……。無い物ねだりに等しいな。まあ当分宇宙艦隊司令部は鬼門だ、近付かないようにしよう。さて、仕事にかかるか。レポートを書かないとな。先ずは二月中に一つ提出、その後は五月で良いだろう。

 

 

第二話 奴は正気じゃない、首輪を付けろ



帝国暦 487年 2月 14日  オーディン  士官学校  ミヒャエル・ニヒェルマン



まいったなあ。中間試験の結果は予想よりも悪かった。千百十五番、Cランク。これじゃ期末試験はよっぽど頑張らないと戦史科は無理だ。あと五十点多く取れてれば千番以内に入れた、Bランクだったのに……。次の期末試験でドジを踏まなければ戦史科に行けたなあ。情報分析と機関工学でヤマが外れた、それに他の科目も思ったより点数が取れなかった。散々だ。戦史科が駄目だったら三年次の専攻は何処にしようか?

士官学校の廊下を歩きながらどんよりとした気分になった。声をかけて来る奴は皆試験が終わった事で明るい表情をしている。成績もそれなりだったんだろうな、羨ましいよ。あー落ち込む、誰にも会いたくないし話したくない。話しかけられるのも嫌だ。部屋に戻ってもエッティンガーが居る。あいつ煩いからな、今は一緒に居たくない。同居者って面倒な存在だよ。人の少ないところに向かった。

如何しようかな、専攻は。……空戦科、空飛ぶ棺桶なんかに乗りたくない。陸戦科、筋肉馬鹿は嫌いだ。技術科、講義を聞いていると頭が痛くなる。兵站科、落ちこぼれは嫌だ。情報科、性格悪くなりそう。航海科、気が進まない。……行くとこが無いな、消去法で航海科か。出来れば将来は作戦参謀になりたいんだけどな。このままで行くと危ない。僕はギリギリの所に居る。

目的地に着いた。ここなら大丈夫だろう、比較的人は少ない筈だ。試験前ならともかく試験後に図書館なんかに来る奴はそれほど多くない。適当な所に座って本を読んでる振りでもしよう。本は電子よりも紙が良いな、適当にパラパラめくっていれば声をかけて来る奴はいない筈だ、いても無視すればいい。

本を探していると人影が見えた。候補生じゃないな、教官? でも見覚えの無い後ろ姿だ。まだ若い感じだけど誰だろう。後を追うと教官がこっちを見た。襟蔓が一つ、肩線が二本。中将? 中将ってヴァレンシュタイン中将! 校長閣下だ。閣下がこっちに近付いて来た。やばい、如何しよう、身体が動かないよ。

「中間試験が終わったばかりなのに調べものかな? 頑張っているね、名前は?」
「ミ、ミヒャエル・ニヒェルマン候補生、二回生です」
慌てて答えたけど声が裏返りそうになった。校長閣下が声をかけて来るなんて吃驚だよ。それにしても閣下は若い。二十歳を超えている筈だけど僕らと殆ど変らない。背も小柄だから余計に若く見える。

「何を探しているのかな? ニヒェルマン候補生」
「あ、その、ツィーグラーの戦略の分析要約を探しています」
中間試験の勉強で使った本だ。良かった、上手く答えられた。……あれ? 閣下が変な顔をしている。何か間違った? ツィーグラーじゃなかったっけ。

「……ツァーベルじゃないかな、それは。ツィーグラーなら戦略戦術の一般原則についての論考が有名だよ。君が捜しているのはどちらかな?」
「あ、済みません、ツァーベルです。ツァーベルの戦略の分析要約を探しています。勘違いしました」
慌てて答えたら間違えてた。凄いや、分かっちゃうんだ。校長閣下が頷いている。

良かったよ、著者を間違えるなんて怒られるかと思ったけど閣下は何も言わなかった。外見は穏やかで優しそうだ、性格も優しいのかな。そう言えば声も柔らかい感じだった。でもこの人幾つもの戦場で武勲を挙げているんだよな。それに本当なら宇宙艦隊副司令長官だったのに軍規を乱すからと言って断っちゃった。士官学校の校長って閑職だけど不満ないのかな? うーん、そんな風には見えないな。外柔内剛って言われているけど本当にそんな感じだ。

「閣下は何をお探しですか?」
「孫子を探している。久し振りに読みたくなってね」
「孫子ですか……」
珍しい本を読むんだな。
「意外かな?」
「あ、いえ、その」
如何答えて良いか分からずあたふたすると閣下は軽く笑い声を上げた。なんか楽しそうだ。
「教官達は孫子を使わないからね、興味が無いか」

そう、教官達は授業で孫子を使わない。だから僕達も孫子という軍事理論書が有る事、かなり古い時代に書かれた本である事は知っているけど読んだ事は無い。
「良い本なのだけどね」
「そうなのですか?」
校長閣下が頷いた。
「戦争の事だけでは無く国家運営と戦争の関係を重視している。視野の広い軍人を育てるには適した本だと思う」
へー、凄いな。孫子ってそんな本なんだ。一度読んでみようかな。



帝国暦 487年 2月 27日  オーディン  軍務省尚書室  エーレンベルク元帥



「内密に話したいとの事だったがTV電話ではいかぬのかな?」
「他聞を憚る内容なのだ。TV電話では話せぬ。ミュッケンベルガー元帥が来るまで座って待ってくれ」
尚書室に入るなり文句を言ったシュタインホフ元帥をソファーに座らせた。まったく、そう露骨に不機嫌な顔をする事も有るまい。もっともこれから話す内容を知れば顔が歪むだろう。その時は思いっ切り腹の中で笑って……、笑えるわけがないな、溜息が出そうだ……。

直ぐにミュッケンベルガー元帥が尚書室に入って来た。“遅くなった、済まぬ”と言ってシュタインホフ元帥の隣に座った。副官に人払いを命じこちらから呼ぶまで誰も入れるなと言って部屋から追い払った。副官がコーヒーを、と言いかけたが要らぬと追い出した。どうせ味わう余裕などないのだ。無用だ。
「ヴァレンシュタインからレポートが届いた。見て貰いたい」
レポートを二人に差し出すと二人が戸惑いを見せた。

「これは原本だ。コピーは無い、複写出来る物ではないのでな」
二人が今度は訝しげな表情をした。そしてレポートを見、私を見た、そしてまたレポートに視線を移す。二人が顔を見合わせたが上位者であるシュタインホフ元帥がレポートを受け取り読み始めた。シュタインホフ元帥の表情が厳しくなった。チラッとまた私を見てレポートに視線を戻した。精々驚け、内容は今後反乱軍が採るであろうイゼルローン要塞攻略作戦案についての予想、だ。

ヴァレンシュタインは士官学校校長の地位に有る。オーディンで閑職と言えばそのくらいしかなかった。それに士官学校校長なら少しは奴も大人しくなるだろうという読みも有った。ポストが見つかったのは良かったがそこでのんびりされても困る。あくまでそれは一時的な退避なのだ。こちらの見積もりでは二、三年で中央に戻すつもりだった。という事で常に繋がりを維持する、その観点からレポートの提出を命じた。まあレポートが何か役に立つ事も有るだろうとは思ったがそれほど重視したわけでは無い。それなのにあの馬鹿、とんでもない事をする。

「うーむ」
シュタインホフ元帥が唸り声を挙げた。気になるのだろう、ミュッケンベルガー元帥がシュタインホフ元帥へ視線を向けた。シュタインホフ元帥は気付かない、夢中でレポートを読んでいる。ページをめくる、二枚目、三枚目、ずっと下まで視線を送ってからホウッと息を吐いた。

「驚いている様だが続きを読んでくれ、そちらが卿らを呼んだ本題だ」
「本題?」
訝しそうな声を出したがシュタインホフ元帥はページをめくって四ページ目を読みだした。読み出すにつれ表情が厳しくなった。
「馬鹿な、何を考えている、気でも狂ったか」
吐き捨てた。気持ちは分かる、正気を疑いたくなる内容だ。私も同じ事を言った。ミュッケンベルガー元帥が驚いている。大丈夫だ、卿にも読んでもらう。

「エーレンベルク元帥」
「統帥本部総長、読み終わったのなら司令長官に渡してくれ。話は司令長官が読み終わってからだ」
話しかけてきたが遮った。忌々しそうな表情をしたがシュタインホフ元帥はレポートをミュッケンベルガー元帥に渡した。

ミュッケンベルガー元帥も同じ反応を示した。三枚目を読み終わって息を吐く。そして私とシュタインホフ元帥を見てから四枚目を読み出した。反応は同じだ、“馬鹿な”、“何を考えている”、“正気とは思えん”、と吐き捨てた。
「読み終わったのならレポートを返して貰おう」
ミュッケンベルガー元帥が不機嫌も露わにレポートを私に差し出した。頼むから二人とも私に不機嫌そうな顔を見せるな、不機嫌なのは私も同じなのだ。

「さて卿らの意見を聞きたい。先ずは最初の作戦案についてだ。如何思われる」
「最初の作戦案と言われるか、反乱軍が帝国軍に偽装してイゼルローン要塞に潜入、内部から要塞占拠を目論むという奴だな」
「その通りだ、シュタインホフ元帥」
「十分有り得ると思う、司令長官は如何思われる」
シュタインホフ元帥が話を振るとミュッケンベルガー元帥が重々しく頷いた。
「私も統帥本部総長と同意見だ。外から攻めて駄目となればいずれは内から攻めてみようと考えるだろう。今この時にも考えているやもしれぬ。それにイゼルローンは駐留艦隊と要塞は指揮系統が統一されていない。付け込む隙は有ると言える。成功の可能性も十分に有るだろう」

指揮系統が統一されていないという部分で二人の顔が不機嫌そうに歪んだ。多分、クライストとヴァルテンベルクの事を考えたのだろう。
「では帝国軍三長官からの警告としてイゼルローン要塞司令官、駐留艦隊司令官に対してこの作戦案を伝える事としたい」
二人が頷いた。

「更に駐留艦隊司令官に対しては反乱軍の姿が見えぬうちはむやみに出撃せぬ事を注意し要塞司令官に対しては例え帝国軍艦船、帝国軍将校に見えても外部からの入港者に対しては油断するなと注意したい」
また二人が頷いた。取り敢えずこれで簡単な方は片付いた。ここからが今日の本題だ。

「ではヴァレンシュタインが提起したもう一つの作戦案について意見を聞きたい。シュタインホフ元帥、ミュッケンベルガー元帥、卿らは如何思われる」
「正気とは思えぬ」
シュタインホフ元帥が吐き捨てミュッケンベルガー元帥が頷いた。

「そんな事は分かっている」
「……」
「大将昇進、宇宙艦隊副司令長官への異動を断ったのだからな。正気では有るまい、違うかな?」
二人が渋々頷いた。
「私が卿らに問いたいのは反乱軍が要塞をもってイゼルローン要塞を破壊しようとした時、この馬鹿げた作戦案を実施した時、帝国軍にそれを防ぐ方法が有るかという事だ」

二人が沈黙した。ややあってミュッケンベルガー元帥が大きく息を吐いた。
「分からぬ。……だがこれは可能なのか? イゼルローン要塞と同規模の要塞を運ぶなど」
「理論上は可能だろう、ワープ航法は既に確立された技術だ。要塞を運ぶなど突拍子もない案だが運ぶ物が大きくなっただけとも言える。不可能とは言えまい」
私が答えると二人がまた沈黙した。

「念のためシャフト技術大将に要塞を運ぶ事が可能か訊いてみた、雑談としてな」
「それでシャフトは何と?」
シュタインホフ元帥が問いミュッケンベルガー元帥が身を乗り出した。
「同じだ、理論上は可能だと言った」
「理論上は可能でも現実に可能なのか?」
今度はシュタインホフ元帥も身を乗り出してきた。

「多分可能だろうと言っている」
「多分?」
「もし不可能だとしてもそれは現時点での科学技術で解決出来ぬ問題が有るというにすぎぬ。今後科学技術が発展すれば解消されるだろうという事だ」
「……」
「つまり今は不可能でも十年後、二十年後、いや、一年後には可能となるかもしれぬ」
二人がげっそりとした様な表情を見せた。駄目だな、二人とも衝撃が大きくて立ち直れずにいる。まあ無理もないか、私とて二人に相談するまでレポートを受け取ってから三日かかっている。

「如何かな、防ぐ方法だが」
「……分からぬとしか言いようがないな。……ヴァレンシュタインは何と? この案を考えたのだ、防ぐ方法も考えたのではないか? 軍務尚書は聞いておらぬのか?」
「制宙権が有れば可能だと言っているな、司令長官」
「制宙権……」
シュタインホフ元帥が呟いた。訝しそうな表情だ。

「要塞を移動させるためには要塞の重心を中心として左右対称に複数のエンジンを取り付けなければならん。そうでなければ推力に不整合が生じ要塞は真っ直ぐに動かなくなる。つまりそのエンジンの一つを破壊すれば要塞は進路を保てなくなる。駐留艦隊が艦砲の一斉砲撃を行えば破壊出来るだろう」
“なるほど”、“道理だ”と二人が言った。二人とも表情が明るい。次が楽しみだ。

「だが現実には不可能だろうともヴァレンシュタインは言っている」
「……何故だ?」
シュタインホフ元帥の声が掠れている。コーヒーを用意した方が良かったか、そんな事を考えた。埒も無い……。何処か自分が壊れている様な気がした。壊したのは士官学校の校長だな。

「反乱軍が要塞のみを送り込んでくるなど有り得ぬ、そうではないか」
「……」
「おそらく二、三個艦隊は随伴してくる筈だ、となれば駐留艦隊だけでは制宙権は確保出来ぬ、防げぬという事だ、要塞は破壊される。要塞内に待機していた駐留艦隊、そして約五百万の将兵の殆どが失われるだろう」
二人が呻き声を上げた。

「士官学校に送れば少しは大人しくなるかと思ったが……」
「無理だな、シュタインホフ元帥。卿らは知らぬだろうがあの男は既に宇宙艦隊を自分の影響下に置いている」
「どういう事だ、司令長官」
私が問うとミュッケンベルガー元帥が力無く笑った。

「正規艦隊の司令官に選ばれたのはヴァレンシュタインが選んだ男達だった。彼らは実力は有ったが中央に伝手が無かった。その所為で司令部要員、分艦隊司令官の人選に苦労していた……」
「ローエングラム伯に相談しなかったのか? 」
私が問うとミュッケンベルガー元帥が首を横に振った。

「伯自身艦隊編成で悩んでいた。到底力にはなれぬ」
「それで如何したのだ?」
「決まっているだろう、統帥本部総長。彼らはヴァレンシュタインに相談した。あっという間に艦隊編成は終了したよ。今は訓練中だ。まあローエングラム伯も刺激されたのかようやく編成が終わって訓練に入っている。祝着至極だ」
溜息が出た。私だけじゃない、シュタインホフ元帥も溜息を吐いている。

「つまり、宇宙艦隊は司令官も司令部要員もあの男の紐付きか……」
「そういう事になるな」
「ローエングラム伯は気付いていないのか?」
「薄々は気付いているようだ。もっとも伯も彼らの力になれなかったという弱みが有るからな、非難は出来ん。誰もその事には触れぬよ。言ってみれば公然の秘密という奴だな」

私の問いに答えるミュッケンベルガー元帥は何処か他人事の様だった。シュタインホフ元帥も何処か気の抜けた様な顔をしている。多分私も似た様なものだろう。
「ローエングラム伯は三月の半ばには出征する。兵力は一個艦隊、自分の力量を周囲に示したいらしい」
つまり勝つ事で艦隊司令官達の心を掴もうとしているのか……。ローエングラム伯か、簒奪など当分無理だな。

「話しを戻そう、反乱軍には天体型の要塞は無い。現時点でこの作戦案が実行される事は無い」
「気休めにはなるな」
投げやりな口調が聞こえた。
「気休めにもならぬよ、シュタインホフ元帥。今後我らは反乱軍が何時要塞を造り始めるかと怯えながら過ごす事になるのだからな。何も知らぬ奴らが羨ましいわ」
二人ともそんな恨めしそうな目で私を見るな。私が考えたのではないぞ。それに卿らに知らせぬわけにもいくまい。

「この件はリヒテンラーデ侯に報告する。卿らも同行して貰いたい」
「……」
「イゼルローン要塞は難攻不落では無くなった。国政の責任者に知らせる必要が有ると思う。それにレポートはフェザーンに付いても触れている」
「フェザーンが反乱軍よりの姿勢を示すという事か」
「その通りだ、司令長官。フェザーンから情報が届かぬとなればイゼルローンはさらに危うい」
二人が“分かった”と言って頷いた。リヒテンラーデ侯も眠れぬ夜を過ごす事になるだろう。早死せねば良いが……。

「フェザーンの駐在武官に反乱軍が要塞を造る様子が無いか調べさせる。出兵の有無についてもだ」
「それが良いだろう、情報部でも調べさせる」
「それは助かる。何か有ったら直ぐ知らせて欲しい」
「了解した。この件は帝国の重大事だ。隠す事無くお知らせする」
シュタインホフ元帥が協力を約束した。流石に彼も事の重大さにいがみ合っている余裕は無いと考えた様だ。もしかするとこの件がきっかけで関係が改善されるかもしれない。結構な事だ。

「当然の事だがこの件を知る者は我らとリヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタイン限りとしなければならぬ。他言は無用、宜しいな」
二人が頷いた。
「ヴァレンシュタインには憲兵隊の監視を付ける。情報漏れを防ぐと共に身の安全を確保するためだ。奴を奪われれば帝国の安全保障は危機的状況を迎えかねぬ。貴族の馬鹿共がこれを知ればどんな取引に使おうとするか……。場合によってはフェザーンに金で売りかねん」
シュタインホフ元帥とミュッケンベルガー元帥が顔を見合わせ“同意する”と頷いた。

「情報部にも監視させよう」
「そうして貰えると助かる。だが縄張り争いによる足の引っ張り合いは避けたい。その点については留意して頂きたい」
「分かった。そちらの邪魔はせぬ。むしろ協力させる方向で行きたい」
「分かった。憲兵隊にもその件は伝える」

ミュッケンベルガー元帥が大きく息を吐いた。
「まるでフェンリルだな。野放しには出来ぬ、どうやって奴を捕縛するかと神々も苦労しただろう」
上手い事を言う、全く同感だ。問題は神々にはグレイプニルが有ったが我々には無い事だ。何とかしてアレを制御せねばならん。陛下に万一の事が有った場合にはあの男の力が必要になるのだから……。


 

 

第三話 監視? 護衛? 鬱陶しいのは変わらない




帝国暦 487年 3月 15日  オーディン  情報部員A



監視対象者が士官学校から出て来た。隣りにいるBが本部に連絡を入れた。
「Bより本部、Bより本部」
『こちら本部』
「1730、監視対象者が士官学校から出て来た。副官も一緒だ。これより尾行する」
『了解、気付かれるな』
溜息が出た。Bもウンザリしている。

「気付かれるなと言われてもなあ」
「ああ、如何する。前回は俺が後を追ったが今回は卿が追うか? 俺が追うなら席を交換する事になるが」
「いや、俺が行くよ。向こうに不自然な動きは見せたくない、鋭いからな。卿は地上車でゆっくり付いてきてくれ」
「分かった」
Bが帽子を被り顎に付け髭を付けてから地上車を降りた。カメラは上着のボタンに仕込んである。二人からかなり距離をおいて後を追い始めた。俺もヘッドセットを付けた。

監視対象者、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将。俺とBが受けている命令は彼の士官学校の外での行動を逐一報告する事。士官学校内は別に協力者がいるらしい、俺達の任務の範囲外だ。そして彼の安全を確保する事。つまり監視対象者であり警護対象者なわけだ。但しあくまで極秘に、相手に気付かれぬようにと言われている。そして憲兵隊も同じ事をしているが決してその邪魔をしない事……。

監視の他に護衛も入るとなればもっと人数が必要だが憲兵隊も同じ事をしているという訳で今任務にあたっているのは俺とBの二人だけだ。情報部と憲兵隊は犬猿の仲の筈なんだがこの件では協力するようにと命じられている。というわけでBの後をさりげなく歩いている奴、あいつは憲兵隊だと分かっているが邪魔はしない。憲兵隊の地上車も近くに有るがこっちも無視だ。向こうもこっちの邪魔をすることは無い。どうも上で不可侵の協定が出来ている様だ。

それにしても遣り辛い監視対象者だ。帝国軍中将なら移動は地上車で良い筈だ。だがヴァレンシュタイン中将は士官学校校長の官舎まで二十分程の距離を徒歩で移動する。地上車で移動してくれれば後を地上車で追えば良いが徒歩ではそれが出来ない。どうしても徒歩で後を追う事になる訳だがそうなるとこちらの姿を曝す事になる。こいつが厄介なのだ。相手に記憶されかねない。服装、眼鏡、帽子、マフラー、姿勢、歩き方で変化を付けているが非常に疲れる。この間は杖をついて後を追ったが精神的にも肉体的にも疲れた。それに途中で地上車を使われてはかなわない。必ず地上車でも後を追っている。

おまけに相手は移動ルートを頻繁に変える。以前ベーネミュンデ侯爵夫人に襲われた事が有る所為で酷く用心深い。特にあの女副官、同盟からの亡命者なのだがかなり鋭い。一度尾行がばれ掛けた事が有る。という事で俺達は四チームが交代で任務に就いている。中には女子だけのチームも有る。憲兵隊も似た様なものだろう。

『A、聞こえるか』
ヘッドセットのイヤホンからBの声が聞こえた。
「聞こえるぞ、B。状況は?」
『いつもと同じだ。変化無し。二人でいちゃ付くわけでもなく普通に歩いているよ。これ、本当に監視する必要が有るのか?』
「文句を言うな、俺達は命令を受けたんだ」
『しかしなあ、相手はヴァレンシュタイン中将だぞ』
イヤホンからは溜息混じりの声が聞こえた。
「B、任務を続行しろ。こちらも後を追う、距離は百だ」
『了解』

Bの気持ちは良く分かる。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将、宇宙艦隊副司令長官のポストを蹴って士官学校校長になった男だ。能力は有るが野心が有るようには見えない。実際日々の行動でも不審な点は見えない、交友関係も装甲擲弾兵のリューネブルク中将と時々会うくらいのもので極めて綺麗だ。今士官学校は春休みだが中将は毎日学校に来ている。士官学校校長など閑職なのだ、多少サボっても問題無い筈だが律儀に就業時間は学校に居る。

百メートル離れた、そろそろと地上車を動かす。ヘルトリング部長が何を考えて俺達に中将を監視させているのかさっぱり分からない。或いはヴァレンシュタイン中将本人よりも中将に接触しようとする人間を押さえ様としているのかとも思うのだが……。一度別なチームが中将が若い女性と食事をする場を目撃した。動きが有ったと意気込んで本部に写真を送ったのだが本部からの回答は相手の女性は宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥の養女との事だった……。笑い話にもならん。それにしても俺だったらどんなに美人でもあの元帥の娘なんかと食事をするのは御免だな。

『A、見えているか?』
「見えている、中将は自宅に入ったようだな」
『ああ、副官は自宅に向かったようだ』
「分かった、地上車を止める。戻ってこい」
『了解』
地上車を中将の官舎から五十メートル程の距離に止めた。Bが少しずつ近付いて来る、そして助手席に座った。俺もヘッドセットを外した。

「こちらA、本部、応答願います」
『こちら本部』
「1755、監視対象者は家に戻った。このまま監視を続ける」
『了解』
Bに視線を向けると肩を竦める仕草をした。今日はこのまま明日の五時まで待機だろう。それまでに食事を摂りBと交代で睡眠を取る事になる。詰まらない一日だ。

三十分程経った時、中将の官舎の前に地上車が止まった。車内の空気が強張る。地上車からは誰も出てこない。Bが単眼鏡を構えた。
「B、中に人が乗っているか」
「いや、見えない。スモークガラスを使っているな」
Bの声が昂っている。ただの平民、下級貴族がスモークガラスを使用した地上車に乗る事は許されない。中に乗っている人間が居るとすればそれなりの地位を持つ人物だ。貴族、将官、高級官僚、或いは中将が地上車を呼んだのか……。

ヴァレンシュタイン中将が官舎から出て来た。軍服を着ている。
「出て来たぞ、B」
「ああ、出て来た」
地上車に乗り込んだ、発進する。こちらも後を追った。見失ってはいけないが気付かれてもいけない。近付き過ぎず離れ過ぎずだ。

「Bより本部、Bより本部」
『こちら本部』
「1830、監視対象者が動いた。地上車で移動中、後を追う」
『了解、応援は要るか?』
「現状では必要ないが念のため準備は頼む」
『了解した』
Bも昂っているが本部も昂っていた。ようやく動きが出た、そう思ったのだろう。一体何処に行くのか。

中将の乗った地上車が向かったのは海鷲(ゼーアドラー)だった。
「どうする、A」
「中で誰と接触するのか、確認する必要が有るな」
「で、どっちが入る」
Bの顔が嬉しそうだ、俺は酒が飲めない、しょうがない奴だ。

「行けよ、俺は此処で待機している」
「分かった」
そう言うとBが後部座席に移り軍服に着替え始めた。
「Aより本部、応答願います」
『こちら本部』
「1845、監視対象者は海鷲(ゼーアドラー)に入った。Bが中に入り対象者を監視する」
『了解、応援が要るか?』
声が笑っている。Bが必要ないという様に手を振った。

「その必要は無い、Bだけで十分だ」
『残念だな、応援が必要な時は何時でも言ってくれ』
「了解した」
やれやれだ。皆仕事だという事を理解しているのか時々疑問になる。Bにも釘を刺しておかないと。

「B、言っておくが任務だぞ。飲み代は経費で落としても良いが飲み過ぎるなよ」
「ああ、分かってる」
本当に分かっているのか?
「一時間毎に俺に報告を入れる事を忘れるな」
「勿論だ」
Bは着替えると弾むような足取りで海鷲(ゼーアドラー)に入って行った。こんな時だけはやる気になるんだな。

『A、対象者を確認した』
Bから直ぐに連絡が来た。早い、中将を直ぐに見つけたらしい。
「状況は」
『十人以上で酒を飲んでいる。豪華な顔ぶれだ。ロイエンタール中将、ミッターマイヤー中将、ケスラー中将、……宇宙艦隊の司令官達だ。殆ど揃っている』

なるほど、ローエングラム伯が今日出撃したな。煩い上司が居なくなってヴァレンシュタイン中将と旧交を交わしているという事か。どうやらローエングラム伯とヴァレンシュタイン中将の間は思いの外に険悪らしい。そして各艦隊司令官はヴァレンシュタイン中将寄りだ。本部に報告する必要が有るな。

「B、そのまま監視を続けろ」
『了解、楽しみながら監視させてもらう』
「出来る事なら会話も録音しろ」
『分かった、難しいがやってみよう』
「それと領収書を忘れるな、自腹になるぞ」
『了解』



帝国暦487年 4月 24日 オーディン 新無憂宮  エーレンベルク元帥



南苑に有るこの部屋はいかにも密談向きの部屋だ。陰鬱で微かに黴臭く薄暗い、そして空気が重苦しい。ここでの会話が弾んだ事はない。必要な事を話しそそくさと帰る、そんな気分にさせる。
「待たせたか、帝国軍三長官が内密で会いたいとの事だが何用かな」
部屋に入ってきた国務尚書リヒテンラーデ侯の機嫌は必ずしも良くはなかった。執務を中断された事への不快感が有るのかもしれない。

シュタインホフ、ミュッケンベルガー両元帥は無言だ。帝国軍三長官筆頭の私から話せという事だろう。
「イゼルローン要塞に反乱軍が押し寄せました」
リヒテンラーデ侯が微かに眉を上げた。
「それで」
「反乱軍は要塞内に兵を送り込もうとしたようです」
シンとした。リヒテンラーデ侯がじっと私を見ている。部屋の空気が一段と重くなったような気がした。

「防いだのだな」
押し殺すような低い声だ。
「はい。要塞内に入ったところで取り押さえました。作戦の失敗により反乱軍は撤退しています」
こちらの声も同じように低くなった。
「レポートの通りか」
「はい」
「フェザーンからは反乱軍の動きを知らせてこなかったな……」
「それもレポートの通りです」
リヒテンラーデ侯が大きく息を吐いた。緊張が緩んだ。

「危ないところでした、あのレポートが無ければ……」
「イゼルローン要塞は落とされていたか」
シュタインホフ元帥の言葉の後をリヒテンラーデ侯が補った。
「ローエングラム伯の事も有ります。最悪の場合、敵に占領された要塞に何も知らずに近付く事になりました。大変な損害を受けたでしょう」

ミュッケンベルガー元帥が最悪の想定をするとリヒテンラーデ侯はフンと鼻を鳴らした。ローエングラム伯など如何でも良い、そんな感情が滲み出ている。反乱軍がイゼルローン要塞を攻略しようとした事は要塞間近に迫っていたローエングラム伯にも伝えられた。ローエングラム伯は今反乱軍を追っている。逸っている事だろう。

「ヴァレンシュタインとは話したのか、軍務尚書」
「はい、……あらあらと言っておりましたな」
「あらあら? 何だそれは?」
不機嫌そうな声だ。顔を顰めている。
「本人にとっても予想外だったようです。実行するにしてももう少し後だろうと思っていたとか」
またリヒテンラーデ侯がフンと鼻を鳴らした。

「良くない状況です。我々が思っている以上に反乱軍は追い詰められているのかもしれません。その事はフェザーンが今回の一件を知らせてこなかった事からも判断出来ます」
「ミュッケンベルガー元帥の言う通りです。こうなりますと反乱軍が次に何を考えるか……」
シュタインホフ元帥の発言にリヒテンラーデ侯がまた顔を顰めた。
「要塞を造り出すというのだな、卿らは」
「いずれそういう時が来るかもしれません」
リヒテンラーデ侯が私を睨んだが何も言わなかった。侯も同じ事を考えたのかもしれない。

リヒテンラーデ侯が恐れているのは反乱軍が辺境星域に侵入する事だ。帝国の辺境は長い戦乱の所為で放置されたままになっていて極めて貧しい。その所為で中央に対して強い反感を持っている。もし要塞が失われ反乱軍が辺境星域に侵入する事になったらどうなるか……。辺境星域は反乱軍に同調するかもしれない。イゼルローン要塞陥落は軍人だけではない、政治家にとっても悪夢なのだ。

「それで、ヴァレンシュタインは如何するのだ? 昇進させるのか?」
「士官学校校長になって未だ三カ月も経ちません。昇進、異動は避けるべきだと思います。統帥本部総長、司令長官も同意見です」
リヒテンラーデ侯がジロリとシュタインホフ、ミュッケンベルガー元帥に視線を向けた。
「軍務尚書、では勲章だな」
「はい、双頭鷲武勲章を」
「まあそんなところだな」
三度リヒテンラーデ侯が鼻を鳴らした。



帝国暦 487年 4月 26日  オーディン  士官学校校長室  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



『そういう訳で卿には双頭鷲武勲章を授与する事になった』
「はあ」
『なんだ、勲章では不満か?』
「いえ、そうでは有りません。そのようにお気遣い頂かなくてもと思いましたので……」
そんな不機嫌そうな表情で言われても素直には喜べません。と言いたかったがこれも宮仕えの悲しさだ。正直には言えない。

『そうはいかん。信賞必罰は軍のよって立つところだ。功を挙げた以上、それを賞するのは当然の事であろう』
「はあ」
だったらもっと嬉しそうに言ってくれ。だいたい俺みたいな若造が双頭鷲武勲章なんて貰っても誰も喜ばないのは分かっている。
『来月三日に授与式を宮中黒真珠の間で行う。後で典礼省より連絡が有る筈だ』
「……分かりました」
面倒だな、そういうのが一番嫌いなんだけど……。

「閣下、小官の監視は何時まで続くのでしょうか」
あ、表情が渋くなった。でもね、不自由な想いをしているのは俺だぞ。
『監視だけではない、護衛も兼ねている』
「……そうは言われましても」
どうみてもメインは監視だろ。俺を監視してどうすんだよ、意味ないぞ。心の中で毒づいてみた。少しは気が晴れた。

『今回の件で卿の重要性はより高まった。護衛はこれからも続ける』
「……」
立場弱いよ、皆と酒飲むのも駄目って言われたからな。もっともそれで監視されてるって分かったけど。ヴァレリーはその前から妙な感じがすると言っていたが俺は気付かなかった。鈍い奴って何処にでもいると思ったよ。但しそれが自分だと判明した時は面白くなかったけど。

『次のレポートは何時出来上がるのだ?』
「五月の期末試験が終わりましたら提出させていただきます」
『良かろう』
まあ前回がイゼルローン要塞だから今度はアルテミスの首飾りで行こう。ハイネセンまで行ったら役に立つ情報だ。もしかするとカストロプでも使うかもしれない。宇宙艦隊も気張るだろう。

「ところで一つお願いが有るのですが……」
『何だ?』
そんな警戒心丸出しな表情をしなくても良いだろう。俺は結構役に立っていると思うよ。もっとにこやかにしてくれても……。
「五月末に卒業式が有ります。来賓として軍務尚書閣下にご臨席を賜りたいのですが……」
『……卒業式か、考えておこう』

それを最後に通信が切れた。出てくれるかな? 迷惑そうな顔をしていた、期待薄だな。レポートを提出したらもう一度エーレンベルクをプッシュしてみるか。或いは別な手段を考えるか……。まあ手が無いわけでもないな……。ここ最近卒業式に出るのは軍務次官の仕事になっている。俺の卒業式も軍務次官だった。帝国軍三長官クラスが出席してくれれば卒業生達も喜ぶだろう。俺って良い校長先生だな。そのうちTVドラマの主人公にでもなるかもしれない。


 

 

第四話 頼まれると嫌とは言えないよね




帝国暦 487年 4月 28日  オーディン  士官学校  ミヒャエル・ニヒェルマン



ヴァレンシュタイン校長閣下の背中が見えた。書棚から本を抜き取って表紙を見ている。皆で顔を見合わせ頷いた。そして驚かさないようにゆっくり近づく。閣下は気付かない。手に取った本をめくり始めた。閣下は良くこの図書室に来て本を読んでいる。時々僕達と話す事も有る。気さくな人だ。

あと三メートルまで迫った。そろそろかな? 皆に確認を取ると頷いた。せーので声を合わせようと思ったら閣下が振り向いた。僕達を見てニコニコしている。
「如何したのかな?」
「あ、その、えーと、……せーの」
「おめでとうございます」

皆で声を合わせて“おめでとうございます”というと閣下が不思議そうな表情をした。
「何かあったかな?」
「あの双頭鷲武勲章を授与されるって聞きました」
「ああ、あれか」
あれ? あんまり嬉しそうじゃない。双頭鷲武勲章なんだけど……。皆も不思議そうな顔をしている。

反乱軍がイゼルローン要塞を攻略しようとした。要塞内に帝国軍兵士に扮した反乱軍兵士を潜入させようとした。でも帝国軍はその策略に引っかからなかった。潜入した反乱軍兵士は捕えられ反乱軍の艦隊は撤退した。危ないところだった。反乱軍の策略を防げたのはヴァレンシュタイン校長がイゼルローン要塞を反乱軍が騙し討ちで攻略しようとする可能性が有るって帝国軍三長官に警告したからだ。そして帝国軍三長官はその警告をイゼルローン要塞に伝えた。凄い話だよ。反乱軍の作戦を見破ったのも凄いけど帝国軍三長官に警告したって言うのも凄い。校長閣下は帝国軍三長官と密接に繋がっている実力者なんだ。

今回の攻略戦において校長閣下の功績は大きい。閣下が警告を発しなければイゼルローン要塞は反乱軍によって攻略されていたかもしれない。その功によって双頭鷲武勲章を貰う事になったって聞いているけど……。
「気遣いしないで欲しいと頼んだのだけれどね」
気遣い? 誰に頼んだのだろう? 軍務尚書かな。

困ったな。本当はワッと盛り上がって皆で作戦の事を聞こうと思っていたんだけどちょっと聞き辛い。如何しようと思っていたら“ヴァレンシュタイン中将”と呼びかける声がした。三十代半ば、銀灰色の髪を持つ長身の男性だった。この人も帝国軍中将だ。三十代半ばで中将なら校長閣下には及ばないけど十分に出世は速い。

「リューネブルク中将、珍しいですね、如何したのです」
リューネブルク中将? この人装甲擲弾兵のリューネブルク中将だ。有能だって言われているけど逆亡命者だから上層部から危険視もされているって聞いている。ヴァレンシュタイン校長閣下と親しいと聞いていたけど本当なんだ。皆も吃驚している。良いのかな、そんな人と親しくて。

「相談に乗って欲しい事が有るのです。校長室に行ったら図書室だろうとフィッツシモンズ少佐に言われましたのでね」
校長閣下がニコニコしている。嬉しいのかな。
「迎えに来てくれたのですか」
「ええ」
「分かりました」
それを機に閣下は僕達に“じゃあ”と言って図書室を出て行ってしまった。残念、作戦の事を色々聞きたかったのに……。それにしてもリューネブルク中将が危険だなんて全然気にしていないんだな。



帝国暦 487年 4月 28日  オーディン  士官学校  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



リューネブルクと共に校長室に戻るとヴァレリーがお茶の準備をして待っていた。応接用のソファーに坐ると俺にはココア、リューネブルクにはコーヒーを出してくれた。
「双頭鷲武勲章を授与されるそうですな、おめでとうございます」
「有難うございます。それで頼みとは」

お互い暇じゃない、それに俺と会うと憲兵隊や情報部にチェックされる。会っている時間は短い方が良いだろう。挨拶も早々にここに来た理由を促した。リューネブルクも分かっている、一つ頷くと話し始めた。
「反乱軍のイゼルローン要塞攻略は失敗しました」
「ええ」

ちょっと驚いたよな、この時期にイゼルローン要塞攻略なんて。思ったより同盟は追い詰められているようだ。それに動員したのは半個艦隊じゃない、三個艦隊は有ったと聞く。ラインハルトは危なかった、一つ間違えば同盟の物になったイゼルローン要塞に突っ込むところだった。かなりの損害を受けただろう。

「要塞内に兵を送り込んだそうですが捕虜になった」
「そのようです」
なるほど、なんとなく分かった。
「その捕虜を助ける事は出来ませんか、捕虜はローゼンリッターなのです」
「……シェーンコップ大佐ですか」
「はい」
常に不遜さを漂わせているリューネブルクが切実さを出している。らしくないが人間的には可愛げが有る。ヴァレリーを見たが彼女も同様だ。心配なのだろう。

「難しい事は分かっています。反乱軍の兵士、まして亡命者を助けるなど通常なら不可能。しかしヴァレンシュタイン中将なら……」
「……」
ローゼンリッターでは反逆者、裏切者として処刑される事も有り得るだろう。運良く捕虜収容所に入ってもあそこは劣悪な環境だ。ローゼンリッターは帝国だけではなく同盟でも受けが悪い、生きていくのは至難だろう。

「軍上層部に掛け合って頂けませんか。彼らを帝国軍に迎え入れると。フィッツシモンズ少佐の例もあります」
「説得するというのですか?」
「はい。味方になれば心強い男達です」
「中将の気持ちは分かりますがシェーンコップ大佐達がそれを受け入れると思いますか? 彼らは男ですよ?」
ヴァレリーの場合は性的な部分で危険が有った。だから彼女も亡命を受け入れた。しかしシェーンコップ達は男だ。命が危険だからと言って亡命を受け入れるとは思えない。リューネブルクも分かっているのだろう、苦しそうな表情をしている。

「……難しいとお考えですか?」
そんな縋る様な目をするな、リューネブルク。少し苛めたくなるじゃないか。
「難しいでしょう。彼らを説得するのも軍上層部を説得するのもです。彼らは既に一度亡命しています。自らの意志で逆亡命するのならともかく中将に説得されてでは軍上層部を納得させる事は難しいと思います」
「……」
返事が無い。リューネブルクもその事は分かっているだろう。自発的に逆亡命してさえ三年間戦場に出る事は無かったのだ。それほどまでに亡命者というのは信用されない。何処かで疑いを持たれる。

「帝国に受け入れる事を考えるのではなく向こうへ還す事を考えた方が良いと思いますね」
「しかし、そんな事が可能でしょうか? 捕虜を還すなど」
リューネブルクとヴァレリーが顔を見合わせた。二人とも訝しげな表情をしている。
「ローゼンリッターだけを助けるというのは難しいでしょう。特別扱いは出来ない」
「……と言いますと?」
とうとうヴァレリーが参戦した。

「捕虜全員を還すのです」
「捕虜全員……、交換、ですか」
その通りだ、リューネブルク。なかなか鋭いじゃないか。
「期末試験が終わったら帝国軍三長官にレポートを出す事になっています。そこで捕虜交換を提案してみましょう」
アルテミスの首飾りはその次のレポート提出にお預けだ。リューネブルクがウンウンという様に頷いていたが俺に視線を向けてきた。

「上手く受け入れられるでしょうか?」
「それは分かりません。ですがシェーンコップ大佐達を説得するよりは良いと思います。軍上層部も受け入れやすいでしょうしシェーンコップ大佐達が負い目を持つ事も無い」
「そうかもしれませんな」
リューネブルクが頷いた。恩着せがましくするのはリューネブルクも望むところではないだろう。

「帝国は約二百万の捕虜を抱えています。反乱軍も同様でしょう。それが戻って来るとなれば軍の編成にも余裕が出ます。それに捕虜交換が実現すれば政府に対する平民の不満も軽減出来る、その辺りを指摘すれば……」
「なるほど」
リューネブルクがウンウンと頷いていたが俺を見て不敵に笑った。らしくなって来たじゃないか。可愛げが消えたぞ。

「リヒテンラーデ侯を捲き込むのですな」
「その方が良いでしょう。軍としても動き易い筈です。授与式で陛下にお願いするという手も有りますがそれをやると陛下を利用して政治、軍事を動かしていると周囲の反発を招きかねない」
リューネブルクとヴァレリーが顔を見合わせ頷いた。
「宜しくお願いします」
二人が頭を下げた。用件が済むとリューネブルクは直ぐに帰った。寂しい話だが已むを得ない。危険と思われているのは俺だけじゃない、リューネブルクも同様なのだ。

ラインハルトは敵を追っている様だが如何なるかな。武勲を上げる事が出来れば元帥に昇進も可能だ、原作に近い流れになるだろう。帝国はラインハルトの手で改革され宇宙は統一されるかもしれない。だが武勲を上げられない様だとちょっと厳しい。ラインハルトは皇帝には成れないかもしれん。だとすると帝国はこのままか?

面白く無いな。これ以上門閥貴族の横暴など見たくないし宇宙が地球教とフェザーンの物になるのも御免だ。警告を出す必要が有る。だが今じゃない、少しずつタイミングを見計らってだ。その時はリヒテンラーデ侯は発狂するかもしれない、或いは発作でも起こすか、楽しみだな。だが先ずは軽くジャブの一発も叩き込んでおくか。



帝国暦487年 5月 3日 オーディン 新無憂宮  黒真珠の間  フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト



広大な黒真珠の間には大勢の人間が集まっていた。大貴族、高級文官、武官が幅六メートルの赤を基調とした絨緞をはさんで整然と列を作って並んでいる。俺もその一人だ、正規艦隊司令官フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト中将。かつては遥か下座で参列していたが今ではかなり上座に並ぶ事となった。俺の年齢からすれば異例といって良いかもしれない。

古風なラッパの音が黒真珠の間に響いた。その音とともに参列者が姿勢を正す。俺も姿勢を正した。
「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国フリードリヒ四世陛下の御入来」
式部官の声と帝国国歌の荘重な音楽が響いた。そして参列者は頭を深々と下げる。

国家が流れ終ってから頭をゆっくりと上げた。皇帝フリードリヒ四世陛下が豪奢な椅子に座っていた。顔色が良くない、皇帝は何処か疲れた様な表情をしていた。
「士官学校校長、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン殿」
式部官の朗々たる声がヴァレンシュタイン中将の名を呼んだ。その声とともに絨毯を踏んで中将が陛下に近づいてくる。

気に入らん、どうして中将なのだ。本来なら大将、宇宙艦隊副司令長官だった筈だ。それが中将で士官学校校長? 馬鹿げている! それに今回の武勲で何故昇進しないのだ。ヴァレンシュタイン中将が居なければイゼルローン要塞は反乱軍の物になっていたかもしれんのだ。そうなれば帝国の安全保障は重大な危機に曝されていただろう。

ヴァレンシュタイン中将の武勲は他者の追随を許さぬ。俺達も艦隊編成では随分と世話になっている。言葉では言い尽くせぬ程だ。それを考えれば勲章だけで済ますなどおかしいではないか。納得がいかん! 軍上層部は中将に出世欲が無い事を良い事に中将を不当に扱っている、俺にはそうとしか思えない。

ヴァレンシュタイン中将が陛下の前で膝を着いて頭を下げた。
「ヴァレンシュタイン中将、今度の武勲、まことに見事であった」
「恐れ入ります」
「そちは今士官学校の校長だそうだな」
「はっ」
「ふむ、妙な所に居るな。そちには詰まらぬのではないか?」
当然だろう、そんな事は!

「そのような事は有りません。生徒達と毎日を楽しく過ごしております」
「そうか……。立つが良い」
陛下が立つ事を命じたにも拘わらず中将は起立しなかった。
「如何した? ヴァレンシュタイン」
「恐れながら、勲章の授与は辞退いたします」
黒真珠の間にざわめきが起きた。皆が顔を見合わせている。ロイエンタール、ミッターマイヤー、皆訝しんでいる。

「その代わりと言っては何ですが陛下にお願いがございます」
リヒテンラーデ侯が“控えよ! ヴァレンシュタイン”と叱責したが陛下が“よい、言うてみよ”と中将に発言を許した。
「今月二十五日に士官学校で卒業式が有ります。陛下の御臨席を賜りとうございます」
またざわめきが起きた。中将の事だから私利私欲の願いではないと思っていたが卒業式か。

「予に卒業式に臨席せよと申すか……」
「陛下の御臨席を賜れば卒業生達も感激致しましょう。そして誇りを持って戦場に赴くでしょう」
「ふむ、そちは無欲よの。……良かろう、その願い聞き届けた。卒業式には出席しよう」
「はっ、有り難き幸せ」

陛下が何を思ったか笑い声を上げた。そして笑うのを止めると中将を覗き込むように身を乗り出した。
「そちはなかなか駆け引きが上手いの。皆の前で予に約束させるとは。これでは破れぬの」
「そのような事は……」
「無いと申すか?」
陛下がまた笑い声を上げた。

陛下の御臨席か、羨ましい事だ。俺の時には軍務次官が来て終わりだった。卒業し任官する事への嬉しさは有ったが感動の様なものは無かったな。……そうか、陛下が御臨席されるとなれば帝国軍三長官も無視は出来ん。いや、三長官だけじゃない、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も出席するかもしれない。盛大な卒業式になるな。俺も行ってみるか、正規艦隊司令官なのだ、出席してもおかしくは無い……。



帝国暦487年 5月 10日 オーディン 新無憂宮   エーレンベルク元帥



レポートを読んでいたリヒテンラーデ侯がジロリと私達を見た。好意等欠片も感じられない。新無憂宮南苑にある陰鬱な部屋には似合いの表情だ。
「相変わらず落ち着きのない男だ……。今度は捕虜交換か……」
リヒテンラーデ侯が渋い表情で呟いた。唯一の救いはその非好意的な感情が我々に向けられたものではない事だろう。

「それで卿らはどう思うのだ」
リヒテンラーデ侯が私、シュタインホフ元帥、ミュッケンベルガー元帥を見た。
「捕虜が戻ってくるとなれば軍としては大いに助かります。新兵を一人前にするのは容易ではありません」
私が答えるとあとの二人が頷いた。軍務尚書というのは不利だ。どうしてもこういう時は返事をする立場になる。輪番制にしてみるか。

「閣下は如何お考えですか?」
考え込んでいるリヒテンラーデ侯に思い切って問い掛けるとまたジロリと睨まれた。
「悪い案ではないな。政府としても何らかの形で平民達の不満を解消したいと考えていたところだ。捕虜が還ってくるとなれば平民達も喜ぼう。一石二鳥、悪い案ではない」
悪い案ではない、二度繰り返した。だが表情は緩まない。

「しかし政府主導というのが気に入らぬ」
やはりそこか。帝国は自由惑星同盟を国家として認めていない。政府主導で捕虜交換を進めれば政府が自由惑星同盟を国家として認める事に繋がるのではないか、貴族達に非難されるのではないかと懸念している。侯が三度我々をジロリと睨んだ。

「軍主導ではいかぬのか?」
「政府主導の方が効果は有ります。国家的行事として大体的に行った方が平民達も喜びましょう。ヴァレンシュタインもそう言っております」
「……」
面白くなさそうな表情だ。しかし軍には軍の懸念が有る。交渉すれば軍だとて反乱軍を対等に扱った等と非難されかねない。後々あれは軍が勝手にやった事などと言われては堪らぬ。もう一押しするか。

「それに軍主導となればローエングラム伯が張り切るでしょうな」
「……捕虜交換を機に平民達の心を掴もうとする、そういう事だな」
「はい。点数を稼がせる事は有りますまい」
「それもあれが言っているのか?」
「いえ、これは小官達の意見です」
シュタインホフ元帥、ミュッケンベルガー元帥が頷いた。リヒテンラーデ侯の渋面が益々酷くなった。

「良かろう、捕虜交換は政府主導で行う。但し軍からの起案によりだ。それをもって陛下の御許しを得る」
「分かりました、早急に起案書を出させて頂きます」
つまり責任は折半という事か。まあ悪くないな。シューマッハに起案書を書かせるか。


 

 

第五話 才能? 識見? 運? 必要なのは性格の悪さだ!



帝国暦487年 5月 25日 オーディン 士官学校  ミヒャエル・ニヒェルマン



「凄いな、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が来ているよ。御夫人方も一緒だ」
「国務尚書リヒテンラーデ侯も居る」
「帝国軍三長官、それに幕僚総監のクラーゼン元帥も居るよ。オフレッサー上級大将、ラムスドルフ上級大将、それに正規艦隊の司令官達も揃っている。宇宙艦隊で居ないのはローエングラム伯だけだ」
「仕方ないよ、伯は今帰還途中だからね」

ローエングラム伯は艦隊を率いて反乱軍討伐に向かったんだけどその途中で反乱軍がイゼルローン要塞攻略に失敗した事を知った。伯は急いで反乱軍を追ったんだけど反乱軍は三個艦隊以上の大軍だったらしい。ローエングラム伯は兵力差がどうにもならなくて撤退した。今オーディンへ帰還途中だ。

「凄い顔ぶれだな、やっぱり陛下が御臨席下さるからかな」
「そりゃそうさ。士官学校の卒業式なんだぜ。陛下が御臨席下さるのに帝国軍三長官が欠席なんて出来るわけないだろう。国務尚書閣下だって来てるんだ」
「そうそう、去年は軍務次官だけだからね、軍のお偉いさんは」

士官学校の食堂には大勢の候補生が集まっていた。スクリーンの前に陣取り大講堂で始まる予定の卒業式を興奮しながら待っている。ここだけじゃ無い、おそらく士官学校の多くの施設で同じように候補生がスクリーンを見ている筈だ。そして興奮しているだろう。でも一番興奮しているのは大講堂にいる候補生達に違いない。今年の卒業生五千三百十二人、そして在校生代表一名が大講堂で卒業式が始まるのを待っている。次に興奮しているのは父兄の筈だ。父兄専用の控室で固唾を飲んで見守っているだろう。今年は七千人程来ているらしい。例年の倍以上だと聞いた。

スクリーンに映る雛壇には来賓の方々のための貴賓席が用意してあった。中央には一際豪奢な黄金張りの椅子が有る。陛下がお座りになる椅子だ。そしてその左には国務尚書リヒテンラーデ侯、帝国軍三長官。クラーゼン元帥、ラムスドルフ上級大将、オフレッサー上級大将。右にはブラウンシュバイク公夫妻、リッテンハイム侯夫妻が座っていた。そしてその後ろに宇宙艦隊の司令官達が前列の方達を守るかのように二列になって座っていた。そして校長閣下も居る。目が眩むほど豪華な顔ぶれだ。

「宇宙艦隊の司令官って恰好良いよな。若くて颯爽としていていかにも宇宙を駆ける勇将達、そんな感じがする」
皆が頷いた。宇宙艦隊の司令官、士官候補生の憧れの的だ。
「今回司令官閣下達が御臨席下さるのは校長閣下と親しいかららしいよ。なかでもミュラー提督は閣下と士官学校で同期生だった、親友だって聞いている」
ヒューと口笛を吹く音が聞こえた。確かに校長閣下の隣はミュラー提督だ。今も二人は何か話をしている。

「皇帝陛下の御臨席は御当代フリードリヒ四世陛下の御代では初めての事だってさ。前回は五十年以上前、先帝オトフリート五世陛下の御代になるらしい」
誰かがまた口笛を吹いた。不敬罪になるのかもしれないけど誰も咎めなかった。
「それもヴァレンシュタイン校長閣下が双頭鷲武勲章と引き換えにお願いしたから実現したんだ。それ無しでは無理だったよ」
「凄いよな、双頭鷲武勲章を断っちゃうなんて。双頭鷲武勲章だぜ? 俺には無理だな」
彼方此方から“俺も無理”、“俺も”という声が上がった。誰かが“俺なんて貰う事も出来ないよ”というとドッと笑い声が上がった。確かにそうだ、そんな簡単に貰える勲章じゃない。

「知ってるか? 今回決まった捕虜交換も元々は校長閣下の発案らしいぞ」
「本当か、それ」
「ああ、兄貴が言ってたよ。俺の兄貴は軍務省の官房勤務なんだ。間違いないね。時々閣下は帝国軍三長官にレポートを提出しているらしいよ。捕虜交換はそれを基に軍務省で起案して政府に提出したんだってさ」
彼方此方から“スゲー”って嘆声が上がった。本当に校長閣下は凄い、僕なんか溜息しか出ないよ。

先日、帝国政府から反乱軍との間で捕虜交換を行う事を決定したと放送が有った。既に反乱軍とはフェザーン回廊を使って捕虜を交換する事が決まっているらしい。これから捕虜交換の準備にかかるのだとか。皆がその事を喜んでいる。僕の同期生にも親族が捕虜になっている人が居る。早く実現して欲しいよ。

「良いよな、今年の卒業生は。こんな風に祝って貰えるなんて。俺達の時はどうなるのかな」
皆が顔を見合わせた。困惑している。
「ヴァレンシュタイン校長閣下に期待しよう」
誰かが言うと何人かが“そうだね”と曖昧に頷いた。分かっているんだ、今年が特別だって事は。校長閣下が無理をして実現してくれた。来年以降は例年通り軍務次官の臨席だけで終わりだろう。確定ではないけどその可能性が高い、そして残念に思っている。寂しいよ。

「幼年学校は明日か」
「うん、明日だ。幼年学校は得したよね」
皆が同意の声を上げた。士官学校の卒業式に陛下が御臨席されると決まって幼年学校側も自分達の卒業式にもと陛下に頼み込んだらしい。卒業生の父兄からかなり突き上げられたようだ。陛下は士官学校だけを優遇する事が出来ず幼年学校にも御臨席される事になった。ヴァレンシュタイン校長は双頭鷲武勲章を辞退して士官学校卒業式への御臨席を得たのに幼年学校は何の代価も払っていない。皆が得をしたと言っている。

古風なラッパの音が大講堂に流れた。
『全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国フリードリヒ四世陛下の御入来』
始まった! 式部官の声と帝国国歌の荘重な音楽が響いた。大講堂では全員が起立して頭を下げている。僕達も慌てて姿勢を正して深々と頭を下げた。例え大講堂に居なくても不敬は許されない。僕達は皇帝に忠誠を誓う帝国軍人なんだ。未だ任官していなくても。

国歌が流れ終わり頭を上げると中央の椅子に陛下が座っていた。初めてだよ、陛下を拝見するのなんて。いつもは宮中奥深くにいらっしゃるから僕らとは全く無縁の方だ。その陛下をスクリーン越しとはいえ拝見出来るなんて……。良いよなあ、卒業生は。本当に陛下を自分の目で見ているんだ。これから毎年陛下のご臨席が有れば……。

『定刻になりましたので式を始めます。開会の辞』
あ、多分これシュミット教官の声だ。ちょっと緊張してるな。開会の辞はボッシュ教官か。大丈夫かな、歩き方がちょっと変、がちがちに緊張してるみたいだ。あの人、講義でも緊張するからな、失敗しなければ良いけど。ボッシュ教官が陛下に挨拶をしてブラウンシュバイク公達に挨拶した。そして帝国軍三長官達に、司令官達にも挨拶だ。それから中央の壇に向かった。

『これより第四百八十七回帝国軍士官学校卒業式を行います』
ボッシュ教官の声もちょっと震え気味だ。まあこんな卒業式は初めてだから仕方ないのかな。ボッシュ教官が皆に挨拶をして下がった。
『続きまして国歌斉唱。皆様、御起立を願います』
全員が起立した。僕達も起立して姿勢を正した。音楽が流れる、それに合わせて国歌を歌った。やっぱりいつもと違う、陛下と一緒に歌っているんだ、厳かな感じがした。歌い終わるとシュミット教官が“御着席ください”と言った。

「卒業証書授与式及び御下賜品拝受式」
卒業式で一番の見せ場だ。卒業証書授与、恩賜品授与。卒業証書は成績優秀者二名だけがこの場で陛下から受け取る事が出来る。残りは皆教室に戻って教官から受け取る。そしてこの場で卒業証書を貰った二人は陛下から褒賞品を貰う、恩賜の品だ。

成績優秀者の名前が呼ばれた。アルフォンス・ネッツァー、ゲラルト・フォン・オルブリヒト。首席卒業はアルフォンス・ネッツァーだ。聞くところによると統帥本部作戦二課に配属されるらしい。二人が雛壇に上がった。既に陛下は席を立ち二人を待っている。陛下の斜め後ろには校長閣下が卒業証書と恩賜品を賞状盆に入れて待機していた。

「今年は短剣か」
「去年は時計だったね、その前は万年筆だった」
「俺だったら短剣よりも時計か万年筆の方が良いな、実用的だ」
「冗談よせよ、恩賜の品は飾りだろう。失くしたらどうするんだ」
“そうだ、そうだ”と同意の声が上がった。恩賜の品を紛失したらとんでもないことになる。ということで実際に持ち歩く事はない。大体は家に置いておく事になる。それを見て楽しむのが家族の仕事だ。

「ヴァレンシュタイン校長の配属は兵站統括部だったよね? 成績は悪かったのかな?」
「そんな事は無いよ、五番で卒業だからね」
「五番? それで兵站統括部に行ったの? 信じられないな」
「大騒ぎだったらしいよ。なんかの間違いじゃないかって」
そうだよな、僕だったら絶対宇宙艦隊か統帥本部、軍務省を選んでる。なんで閣下は兵站統括部なんかに行ったんだろう。

『アルフォンス・ネッツァー殿、貴官は帝国軍士官学校教則の課程を履修し定規の考試を経て正に其の業を卒えたり。茲に之を證す』
陛下の声が流れてきた。陛下ってこんな声なんだ。アルフォンス・ネッツァーが賞状を受け取ると陛下が“おめでとう”と声をかけネッツァーが“有難うございます”と答えた。そして短剣を受け取った。顔が紅潮している。人生最良の日だろうな。多分家族も来ている筈だ、喜んでいるに違いない。

卒業証書授与式及び御下賜品拝受式が終わると陛下、ヴァレンシュタイン校長、成績優秀者二名が席に戻った。凄いな、雛壇の来賓の方達、陛下がお戻りになられる時に深々と頭を下げている。そういえばさっき陛下が席を立つときもお辞儀してたっけ。
「次は校長式辞だ」
「どんな事を言うのかな」
うん、楽しみだ。

『校長式辞、ヴァレンシュタイン校長、式辞をお願いします』
シュミット教官が式辞をお願いするとヴァレンシュタイン校長が席を立った。あ、ミュラー提督が閣下ににこやかに話しかけている。もしかして冷やかしてるのかな、本当に仲が良いんだ。閣下が来賓の方達にお辞儀をしてそしてマイクに向かった。

『卒業おめでとう』
いつも通りの柔らかい声だった。緊張していない、凄いや。
『諸君にとって今日は本当に記念すべき日です。これからの未来に大きな希望を抱いていると思う。そこで私が諸君の未来を占ってみようと思う』
未来か、ちょっと楽しみ。皆も顔を見合わせているけど興味深々、そんな感じだ。

『帝国軍三長官に就く人間がいるか? 運が良ければ一人くらいはいるかもしれない。しかし私の教え子から帝国軍三長官が出なくても私は悲しまないし諸君も恥じる事は無い。何故なら帝国軍三長官とは才能、識見、運だけではなれないから。その他に性格の悪さというものも必要だ。これは生まれつきのものであって学校教育によって身に付くものではない』
笑い声が上がった。卒業生達だけじゃない、僕達も笑っているし雛壇の来賓の方々も笑っている。帝国軍三長官もだ。多分苦笑いかな。校長閣下は結構毒舌だ。

『次に正規艦隊司令官、これは最大で三人くらい出るかもしれない。今日この場に居られるロイエンタール提督、ワーレン提督、ビッテンフェルト提督は士官学校では同期生だった。提督達は未だ三十歳に達していない。早ければ十年後には諸君の中から正規艦隊司令官が誕生する事になる』
大講堂がざわめいた。少し興奮している。
「十年か、年に一度の割合で昇進すれば可能かな」
「言うのは簡単だけど実際には難しいよ」
僕もそう思う。多分同じ事を卒業生も話しているだろう。

『十年後に起きる事をもう一つ予測しよう。両隣りを見なさい』
卒業生達が左右を見ている。何だろう?
『自分自身を含めて三人の中の一人は戦死している可能性が有る。少尉任官後、十年後の生存率は七十パーセントを超えるが八十パーセントには満たない。これまでの統計がそれを示している』
大講堂がざわめいた。貴賓席もざわめいている。軍務尚書が“ヴァレンシュタイン!”と校長閣下を叱責したけど校長閣下は右手を上げただけだった。ざわめきが静まった。

『諸君らは士官学校に入った時点で下士官待遇の軍人になった。この四年間に戦死者は一人もいない。白兵戦技で敗れても射撃でミスをしても諸君が死ぬ事は無かった。シミュレーションで艦隊が全滅しても諸君が死ぬ事は無かったし兵が死ぬ事も無かった。犠牲は無かったのだ。しかし今日からは違う。ほんの小さなミス、些細な誤認が諸君をヴァルハラへと誘うだろう。諸君の部下達も、場合によっては友軍もだ。膨大な犠牲が発生する。その事を忘れてはならない』
誰かがゴクッと喉を鳴らした。皆顔が強張っている

『現在帝国は有利に戦いを進めている。その事は諸君も知る事実だ。しかし同時に長年の戦争により帝国臣民が疲弊している、その事に不満を抱いているという目を背けがちな現実が有る事も認識しなければならない。即ち成人男子の減少、戦費の増大による増税等である』
薄々は気付いていたけど……。良いのかな、そんな事言っちゃって。皆も心配そうにしている。

『今回行われる捕虜交換もそれを考慮しての事だ。少しでも帝国臣民の負担を軽減し不満を解消しようとしての事、それを理解して欲しい。帝国に余力は無い。つまり諸君らに武勲欲しさの無駄な戦いをさせるような余裕は無いのだ。その事を肝に銘ぜよ』
そうだったんだ、校長閣下はそんな事を考えていたんだ。僕は何も知らなかった。ただ捕虜が帰って来るって事を単純に喜んでいただけだった。

『帝国が諸君に望む事、当然だがそれは勝つ事だ。勝つ事が難しいのであれば躊躇わずに退く勇気を持つ事である。そして諸君は士官である以上一人でも多くの部下達を生きて帝国に連れ帰る義務が有る。そこには野心や虚飾は必要ない、常に誠実である事だけが要求される』
校長閣下が大講堂を見回した。

『常に誠実であれ。野心、虚飾、名声、富、権威、権力に惑わされる事無く誠実であれ。それこそが諸君をして帝国軍人の模範たり得る背骨となるだろう』
閣下が敬礼をした。卒業生達が慌てて立ち上がって答礼している。
『諸君の幸運を祈る』
閣下が敬礼を解く。貴賓席に礼をしてから自分の席に戻った。卒業生達も礼を解き席に座った。何となく分かった。閣下が何故軍規に違反するような事をしたのか、そして宇宙艦隊副司令長官になるのを辞退したのか。常に誠実である事、それだったんだ。



帝国暦 487年 5月 27日  オーディン  軍務省尚書室  エーレンベルク元帥



「では次のイゼルローン要塞司令官はグライフス大将、駐留艦隊司令官はメルカッツ大将で宜しいな」
私が問い掛けるとシュタインホフ元帥、ミュッケンベルガー元帥が頷いた。
「シュトックハウゼン大将とゼークト大将は上級大将に昇進させ軍事参議官にする」
二人が“問題無い”、“同意する”と言った。

イゼルローン要塞に四年いたのだ。オーディンの状況など何も分かるまい、最低でも半年は軍事参議官においておく必要が有るだろう。いずれ二人には時期を見て新たな仕事を与える。今の所軍務次官、統帥本部次長が有力だが確定ではない。二人の適性を見極めその時の状況に応じて決める事になるだろう。

「ローエングラム伯は競争相手が現れたとでも思うかな?」
「それは有るまい、統帥本部総長。自信家だからな」
「しかし司令長官、此度の事ではその自信とやらも大分損なわれたのではないか?」
「大分というのは同意しかねる。多少というなら同意するが」
私が噴き出すとシュタインホフ、ミュッケンベルガー両元帥が顔を見合わせて笑い出した。最近はシュタインホフ元帥との関係もかなり良くなった。

ローエングラム伯はオーディンへ帰還の途に有る。六月の半ばにはオーディンに戻るだろう。伯はイゼルローン要塞攻略に失敗した反乱軍を追ったが危うくその反乱軍に包囲されかけた。ローエングラム伯を救ったのはゼークト提督率いる駐留艦隊だ。損害は殆ど無かったが屈辱には違いない。イゼルローン要塞をヴァレンシュタインが救った事も有る。二重に屈辱だろう。その事を言うと二人はもっともだという様に頷いた。

「卒業式での式辞の内容を知れば当てつけかと怒り狂うだろう。そうは思われぬか、軍務尚書、司令長官」
「怒り狂っても如何にもならぬよ、統帥本部総長。あの式辞は厳しさと慈愛に溢れた式辞だと陛下がお褒めになられたものだ。如何にもならぬ」
ミュッケンベルガー元帥の言う通りだ。如何にもならぬ。実際あの件での苦情は何処からも無い。

校長式辞の後は軍務尚書訓示だった。事前に訓示は用意してあったがあの式辞の後では如何して良いのか正直判断がつかなかった。だが戸惑う私を陛下が呼び寄せ“良い式辞であった。厳しさと慈愛に溢れておる。卒業生達は良い軍人になるであろう”と仰られた。それで決まった。卒業生達に“厳しさと慈愛に溢れた式辞であると陛下の仰せである。ヴァレンシュタイン校長の教えを胸に軍務に励め“と言う事が出来た。

「陛下は如何お考えなのかな。ヴァレンシュタインの式辞をもっともだと思われたのか、それともヴァレンシュタインの立場を守ろうとされたのか」
シュタインホフ元帥が窺うように私とミュッケンベルガー元帥を見ている。以前からシュタインホフ元帥は陛下とヴァレンシュタインの関係を気にしていた。帝国の政治、軍事に影響を及ぼし始めたと見たか……。

「分からぬな。だが結果は悪くなかった。陛下があの式辞をお褒めになった事で帝国が疲弊しているという事が事実となったのだ。リヒテンラーデ侯はこれを機に国政の改革に手を付けるつもりだ。軍も協力せよと言われた。もっとも国政改革は簡単では有るまいが……」
シュタインホフ元帥、ミュッケンベルガー元帥が頷いた。

「軍も協力せよか。軍事費の削減だな」
ミュッケンベルガー元帥が私を見ている。予算は軍務省の受け持ちだ、心配している様だ。
「出征が無ければそれほど痛くは無い筈だ」
「つまり攻勢から守勢への転換だな。ローエングラム伯もむやみに出征したいとは言い辛かろう。それも悪くない」
ミュッケンベルガー元帥の言葉に私もシュタインホフ元帥も頷いた。武勲を立てられなければ簒奪を恐れる事も無い。それに捕虜も戻って来るのだ、軍の編成は無理をせずに行えるだろう。新たに徴兵を行う事も無い。

常に誠実であれか……。悪くない言葉だ。あの式辞は後世まで残るかもしれない。だがヴァレンシュタインは何に対して誠実なのだろう。野心が無いのは分かるのだが……。

 

 

第六話 士官学校には危険が一杯




帝国暦487年 7月 25日 オーディン 士官学校   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



五月の末に卒業式が有って六月の末に入学式が有った。何時もは軍務次官の仕事なのだが今年は帝国軍三長官が来賓として参列した。別に要請したわけでは無いんだが卒業式の評判が良かったからだろう、三長官も積極的に士官学校の式典に参加してくれた。ついでに言うと国務尚書リヒテンラーデ侯も参加した。式典に参加する事で政府のイメージアップを図ろうとしている様だ。

そして新学期が始まってもう一ヶ月だ。月日が流れるのは早い、新入生も学生生活に慣れただろう。八月になれば夏季休暇だ。そして俺はまたレポートを出さなければならん。段々ウンザリしてきたな。今度はアルテミスの首飾りの攻略法でも書くか、反響は小さいだろう。……六月一日付で人事異動が発表された。イゼルローン要塞司令官シュトックハウゼン大将、駐留艦隊司令官ゼークト大将が上級大将に昇進、軍事参議官になった。後任は要塞司令官にグライフス大将、駐留艦隊司令官にメルカッツ大将だ。なかなか良い人事だと軍の内外で好評らしい。

ラインハルトがオーディンに戻って来た。今回の遠征では良いところが無かった。イゼルローン要塞攻略に失敗した同盟軍を追ったのだが逆に同盟軍によって包囲されかかった。原作のように各個撃破とはいかなかったという事だ。まあ出張って来たのがビュコック、ウランフ、ボロディン、ヤンだったらしい。ボンクラのパエッタ、パストーレ、ムーアとはレベルが違う。大怪我する前にゼークトの艦隊が救出したようだ。

本人は残念かもしれない。悔しいだろうが同盟軍はイゼルローン要塞攻略に失敗している。敵の攻撃を挫いたんだ、ラインハルトの敗退はそれほど大きな失態とは見られていない。だが本人はかなり気にしているらしい。オーディンに戻ってからブチブチ愚痴っている様だ。帝国が守勢を取るというのも気に入らないらしい。俺の悪口でも言っているのかもしれないな。焦る事は無い、落ち着いてじっくりと次の機会を待てば良いんだ。誰かそう言って頭を撫でてやる人間が居れば良いんだが……。

捕虜交換は七月から始まる事になった。既に多くの捕虜がフェザーンに向かっている。帝国政府は捕虜返還後にそれを祝って酒、煙草を始めとして一部間接税の税率を今年一年間に限って軽減すると発表した。俺がリヒテンラーデ侯に提案した。入学式の後、帰還した捕虜に何らかの恩恵を与えたいが何か良い考えが有るかと侯に訊かれたからな。

あの爺さん、恩恵は施したいが政府の金は出来るだけ使いたくないと考えていた。虫の良い話だよ。でもまあ分からないでもない、帝国は慢性的に税収不足だ。爺さんは俺の案を財務省に検討させて税率を下げても捕虜の帰還祝いでかなり消費が増えむしろ増収になると判断したらしい。……大丈夫かな?

まあ期間限定の減税、あと四カ月だ。失敗しても来年には元に戻る。この件で俺は財務省の役人から好意的に見られているらしい。それに帝文をとっているからな、連中にとっては半分仲間、兄弟とは言えないが又従弟ぐらいには感じている様だ。軍に飽きたらそっちに進むのも有りだな。その頃にはカストロプ公爵家も断絶しているだろう。

「閣下、如何されたのですか。先程から楽しそうですが」
「いえ、良い季節になったと思ったのです」
ヴァレリーが胡散臭そうに俺を見ている。あのなあ、君は俺の副官なのだよ。なんでそんなに俺を疑いの眼で見るんだ? もうちょっと信頼の眼で見ても良いと思うんだけど。上官と部下、信頼関係が有って当然だろう。もう長い付き合いなんだから。でも七月末だとちょっと暑い。良い季節はおかしかったか。

「授業の内容も変わりましたしね、どんな影響が出るか、楽しみなのです」
うん、少しは視線が和らいだか。シミュレーション対戦を少し変えた。これまでは士官候補生同士の対戦が主だったが新学期からはコンピュータとの対戦を一週間に一度は義務付けている。但し、コンピュータとの対戦は士官候補生側に不利な条件に設定されている。

勝つための戦いでは無く出来るだけ損害を少なくして撤退するための戦闘を学ばせるためだ。教官達が反対するかと思ったが意外にもすんなりと賛成してくれた。シミュレーションならともかく現実では互角の条件での戦闘などそれほど多くない。上手に負ける事も大事、或いは逃げる事も大事だと教える必要が有ると教官達も思っていたようだ。

シュターデンみたいな戦術至上主義のアホが居なくて良かったわ。あいつ、今は二千隻程度の哨戒艦隊の司令官をしているらしい。ラインハルトが宇宙艦隊副司令長官になった時に司令部から追い出されたようだ。ま、良いんじゃないかな。変な作戦を計画されるよりずっとましだ。それに今の宇宙艦隊の正規艦隊司令官は皆シュターデンを嫌っている。宇宙艦隊司令部に居場所は無かっただろう。

生徒達からも反発の声は聞こえない。卒業式で十年間で二割から三割の戦死者が出ると教えたからな。生き残るのは大変だと理解したらしい。実際全ての新米士官が戦場に出るわけじゃない、一生デスクワークに従事する士官もいる。それを考えれば本当の戦死率は格段に跳ね上がるだろう。考えてみれば俺も良く生き残ったよ、原作知識が無かったら死んでいたかもしれない。

シミュレーションの他にも戦略と補給の大切さを理解させたいと思って時々兵站の授業を受け持っている。校長のやる事じゃないという意見も有るがどうしても候補生はシミュレーションでの勝ち負けに拘るからな、シミュレーションの授業に変化を付けた今が一番候補生にインパクトを与える筈だ。戦争の基本が戦略と補給だと認識出来れば候補生達にとって戦術的勝利の持つ比重が小さくなるだろう。戦術的勝利に拘らなければその分だけ不必要な犠牲を強いる事も無いし長生き出来る確率が増える。

候補生達には軍事だけじゃなく政治、経済についても教えないと。特に自由惑星同盟とはどういう国なのか、その辺りを理解させたい。単純に反乱軍という認識じゃ困るんだ。それに戦争が経済に、国家に及ぼす影響も考えて貰わないと……。如何したものかな、一度俺が全校生徒を対象に講話という形で教えるのも良いかもしれない。大勢の前で話すのは苦手だが授業に取り込むというのはちょっと難しいからな。候補生にまずは関心を持たせる事から始めよう。夏休み明けにでもやってみようか。



帝国暦487年 7月 25日 オーディン 士官学校   ミヒャエル・ニヒェルマン



うん、今日の夕食はなかなかいける、当たりかな。一緒に食べている六人も美味しそうに食べている。士官学校の寄宿舎で出す食事は量は多いんだけど味が……。昨日のシチューは牛肉が嫌になるほど硬かった。消化不良を起こしそうだったし顎も疲れた。きっと皆の顎を鍛えるためにあの肉を使ったんだろう。白兵戦技の訓練の一環に違いない。

「今日のシミュレーションはきつかったよ」
「え、なに、相手が大軍だったの」
「いや違うよ、こっちの五割増し。戦うか退くか、本当に迷った」
“そうだな”、“俺も前回がそうだった”と声が上がった。おいおい、口に物が入っている間は喋るなよ。飲み込んでから言え、行儀が悪いぞ。

「で、如何したの? ハルトマン」
僕が質問するとクラウス・ハルトマン、五割増の相手とシミュレーションした奴は困った様な顔をした。
「二倍なら退いたけど五割増しだからな。戦ったよ。負けてもシミュレーションだから……」
「勝ったのか?」
「いや、負けた。あれなら最初から撤退した方が良かったな。撤退戦の勉強になった」
皆、沈黙だ。ちょっと声がかけ辛い。ハルトマンは沈んだ表情をしている。

新学期が始まってから授業の内容が少し変わった。特に変わったのはシミュレーションでコンピュータ相手に結構不利な条件で戦わされる事が時々ある。学校側の説明ではこの対戦は成績には直接関係しないらしい。つまり逃げても負けても構わない、生徒の判断に任せるというのだけれどそれだけにどう判断するかが難しい。いつものように単純に勝てと言われる方が楽なんだけどそれじゃ実戦に即していないという事のようだ。

「二倍なら簡単に撤退を決められるけど……」
「うん、五割増しだと戦意不足って取られかねないからな」
皆が頷いた。ハルトマンも頷いている。そうなんだよね、誰だって臆病者とは思われたくない。なかなか簡単には撤退する決断は出来ない。自分だって撤退の判断は下せないかもしれない。
「でも負けたら意味が無い。あれが実戦だったらと思うとぞっとするよ。俺の判断で五十万人が戦死したんだから」
ハルトマンがぼやく。げんなりだ、気が滅入るよ。

「シミュレーションだけど凄く迷ったよ。あれが実戦だったら如何なんだろう。やっぱり迷うのかな、でも迷ってる時間なんて有るのかな。その場で決断を求められたら……」
「……」
「ほんの小さなミス、些細な誤認でとんでもない犠牲が出る……、校長閣下の言う通りだと思ったよ」
ハルトマンが首を振りながら溜息を吐いた。
「無能と蔑まれるか、臆病者と蔑まれるか、厳しいよね」
ますます気が滅入った。今日も消化不良だ。話題を変えよう。

「もう直ぐ夏休みだけど如何するの?」
三人は帰省するって答えた。一人はマリーンドルフに居る親戚の家に行く。そして僕を含めてハルトマンとエッティンガーの三人は寄宿舎に残る。家に帰りたいけど遠いからな、片道だけで二十日以上かかるから帰るのは到底無理だ。期末試験で盛り返して何とか三年次の専攻は戦史科に進む事が出来たから会えば喜んで貰えると思うけど……、会えるのは卒業式だな。

夏休みは如何しようか? 前から読みたいと思っていた孫子でも読んでみようかな? 九月になったら直ぐに中間試験だから勉強もしないといけない。校長閣下を始め教官達も居るから勉強を教わろうかな。話を聞くのも良いかもしれない。色々と為になりそうだ。実は士官候補生ってオーディン在住の生徒よりも地方出身者の方が全般的に成績が良いって言われている。

その理由の一つが年に三回有る長期休暇、夏季休暇、年越し休暇、春期休暇の過ごし方に有るらしい。僕ら地方出身者は寄宿舎にいるからね、士官学校でついついシミュレーションで遊んでしまったり図書室で本を読んだりする。熱心に勉強するとは言えないけどそれなりに勉強してしまうんだ。それが成績に影響するって言われている。夏季休暇まであと一週間、もう一踏ん張りだ。



帝国暦487年 8月 15日 オーディン 士官学校   ミヒャエル・ニヒェルマン



お昼を食べてからハルトマン、エッティンガーと図書室に行くと校長閣下が副官のフィッツシモンズ少佐と一緒に本を探していた。エッティンガーが“少佐だ”と小声で呟く。こいつ、少佐に興味有るんだ。背がすらっとして美人だからな。それに赤褐色の髪と瞳が凄く印象的だ。エッティンガーだけじゃなく他にも少佐に憧れている候補生は結構いる。少佐は反乱軍からの亡命者だけど反乱軍って帝国と違って女性でも前線に出るんだよね。当然だけど少佐は士官教育を受けている。反乱軍は士官学校も共学らしい。帝国じゃ信じられない事だ。

「ライムント・シーフェルデッカー、これですか?」
「ああ、そうです、これです」
「戦争における非戦闘部隊の役割……、補給関係の本のようですが」
「ええ、戦闘部隊が効率的に戦闘を行うにはどれだけの後方支援が必要か。それが書かれています。実際には軍には補給だけでは無く人事や経理、総務なども有りますから膨大な非戦闘部隊が存在する事になります。軽視されがちですけどね」

ヴァレンシュタイン校長閣下とフィッツシモンズ少佐が一冊の本を見ながら話している。シーフェルデッカー? 聞いた事が無いな。一体誰なんだろう? 戦争における非戦闘部隊の役割って本も知らない。ハルトマン、エッティンガーに視線を向けたけど二人とも首を横に振った。後で僕も読んでみよう。孫子を読んでみたけど面白かった。ハルトマン、エッティンガーも面白かったって言っている。でも訊きたい事も有るんだよな。あ、少佐が僕達に気付いた。校長閣下も僕達を見ている。訊いてみようかな? 如何しよう。

「精が出るね、勉強かな、それとも調べもの?」
迷っていると校長閣下が近付いてきてニコニコしながら声をかけてきた。閣下っていつもニコニコしていて近所の優しいお兄さんみたいだ。
「はい、ツィーグラーの戦略戦術の一般原則を読みたいと思って来ました」
ハルトマンが答えると閣下がウンウンって頷いた。

「あの、孫子を読みました。凄く面白かったです」
「自分もニヒェルマンに薦められて読みました」
「自分もです、面白かったです」
閣下が“それは良かった”と嬉しそうに言ってくれた。

「でもあれは偉い人が読む本なんじゃないですか」
僕が問い掛けるとハルトマンが頷きエッティンガーも頷いた。孫子って読んでいると君主とか将軍とかいう言葉が出てきてその立場の人は如何すべきかって事が書かれている。士官候補生の僕なんかが読んで良いのかな? そう思ったんだけど。

「そういうところは確かにあるね。孫子は孫武という人が書いたのだけど彼が生きていた時代は占いで戦うかどうかを決める事が多かった。まだ用兵学が確立していない時代だったんだ」
占いで決める? 思わず“えーっ”と声を上げてしまった。僕だけじゃない、ハルトマン、エッティンガーも声を上げて驚いている。少佐も目が点だ。そんな僕達を見て閣下が“本当だよ、亀の甲羅を焼いて占ったという話もある”と言って可笑しそうに笑い声をあげた。占い? 亀の甲羅? そんな昔の人なの、孫武って。

「孫武はその事に疑問を持って戦争を科学的に分析し戦争とは何なのか、戦争とは如何行うべきかを書いた。それが孫子なんだ。国家指導者、軍の指導者、指揮官向けの軍事指南書と言えるね」
「じゃあ自分達が読んで意味が有るんでしょうか? 面白かったとは思いますけど」
ハルトマンが自信無さそうに訊ねた。

「勿論、意味は有るよ」
校長閣下が優しそうな笑みを浮かべている。癒されるなあ、ホッとする。
「君達が国家指導者、軍の指導者、指揮官になれば必要とされる知識だ。仮になれなくてもその視点を持つ事は必要だと私は思う。上層部が何を考えてどういう方向に進もうとしているかを理解する。そうする事で今行われる戦いが如何いう意味を持つか、自分の行動が如何いう意味を持つかも理解出来る筈だ。そうでなければ君達は単なる戦争の道具になってしまう、使い捨てのね。私は君達にそうなって欲しくない」

胸がジーンとした。閣下は本当に僕達の事を考えてくれるんだ。ハルトマン、エッティンガーも頬が紅潮している。二人も僕と同じ気持ちに違いない。ハルトマンが一歩閣下に近付いた。
「閣下、自分は授業で五割増しの敵と戦うシミュレーションを行いました。そして負けました。実戦なら五十万人が戦死しています。僕は、いえ自分は臆病と言われるのが怖くて撤退出来なかったんです。自分は、自分は軍人に向いていないんでしょうか?」

ハルトマン……、俯いている。時々落ち込んでいたけどずっと悩んでいたのかな。エッティンガーも心配そうにハルトマンを見ている。さっきまで笑顔だったフィッツシモンズ少佐も笑みを消している。閣下はじっとハルトマンを見ていたけどフッと息を吐いた。
「シミュレーションは勝つ必要は無いんだ。負けても良いんだよ」
「でも」
「大事なのは状況を想定する事、その中で最善を尽くす事だ」

状況を想定? 最善? どういう事だろう、ハルトマンも顔を上げ訝しんでいる。閣下は僕達が納得していないと気付いたようだ、苦笑を浮かべている。
「例えばだが同じ兵力差でも退いて良い場合と戦わなければならない場合が有る。哨戒任務中の遭遇なら退いても構わない。しかし補給船団の護衛任務中で物資が届かなければ味方が大敗北を喫するとなれば物資を守るために不利を承知で戦わなければならない。例え自分の艦隊が敗北しても補給物資を守りそれによって味方が勝利を収められるならそれは意味の有る敗北だ。そうじゃないかな?」

ハルトマンが“はい”と答えると閣下が頷いた。
「状況を想定する事、その中で自分に何が求められているか、自分に何が出来るかをシミュレーションで確認する。それがシミュレーションの持つ意味だ。勝つ事ではないんだよ、ハルトマン候補生。シミュレーションの勝敗に拘らないと言っているのはその状況を想定して最善の行動が何なのかを確認しなさいという事なんだ」
「はい!」
ハルトマンが力強く頷いた。僕もエッティンガーも頷いた。校長閣下が僕達を見て優しく笑みを浮かべてくれた。



帝国暦487年 8月 15日 オーディン 士官学校   ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



ヴァレンシュタイン中将は楽しそうに候補生達と話している。そして候補生達は中将を尊敬の眼差しで見ていた。溜息が出そう、外面だけは良いんだから……。あの卒業式以来ヴァレンシュタイン中将は近年稀に見る名校長って言われているらしいけど少年達、騙されちゃ駄目よ。目の前の中将閣下はとんでもない人なんだから。

今日もエーレンベルク軍務尚書閣下から中将にTV電話が有った。偶々私が出たんだけど唸る様な声で“ヴァレンシュタインは何処だ”って睨まれたわ。直ぐに中将に代わって席を外したから話の内容は知らないけど想像は付く。多分また碌でもないレポートを出したんだと思う。中将がアレを出す度に何かが起きる。まあ捕虜交換の件では助けて貰っているから感謝はしているけど……。

「閣下は逃げ、あ、撤退した事は有るのですか?」
「馬鹿、そんな事有るわけないだろ」
「そんな事は無い、逃げた事は有るよ」
候補生達が“えーっ”と声を上げる。私が副官になってからは無いからその前だろう。ニコニコしているから余り大した事は無いのだと思う。

「本当ですか?」
「本当だよ。ヴァンフリート4=2ではもう少しで負けそうになって逃げた。もっとも上層部は逃げたとは思わなかっただろうけどね」
ヴァンフリート4=2? 帝国軍の大勝利だった。それに中将が居た艦隊は最大の武勲を上げた艦隊の筈だけど……。訝しんでいると中将が私を見て“本当ですよ”と言った。

「地上基地を攻略中に反乱軍の艦隊が近付いてきたんです。来るのは想定していましたが予想よりも早かったので慌てました。まあ相手を騙して逃げましたが内心ヒヤヒヤでしたよ」
中将が肩を竦めると候補生達が感心したような声を出した。私もちょっと驚いた。そんな事が有ったんだ。

「退く事を懼れてはいけないよ。必要が有れば躊躇わずに退く。そのためにも逃げる方法を覚えておくんだ。命は一つしかないし大事に使えば長持ちするんだからね。粗末に扱ってはいけないよ」
「はい!」
候補生達が大きな声で答えるとヴァレンシュタイン中将が嬉しそうに頷いた。そして候補生達は頬を紅潮させている。なんか一番校長にしてはいけない人が校長になっている様な気がした。……多分、気のせいよね。


 

 

第七話 破壊衝動なんて無い!



帝国暦487年 8月 16日  オーディン  軍務省   シュタインホフ元帥



五メートル程前、軍務尚書室の前に宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥が居た。こちらに気付いたのだろう、私を見て微かに頷いた。
「統帥本部総長も呼ばれたのかな?」
「うむ、司令長官も呼ばれたか」
「うむ」
二人で顔を見合わせた。ミュッケンベルガー元帥の顔には奇妙な表情が有った。困惑、戸惑い、だろうか。多分私の顔にも同じ物が有るだろう。

「我ら両名が呼ばれたという事は例のレポートの件だと思うが」
「多分そうだろう。そろそろ軍務尚書の下に提出される時期だ」
司令長官が溜息を吐いている。私を見た。
「統帥本部総長、此処から踵を返して帰るという選択肢は有るかな?」
思わず失笑した。司令長官も笑っている。
「魅力的な提案では有る。検討の余地は有るな。但し検討だけだ」
「そうだな」

司令長官がドアを押して部屋に入った、それに続いて入る、我ら両名を見て受付に居た士官が敬礼をして“奥で軍務尚書閣下がお待ちです”と言った。敬礼を返して奥へ進む。我らの姿を見ると執務机で仕事をしていた軍務尚書が無言で頷いた。幾分疲れている様だ。表情が冴えない。立ち上がって奥の金庫へ向かうと書類を取り出した。顔を近付けていたから虹彩認証システムを使用している金庫だろう。重要書類だな。司令長官と顔を見合わせた。司令長官も冴えない顔をしている、二人で応接用のソファーに向かった。

三人でソファーに座った。
「内密の話が有る、此処に誰も入れるな、卿も呼ぶまで外に居ろ」
「はっ、コーヒーは」
「要らぬ!」
吐き捨てるような口調だった。副官が慌てて立ち去った。可哀想に、悪いのはあの副官ではないのだが……。軍務尚書が書類をこちらに差し出した。



帝国暦487年 8月 16日  オーディン  軍務省尚書室   エーレンベルク元帥



「それは、例の物かな、軍務尚書」
「そうだ、例の物だ、ミュッケンベルガー元帥」
私が答えるとシュタインホフ統帥本部総長とミュッケンベルガー司令長官は胡散臭そうな目で私が差し出した書類を見た。そのうち私の事も同じ様な眼で見るかもしれない、勘弁して欲しいものだ。

二人が顔を見合わせシュタインホフ元帥が溜息を吐いてから書類を受け取った。書類といっても大したものではない。A4用紙五枚、そのうち一枚は白紙の表紙だ。普通なら元帥の地位にある者が溜息を吐きながら受け取るようなものではない。シュタインホフ元帥が表紙をめくり書類を読み始めた。そして目を剥くとフーッと息を吐いた。そして読み続け終わるとミュッケンベルガー元帥に書類を渡した。

ミュッケンベルガー元帥も似たような反応を示した。二人とも疲れ切った表情をしている。
「あー、軍務尚書。あれは何かな、要塞をぶつけろとか氷をぶつけろとか破壊衝動の様なものが強いのかな? だとすれば危険だが」
「分からんな、統帥本部総長。人騒がせな男ではあると思うが……」
私が答えると二人とも頷いた。全く人騒がせな男だ。

「アルテミスの首飾りの攻略法か。帝国は守勢をとるのだが……」
「表には出せぬな。こんなのを出したら反乱軍を叩きのめせと騒ぎ出す者が出るだろう」
二人が話している。同感だ、馬鹿で無責任な貴族達が騒ぐだろう。軍の中にも同調する者が出るに違いない。その先頭はローエングラム伯だろうな。帝国が守勢をとる事に強い不満を示している。

「ヴァレンシュタインはこれについて何と?」
司令長官が訊ねて来た。思い出したくもない……。
「自信作だそうだ」
「自信作?」
二人の声が重なった。顔を見合わせている。

「ああ、胸を張って言っていたな。敵味方に人的損害は無し、視覚的効果による心理衝撃は極めて大、敵は戦意を喪失する、簡単に降伏するだろうと。それに費用も掛からんし簡単だ。安くて簡単で手間要らず、自信作ですと」
溜息を吐いた。二人も溜息を吐いている。何で帝国軍三長官が雁首揃えて溜息を吐かねばならんのか……。

「確かに、要塞に要塞をぶつけろというよりはまともだが……」
司令長官の言葉に統帥本部総長が息を吐いた。
「司令長官、まともかな? この書類を叛徒共に見せたらどうなると思う?」
今度は司令長官が息を吐いた。
「連中、発狂するだろうな」

「その通りだ。難攻不落と豪語するアルテミスの首飾りが簡単に無力化出来るのだからな。この作戦を考えた者を八つ裂きにしたがるだろう。むしろ要塞に要塞をぶつけろという方がまともだろう。キチガイ沙汰だと言って否定する事が出来る」
げんなりした。何故司令長官と統帥本部総長が叛徒共の事を心配しなければならんのだ? 何処かおかしくなっている。

「イゼルローン要塞、アルテミスの首飾り、難攻不落では無かったのか? 何故あれは簡単に攻略法を考えつくのだ? それとも考えつかぬ我々が馬鹿で間抜けなだけか?」
統帥本部総長が真顔で訊ねて来た。司令長官も頷いている。答えるのは私か。あれが悪魔だからと言うのは如何だろう? 納得するかもしれんな。

「考え付いたのはヴァレンシュタインだけだ。あの男が特別なのだろう。要するにあの男は異常なのだ」
そう、あの男は悪魔では無いが異常であり我々は正常なのだ。そう思わなければ精神を保てぬ。
「士官学校の校長で良いのかな? 統帥本部か宇宙艦隊に移動させた方が良いのではないか? 勿論オーディンに常駐させねばならんが」
司令長官が小首を傾げながら問い掛けてきた。

「士官学校の校長で良いのだ。あんなのを統帥本部や宇宙艦隊に移動させてみよ、周囲にどんな影響を与えるか……。絶望のあまり自殺する者が出かねん」
二人が“なるほど”、“かもしれん”と言った。
「士官候補生には馬鹿な事は言うまい。士官学校の校長はあの男の為のポストだ。周囲から隔離しなければならん。被害者は我々だけで十分だろう」
二人がげんなりした様な表情を見せた。そんな顔をするな。地位が上がれば責任も大きくなる。あれを制御するのは我々の責務だ。

「軍務尚書、国務尚書には御見せなくても良いのかな?」
統帥本部総長、卿は仲間が欲しいらしいな。
「いや、当然御見せする。この作戦案は国家機密だ。国政の責任者である閣下には知って貰う必要が有る」
二人が頷いた。妙に嬉しそうだ。
「これから国務尚書に面会を申し込む。卿らも同道して欲しい」
二人が渋々頷いた。私に押し付けるな! あれの飼い主は我ら三人であろう!

国務尚書リヒテンラーデ侯と会ったのは何時もの部屋だった。新無憂宮南苑にある黴臭く薄暗い陰鬱な部屋、何故この部屋を指定するのだろう。気が滅入る一方ではないか。
「何用か、と問うのも愚かだな。卿ら三人が揃って面会を求めるという事はあれか?」
好意の欠片も無い口調で国務尚書が問い掛けてきた。なんと答えよう。両脇に控える統帥本部総長と司令長官を見たが二人は正面を向いて無表情なままだ。不本意だ! 何故私は軍務尚書なのだろう。

「あれと言うのがヴァレンシュタインのレポートを差しているならあれです」
「なるほど、あれか」
今後は『あれ』というのがレポートの代名詞になるな。
「それで、今度は何を書いたのだ?」
「これを御覧ください」
レポートを差し出すと国務尚書が顔を顰めながら受け取った。私が書いたんじゃない、私が書いたんじゃない……。

パラパラと紙を捲る音がする。溜息を吐く音がした。
「国政の改革を行おうとしているのに……」
「……」
また溜息を吐く音がした。今度はこめかみを揉んでいる。
「捕虜交換も順調に進んでいる。間接税の税率の軽減も評判が良い。帰還祝いでかなり消費が増えてむしろ増収になると見通しも出ている。それなのに……、何故ここで……」
溜息、三度目だ。私が書いたんじゃない……。その溜息は私に対する物じゃない。国務尚書がレポートをこちらへ突き出した。要りません、差し上げますと言えたら……。溜息を堪えてレポートを受け取った。

「それは表に出してはならんぞ」
「分かっております」
「それと、あれの動向は押さえているのだろうな?」
「情報部と憲兵隊が監視兼護衛として付いております」
国務尚書が“うむ”と頷いた。

「ローエングラム伯などよりあれの方が扱いが難しいわ。役に立つのだが扱いを間違えるととんでもない事になりかねん」
「同意致します」
私が答えると統帥本部総長と司令長官が頷くのが見えた。
「まあ本人には野心が無い。それが救いでは有るな」
始末が悪いという事も有る。だが指摘するのは止めた。進んで不興を買う事は無い。

「これからも何か有れば報せて欲しい」
「分かりました」
「ところでこちらから頼みが有る」
はて、一体何を……。軍事費を削れと言う事だろうか?
「カストロプ公を始末する。反乱を起こさせカストロプ公爵家を断絶に追い込むつもりだ」
なるほど、評判の悪い男を始末するという事か。財務尚書の地位を利用して随分溜め込んでいるとも聞く。潰せば旨味が多いだろう。

「カストロプ公の始末は内務省が行う。内務省からは今月中に実行すると連絡が有った。だがその後で起きる反乱の鎮圧は軍の仕事になる。反乱討伐の指揮官を選んで欲しい」
「分かりました」
我らに選べという事は宇宙艦隊以外から選べという事か。ローエングラム伯に武勲を上げさせるなという事だな。

「何時頃になりましょう?」
問い掛けると国務尚書が少し考えるそぶりを見せた。
「そうだな、反乱に追い込むまで三月と言ったところか。」
となると十二月の頭には反乱が起きるか。

「年内には片付けて欲しい」
統帥本部総長、司令長官に視線を向けた。二人が頷く。
「承知しました」
難しい事では無い。オーディンからカストロプまでは三日で着くのだ。一月有れば十分に可能だ。



帝国暦487年 8月 25日 オーディン 士官学校   ミヒャエル・ニヒェルマン



「あれ、誰か来たよ」
図書館の窓から外を見ていたハルトマンが声を上げた。士官学校は夏休みだよ、一体誰が……。エッティンガーと共に外を見る。確かに人がいる、軍人が二人だ。地上車が有るからそれで来たのだろう。
「ねえ、かなりの高級士官だと思うけど」
エッティンガーが自信なさそうに言う。ウーン、結構年配の人みたいだ。
「遠くて良く分からないけど将官だよね。胸の飾りが結構複雑だから大将かな?」
僕の言葉に二人が頷いた。

「校長閣下に会いに来たのかな?」
「多分そうだと思うよ」
「ちょっと見に行こうか?」
僕が誘うとハルトマンとエッティンガーが賛成した。校長閣下に会いに来るなんて誰なんだろう?

三人で玄関口に向かう。僕達が着いた時、丁度お客さん二人が入って来るところだった。慌てて陰に隠れた。
「士官学校は久しぶりだな、ゼークト」
「ああ、懐かしいな、卿は如何だ?」
「夏休みは良くシミュレーションで時間を潰した事を思い出したよ」
「私もだよ、シュトックハウゼン」
二人が声を合わせて笑った。

「おい、ゼークト上級大将とシュトックハウゼン上級大将だよ」
ハルトマンが小声で教えてくれた。でも興奮している、鼻息が荒い。音が遠くまで聞こえそうだ。
「イゼルローンから戻って来たんだ」
エッティンガーも興奮している。こいつも鼻息が荒い。

「多分、御礼を言いに来たんじゃないかな。校長閣下のレポートでイゼルローン要塞は守られたんだから」
僕が言うと二人が頷いた。
「凄いや、上級大将が御礼に来るなんて」
エッティンガーの言う通りだ、本当に凄い。ゼークト上級大将とシュトックハウゼン上級大将は軍事参議官になったけどいずれは帝国軍三長官になるんじゃないかと言われている。そんな二人が校長閣下に会いに来るなんて……。



帝国暦487年 8月 25日 オーディン 士官学校   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「驚かしてしまったかな?」
ゼークトが笑うとシュトックハウゼンも笑った。
「はい、驚いております」
二人の笑い声が更に大きくなった。上機嫌だ、まあ二人とも上級大将に昇進したし将来の帝国軍三長官候補者とも言われている。前途洋洋、未来は明るい。上機嫌になるのも分かるよ。

本来上位者が下位者を訪ねる等という事は無い。礼が言いたいならTV電話で終わりだ。この二人がわざわざ此処に来たという事は同盟軍のイゼルローン要塞攻略作戦は俺の警告が無ければ成功したと思っているのだろう。命拾いをしたと思っているのだ。

「それにしても卿が士官学校校長とは妙な人事では有るな」
「イゼルローン要塞でも随分と噂になっている。大将に昇進して宇宙艦隊副司令長官へという話も有ったと聞いたが」
二人が心配そうな顔をしている。俺が士官学校の校長というのが納得出来ないらしい。

「軍規を犯しました。宇宙艦隊副司令長官にはなれません。辞退致しました」
「しかし、あれは勝つ為であろう。卿に私心が無かった事は皆が知っている」
「ゼークト閣下、それを許せば勝つためには何をしても良いという事になってしまいます。皆が勝つために軍規を無視するでしょう。そうなればもはや軍では有りません」
ゼークトが唸り声を上げた。シュトックハウゼンは沈痛な表情だ。

「小官に不満は有りません。元々身体が弱いので実戦部隊への配属は避けたかったのです」
「そうは言うが……、私もゼークトも卿の力量は十分に知っている。第六次イゼルローン要塞攻防戦は卿の采配で勝った。それに今回の第七次攻防戦もだ。その卿が士官学校の校長……。軍務尚書とは繋がりが有る様だが……」
シュトックハウゼンが俺をじっと見た。ちょっと照れるな。そう言えば第六次イゼルローン要塞攻防戦もこの二人が要塞司令官と駐留艦隊司令官だったか。結構因縁が深いな。

「我らは今軍事参議官の地位にあるがいずれは軍中央に於いて職務を司る事になると思う。その時は卿の協力を得たいと思っているのだ」
「勿論その時は私とゼークトで卿の争奪戦が始まるが」
二人が顔を見合わせて笑い声を上げた。なんか気持ちの良い男達だな。でも士官学校校長のポストは譲れない。結構気に入ってるんだ、これ。楽しいんだよ。レポートはうんざりだけど。

 

 

第八話 士官学校校長って閑職だったよね?




帝国暦487年 9月 1日 オーディン 士官学校   ミヒャエル・ニヒェルマン



今日は夏休み明けの始業式だ。大講堂には見慣れた顔が幾つも有った。
「皆、元気だった」
「元気だよ」
と声が幾つも重なった。バウアー、トイテンベルク、ヴィーラント、……皆オーディンかその近辺の星系に家が有る人間だ。久し振りに見る顔は皆元気そうだ。
「釣りとか家族で旅行に行ったよ。五キロ太った」
「直ぐに痩せるよ、バウアー。白兵戦技で絞られるからね」
バウアーが“勘弁して欲しいよ”と情けなさそうな顔をする。皆で笑った。

「君達は如何だった? 何処か遊びに行ったの?」
ヴィーラントが訊いてきた。
「殆ど士官学校と寄宿舎に居たよ、ね」
同意を求めるとハルトマン、エッティンガーが“うん”と頷いた。
「じゃあ、詰まらなかっただろう?」
「そんな事は無いさ、結構楽しかったよ」
答えるとヴィーラントが“ふーん”と言った。あ、こいつ信じてないな。負け惜しみだと思っている。

「良い事教えて上げようか?」
「何?」
うん、喰い付いて来た。
「士官学校にゼークト上級大将とシュトックハウゼン上級大将が来たんだ」
“えーっ”と声が上がった。
「本当に?」
「本当だよ、ヴィーラント。校長閣下に会いに来たんだ」
“スゲー!”、“信じられない”って言ってるけど本当だもんね。見たんだから。

「それに校長閣下と話をしたりフィッツシモンズ少佐とシミュレーションをしたからね、楽しかったよ」
“えーっ”とまた声が上がった。
「本当にシミュレーションしたの?」
「本当だよ」
ハルトマンが答えると彼方此方から“良いなあ”と声が上がった。如何だ、羨ましいだろう。でもそれって一日だけなんだよね。

「勝った?」
バウアーが興味津々の表情で訊いて来た。トイテンベルク、ヴィーラントも喰い付きそうな表情で僕らを見ている。
「そんなわけないだろう、三人共負けたよ」
僕が答えると“残念”、“やっぱり”って声が上がった。

本当に残念、でも少佐は強いんだ。僕もハルトマンもエッティンガーも全然相手にならなかったよ。
「校長閣下とはしなかったの」
トイテンベルクが問い掛けてきた。
「お願いしたんだけど断られたよ。シミュレーションは嫌いなんだって。昔意地悪な教官が居て嫌いになったって言ってたよ」
僕が答えると皆笑い出した。多分嘘だと思ってるんだろうな。でもフィッツシモンズ少佐はなんか心当たりが有りそうだった。本当かもしれない。

「静粛に、姿勢を正しなさい。これより始業式を始めます」
あ、始まった。慌てて姿勢を正して前を見た。ボッシュ教官がマイクを手に持っている。
「最初に国歌斉唱」
音楽が流れる、それに合わせて国歌を歌った。皆で国家を歌うのは久しぶりだ。何となく嬉しくなった。

「続きまして校長閣下より御言葉が有ります。ヴァレンシュタイン校長、お願いします」
壇上にヴァレンシュタイン校長閣下の姿が現れた。マイクに向かう。
「おはようございます」
“おはようございます”、皆で大きな声で挨拶をした。
「こうしてまた皆の顔を見る事が出来て大変うれしく思っています」
やっぱり校長閣下の声は落ち着くよ。良いなあ。

「新学期にあたり皆に考えて欲しい事が有ります」
考えて欲しい事? 何だろう?
「帝国は今、自由惑星同盟と称する反乱軍と戦っています。では帝国が戦っている反乱軍とは何なのかを考えて欲しいのです。人口はどのくらい有るのか、兵力はどのくらいあるのか? 軍の組織はどのようなものが有るのか? 統治の組織はどのようになっているのか?」
えーっとどうなっているんだろ? 周りも皆困惑している。

「戦う以上、相手の事を知らなければ勝てません。そして相手の事を知ったらその弱点を調べ如何すれば勝てるか、勝つためには何が必要かを考えて欲しいのです。目の前に現れた反乱軍の艦隊を叩く事も大事ですが反乱軍そのものを降伏させる方法を考える事も大事です。諸君には少し難しいかもしれない。しかし考えて欲しい。お願いします」

始業式が終わり大講堂から教室に向かう途中、ハルトマン、エッティンガー、バウアー、トイテンベルク、ヴィーラントと話した。でも分かった事は僕らは反乱軍の事を何にも知らないって事だった。孫子には『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』って書いてあるのに……、情けないよ。



帝国暦487年 9月 1日 オーディン 士官学校   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



始業式が終わり大講堂から校長室に戻るとTV電話にメッセージランプが点灯していた。誰だか知らないが朝から連絡して来た奴が居るらしい。ミュラーかな? 再生すると軍務尚書エーレンベルク元帥だった。ゲロゲロ。
『戻り次第連絡せよ、至急だぞ』
連絡が欲しいならもっとにこやかな顔をしろよ。そんな不機嫌そうな表情と声で言われても連絡なんぞする気にならん。どうせなら『おはよー』とか言ってみろ。大体何で『至急だぞ』に力を入れるかね。俺はすっぽかす様な事はしていないぞ。

溜息が出た。そんな俺をヴァレリーがクスクス笑いながら見ている。また溜息が出た。
「席を外した方が宜しいですね」
「そうして貰えますか」
ヴァレリーが部屋を出るのを確認してからエーレンベルクに連絡を取った。スマイル、スマイル、新学期なんだ、機嫌良く行こう。エーレンベルクの顔が画面に出た。……なんで今日は終業式じゃないんだろう。

『エーレンベルクだ』
「おはようございます、ヴァレンシュタインです。今日は始業式でしたので席を外していました」
にこやかに、晴れやかに……。
『そうか』
「……」
なんで大変だな、とか御苦労だな、とか言ってくれないのかね。それだけでも好感度が違うんだが……。

『今日は捕虜帰還の祝賀会が宮中にてある。知っているな?』
「はい、そのように聞いております」
『卿も出席せよ』
「先日欠席するとお伝えした筈ですが……」
俺みたいな平民の若造は祝賀会なんて居辛いんだよ。分かるだろう? エーレンベルクが溜息を吐いた。分かってないみたいだ。だから貴族は嫌いなんだ。

『卿は捕虜交換の発案者だ。その事は皆が知っている。その卿が祝賀会を欠席というのはおかしかろう』
「はあ、ですが……」
『出席するように、これは命令だ』
「……はい」
エーレンベルクが不機嫌そうに頷いた。何で? 言う事聞いたんだから普通は満足そうに頷くべきだろう。なんか不本意だな。俺ってそんなに嫌な奴なの?

溜息が出そうだ。しょうが無いな、後でミュラーに連絡して宇宙艦隊の連中に俺に近付くなと言って貰わないと。俺達が仲良くするとラインハルトが僻むんだよ。帝国が守勢をとるのも俺の所為だとか言っているらしい。勘弁して欲しいよ、俺ってそんな偉くないんだから……。

『ところで次のレポートだが何時頃になる』
今度はレポートかよ!
「その事ですがそろそろレポートの提出は勘弁して頂きたいと思っているのですが」
『……』
なんで喜ばないの。何時も嫌そうに受け取るじゃないか。不本意だな、ぶちまけてやろうか。

「ネタも有りませんし喜ばれていないようですので……」
『……帝国軍三長官は卿のレポートを高く評価している』
評価はしても喜んではいないだろう。前回のレポートは自信作だって言ったのに溜息を三回も吐きやがった。数えていたんだぞ。
「ですが軍務尚書閣下は何時も不機嫌そうになされます。前回のレポートは溜息を三回もお吐きになられました。小官としましても軍務尚書閣下の機嫌を損ねてまでレポートを出すのは気が引けます」
エーレンベルクが何か言いたそうにして口を閉じた。

『……もう一度言う、帝国軍三長官は卿のレポートを高く評価している。次のレポートは何時頃になる』
「……十二月頃には」
『分かった、十二月だな』
スクリーンが何も映さなくなった。なんか腹立つなあ。今年最後の嫌がらせにうんざりする様なレポートを送ってやるよ。スクリーンに向かって思いっきりアッカンベーをしてやった。虚しい……。



帝国暦487年 9月 1日 オーディン  新無憂宮  翠玉(すいぎょく)の間  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「いつも思うのですがヴァレンシュタイン中将は浮いていますなあ」
「そういうリューネブルク中将も浮いていますよ」
二人で顔を見合わせて小さく笑った。俺は平民で若過ぎる中将、リューネブルクは逆亡命者、どちらも歓迎されない。という事で祝賀会、祝勝会ではいつも一緒だ。適当に食べて適当に帰る。今も俺達の周囲には人がいない。

「宇宙艦隊の司令官達は来ないのですか?」
「来てはいますが近付くなと頼みました。ローエングラム伯の機嫌を損ねる事も無いでしょう」
「それは中将がですか? それとも司令官達が?」
「両方です」
ラインハルトは宇宙艦隊副司令長官だから上座で皇帝の傍に居る筈だ。ミュラー達もその傍にいるだろう。窮屈だろうな。その点士官学校の校長は閑職だから何処に居ても問題は無い。そういう点でもこの職は良い。

「財務尚書カストロプ公が亡くなったそうですな」
「ええ」
昨日、カストロプ公が死んだ。宇宙船の故障による事故死だが人為的なものだろうな。帝国は守勢を取る、つまり内政重視だ。評判の悪いカストロプ公はお払い箱というわけだ。

「大きな声では言えませんが謀殺だという噂が有ります」
リューネブルクが囁いた。眼は俺をじっと見ている。
「だとしても驚きませんね。殺しても何処からも苦情は出ないでしょう」
「そうですな」
リューネブルクが満足そうに頷いた。貴族からも顔を顰められるのがカストロプだ。俺にとっても両親の仇でも有る。ザマーミロと思っても罰当たりではないだろう。

「次の財務尚書はゲルラッハ子爵だそうです」
「そうですか」
このあたりは原作と同じだ。問題はマクシミリアン・フォン・カストロプだ。こいつが反乱を起こす。いや反乱にまで追い込まれる。アルテミスの首飾りを使うのかな? だとするとあのレポートが役に立つんだが……。

「そろそろ帰りますか?」
「そうですね、もう良いでしょう」
祝賀会も三十分以上経った。二人で帰ろうかと話している時に俺達を目指して人がやってきた。レオポルド・シューマッハ大佐、急ぎ足でやってくる。嫌な予感がした、思わず溜息が出た。

「ヴァレンシュタイン中将」
「はい」
「陛下がお呼びです、こちらへ」
シンとした。いや、周りに人は居ないんだけどそれなりにざわめいてはいたんだよ。そのざわめきが消えた。リューネブルクが口笛を吹いた。面白そうな表情をしている。おい、不敬罪だぞ。

「あー、何かの間違いでは?」
「間違いでは有りません」
「既に帰ったという事には」
「出来ません、皆が見ております」
確かに周囲の人間が俺達を見ている。でも俺が視線を向けると露骨に避けるんだ。何で?

「分かりました」
「ではこちらへ」
シューマッハの後について歩く。何の用だろう? フリードリヒ四世の気紛れかな? 多分そうだろう。爺様連中は俺がフリードリヒ四世に近付く事を喜ばない筈だし門閥貴族の連中だって喜ばない筈だ。俺も喜ばない。

上座に向かって進むにつれて視線がきつくなる。ヒルデスハイム伯、シャイド男爵、コルプト子爵、シュタインフルト子爵、ラートブルフ男爵、カルナップ男爵、コルヴィッツ子爵……。こいつらフリードリヒ四世に相手にされていないんだろうな。挨拶しても碌に会話なんて無いんだろう。俺が呼ばれた事が面白くないんだ。

更に進むとフリードリヒ四世が居た。椅子に座っている。周囲にはリヒテンラーデ侯を筆頭に政府閣僚、軍幹部、大貴族が居た。ラインハルトも居たが俺を見ると不愉快そうに唇を歪めた。何で? 俺はお前の敵じゃないぞ。ポストだって閑職の士官学校の校長だ。そんなに嫌わなくても良いだろう。なんか最近不本意な事が多過ぎるな。

椅子の前に進み片膝を付いた。
「ヴァレンシュタインにございます」
「おお、来たか」
もう良い加減に酔っているのが分かった。もしかするとここにも酔ったまま来たのかもしれない。珍しい事じゃない。

「此度の捕虜交換、そちの献策だそうな」
「はっ」
「うむ、良くやった」
「畏れ入りまする」
視線が痛い。俺を睨んでいるのは誰だ?

「間接税の軽減もそちの献策だと国務尚書から聞いた。臣民は喜んでいるとな。これからも頼むぞ」
「はっ、微力を尽くしまする」
「うむ、下がって良いぞ」
「はっ」
良く分からん、何なんだ、これは?

フリードリヒ四世から解放され元の場所に戻ったがリューネブルクは居なかった。どうやら帰ったらしい。俺も帰るかと思っていると“エーリッヒ”と名前を呼ばれた。アントン・フェルナーとナイトハルト・ミュラーだった。二人とも笑顔だ。帰ろうとすると人が来る。

「来るなと言った筈だぞ、ナイトハルト」
「分かっているよ、だから俺一人だ。あくまで士官学校の同期生として来たんだ。そうだろう、アントン」
「ああ、エーリッヒは同期の出世頭だからな」
「私は士官学校の校長だよ。出世頭はナイトハルトだ。宇宙艦隊の正規艦隊司令官、前途洋洋だな」
二人が笑い出した。

「誰もそんな事は信じないぞ。今だって卿は皇帝陛下から直々に御言葉を賜ったんだ。誰が見ても卿は帝国の重要人物だよ」
「そうそう、ナイトハルトの言う通りだ。周りは卿の事を帝国軍三長官の懐刀だと言っている」
「それは事実じゃないね」
また二人が笑った。真実を教えてやりたいよ。俺は憐れな下僕だって。


 

 

第九話 枕カバーを見るのが辛い




帝国暦487年 9月 1日 オーディン  新無憂宮  翠玉(すいぎょく)の間  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「少し真面目な話をしたいんだが良いか?」
フェルナーが小声で話しかけてきた。ミュラーも笑うのを止めている。この二人、偶然一緒になったんじゃないな。相談して此処に来たようだ。つまり俺に会う目的が有った……。
「気を付けろよ、若い貴族達が卿の事を快く思っていない」
「……」
冗談だよね、と言いたかったがフェルナーの表情を見て止めた。フェルナーは深刻そうな表情をしている。

「連中は卿の事を敵視していた。だが例の一件で卿が士官学校の校長になった事で卿は失脚したと思ったんだ。だがイゼルローン、今回の件でそうじゃないと分かった。連中は卿を危険だと考えている」
「ただレポートを提出しているだけだ。偶然それが採用された。気にする事は無いんだが……」
フェルナーが首を横に振った。

「卿には護衛が付いている。憲兵隊と情報部からな。それでも気にする事は無いと?」
「……」
「ギュンターから聞いた。別個にやっているんじゃない、情報部と憲兵隊が協力して卿を警護している。こんな事は有り得ないってな」
溜息が出た。警護だけじゃないんだ、監視も入っている。いや、監視の方がメインだ。でもそんな事はキスリングから聞いているだろうな。ミュラーも心配そうに俺を見ている。

「良いのか、そんな事を言って。卿はブラウンシュバイク公爵家に仕える身だろう」
「公から忠告しろと言われたんだ。公はフレーゲル男爵の件で卿に借りが有るからな」
「そうか、公に感謝していると伝えてくれ」
ブラウンシュバイク公が忠告してきた。かなり危険なのかな? フレーゲルは如何したんだろう? フェザーンに行った筈だが戻ってきたりしないよな。戻るなよ、今度は庇えないぞ。ブラウンシュバイク公が悲しむ事になる。

「俺からも気を付けてくれと言いたい」
今度はミュラーか。嫌な予感がする。
「ローエングラム伯が遠征を計画しその実施を帝国軍三長官、政府に働きかけていた事は知っているな?」
「知っている、思わしくない事もね」
ミュラーが頷いた。ラインハルトは今が反乱軍に痛撃を与えるチャンスだと訴えまくったらしい。だが本心は違うだろう。ラインハルトの性格なら前回の出兵の雪辱を晴らさなければ面子が立たないと考えているのだと思う。負けず嫌いだからな。悪い方向に進まなければ良いんだが……。

「今日、正式に却下された。政府から帝国軍三長官に連絡が有りミュッケンベルガー元帥がローエングラム伯に伝えた」
「……」
「伯はその決定の後ろに卿が居ると考えている」
「馬鹿な、私だって今知った。そんな事は有り得ない」
ミュラーがまた頷いた。

「俺もそう思っているし皆もそう思っている。卿は関係ないってね。だが伯はそう考えていない」
「……」
「卿の事を自分の邪魔ばかりすると敵視している」
暗い表情だ、結構深刻らしい。悪い方向に進んでいるらしい。何でこうなるのか……。頭痛いわ。

「馬鹿馬鹿しい話だ、私が副司令長官になった方が良かったとでも思っているのかな」
ミュラーが肩を竦めた。
「それは無いだろうな。だが周囲はローエングラム伯よりも卿を評価している。面白くないのだろう」
要するに俺の事が気に入らないって事か。ガキにはうんざりだな。

「……教えてくれた事に感謝するよ。もう戻った方が良い、私と一緒に居るのは卿らの為にならない」
二人が“気を付けろよ”と言って離れて行った。それを見届けてからベランダに出た。アベックが数組居る。こんなところでいちゃつくな。俺は少し考えたい事が有るんだ。……中庭に行くか。

ベランダから庭に出ようとすると二人の警備の兵に誰何された。近衛兵だ。どちらも未だ若い。
「ご苦労様です。小官はエーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将です。人に酔ったようです。少し庭で涼みたい」
二人が顔を見合わせている。駄目かな?
「校長閣下でいらっしゃいますか?」
「……そうです」
「失礼しました! どうぞ」
二人がしゃちほこばって敬礼してきた。答礼しながら思う、私は誰? ここは何処?

中庭に出た。満天の星空、月が綺麗だ。此処なら一人で考えられる。問題は帝国で何が起きているのかだ。俺が祝賀会への出席を命じられた事、フリードリヒ四世が俺に言葉を掛けた事、そしてラインハルトの遠征の却下、これらが無関係だとは思えない。いかん、それにカストロプ公の謀殺が加わるな。この四つがどう絡むのか……。

先ずカストロプ公の謀殺だがこいつは平民達の不満を解消するのが目的だろう。捕虜交換、間接税の軽減で平民達の不満は多少解消された。此処でカストロプ公爵家を潰せば効果は大きい。カストロプ公は評判の悪い男だ、潰せば平民達は喜ぶだろうしその財産を接収すれば財政的にもかなりプラスだ。間接税の軽減を年内だけじゃなくもう少し延ばす事も出来るだろう。つまりリヒテンラーデ侯は国内情勢、平民達の不満を危険だと考えていると判断出来る。原作でもそういう記述が有ったから納得は行く。

そして遠征の却下だがリヒテンラーデ侯はラインハルトに簒奪の意志が有ると疑っている。武勲を立てさせるのは危険だと考えているのだ。つまり積極的な外征は望ましくないという事になる。となればリヒテンラーデ侯はラインハルト抑制のためにも内政を優先する事を掲げるだろう。

今回のカストロプ公の謀殺、もしかするとそれの為かもしれない。カストロプはオーディンに近い。そこで反乱が起きる。外征などよりも内政重視だと周囲には言い易い。政府の方針を一変させるにはそれなりの理由が居る。カストロプの反乱はその理由になり得る。足元で反乱が起きる程帝国の統治力は不安定になっている。外に出て行く余裕が何処に有る? というわけだ。誰も否定は出来ない。

リヒテンラーデ侯は内政重視に傾いた。フリードリヒ四世の健康に不安が有る事も一因なのかもしれない。平民の不満を解消し大貴族を抑制し政府の力を強化する事で現状を乗り切ろうとしている。つまりだ、内政重視とラインハルトの抑圧は同じコインの表と裏なのだ。ラインハルトもその辺りの事は薄々感じているだろうな。

となると俺が考えた捕虜交換というのはリヒテンラーデ侯にとっては極めてナイスな発案でありラインハルトにとっては極めて余計な発案だったという事になる。ラインハルトが俺に不快感を抱くのは俺とリヒテンラーデ侯が協力してラインハルトを抑えようとしているように思えるのだろう。的外れとは言えない。俺はただリューネブルクに頼まれたから捕虜交換を提案した。そこにはラインハルト抑圧の意思はない。だがリヒテンラーデ侯がそれを利用する事を考えた。余計な事をする爺だ。

今日の祝賀会への参加、皇帝の呼び出しもその流れで見るべきだろう。多分、フリードリヒ四世はリヒテンラーデ侯に俺を褒めてくれと頼まれたのだ。理由はラインハルトだろう。ラインハルトは熱心に出兵を訴えていたと聞く。だがリヒテンラーデ侯にとってラインハルトは簒奪の為に出征を望む小煩い存在でしかなかった筈だ。

だから出征を却下すると同時に皇帝を使ってラインハルトの前で俺を褒めたのだ。フリードリヒ四世は捕虜交換だけでなく間接税の軽減の事も言った。臣民が喜んでいるとも。つまり内政重視の政策を擁護する発言をしたのだ。リヒテンラーデ侯はラインハルトに対し帝国の政策は内政重視だ、ギャーギャー騒ぐなと言っている。

出征の却下が今日になったのも俺に出席しろと命令がきたのも全部リヒテンラーデ侯の差し金だろう。つまり、あの爺は俺を使って帝国の政策は変わったのだと皆に報せたのだ。自分で言えよ、なんで俺を使うかな。恨まれるのは俺で自分は知らぬ振りか? 性格悪いわ。

次のレポートは如何しようか? 内政面に関わるのは止めよう。純軍事的な物が良いな。でもなあ、適当なのが……。
「エーリッヒ!」
押し殺した声だった。気が付けば目の前にギュンター・キスリングが居た。如何いうわけか溜息が出た。

「何をしている」
あれ、怒ってる? 顔が怖いぞ。出来るだけにこやかに行こう。スマイル、スマイル。
「涼んでた。九月になったとはいえまだ暑いね」
「うろうろ歩きながらか?」
「まあ」
「溜息も吐いていた」
「……暑いんだ、分かるだろう?」
少々苦しい言い訳だな。キスリングはニコリともしない。

「如何して此処に?」
「警護の連中から卿が居なくなったと報告を受けた。それで慌てて探しに来たんだ」
「驚いたな、ここでも警護しているのか?」
「当たり前だ!」
何で俺に当たるかなあ。悪いのは俺じゃないだろう。

「見ろ」
キスリングがベランダの方を指さした。なんか大勢の人が居る。
「あれは?」
「憲兵隊と情報部だ。卿を見失って蒼くなって捜していたんだ。当の本人は溜息を吐きながら中庭をうろうろしているしな」
「……怒っているのか?」
「ああ、ようやく見つけたんだが近衛の連中は彼らが卿に近付くのを許さないんだ。邪魔をするなと言ってな。それで俺が来た」
後で近衛兵に礼を言っておこう。

「……手を振った方が良いかな?」
「好きにしろ」
手を振るとちょっとの間が有って躊躇いがちに手を振ってくれた。良いねえ、こういうのは和むよ。俺達は仲良しだ。近衛兵とは握手だな。スキンシップは大切だ。

「気を付けろ」
「……」
「こういう人混みの方が危ないんだ。一人くらい居なくなっても分からない、攫おうと思えば簡単に出来る」
「私を攫う人間が居ると?」
キスリングが頷いた。
「可能性は有る、上からはそう言われている」
誰が俺を攫うんだ? 門閥貴族? 目的は俺を痛める為? うんざりだな。ラインハルトは……、それは無いな。大丈夫。

「気を付けるよ。そろそろ帰る。送ってくれるだろう?」
「甘えるな」
「いや、相談したい事が有るんだ」
「……」
「内密にね」
「……分かった」
何で溜息を吐くんだ? 俺達は親友だろう?



帝国暦487年 9月 1日 オーディン  新無憂宮  翠玉(すいぎょく)の間  エーレンベルク元帥



報告を受けて皆の元に向かうと司令長官が話しかけてきた。
「見つかったのかな?」
「見つかった、中庭に居たそうだ」
私が答えると司令長官がほっとした様な表情を浮かべた。
「相変わらず人騒がせな男だ」
「本人には悪気が無いから始末が悪い」
統帥本部総長、司令長官がぼやいている。全く同感だ、賛成する。あれは自分が加害者だという意識が無い。自分は被害者だと思っている。

「中庭で何をしていたのだ? 美人と逢引か?」
「うろうろと歩いていたそうだ。溜息を吐きながらな」
私の言葉に統帥本部総長と司令長官が顔を見合わせた。
「嫌な予感がする、私だけかな?」
「いや、私も悪寒がする」
「同感だ」
八月が終わったばかりだというのに首筋が寒い、帝国軍三長官が悪い予感に襲われている。

気のせいだと笑い飛ばす事は出来ない。あの若造が溜息を吐きながら庭を徘徊していた。次のあれにはとんでもない破壊力が有りそうな気がする。シャンパンを一口飲んだが気の抜けたサイダーのような感じがした。最近抜け毛が酷い。あれの所為だ。

私だけではない、統帥本部総長も司令長官も心なし髪の毛が薄くなったような気がする。多分、いやきっとあれの所為だろう。あれの所為に違いない。これが続けば帝国軍三長官は三人とも禿げ頭になるに違いない。帝国軍三長官に就任する事の代償が禿げ頭になる事だと知ったら三長官になりたがる人間は一気に減るだろうな。

朝起きた時に枕カバーに付いている抜け毛を見ると気が滅入る。朝食も美味く無ければ職場へと運ぶ足取りも重い。それでも我々は帝国のために耐えているのだ。それなのにあの馬鹿たれが! レポートを書きたくない? 私が三回溜息を吐いた? それが如何したというのだ。文句が有るのなら髪の毛を返せ! 我らの髪の毛が無くなるのが先か、レポートのネタが無くなるのが先か、勝負と行こうではないか。

視界の端にローエングラム伯が居る。面白くなさそうな表情だ。遠征を却下された事が余程に不満らしい。フン、少しは耐えるという事を覚えろ。最近は根性の無い若造が多過ぎる!

「今は何を?」
司令長官が訊ねてきた。
「官舎に戻ったようだ。護衛付きでな」
「一安心か」
「うむ」
統帥本部総長と司令長官が安堵の表情を見せている。だが一時的なものだ。明日の朝になれば枕カバーを見て暗澹とするに違いない。我らが心の底から安心する日が来るのは何時の事だろう。溜息が出そうだ……。


 

 

第十話 溜息しか出ない



帝国暦487年 9月 1日 オーディン    情報部員A



前を進む地上車が止まった。こちらの地上車も止めた。二人の軍人が前の地上車から降りてきた。一人は監視対象者、もう一人は憲兵隊のギュンター・キスリング大佐である事が確認できた。
「Bより本部、Bより本部」
『こちら本部』
声が硬い。さっきの事を怒っている様だ。
「2015、監視対象者が官舎に着いた。憲兵隊のキスリング大佐も一緒だ」
『了解、そのまま任務を続行せよ』
「了解した」
正直ほっとした。ようやく安心出来る。

『気を抜くなよ、さっきの様な失態は許されない』
「分かっている」
溜息が出た。Bも溜息を吐いている。情報部と憲兵隊が監視対象者を見失うという失態を犯した。本部に帰ったら叱責が待っているだろう。せめてもの慰めは失態は憲兵隊も犯したという事だ、不可抗力だったと言い訳しよう。おそらく憲兵隊も同じ事を言うに違いない。

「A、中将が手を振っているぞ」
確かに振っている。振るのを止めた。諦めたかと思ったがまた振っている。Bと顔を見合わせた。
「B、手を振った方が良さそうだな」
「ああ、そうじゃないとあの人ずっと振っていそうだ」
二人で手を振ると中将が頷くのが見えた。満足しているらしい。その傍でキスリング大佐が頭に手を当てている。気持ちはとっても良く分かる。俺も溜息が出そうだ。

中将と大佐が一緒に官舎に入った。
「良いのかねえ、あんなに無防備で。如何思う?」
「良くはないさ、多分状況が分かっていないんだろう」
「そうだよなあ」
Bが頷いている。監視対象者が監視者に向かって親しげに手を振る。有り得ない事だ。

「なあ、A。俺達の任務は監視兼護衛だよな。どっちが主なんだ? 監視か? 護衛か?」
「知らんよ、ヘルトリング部長だって知らないんじゃないか。この件はシュタインホフ元帥の特命だと聞いた」
「そうだよなあ、そうじゃなきゃ憲兵隊と協力なんて有り得ないよな。ウチの部長、政治力なさそうだもん」
Bが溜息を吐いている。Bの言う事は事実だ。ついでに言えばヘルトリング部長は必ずしもシュタインホフ元帥の信任を得ていない。

監視対象者エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将。閑職である士官学校校長の職にあるがそれを以って彼を侮る様な愚か者は居ない。帝国軍三長官の懐刀と言われ国務尚書リヒテンラーデ侯からも信任を得ていると言われている。今日も並み居る貴族達を押し退けて皇帝陛下から御言葉を賜っているのだ。それを考えれば護衛なのだろうが……。

「ああも無防備だと護衛というより監視かな? 中将を利用しようと近付く人間を確認する」
如何思う? と言う様にBが俺を見た。
「かもしれん、実際にあれが起きた」
「そうだなあ」
Bが頷いている。そして“あれは驚いたよ”と言った。俺も驚いたよ、上級大将が二人も揃って中将を訪ねたのだからな。



帝国暦487年 9月 1日 オーディン    ギュンター・キスリング



「今コーヒーを入れる、座って待っていてくれ」
エーリッヒの勧めに従ってリビングのソファーに腰を下ろした。官舎の中はきちんと片付いている。忙しさを理由に散らかし放題にしている俺の部屋とは大違いだ。幾分忸怩たるものが有った。

十五分程でエーリッヒがトレイにカップを二つ乗せて現れた。俺の前に一つ、対面に一つ、甘い香りがする。エーリッヒはココアか。エーリッヒが対面に坐った。
「それで、相談とは?」
エーリッヒが幾分前屈みになって困った様な表情を見せた。
「怒らないで欲しいんだが……」
「……何を?」
「いや、このオーディンで何が起きているのか、教えて欲しいんだ」
如何いう事だ? 何を教えろと? 一口コーヒーを飲んだ。

「抽象的すぎるな、もう少し具体的に言って欲しい。何が知りたい」
エーリッヒの表情が益々困った様な表情になった。嫌な予感がした、余程に言い辛い事らしい。
「何と言うか、士官学校の校長になってから人と接する事が少なくなってね。情報に疎くなったようなんだ。このオーディンで何が起きているのか、さっぱり分からない」
「……それで?」
促すとエーリッヒが“うん”と頷いた。

「今日、アントンとナイトハルトが私に話しかけてきた」
「聞いている」
「そうか、……その時の事なんだが二人が私の事を同期の出世頭だと言ったんだ。そして私の事を帝国軍三長官の懐刀だと言った。どうなっているんだ? 私は士官学校の校長なんだが」
溜息が出た、頭痛が……。

「呆れるのは待ってくれ。他にも訊きたい事が有る」
「何だ?」
「アントンが気を付けろと言ったんだ。多分私に会いに来たのはそれを伝えるためだと思う」
「……」
「若い貴族達が私を敵視しているらしい。ブラウンシュバイク公が私に警告しろとアントンに命じたそうだ」
「ブラウンシュバイク公が?」
エーリッヒが曖昧な表情で頷いた。

「まあちょっと公とは色々有ってね。忠告してくれたらしい」
妙な話だ、エーリッヒとブラウンシュバイク公には繋がりが有るという事か。コーヒーを一口飲む事で表情を隠した。こいつは自分の事には疎いが他人の事には鋭い。俺が憲兵隊の監視チームの責任者だと気付いているかもしれない。

「それとナイトハルトも私に気を付けろと言ってきた。ローエングラム伯が私を敵視していると。如何いう事だ? 私は士官学校の校長だぞ。確かにレポートは幾つか出したが帝国軍三長官の懐刀になった覚えはない。それにローエングラム伯に恨まれるのも不本意だ。士官学校の校長ならのんびり出来ると思ったのに勝手に周囲が私を持ち上げ過大評価し敵視している。一体如何なっているんだ?」
エーリッヒが首を傾げている。本当に分からないらしい。本気で頭が痛い、溜息が出た。

「最初に言っておこう。俺も卿が同期の出世頭だと思う」
「ナイトハルトは宇宙艦隊の正規艦隊司令官だよ。私は士官学校の校長。それでもか?」
心外そうな口調だ。本気で思っているらしい。
「それでもだ。卿が士官学校校長になったのは第三次ティアマト会戦の責任を取ってだ。だがあの件で卿を責める人間は居ない。あれは勝つためには已むを得なかったと皆が見ている。つまりだ、卿が士官学校校長になったのは不当だと皆が見ているのだ。士官学校校長は一時的なものでいずれは軍中央に復帰するだろうと見ている」
エーリッヒが顔を顰めた。士官学校の校長は居心地が良いらしいな。

「それに万一の場合、卿は国内の治安責任者になる」
「そうなのか?」
思わずまじまじとエーリッヒの顔を見た。冗談では言っていない。本気で疑問に思っている。
「分かっていないのか?」
「いや、ミュッケンベルガー元帥が居るだろう。私の出る幕は無いんじゃないのかな」
なるほどと思った。だから危機感が無いのか。貴族達が敵視していると聞いてもピンと来ていない。

「元帥は居る。だが卿には実績がある。元帥が責任者になるとしても卿を側に置くだろう。事実上の責任者は卿になると俺は思っている。他の皆もそう思っている。卿に憲兵隊と情報部が護衛に付いているのもそれが理由の一つとして有ると思う」
「……」

「それに士官学校校長になった事で卿はより自由な立場になった。帝国軍三長官により密接に繋がる事になったのだ。今では兵站統括部から士官学校校長への異動はそれが狙いだったのではないかとも言われている」
「有り得ない、馬鹿げているよ」
エーリッヒが首を横に振っている。不本意の極み、そんなところだな。

「貴族達の事は?」
「危険だ。さっきも言ったが万一の場合、卿は国内の治安責任者になる。士官学校の校長になって左遷されたと思っていたが帝国軍三長官との結び付きはむしろ強まった。リヒテンラーデ侯との繋がりも強くなり政治にも関与しつつあると見ている。それに連中は卿に顔を潰されたと考えているんだ」
「何の事だ?」
溜息がまた出た。こいつは何も分かっていない。エーリッヒが済まなさそうな顔をしている。段々切なくなってきた。

「卒業式の事だ」
「……」
「皇帝陛下の御臨席の事に腹を立てている」
「……良く分からないな」
駄目だ、如何しても溜息が出る。ライオンに向かってお前は猫じゃない、ライオンなのだ、周囲が危険だと思う猛獣なのだと説明している気分だ。でも肝心のライオンは自分が無害な猫だと思い込んでいる。

「貴族達でも陛下を自邸に招けるのはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を含めたほんの一部だ。それなのに卿は卒業式に陛下の御臨席を実現した。面子を潰されたと思っているんだ」
今度はエーリッヒが溜息を吐いた。

「双頭鷲武勲章を辞退してだけどね」
「誰が如何見ても陛下の御臨席の方が大きい。卿には陛下を動かせる力が有るという事だ。貴族達が不満に思うのも当然だろう」
「……」
「それに卒業生達の親族の問題も有る」
“親族?”と呟いてエーリッヒが小首を傾げた。そうか、エーリッヒはオーディンで生まれた。そして両親が居ない。その所為で気付かなかったのだ。

「卒業生達の中には門閥貴族達の領地で生まれた者も居るんだ。彼らは卒業すると父兄と共にオーディンに有る貴族の屋敷に行く。そこで共に夕食をとる」
「……」
「分かるだろう? 余程の事が無い限り領主と共に夕食をとる事など一生に一度有るか無いかだ。卒業生にとっても両親にとっても名誉の日と言って良い。貴族にとっても重要な日なんだ。いずれ出世すればそれなりに利用価値はある。共に夕食をとり自分を印象付けようとする。だが陛下の御臨席が有ってはな……」
「印象は薄れるか……」
頷く事で答えるとエーリッヒが切なそうに溜息を吐いた。

「卒業生も父兄も印象に残ったのは陛下の御臨席でありそれを実現した卿なんだ。それに式辞の事も有る。貴族達が不満に思うのも無理は無い」
「そんなつもりじゃなかったんだけどな」
「そうだろうな」
こいつの事だ、卒業生達を祝ってやりたいと思ったのだろう。実際陛下の御臨席が有った事で卒業式は盛大なものになった。だからこそ卒業生もその父兄もエーリッヒの事を忘れないに違いない。

「それにシュトックハウゼン、ゼークト両上級大将が卿を訪ねた」
「……それも問題なのか?」
恐る恐ると言った口調だ。
「問題視してないのは卿だけだ」
溜息を吐くな、俺の方が溜息を吐きたい……。なんでこいつは……。
「あの二人は最前線のイゼルローン要塞で十分に功を上げた。次は間違いなく軍中央で要職に就くと見られているんだ。その二人が揃って卿を訪ねた。皆は帝国軍三長官の懐刀である卿を通して三長官に自分を売り込もうとしたのだと見ている」
エーリッヒが首を横に振っている。

「そんなのじゃない。あの二人はそんな事は考えていないよ。ただ先日のイゼルローン要塞攻防戦で私のレポートが役に立ったから礼を言いに来ただけだ。それ以上じゃない」
「そうかもしれないが周りはそう見ていない。卿は宇宙艦隊の司令官達にも影響力が有るからな。貴族達は卿が軍の実力者だと見ているんだ。実際その通りだと俺も思う」
エーリッヒがまた溜息を吐いた。

「ローエングラム伯が私に敵意を持つのもその所為か……」
「いや、もっと悪い」
エーリッヒがじっと俺を見た。訝しげな表情だ。やはり分かっていない……。
「第三次ティアマト会戦でミュッケンベルガー元帥が倒れた。本来なら指揮を引き継ぐのは次席指揮官のローエングラム伯だった。だが卿の手配りで式を引き継いだのはメックリンガー中将だった。その事で将兵達はローエングラム伯の能力に疑問を持つようになった」
エーリッヒが唖然としたような表情を見せた。

「馬鹿な、あれは総司令部とローエングラム伯の間で指揮権を巡って争いになると思ったからだ。それに戦闘中に突然指揮権を伯に移せば将兵が混乱すると思った。ローエングラム伯の能力を危ぶんでの事じゃない。伯以上の用兵家は帝国には居ないよ」
エーリッヒが断言し顔を顰めた。

「イゼルローンで勝てれば良かったんだがな。残念だが負けた。軍上層部はイゼルローン要塞を守れた事で敗戦を重視していないが将兵達は違う。彼らのローエングラム伯への不信感は強まっている。宇宙艦隊副司令長官には相応しくないと見ているんだ」
「……なんて事だ……」
エーリッヒが首を横に振っている。予想外の事で意気消沈しているらしい。

「もう分かっただろう?」
「分かったよ。私の所為でローエングラム伯は将兵に不信感を持たれている。私を恨むのは当然か」
投げやりな口調だった。
「そうじゃない。いや、そうなんだがそれだけじゃないんだ」
「……未だ他に有ると?」
そんなウンザリした様な顔をするな。言いたくなくなるだろう。だが言わなければ……。

「将兵達は卿が宇宙艦隊に配属される事を望んでいるんだ。それこそローエングラム伯に代わって卿が宇宙艦隊副司令長官になる事をな」
「……」
「ローエングラム伯にとって卿は目障りで邪魔な存在なんだ。帝国軍三長官と密接に繋がり自分を蹴落としかねない存在だと思っている」
エーリッヒが溜息を吐いた。これで何度目だろう。

「私にはそんな野心は無いし能力も無いよ、買い被りも良い所だ」
いかん、また溜息が出た。公平に見て宇宙艦隊副司令長官は務まるだろう。一時は内定された事も有るのだ。むしろ辞退した事の方が信じられない。それは俺だけではないだろう。
「良いか、卿は自分に対する認識が甘過ぎ、いや低過ぎる。卿が自分を如何思うかじゃない、周囲が卿を如何判断するかだ。周囲は卿をローエングラム伯以上に宇宙艦隊副司令長官に相応しい能力を持っていると思っているんだ」
エーリッヒが肩を落としている。遣る瀬無さそうな表情だ。

「ギュンター、私は如何すれば良い? ……退役した方が良いかな?」
「無駄だ。退役願いが受理される事は無い」
「……何かの間違いで……」
「無い、諦めろ」
そんな溜息を吐くなよ、こっちの方が溜息を吐きたい。




 

 

第十一話 預言者現る!



帝国暦487年 9月 1日 オーディン 憲兵本部   ギュンター・キスリング



エーリッヒの官舎から憲兵本部に戻ると一人の男が出迎えてくれた。情報部のシュミードリン少佐だった。
「少佐にとっては此処は居心地が悪いんじゃないかな?」
「情報部でも居心地が悪いのは変わりは有りません。失態を犯したばかりですから」
苦笑している。

「ヘルドリング中将に叱責されたか」
「ええ、大佐は如何です?」
「軍務尚書閣下に叱責されたよ」
少佐が“それはそれは”と言う。自分よりも酷い立場の人間が居ると知って少しは気が楽になっただろう。

三階にある小さな部屋に案内した。小さな机があり、椅子が二つある。
「取調べですね」
「不満かな? 余人に聞かれたくない話が有ると思ったのでね。違ったかな?」
「いえ、違いません。でもちょっと此処は……」
苦笑している。取り調べのような感じで不満か。

「この部屋でヴァレンシュタイン中将から話を聞いた。それがサイオキシン麻薬の摘発になった」
「本当ですか」
少佐が部屋を見回している。憲兵隊では有名な話だ。この小さな部屋があの大事件摘発を引き起こしたのだ。今思えばあの頃からエーリッヒは人騒がせな男だった。

「それで、何の用かな、少佐」
「大佐と中将の間でどのような会話が成されたのか、その内容を知りたいのです」
「ヘルドリング中将かな?」
「ええ、大分気にしています。まあ話しても差し支えない範囲で構いません。後はこちらで肉付けします」
思わず苦笑が漏れた。ヘルドリング中将には適当に報告して宥めるから材料を寄越せという事か。

「隠す事など無いさ、説教をしていただけだ」
「大佐が中将を?」
少佐が可笑しそうな表情をした。
「ああ、……かなり拙いな。何も分かっていない」
「……」
「士官学校校長になり切っている」
少佐が生真面目な表情で頷いた。

「その事は小官も気になっていました」
「万一の場合は国内治安維持の責任者になると言っても首を傾げる始末だ」
「まさか」
「そのまさかだ。ミュッケンベルガー元帥が居るから自分は必要とされないと思っていた」
「そんな事は有り得ません」
少佐が首を横に振った。その通りだ、有り得ない。

「その有り得ない事が有ると考えているんだ」
「……あれ程の人がですか? 冗談でしょう。状況判断能力、危機察知能力、事に及んでも対処能力は帝国でも屈指、いや第一人者でしょう。あの人を越える人が居るとは思えません」
「俺もそう思う。だがな、昔から自分に関しては不自然な程に評価が低かった。謙遜かと思ったがそうじゃない。その事に違和感を感じた事が何度も有る」
「今回もそれだと?」
思わず顔を顰めてしまった。
「今回は酷過ぎるな。士官学校校長というポストが悪かった」
少佐が溜息を吐いている。今日は溜息ばかりだ。

「では今は理解しているのですね?」
「多分な」
「多分ですか」
「そうとしか言いようがない」
少佐がまた溜息を吐いた。気持ちは分かる。警護対象者に危機感が無ければ危うい。守る方にも当然だが負担がかかる。今日の騒動はそれが原因だ。

「情報部で問題になっている事が有ります」
「……レポートか?」
問い掛けると少佐が頷いた。
「憲兵隊では問題になっていませんか?」
「当然だが問題になっている」
少佐が頷いた。

「こちらではレポートが提出されたのは三回と把握しています。そのうち一回目はイゼルローン要塞に関するレポート、次は捕虜交換に関するレポート、三回目は不明です。この三つのレポートの内、捕虜交換に関するレポートは公開されましたが残り二つに関しては公開されていません」
少佐がジッとこちらを見ている。なるほど、本題はこちらか。ヘルドリング中将は大分気にしているらしい。

「おかしな話だな」
「はい、おかしな話です」
三件目のレポートが非公開というのは納得出来る。だがイゼルローン要塞に関するレポートは公開しても問題は無い筈だ。だが帝国軍三長官はそれを拒み秘匿している。憲兵隊内部でもその事には疑念が出ている。

「如何思う?」
「捕虜交換に関するレポートを公開した事を考えれば……」
「考えれば?」
「一回目のレポートには公開出来ない部分、つまり帝国が秘密にしなければならない事が書かれているのだと思います」
「同感だな」
少佐がまたジッと俺を見た。ここからが本番だな。

「御聞きになられましたか?」
「聞いたんだが顔を顰められた」
少佐が眉を上げた。
「……触れられたくないと?」
「それも有るのだろうがレポートを出す事自体不本意らしい」
“不本意?”と少佐が呟いた。小首を傾げている。

「誰も喜ばないと言っていた。出すのを止めたいとも」
少佐が考え込んでいる。
「如何いう事でしょう……」
「……昔の事だがな、第五次イゼルローン要塞防衛戦の後、統帥本部で大きな騒動が起きた。少佐は知っているかな?」
困惑している。

「噂程度には知っています。小官が統帥本部に配属される前の事でした。ヴァレンシュタイン中将が関係しているとも言われていますが厳しい箝口令が布かれていて誰も口にはしません。知っている人間が誰なのか、統帥本部に居るのかも不明です。元帥閣下は御存じでしょうが……、大佐は御存知なのですか?」
「知っている」
少佐が無表情にこちらを見ている。何故それを明かすのか、そう思っている。

「第五次イゼルローン要塞防衛戦は味方殺しで決着が着いた」
「はい」
「イゼルローン要塞司令官クライスト大将、駐留艦隊司令官ヴァルテンベルク大将は味方殺しを不可抗力だと戦闘詳報に書いて統帥本部に提出した」
「そのように聞いております」
「事実じゃない」
「……まさかと思いますが……」
顔色が良くないな、少佐。

「そのまさかだ。軍議の席でヴァレンシュタイン中将、当時は中尉だったが彼が反乱軍が並行追撃作戦を行う可能性があると提起した。彼は当時兵站統括部の所属でイゼルローンには補給状況の視察で来ていた。もっとも補給に詳しい士官として参加を許されたんだ」
「……」
益々顔色が悪くなった。

「戦後、エーリッヒも戦闘詳報を兵站統括部に提出した。そこには補給状況に対する所見と軍議の席で並行追撃作戦を行う可能性を指摘したにも拘らず無視された事、今後のイゼルローン要塞防衛に関しては並行追撃作戦の事を常に考慮する必要があると記述したんだ。ハードウェア、ソフトウェアの観点から防ぐ手段の検討が必要であるとね。つまり要塞司令官、駐留艦隊司令官の兼任だな」
「その、戦闘詳報は……」
声が掠れている。

「兵站統括部から統帥本部へと提出された。そして握り潰された。幻の戦闘詳報だ」
「……」
「統帥本部はイゼルローンからの報告書を基に味方殺しは已むを得ない物と判断し戦闘詳報を公表したばかりだった。エーリッヒの戦闘詳報を公表すればクライスト、ヴァルテンベルク両大将が嘘を吐いた事、統帥本部はそれにまんまと騙された事が明るみになる」
「……」

「その直後、クライスト、ヴァルテンベルク両大将はオーディンに呼び戻された。それ以後は軍事参議官として飼い殺しだ。そしてエーリッヒは大尉に昇進して第三五九遊撃部隊へと配属された。あの悪名高いカイザーリング艦隊だ」
「では……」
少佐が絶句している。顔面蒼白だ。
「そう、彼はこの部屋に来た。卿が座っている椅子にエーリッヒも座ったんだ、その椅子にね」
少佐が居心地が悪そうに坐りなおした。
「そして第三五九遊撃部隊がサイオキシン麻薬の売買に絡んでいる可能性があると指摘した」
「……」

「似ていると思わないか?」
「似ているとは?」
眼が飛び出そうだぞ、少佐。
「第七次イゼルローン要塞防衛戦だ。エーリッヒは反乱軍の作戦を予測した」
「……馬鹿な……」
「公表されないレポートには予測、いや予言が記されているのかもしれない。帝国にとって極めて不都合な予言がね」
少佐が呻き声を上げた。頬を引き攣らせている。預言者は歓迎されない、帝国軍三長官がレポートを重視しつつも喜ばないのは其処に記された内容が帝国にとって極めて危険な内容だからだろう。或いは帝国の滅亡でも記したのか……。

「そろそろ帰った方が良いだろう。話を作るには十分な材料が揃った筈だ」
「……話せると思いますか?」
そんな恨めしそうな顔をするな。
「俺は今の話を誰にもした事は無い」
「小官もしないでしょう」
少佐が立ち上がった。足元が心許ない。頑張れよ、卿もこれであいつと付き合う苦労が少しは分かるだろう。



帝国暦487年 9月 15日 オーディン 士官学校   ミヒャエル・ニヒェルマン



午前中最後の授業は兵站の授業だ。いつもは詰まらない、早くお昼が食べたいと思うんだけど今日は別だ。何と言っても今日教えてくれるのはヴァレンシュタイン校長閣下なんだから。
「反乱軍との戦いに勝つにはその本拠地に攻め込み降伏させる必要が有ります。では反乱軍の本拠地が何処に有るか、知っている人は?」
殆どの生徒が手を上げた。勿論僕もだ。

校長閣下が真ん中あたりに坐っている生徒を指名した。ウールマンだ。良いなあ。
「惑星ハイネセンです」
「その通り、惑星ハイネセンです。正確にはバーラト星系第四惑星ハイネセンという事になります。このバーラト星系は反乱軍の勢力範囲の中でも奥まった所にあります。つまり帝国からはもっとも遠い所にある」
うん、そうなんだ。僕も星系図で確認したけど凄く遠い所にある。ちょっと驚いた。

「一方帝都オーディンですがこちらもヴァルハラ星系は帝国の奥にある。オーディンとハイネセンはそれぞれ帝国、反乱軍の端と端に有ると言えます。非常に離れているのです」
オーディンからイゼルローン要塞まで四十日くらい、イゼルローン要塞からハイネセンまで三十日くらいかな。移動だけで二ヶ月以上かかる事になる。往復すると半年弱だ。

「人類が地球に住んでいた頃から距離が広がれば広がるほど敵を制圧し難くなるというのは軍事上の常識でした。これは人類が宇宙空間に出てからも変わりません。距離が広がれば侵攻時の兵站の維持や通信の維持、将兵の士気の維持が非常に難しくなるのです。それは軍の規模が大きくなればなるほど難しくなります」
うーん、そうなんだ。

「反乱軍も当然この事は知っています。帝国軍が大軍を以って本拠地を突こうとすれば補給線の分断を図るでしょう。帝国軍が反乱軍の奥深くに入ろうとすればするほど補給、通信は不安定になる。当然将兵は前に進む事を躊躇う事になります。それを解消しようとすれば帝国は遠征を支える膨大な物資、補給線を維持するための膨大な兵力、それを運用し連絡網を維持するための膨大な人員が必要になるのです」
なるほどなあ。あ、ハルトマン、エッティンガーが頷いている。

「かつて晴眼帝と尊称されたマクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下に仕えたミュンツァー司法尚書がこの事を『距離の暴虐』と唱えマクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下に軍事行動の不可を訴えました。当時の帝国は国内が非常に混乱しそのような外征を行えるような余裕は無いと訴えたのです。晴眼帝はミュンツァー司法尚書の意見を至当であると判断し在世中は一度も外征を行いませんでした。そして国内の改革に力を注いだ。今では誰もが晴眼帝を名君と称え、帝国中興の祖であると称えています」
校長閣下が一口水を飲んだ。

「反乱軍でも同じように距離という物が軍事行動を困難にさせると言った人物がいます」
え、そうなの? 周りを見た、皆もキョロキョロしている。
「アーレ・ハイネセンと共に反乱軍の指導者であったグエン・キム・ホアです。彼は『距離の防壁』という言葉を言っているのです。これは反乱軍が帝国本土から遠く離れていること自体が帝国軍の侵攻時の兵站の維持や通信の維持、将兵の士気の維持を難しくさせ、それが最大の防壁となるという意味でした」
確かに似たような事を言っている。すごいや、距離の暴虐は僕も知っていたけど距離の防壁は知らなかった。こういうのを授業で教えて欲しいよ。距離が重要なんだって実感出来るのに……。

「ミュンツァー司法尚書もグエン・キム・ホアも同じ事を言っています。表現こそ違いますがそれはミュンツァー司法尚書は攻める立場から、グエン・キム・ホアは守る立場から距離という物に付いて言ったに過ぎません。諸君らもこの距離の持つ意味というのを理解してもらいたい」
なるほどなあ、距離か。こんな事シミュレーションじゃ分からないよ。あ、お昼の鐘が成った。今日は此処までだって閣下が言っている。また閣下の授業を聞きたいな。



帝国暦487年 9月 15日 オーディン 士官学校   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



今日の昼食はマウルタッシェンだ。有り難いね、小食な俺にはピッタリな料理だ。水餃子みたいな料理なんだが非常に美味しい。校長室で一人寂しくお食事だ。学生達と一緒に食事してみようかと思うんだがその度にお昼を教師と食べるのなんて気詰まりだろうと思ってしまう。俺なら絶対に嫌だ、止めておこう。

あー、頭が痛いわ。俺は優雅で長閑な校長先生を楽しみたいと思っていたのに何時の間にか貴族やラインハルトに睨まれる問題児になっていた。おまけに憲兵隊の監視者はキスリングらしい。俺にガンガン説教をした。よっぽど俺は暢気でお馬鹿な男に見えたのだろう。

どうしようかな? はっきり言って前線なんかに行く気はないわ。陰謀大好き爺の相手も御免だし御馬鹿な貴族にも関わりたくもない。士官学校の校長って楽しいんだよ。今日も講義をしたけど生徒達が一生懸命聞いてくれる。可愛いわ。とても止められん。

少し大人しくしていようか。そうすれば人畜無害な校長先生だって皆も思うだろう。ラインハルトだってちょっと焦ってるだけで落ち着けば俺を敵視する事も無くなる筈だ。となると問題はレポートだな。何を書くか……。政治面は駄目だな、あの陰謀爺の信任が厚いなんてお馬鹿な噂が出かねん。となると軍事面か。だがラインハルトを刺激するのは拙い。それに出来れば貴族共を大人しくさせる事が出来ればベストだが……。至難の業だな。

まあ時間は有る。ゆっくり考えよう。それよりもエーレンベルクに頼んで教官を増やして貰おう。色んな教官に教わる事で視野が広がる筈だ。教官達も互いに刺激し合う事で教え方に幅が出るだろう。人材育成を疎かにするととんでもない事になる。その辺りを強調すれば何とかなるだろう。



 

 

第十二話 作戦名は『鉄槌』だ!



帝国暦487年 10月 15日 オーディン 新無憂宮   クラウス・フォン・リヒテンラーデ



帝国軍三長官が内密にと面会を求めてきた。三人とも陰鬱な表情をしている。新無憂宮南苑にあるこの黴臭い部屋には似合いの表情ではある。だが快い物では無い。
「卿ら三人が内密に会いたいと言う事は、あれの事か?」
「あれでございます。我ら三人、閣下にも御見せした方が良いと判断致しました」
溜息が出そうになって堪えた。またヴァレンシュタインが碌でもない事を考えおったか……。あれを見ると血圧が……。

「見よう」
軍務尚書がレポートを出した。はて……。
「随分と厚いようだが?」
「二十ページ程有ります」
軍務尚書が無表情に答えた。いつもは四、五ページの筈、それが二十ページ……。嫌な予感がした。厄介事が四、五倍になっているかもしれぬ。

受け取って読み出した。一枚、二枚、馬鹿な! 何を考えている! 帝国軍三長官を見た。三人とも反応が無い。こちらが何を思ったかは分かった筈、反応が無いという事は先を読めという事か。三枚、四枚、……有り得るのか? しかし……。いや、先を読むべきだ。結論を出すのはそれからでも遅くはない。五枚、六枚、……うーむ、有り得るかもしれん、可能性は有るな。七枚、八枚、いや、十分に可能性は有ると見るべきだ。これが上手く行けば帝国は……。帝国軍三長官を見た。三人は無表情に立っている。……可愛げが無い。もしかすると私の反応を計っているのか? 或いは面白がっている?

「卿らは如何思うのだ?」
「十分に有り得る事と考えます」
軍務尚書が答えた。いつも思うのだが何故他の二人は喋らないのだろう。関わりたくないという事かもしれぬな。その想いには全く同感だ。九枚目、十枚目を読んだ。なるほど、あれを使うか。確かに効果は有るな。十一枚目以降は作戦計画だった。此処は見ずとも良かろう。

レポートを軍務尚書に返すと幾分嫌そうな表情を見せて軍務尚書が受け取った。気持ちは分かる、まるで爆弾の様な代物だ。
「閣下は如何思われますか?」
軍務尚書が問い掛けてきた。
「卿らと同意見だ、十分に有り得ると思う。いや有り得ると想定して対処しなければなるまい。事は帝国の存亡に関わろう」
答えると三人が頷いた。

「例の件、準備は出来ているのか?」
「指揮官は選びましたがこれに備えるとなれば足りません。この作戦計画書を基に足りない指揮官、兵力を用意しなければなりますまい」
幾分苦い表情だ。気持ちは分かる。昨日までの計画はあの男に否定されたも同然だ。……なるほど、あの男は士官学校の校長だったな。帝国軍三長官は出来の悪い生徒も同然か。

「時間が無いぞ、急げ」
「はっ」
「それにあの男の懸念が事実であれば内務省からも人を出さねばなるまい」
「御願い出来ましょうか? こちらも情報部、憲兵隊を動かします」
「分かった、準備を頼むぞ」
三人が頷いた。ただの反乱鎮圧だと思ったがとんでもない大作戦になるかもしれん。

「卿らはカストロプの事をヴァレンシュタインに教えたのか?」
「いえ、教えておりませぬ」
「ではそのレポートはあの男が自らの判断で作ったという事か」
「そのように思われます」
三長官の表情が渋い。以前から思ったのだが鋭い、いや鋭すぎる。それに視野が広い。帝国だけではない、フェザーン、反乱軍の事も考慮した上で判断している。だから我らが思いつかぬ事を想定しているのだろう。頼りにはなる、だが扱いが難しい。

「そのレポートは決して表に出してはならんぞ」
「分かっております」
「それとヴァレンシュタインだ。最近馬鹿共があれを敵視していると聞く。必ず守れ。帝国にはあの男が必要だ」
「はっ」
三長官が畏まるのを見届けてから部屋を出た。

扱いが難しいのだ。あの男が軍中央においてそれなりの立場を得ているのなら良い。その地位に相応しい才を持っていると評価出来るだろう。だが現状はそうではない、士官学校の校長という閑職に居る。にも拘らず帝国はあの男の才を必要としている。そこに矛盾がある。その矛盾が周囲との軋轢を生む……。

それにしても我らがカストロプを反乱に追い込むと読んだか。内政重視の政策をとるなら当然有り得ると見たのであろう。いや、あのレポートはそれを考えていないならそこまでやれという示唆かもしれぬ。そしてそこまでやる覚悟をしているならフェザーンの動きも当然押さえているのかという問い掛けだな。いや、叱責か。なるほど、私も出来の悪い生徒と見られたか。……何とも腹立たしい事よ、血圧が……。



帝国暦487年 10月 28日 オーディン 士官学校   ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



「閣下、カストロプで反乱が起きたそうです」
「そのようですね」
中将は校長室でいつもと変わらない表情で決裁作業をしている。可愛くない。何でそんなに平静でいられるの? カストロプよ、カストロプ。オーディンの直ぐ側で反乱が起きたの。皆大騒ぎなのに中将だけが昨日と変わらない。何で? そう思うのは私だけじゃないと思う。

「正規艦隊が出るのでしょうか?」
「それはないでしょう。正規艦隊は本来イゼルローン要塞の向こう側で使うべきものです。地方貴族の反乱なら正規艦隊は出しません。余程多くの兵力を持つ大貴族が反乱を起こしたなら有り得ますがカストロプはそれ程多くの兵力を持っているわけでありませんからね」
決裁しながら答えてくれた。余り関心が無いみたいだ。

「ですがアルテミスの首飾りが配備されていると聞きました」
「アルテミスの首飾りは防御兵器であって攻撃侵攻用の兵器では有りません。オーディンの傍で反乱が起きたからと言って慌てる事は無い。それにハードウェアに頼った反乱というのはハードウェアが無力化されればあっという間に腰が砕けます」
「それは分かりますが……」
アルテミスの首飾りを軽視しすぎじゃない? そう思ったら中将が微かに笑みを浮かべた。

「少佐は私がアルテミスの首飾りを軽視していると不満の様ですね」
「そんな事は……」
「軽視していませんよ。あれの利点と欠点は十分に理解しています。反乱軍はあれを難攻不落と言っているようですが余り役に立つとは思えません」
「それは如何いう意味でしょう?」
ちょっと不満、そう思ったら中将が声を上げて笑った。

「分かりませんか? 自由惑星同盟はハイネセンだけじゃないという事です。アルテミスの首飾りはハイネセンは守れても他の有人惑星は守れない。他の星が降伏してしまえばハイネセンだけが残る事になります。それで自由惑星同盟と言えますか?」
「……」
確かにそうだ。自由惑星同盟でもハイネセンだけ守って他の星は見殺しかという非難が有った。特にイゼルローン方面に近い有人惑星でその非難は強い。中将がまた決裁作業に戻った。

「あれはどちらかと言えば帝国貴族向けの防御兵器ですね」
「帝国貴族向け、ですか」
「ええ、有人惑星を一つか二つ持っている。その惑星を守る為に使う。特に反乱を起こした貴族にはおあつらえ向きの兵器です」
確かにそうかもしれない。
「ま、心配は要りません。直ぐに鎮圧されます」
「……」
多分、あのレポートだ。

先日、エーレンベルク軍務尚書閣下から中将にTV電話が有った。私が出たんだけど軍務尚書閣下は顔面蒼白で眼が血走っていた。声も掠れていた。多分あれにアルテミスの首飾りの攻略法を書いて提出したのだろう。という事は中将はカストロプ公の反乱を想定していた、そしてアルテミスの首飾りが配備される事も想定していたって事かしら。……そんな事有るの?

「如何かしましたか?」
中将が私を見ていた。
「いえ、その、……閣下はこの事態を想定しておられたのですか?」
中将が微笑んだ。その微笑みが怖い。
「カストロプ公が反乱に追い込まれるという事は想定していました」
追い込まれる? つまり帝国政府はカストロプ公爵家を潰そうとしている……。中将が“評判が悪いですからね”と言って含み笑いを漏らした。

「ア、 アルテミスの首飾りは」
「カストロプ公が反乱に追い込まれると想定した者、それを利用出来ると考えた者がカストロプ公に与えたという事です」
中将はそれも想定していた。顔が強張るのが分かった。喉がカラカラに干上がる。
「そ、それは」
中将は笑みを浮かべ続けている。如何して笑えるの……。

「帝国の勢力を弱め自由惑星同盟との勢力均衡を望む者です」
「フェザーン……」
中将が頷いた。
「アルテミスの首飾りは自由惑星同盟の軍事機密です。民間企業が流せるものでは有りません。もし、そのような事をすれば同盟領での商行為は出来なくなります」
その通りだ。でも自由惑星同盟なんて言って良いの? 此処は帝国なんだけど……。

「つまり、それが出来るのはフェザーン自治領主府、あるいは自治領主府の委託を受けた者という事になる」
「反乱を長引かせるためですか」
中将が頷いた。
「その通りです。アルテミスの首飾りを使って反乱を長引かせ同時に帝国の兵力を損耗させる。その間に同盟には兵力の回復を図らせる」
「……」
有り得る事だと思う。フェザーンは帝国と同盟の間で利益を得てきた。どちらか一方が強大になる事は望まない。近年帝国が有利に戦争を進めている。フェザーンがそれを憂いていてもおかしくはない。

「そうなれば他の貴族にも売れるでしょう。貴族達はカストロプ公が政府に嵌められたと分かっている筈です。カストロプ公の事は自業自得と思うでしょうが次は自分ではないかと疑心暗鬼になってもいる筈。アルテミスの首飾りを喜んで買うでしょうね」
怖い、中将は帝国政府だけじゃない、フェザーンの動きも読んでいた。エーレンベルク元帥が顔面蒼白になったのもその所為だろう。

「上手く行けば帝国は彼方此方で貴族達が反乱を起こし国内は大混乱になる。帝国の国力は衰え同盟との勢力均衡が図れる。そしてフェザーンはアルテミスの首飾りで大儲けが出来る。そういう事です」
中将にとって反乱はもう終わっているのだと分かった。騒がないのではない、騒ぐ必要が無いのだ。反乱は早期に鎮圧されるだろう。



帝国暦487年 10月 28日 オーディン 軍務省尚書室   シュタインホフ元帥



「カストロプはオーディンの直ぐ傍にあります。反乱を早期に鎮圧しなければ帝国の威信にも関わりましょう。正規艦隊を動かすべきかと判断します」
「その必要は無い。一貴族の反乱に正規艦隊を動かすなど卿は何を考えている。それこそ帝国の威信に関わろう」
ローエングラム伯がカストロプの反乱鎮圧に正規艦隊を動かすべきだと提起したが軍務尚書はにべもなく拒否した。

公平に見て軍務尚書の言う事は正しい。正規艦隊を動かせば貴族達に恐ろしいのは正規艦隊でありそれ以外は大した事は無いと誤った認識を与えかねない。それでは正規艦隊の外征中こそが反乱を起こす時だと貴族達は思いかねないのだ。正規艦隊以外の艦隊を使って反乱を早期に鎮圧する。それこそが貴族達への威圧になる。

伯が司令長官に視線を向けた。口添えを期待したのだろうが司令長官は沈黙を保った。多分、白けているのだろうな。私も白けている。何を騒ぐのかという気持ちが有る。既に準備は出来ている。反乱は簡単に鎮圧されるだろう。伯の顔に失望の色が見えたがそれさえも何の感銘ももたらさなかった。

「ですがカストロプにはアルテミスの首飾りが配備されていると聞きます」
「その事は私も知っている」
「御存知ならば」
「くどいぞ、正規艦隊は動かさぬ」
伯が悔しげに唇を噛んだ。美男だが些か表情に険があるな。軍務尚書が一つ息を吐いた。

「ローエングラム伯」
「はっ」
「卿は宇宙艦隊副司令長官の任に有る。ならばその任に相応しい責任を果たして欲しいものだな」
「……小官はその任を果たそうとしております」
伯の顔が紅潮した。侮辱されたと感じているのだろう。

「それなら良いがな。私には卿が武勲欲しさに出兵を請うているようにしか見えぬ。一艦隊司令官ならそれで良いが卿は宇宙艦隊副司令長官なのだ。卿が責任を果たすべきは帝国の安全保障を如何に守るかであろう。気を付ける事だな」
「……御忠告、肝に銘じます」
「カストロプの反乱鎮圧に正規艦隊は動かさぬ。これは決定事項だ、下がって良い」
「はっ」
伯が敬礼し下がった。来る時は意気込んで足取りも軽かったが今は重たげな風情だ。余程に失望が大きいのだろう。

伯の姿が消えると軍務尚書がまた息を吐いた。
「気楽なものだ」
ボヤキに近い、思わず失笑した。司令長官も笑っている。そんな我等を軍務尚書が恨めしげに見た。
「笑い事ではあるまい」
“済まぬ”、“申し訳ない”と二人で軍務尚書に謝った。だが如何にも可笑しい。

「あれが現実になった」
軍務尚書の言葉に三人が顔を見合わせた。
「まさか本当にアルテミスの首飾りが使われるとは……、信じられぬ事だな」
私の言葉に二人が頷いた。
「アルテミスの首飾りが使われた事も信じられぬがヴァレンシュタインがそれを予測した事も信じられぬ。あれがカストロプ公を唆したと言うなら分からぬでもないが……」
司令長官の言う通りだ。何故予測出来たのか? 如何にも違和感がある。

「ヴァレンシュタインは何と?」
軍務尚書に訊ねると不愉快そうに顔を顰めた。
「“そうですか”の一言だ。他に言葉は無いのかと聞いたが“教官を増やして頂きたいと思います”と言ったよ。カストロプの反乱には興味が無いらしい。あの男にとって反乱はもう終わった事なのだろう」
司令長官が“可愛げが無い”と言った。同感だ、予測が当たったと喜ぶなら可愛げが有るのだが……。

「軍務尚書、国務尚書には御報せしたのかな?」
「先程お伝えした。頬の辺りが引き攣っていたな」
三人が顔を見合わせた。想定はしていたが現実となって改めて衝撃を受けたらしい。
「改めて閣下からヴァレンシュタインを守れと命じられた。今回の反乱は鎮圧出来る。だがそうなればヴァレンシュタインがフェザーンの動きを見破ったという事が表に出る。となればフェザーンもあの男を危険視するだろうとの事だ。私も同感だ、卿らもそう思うだろう」
私が頷く、司令長官も頷いた。

「護衛体制を強化せねばなるまい。身辺警護を付けるべきだと思うが」
「司令長官の意見に同意する。出来ればあの男に心服している者が良いな」
軍務尚書が頷いた。
「探してみよう。卿らも探してみてくれ」
二人で頷いた。

“お話し中申し訳ありません”と声が掛かった。軍務尚書の副官がこちらを見ている。
「シュムーデ中将、ルックナー中将、リンテレン中将、ルーディッゲ中将、フォーゲル中将、エルラッハ少将、リューネブルク中将、バーテルス中将、ファルケンマイヤー中将がお見えです」
「此処へ通せ」
直ぐに副官が姿を消した。そして名を告げられた男達が部屋に入って来た。

シュムーデ、ルックナー、リンテレン、ルーディッゲ、フォーゲル、エルラッハは艦隊を率いリューネブルク、バーテルス、ファルケンマイヤーは装甲擲弾兵を率いる。この男達がカストロプの反乱を鎮圧するのだ。作戦名は『鉄槌』。帝国を軽視する愚かな貴族達、フェザーンに対する手厳しい一撃になるだろう。


 

 

第十三話 この世には知らない方が幸せな事も有る

 
前書き




 

 



帝国暦487年 11月 4日 オーディン 宇宙艦隊司令部   アウグスト・ザムエル・ワーレン



これからカストロプ攻略戦が始まる。宇宙艦隊司令部の会議室にはその様子を見ようと正規艦隊司令官達が集まった。難攻不落と謳われるアルテミスの首飾りをどうやって落とすのか……。
「シュムーデ、ルックナー、リンテレン、ルーディッゲ、フォーゲル、エルラッハ、合わせれば兵力は二万隻に近いが連携が取れるのかな? 取れなければ烏合の衆だろう」
ミッターマイヤー提督の言葉に皆が頷いた。

「烏合の衆ではアルテミスの首飾りは落とせまい。損害を被るだけだ。正規艦隊を動かすべきだったのではないか?」
今度はビッテンフェルト提督が皆に同意を求める様に言った。皆がまた頷いた。
「ローエングラム伯もそう言って正規艦隊の出撃を希望したそうだが軍務尚書閣下は却下した。たかが一貴族の反乱に正規艦隊を動かすなど有り得ぬと言ってな」
ケンプ提督の言葉に皆が顔を見合わせた。その席で伯は武勲欲しさに出撃を望むな、宇宙艦隊副司令長官としての責任を果たせと軍務尚書に叱責されたらしい。その事を思ったのだろう。

「正論では有るな。だがそれもあの首飾りを攻略出来ればだ」
ロイエンタール提督の言葉に皆が頷いた。戦場では何よりも結果が重視される。シュムーデ提督達があの首飾りを攻略出来れば軍務尚書の言は正しいと評価される。だが失敗すればその言は誤りでありローエングラム伯の言こそが正しいとなるだろう。

「装甲擲弾兵が多くないか? 三個師団を動員している。地上戦が有ると見ているのかな?」
気になった事を言ってみた。皆も気になるのだろう、困惑している。
「艦隊は雑多だが装甲擲弾兵は十分過ぎる程の兵力だ。確かに気になる。偶然かな?」
「いや、偶然ではないだろう。憲兵隊も動員されている」
メックリンガー提督、ケスラー提督の会話に皆がまた顔を見合わせた。

「ケスラー提督、それは本当か?」
「間違いないよ、レンネンカンプ提督。憲兵隊の人間から聞いたからな。それに情報部、財務省、内務省からも人が出ているらしい」
シンとした。如何もおかしい。憲兵隊と情報部は分かる。だが財務省に内務省?まだ反乱が鎮圧されたわけでもないのに何故だ? 何かが不自然だ。

「となると討伐軍はあれを攻略する成算があるのかもしれん」
クレメンツ提督がスクリーンに映る首飾りを見ながら言った。
「しかし、それが簡単に出来ますか?」
「さあ、私には出来んな、ファーレンハイト提督。しかし私に出来ないからと言って不可能という事ではないだろう。何か手が有るのかもしれない」
反乱が起きて未だ間が無い。そんな簡単に考え付くのだろうか?

スクリーン上で艦隊が隊形を整えつつある。
「妙な布陣ですね」
ミュラー提督の言葉に皆が頷いた。艦隊はバラバラだ。装甲擲弾兵を載せた揚陸船もかなり前に出ている。明らかにアルテミスの首飾りを早期に攻略出来ると考えている。

「まだ随分と距離が有る。これから変えるのではないか」
頷きかけた時だった。
「いや、違うようだぞ、ミッターマイヤー。あれは何だ?」
ロイエンタール提督がスクリーンの端の方を指した。その先には……、あれは……。
「氷? いやドライアイスか?」
ミッターマイヤー提督が困惑したように呟いた。俺にもそのように見える。大きな氷、或いはドライアイスの塊だ。如何するのだ、あれを。

「大きいな、どのくらいかな?」
「さあ、一立方キロメートルは有るんじゃないのか」
「一立方キロメートル? ……だとすれば質量は十億トンに近いぞ」
メックリンガー提督、クレメンツ提督の会話に皆が顔を見合わせた。まさか、あれを……。

「動き出したぞ」
確かに動き出した。ケンプ提督の言う通りだ。しかし艦隊は動かない。動き出したのは氷の塊だけだった。徐々に氷の塊の速度が上がる。
「十二個有る、あれをぶつけるのか?」
俺の言葉に皆が顔を見合わせた。

「あれがぶつかったら首飾りは……」
ルッツ提督が声を途切らせた。何処か不安そうな口調だ。
「首飾りが攻撃を始めたな」
クレメンツ提督の言葉に誰も反応しない。ただ黙ってスクリーンを見ている。レーザー砲が氷の塊を襲う。効かない! 水蒸気らしきものが上がった。首飾りからの攻撃は水蒸気を上げるだけで何の効果も無い……。氷はさらにスピードを上げていく……。

ぶつかった! 氷は砕けた、衛星も破壊された。二つとも破片となり美しくきらめいている。まるで美しい宝石の様だ。
「ぶつかったな」
「ああ、壊れた」
ケンプ提督、ファーレンハイト提督が何処か気の抜けた様な口調でアルテミスの首飾りが破壊された事を言った。これは現実なのか?

「艦隊が動き出したな」
「地上制圧部隊と大気圏外で封鎖する部隊に分かれるようだ。地上制圧部隊は揚陸船の護衛部隊と制圧部隊に分かれるのだろう」
「なるほど、雑多な艦隊で十分というわけだ。アルテミスの首飾りを攻撃するわけでは無いか……」
「ロイエンタール、俺はあれは難攻不落だと聞いていたんだが……」
「俺もそう聞いていた。過大評価だったようだな」
ロイエンタール提督とミッターマイヤー提督の会話を皆が複雑そうな表情で聞いている。

「軍務尚書閣下が正規艦隊の派遣を拒否したのはこの作戦が有ったからだろう。反乱は簡単に鎮圧出来るという確信が有ったのだ」
メックリンガー提督の言葉に皆が頷いた。
「となると気になるのは誰がこの作戦を考えたかだな」
ケスラー提督の言葉に皆が顔を見合わせた。皆が困った様な顔をしている。心当たりが有るのだろう。俺にも有る。

「ミュラー提督、後で卿の同期生に連絡してくれないか。巨大な氷でアルテミスの首飾りを壊す様な作戦を立てる人物に心当たりは有りませんかとね」
「小官がですか?」
ミュラー提督が表情に困惑を浮かべた。
「そうだ、私もそんな教え子を持ったとしたら教師冥利に尽きる。是非とも聞き出して欲しい」
クレメンツ提督の言葉にミュラー提督が“分かりました”と答えて溜息を吐いた。



帝国暦487年 11月 8日 オーディン 新無憂宮   エーレンベルク元帥



何時もの部屋に何人かの男達が集まった。今日は何時もより人が多い、帝国軍三長官と国務尚書の他にフレーゲル内務尚書、ゲルラッハ財務尚書が参加している。だが人が増えても陰鬱さは変わらなかった。
「それで、何が分かったのだ?」
「カストロプにフェザーンの商人が居ました」
私の答えに国務尚書が眉を上げた。

「既に去っていたのではないのか」
「マクシミリアンは運用実績を確認するまでは留まる事を命じたようです。金の支払いも運用実績を確認してから払うと言ったようですな」
国務尚書が“フン”と鼻を鳴らした。
「親が親なら子も子か。金に煩い所は良く似ているようだ」
「商人もアルテミスの首飾りに自信が有ったのでしょう。それを受け入れたようです。油断ですな」
また国務尚書が“フン”と鼻を鳴らした。

「それで、その商人、何者か?」
「アルバート・ベネディクト、軍には情報は有りませんでしたが内務省に情報が有りました。取り調べは内務省が担当しています」
私が答えると国務尚書が内務尚書に視線を向けた。
「ベネディクトは独立商人と称しておりますが実際にはフェザーン自治領主府と密接に繋がった男です。商人として活動する傍ら自治領主府の依頼を受けて非合法な活動、或いはその支援をしていたことが分かっています」

「内務省に情報が有ったという事はこれまで随分と目に余る動きが有ったという事か」
「はい」
フレーゲル内務尚書が答えると国務尚書が顔を顰めた。内務尚書は幾分面目無さげだ。国内の治安維持は警察の仕事だ。マクシミリアンを追い詰め反乱を起こさせるのが目的では有るがベネディクトの暗躍を許した事は内務省の失点で有るのは間違いない。叱責が飛ばないのは反乱鎮圧が上手く行ったからだ。そうでなければ厳しい叱責が飛んだだろう。ヴァレンシュタインは内務省にとっては天敵だな。いや、我らの髪の毛にとっても天敵か。

「ベネディクトを取り調べているのですが気になる事があります」
「それは?」
国務尚書の視線が鋭くなった。内務尚書は益々気拙げな表情だ。
「アルテミスの首飾りの情報を盗んだのはベネディクトとは思えません。彼の活動範囲は主として帝国です。反乱軍側に行った事は殆ど無いのです」
「……それで?」
国務尚書が先を促した。

「ベネディクトはこれまでカストロプ公爵家とは接触が有りませんでした。彼は前財務尚書が死んだ直後にマクシミリアンに接触しています。そしてアルテミスの首飾りの売り込みに成功している。この事は財務省の人間がカストロプの財政状況を調べて確認しています」
「……」

「つまりベネディクトはマクシミリアンが反乱に追い込まれるとマクシミリアンを説得しマクシミリアンもそれを受け入れたという事でしょう。アルテミスの首飾りは今回の反乱を契機に用意されたものでは無く、それ以前からフェザーンに有ったのではないかという推測が成り立ちます」

国務尚書が唇を噛んだ。マクシミリアンが生きていればもう少し詳しい事が分かっただろう。残念だがマクシミリアンはアルテミスの首飾りが破壊された後、配下の者に殺された。身体中を滅多刺しにされて嬲り殺しに近かったらしい。貴族達にとって反乱は危険だという教訓になるだろうが大事な情報源を失った事は事実だ。

「補足になるかどうか分かりませんが憲兵隊、情報部が取り調べたマクシミリアンの配下が気になる事を言っております」
「何か?」
国務尚書が鋭い視線で私を見た。気圧されるような視線だ。

「討伐軍を撃退出来れば首飾りを欲しがる人間は増えるだろうとベネディクトが言っているのを聞いたそうです。一人では有りません、複数人、そして複数回です」
「……反乱の誘発か、ベネディクトの素性を考えればフェザーンがそれを望んだという事だな」
「はい、ベネディクト以外にもフェザーンのために働く人間は居る筈です。彼らが貴族達に売り込みをかけた可能性は否定出来ません」
シンとした。

「それにフェザーンが反乱軍寄りの政策を取り始めたのは第七次イゼルローン要塞攻略戦頃から、ほぼ半年前からです。あの要塞攻略戦は失敗しました。それをきっかけにフェザーンは反乱軍が頼りにならない、貴族達を利用しようと考えたのではないでしょうか。アルテミスの首飾りに眼を付けたのはその頃ではないかと思います」
国務尚書が強い視線でこちらを睨んできた。

「……フェザーンが反乱軍寄りの姿勢を示すか。そんな事がレポートに書かれていたな」
「はい」
「レポートを軽視したつもりは無いがフェザーンの動きに今少し注意を払うべきであったか……」
国務尚書が唇を噛み締めている。“はい”とは言えない。軽視したのは我ら帝国軍三長官も同じなのだ。

「閣下、その書かれていたというのは……」
「気になるかな、フレーゲル内務尚書」
「はい、その、まさかとは思いますが……」
恐る恐ると言った口調だ。国務尚書が冷笑を浮かべた。
「そのまさかだ。ヴァレンシュタインは半年以上前にフェザーンの動きを予測していた。……イゼルローン要塞の事に気を取られ過ぎたか……」
フレーゲル内務尚書、ゲルラッハ財務尚書の顔面が強張っている。

「今回の反乱鎮圧もヴァレンシュタイン中将が作戦を立てたと聞いております。真でしょうか?」
「卿も知りたいか、ゲルラッハ財務尚書」
「……」
ゲルラッハ子爵が国務尚書と我らを交互に見ている。国務尚書が低く笑い声を上げた。禍々しい笑い声だ。明らかに嘲りが有る。国務尚書の想いが分かる。愚か者共め、何故知ろうとするのだ? この世には知らない方が幸せな事も有るのに……。

「この部屋での会話は他言は許さぬ」
二人が頷いた。
「反乱が起きる二週間前に作戦は出来上がっていた。フェザーン、アルテミスの首飾りの事も全て想定してあった。後は卿らの知る通りだ。反乱は瞬時に鎮圧されマクシミリアンは領民達に殺された」
呻き声が上がった。二人の尚書が震え上がっている。犠牲者が増えたか。これからは抜け毛の心配をするのだな、同志よ。

「内務尚書」
「はっ」
「フェザーンの接触を受けたと思われる貴族を洗い出せ、そして調べよ」
「はっ」
フレーゲル内務尚書が畏まった。調べよという事は潰すだけの材料を用意しろという事か。フェザーンに接触するのは危険だと貴族達が理解すれば少しはフェザーンの蠢動を抑える事が出来るかもしれない。マクシミリアンの死に様も有る。

「財務尚書、カストロプから接収出来る財産は?」
「現状調査中ですが四千億帝国マルクは下らぬものと思われます。それと派遣した者達がカストロプの財政状況を確認しましたが自治領主府との繋がりは見えなかったそうです」
「分かった。早急に接収を完了させよ」
「はっ」
四千億帝国マルク、そう聞いても何の感動も驚きも無い。誰一人として声を上げなかった……。



帝国暦487年 11月 17日 オーディン  士官学校   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



『今回の内乱鎮圧の功により卿は大将に昇進する事が決まった』
スクリーンに映る軍務尚書は不機嫌そうな顔をしている。明らかに俺の昇進を喜んでいない。
「レポートを出しただけです。そのようにお気遣い頂かなくても……」
『そうはいかん。信賞必罰は軍のよって立つところだ。功を挙げた以上、それを賞するのは当然の事であろう』
以前もこんな会話をしたな。

『それに卿を昇進させなければ反乱鎮圧に当たった者達を昇進させる事が出来ぬ』
溜息が出そうになって慌てて堪えた。別に俺だけ除いて昇進させても俺は不満に思わないんだけど。
『それと卿には双頭鷲武勲章が授与される』
「あの……」
『辞退は許されぬ』
「……」
そんな怖い顔で睨まなくても……。そう言えたらどれだけすっきりするだろう。

『今回卿の挙げた功績は他の追随を許さぬ。それをはっきりさせねばならぬのだ』
「では一つお願いが有るのですが……」
『士官学校の教官増員の件なら問題無い、月内に辞令を出す』
「ありがとうございます。ですがその件では無いのです」
軍務尚書が警戒心も露わな表情をした。そんなに警戒しなくても……。俺は役に立っていると思うんだけどな。我儘も言わないし野心も強くない、扱い易い部下だと思うんだけど……。

「向こう十年間、士官学校校長のポストから動かす事は無いと表明して頂きたいのです」
『どういう事だ』
今度は胡散臭そうな顔をしている。此処は気にせずに困っている様な顔をしよう。同情を買うのが先ず第一だ。

「小官は軍の顕職を望んではおりません。ですがそれが分からずに小官を敵視する人間も居るようです。幸い教官の増員もして頂けるようですし士官学校教育の改善を十年間任せると仰って頂ければと」
軍務尚書が少し考える様子を見せた。

困っているんだよ。ラインハルトがいきなり反乱鎮圧を願い出るなんて思わなかった。貴族の反乱だぞ、反乱鎮圧が失敗してからなら正規艦隊の派遣も有り得るがいきなり正規艦隊を動かすなんて有るわけがないだろう。何を考えているんだか。軍務尚書には叱責されて八つ当たりで俺の事を非難しているらしい。ウンザリだ。ミュラーからも目立つなって怒られた。反乱鎮圧の直後だ、何で俺が作戦を立てたって分かるんだろう。

おまけに反乱を鎮圧した連中が士官学校に押し寄せてきた。シュムーデ、ルックナー、リンテレン、ルーディッゲ、フォーゲル、エルラッハ、リューネブルク、バーテルス、ファルケンマイヤー、全員だ。アルテミスの首飾りを攻略出来るなんて軍人の名誉としてこれ以上の物は無いそうだ。作戦を考えた俺に感謝している、どうしても礼を言いたいと言っていた。

フォーゲルとかエルラッハなんて原作では反ラインハルトの急先鋒だ。この世界でもラインハルトの事を姉の七光りとか増長者とか言って嫌っていた。いや、気持ちは分かるよ。ラインハルトの分艦隊司令官だったが第七次イゼルローン要塞防衛戦後の艦隊戦で動きが悪かったと評価されて分艦隊司令官を首になったからな。

二人にしてみれば自分の指揮が悪かったのに俺達の所為で負けた事にしやがったと不満が有っただろう。ルックナー、リンテレン、ルーディッゲもラインハルトには元々良い感情を持っていない。シュムーデ、そして装甲擲弾兵の三人もだ。彼らは俺こそが宇宙艦隊副司令長官になるべきだと言っている。その事もラインハルトを刺激しているらしい。

『良いだろう』
「有難うございます」
『次は何時レポートを出す?』
「……そろそろネタが……。前回のレポートもネタが無いので作った様な次第で……」
あれは偶然なんだよ。マクシミリアン・フォン・カストロプがアルテミスの首飾りを使うなんて思わなかった。何処かの馬鹿な貴族がフェザーンにそそのかされてアルテミスの首飾りを使うかもしれないと思ったんだ。だからあれを書いた。そういう事にしておかないと。軍務尚書が俺を睨んだ。面目無さそうな表情をするんだ。ちょっと俯き加減で一、二、三……。

『次は何時だ?』
「……」
『次は何時だ? ヴァレンシュタイン中将、いや大将』
駄目か……、いや諦めるな。
「……来年の三月頃には、……もっとも書く内容が有ればですが……」
『来年三月だな、必ず提出するように』
“必ずだぞ”と怖い顔で念を押して通信が切れた。あー、駄目か……。何を書けば良いんだろう……。



 

 

第十四話 俺は君達を知らないんだが……




帝国暦487年 11月 25日 オーディン  新無憂宮  黒真珠の間  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



古風なラッパの音が黒真珠の間に響いた。どうやら始まるらしい。参列者は皆姿勢を正した筈だ。控室に居る俺も姿勢を正した。
「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国フリードリヒ四世陛下の御入来」

式部官の声と帝国国歌の荘重な音楽が聞こえてきた。参列者は頭を深々と下げた筈だ。俺も頭を下げた。この部屋には隠しカメラが有ると言われているのだ。帝国は基本的に監視社会なのだよ。特に儀礼には煩い。国歌が終わってから頭を上げた。多分フリードリヒ四世は椅子に座っているだろう。

「帝国軍中将、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン殿」
控室に居る俺を式部官が呼ぶ声が聞こえた。しょうがないな、行くか。控室を出て大勢の文官、武官、貴族が並ぶ中、皇帝フリードリヒ四世を目指して歩く。視線が痛いわ。俺ってどう見えるんだろう? 二十二歳で大将に昇進してるんだけど士官学校校長なんだよな。おまけに向こう十年は異動しない。そして二つ目の双頭鷲武勲章を授与される……。辞退したのも入れれば三つ目か。わけがわからん。俺って何なの?

何時の間にかフリードリヒ四世の前に着いていた。膝を着いて頭を下げた。
「ヴァレンシュタインか、久しいの」
「はっ」
「そちは士官学校の校長だが良く武勲を立てるの」
「畏れ入りまする」
別に立てようと思ったんじゃない。気が付いたらこうなってるんだ。

「戦場に出ているのか?」
「そのような事はございませぬ」
御願いだから早く勲章を頂戴! あんたと会話なんてしたら貴族共がまた俺を敵視するだろう。俺を連中の敵意から解放してくれ。

「そうか、今日は辞退はせぬのか」
「はっ、軍務尚書閣下に固く止められております」
面倒臭くなって本当の事を言ったらフリードリヒ四世が笑い出した。何で笑えるんだ?
「そうか、案ぜずとも良いぞ。卒業式には必ず行く」
「有難き幸せ」
……全然嬉しくない。有難くも無い。

「その武勲を賞しそちを帝国軍大将に任じ双頭鷲武勲章を授ける。立つが良い」
立ち上がると皇帝フリードリヒ四世が俺の胸に勲章を付けた。名誉なんだろうけど少しも嬉しくない。勲章の授与は終わったがこれからフリードリヒ四世の退出を見送らなければならない。参列者に割り込んで見送るのだが割り込む場所を見つけるのはそれほど難しい事では無かった。参列者は階級順に並んでいる、新任の大将の俺は大将の一番最後に並べばいい。

もっとも並んで直ぐに後悔した。傍に居るのはクライストとヴァルテンベルク、第五次イゼルローン要塞攻防戦の味方殺しコンビだった。恨んでいるんだろうな、と思ったけど二人ともおどおどしたような眼で俺を見ている。なんで? 俺って何なの? 人畜無害の士官学校校長だよ! 何で俺を怖がる! 不本意だ、俺はとっても不本意だ!



帝国暦487年 11月 25日 オーディン  士官学校   ミヒャエル・ニヒェルマン



「凄いな! 大将閣下だよ、大将閣下! それに双頭鷲武勲章!」
ハルトマンが興奮した声を出している。でも全然気にならない。だって僕も凄く興奮しているから。でもあんまり騒いでいると怒られるかな? 談話室だから大丈夫だと思うんだけど……。
「アルテミスの首飾りを攻略しちゃうなんて本当に凄いよね」
僕が言うとハルトマン、エッティンガー、バウアー、トイテンベルク、ヴィーラント、ウールマンが“凄いよ”、“本当に”と口々に言った。

「校長閣下が作戦を立てたって噂、本当だったんだ」
「そうだね」
「でも校長閣下は何も言わないよね。昇進の事も勲章の事も言わない。内示が出てた筈だけど……」
「あんまり興味が無いのかな」
皆で顔を見合わせた。以前も双頭鷲武勲章の事で御祝いを言ったけど嬉しそうじゃなかった。

「宇宙艦隊副司令長官を断って士官学校校長になったんだ。昇進とか出世には興味が無いのかもしれないね」
僕の言葉にエッティンガーが溜息を吐いた。
「凄いなあ、僕には無理だよ」
僕も無理だ。何て言うか、僕らとは全然違う。まるで別世界の人間だ。

「異動になるのかな?」
トイテンベルクの言葉に皆が顔を見合わせた。
「なってもおかしくは無いよね。元々士官学校の校長になる人じゃないんだから。宇宙艦隊副司令長官かな?」
バウアーの言葉に皆がシュンとなった。寂しいな、校長閣下が居なくなるなんて……。

「あれ、知らないの。閣下は異動にならないよ」
教えてくれたのはワイツだった。こいつ、何時の間に居たんだろう。
「本当なの、ワイツ」
「ああ、向こう十年間は士官学校校長だってさ」
皆が“十年!”って叫んだ。

「士官学校の教育を改善するために十年間異動しないんだって。閣下が軍務尚書閣下に願い出て許されたらしいよ。兄貴が言ってた」
ワイツのお兄さんは軍務省の官房勤務だけど本当なのかな? 十年も異動しない? ちょっと信じられない。皆も顔を見合わせている。バウアーが“本当なの”と訊くとワイツが“本当だよ”と言って頷いた。

「だから士官学校に教官も増員されるんだ。それも校長閣下が願った事らしいよ」
そうか、校長閣下が就任してから色々と変わってきているけど一時的なものじゃないんだ。
「凄いや」
「うん、凄い」
皆が口々に“凄い”と言い出した。急に図書室に行きたくなった。

「僕、図書室に行くよ。急に本が読みたくなった。反乱軍の事、もっと知りたいんだ」
「僕も行くよ、僕は兵站の事が知りたい」
「俺も行く」
皆が図書室に行くって言い出した。もしかすると閣下が居るかもしれない。その時は閣下がずっと校長閣下で居てくれて嬉しいって言おう。きっと閣下は喜んでくれる。楽しみだな、これからどう変わるんだろう。



帝国暦487年 12月 1日 オーディン  士官学校    ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



「申告します、本日付で士官学校教官の命を受けました。マルカード・フォン・ハックシュタイン准将です」
「同じく、ルーカス・フォン・レーリンガー大佐です」
「同じく、ヤーコプ・フォン・フェルデベルト大佐です」
「同じく、リヒャルト・エンメルマン大佐です」
四人の男性士官が校長室で敬礼している。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタインです。卿らの着任を心から歓迎します。未来有る候補生達の才能、可能性を十分に育ててください。お願いします」
大将がにこやかに答えると四人が“尽力いたします”、“そのように努めます”と答えた。
「ハックシュタイン准将には戦略戦術を、レーリンガー大佐には戦史を担当して貰います。そしてフェルデベルト大佐、エンメルマン大佐には兵站を担当して貰います」
四人が“はっ”と言って姿勢を正した。あらら、緊張してるわね。

後は閣下が各科目の主任教官と話してくれと言って終わらせた。四人が部屋を出て行く。閣下が溜息を吐いた。
「如何なされたのですか? 教官の人員も充実して閣下の御希望が叶ったと思うのですが」
私が問うと大将が恨めしそうに私を見た。

「皆妙に緊張していました」
「それは……、閣下が帝国軍三長官に密接に繋がっていると思っているからです」
「そんな事はないんですけど……」
「ですが十年間異動が無い、士官学校の教官の増員、どちらも閣下が希望し直ぐに実現しました。これでは……」
また溜息。そんな切なさそうにしなくても……。

今の状況って大将にとっては悪くないと思う。元々身体が丈夫じゃないんだから前線に出て無理をする事はないじゃない。時々レポートを出して評価されて、……昇進しているんだから評価されてるのよね? それに候補生に楽しそうに教えているし候補生達も大将の授業を喜んでいる。大将ももっと喜んで良いと思うんだけど……。

帝国軍三長官に密接に繋がっているというのも間違いとは言えない。レポートを出すと何時も軍務尚書が怖い顔で連絡してくるんだから。それだってレポートの内容がアレだから怖い顔をしてるんだと思う。アルテミスの首飾りを氷で壊すなんて誰も考えつかないわ。役に立っているんだし頼りにされているのは事実なのよ。

それにフェルデベルト大佐とエンメルマン大佐は大将と士官学校で同期生だって聞いた。そりゃ緊張するなって言う方が無理。絶対無理。それを言うと大将が“そうですね”と言ってまた溜息を吐いた。あの、私苛めてるわけじゃないんだけど……。



帝国暦487年 12月 1日 オーディン  士官学校    エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



溜息出るわ。最近不本意な事が多過ぎるんだ。新たに士官学校に配属された教官達もその一つだ、頭痛いわ……。ハックシュタイン、レーリンガー、フェルデベルトなんてラインハルトが使えないと評価した男達だ。特にハックシュタインなんて士官学校を首席で卒業したが、それでもバカが直らなかったのかと酷評されている。

まあラインハルトは口が悪いし出来る人材を好み過ぎる。その分だけ他者への評価が厳しくなる傾向が有る。本当はそれほど酷くは無いのかもしれない。でも大丈夫なのかって不安に思うのは当然だろう。一応軍歴は調べたんだよ。三人とも軍務省、統帥本部、宇宙艦隊で軍歴を重ねている。前線勤務だけを続けたわけじゃない。これを如何見るか?

好意的に見れば前線と後方で経験を積んでいると見る事が出来る。軍上層部は彼らに期待している、万遍なく経験を積ませていると見る事が出来るだろう。後方で人脈を作る事を期待しているとも見える。階級が低い様にも見えるがこれも説明が付く。前線に出て武勲を上げる機会が少ないからだ。

軍だって組織であり官庁である以上軍組織を動かすには官僚的な能力が要る。つまり文書の起案と上層部にそれを受け入れさせる説得力だ。或いは上司の意向を汲んで文書を作成する要領の良さ。そういう能力が有れば重宝されるし前線に出して戦死されては困るという事になる。必然的に出世は遅くなる。三人共二十代後半で准将、大佐なら十分に出世していると見て良い。

妙な話だけど年齢の割に出世してる奴なんて前線でしか使えない、軍官僚としては使えないと判断された奴が多いんだ。必ずしも軍上層部からは良い評価を受けていない。戦死しても構わない、前線で使い潰して構わない、運が良ければ昇進するだろうというわけだ。例を挙げればビッテンフェルトだ。如何見ても書類仕事なんて無理だろう。原作でラインハルトが軍上層部から評価されなかったのも前線勤務しかしていない事に対する蔑視が有ると思う。階級が低くても軍中央に居る方が有力者と見られる事はままある。

だが期待していないとなれば如何か? 軍官僚として使えない、参謀、指揮官としても使えないと判断されたという事だろう。使えないから要らないという事で前線と後方で押付けあったという事だ。そんなところに士官学校から教官に相応しい人物を送ってくれと要望が来た。人事局はこれ幸いと押付けたという事になる。士官学校での成績が良いから適任と見たかもしれない。しかしなあ、成績が良いと言っても前線、後方で使えなければただの丸暗記という事になる。これじゃ教官としても使えない。

「フェルデベルト大佐とエンメルマン大佐の事を御考えですか?」
ヴァレリーが気遣わしげな表情をしている。心配しているらしい。
「……ええ、まあ」
「士官学校では同期生でも今では立場が違います。それにハックシュタイン准将とレーリンガー大佐が居ました。馴れた態度は取れなかったのでしょう」
「……」
そんな事じゃないんだけどね。だけど否定するのも面倒だから“そうですね”と答えた。

知らないんだよ、フェルデベルトもエンメルマンも。二人とも戦略科を専攻したし兵站を専攻している変わり者の俺には関心が無かっただろう。それにシュターデンが俺を毛嫌いしたから戦略科のエリートは俺には近付かなかった。俺も殆どの時間を図書室で過ごすかフェルナー、ミュラー、キスリングと過ごしたからな。経歴を調べるまで二人が同期生だとは分からなかった。フェルデベルトは士官学校を三番、エンメルマンは七番で卒業している。将来を嘱望される候補生だっただろう。

ミュラー、フェルナー、キスリングに二人の事を聞いたけど三人とも言う事は同じだ。“悪い奴じゃない”。三人はそれなりに二人と付き合いが有ったらしい。逆に何で知らないんだと言われたから嫌われたみたいだと答えた。三人共笑い出したな。嫌われたんじゃなく怖がられたんだと言ってた。失礼な、俺は乱暴を働いた事は無いぞ。

歓迎会とかやった方が良いのかな? 後でフェルデベルトとエンメルマンを呼んで“元気だったか”とかやってみようか? 何か不自然だよな。一週間ぐらい経ったら“慣れたか”、“問題は無いか”って聞いてみようか? 関心を持たれていると分かれば悪い気はしないと思う。うん、そうしよう。

ラインハルトは機嫌が悪いってミュラーが言ってたな。軍務尚書に副司令長官としての自覚が無いと言われた事が応えているらしい。ついでに言うと俺が評価されている事も面白くないそうだ。何で? 俺は向こう十年士官学校の校長だよ。十年間閑職で過ごすんだ。少しぐらい同情してくれてもいいだろう。

そうミュラーに言ったんだけど肩を竦められた。何でも帝国はこれから十年間は内政重視になるそうだ。そして十年経ったら俺が宇宙艦隊副司令長官になるんだとか。そしてラインハルトはお払い箱だという噂が流れているらしい。何処の馬鹿がそんな無責任な噂を流しているんだ? 大体十年間戦争が無いとでも思っているのか? こっちから出て行かなくても向こうがやって来るだろう。そうなればラインハルトの出番だ。あっという間に元帥だな。

でも覇権を握って新銀河帝国を創れるかと言えばちょっと疑問だ。イゼルローン要塞も落ちないし銀河を手に入れるのは難しいだろう。となるとリヒテンラーデ侯の内政改革を手伝った方が良いのかな? でもなあ、あの陰謀爺の懐刀なんて言われるのは避けたい。というよりあの爺、あと十年も生きているのかな? フリードリヒ四世も生きているとは限らないしどうなるんだろう。さっぱり分からん。

今の段階でフリードリヒ四世が死んだらどうなるんだ? エルヴィン・ヨーゼフ二世が即位するのか? その場合ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は如何する? いや周囲の貴族達は? こっちもさっぱり分からん。フェルナーに訊いてみようか? いやフェルナーよりもブラウンシュバイク公と話してみたいな。その辺り如何見ているのか? 内乱になっても勝てると見ているのか……。それに先日の警告の御礼を言いたい。

しかしなあ、監視が居るからな。ブラウンシュバイク公に会ったなんてなったらどんな騒ぎになるか。やはりフェルナーで我慢かな。でもフェルナーと会うのも難しい。……面倒だな、皆呼ぶか。それも一つの手だが……。あれ、TV電話が受信音を鳴らしだしたな。この番号は……。



帝国暦487年 12月 1日 オーディン  士官学校    リヒャルト・エンメルマン


校長室から出て少し歩くと溜息が聞こえた。
「緊張したな」
声を出したのはハックシュタイン准将だった。溜息を吐いたのも准将だろう。
「フェルデベルト大佐、エンメルマン大佐、卿らは士官学校で校長閣下と同期生だったのだろう。親しかったのかな?」
フェルデベルトと顔を見合わせた。困った様な表情をしている。

「いえ、それほどには親しくありませんでした」
俺が答えるとフェルデベルトが“自分もです”と答えた。親しくなど無い、会話を交わした事など一度も無かった。おそらくはフェルデベルトも同じだろう。我々はエーリッヒ・ヴァレンシュタインという同期生を扱い兼ねていたのだ。彼は異質だった。

ヴァレンシュタイン候補生は常に超然としていた。教官の不興を買っても全く動じなかった。シュターデン教官は戦術の重要性を説いたがヴァレンシュタイン候補生はそれを無視した。戦術の軽視を咎めるシュターデン教官を論破した程だった。四年間兵站を専攻したが戦術シミュレーションの成績は抜群だった。異様な候補生だった。皆が彼を畏れた。親しくしたのはフェルナー、キスリング、ミュラーだけだった。

士官学校を五番で卒業。その事にも疑問が有った。毎年のように兵站関係の資格を取得していた。四年次には帝国文官試験を受け合格している。士官学校の成績を重視しているようには見えなかったし出世を望んでいるようにも見えなかった。いつも図書室で本を読んでいた。卒業後の任官先は軍務省官房局から誘いが有ったらしいがそれを拒絶して兵站統括部だった。

だが今ではローエングラム伯を除けば帝国でも最も若い将官であり大将だ。そして士官学校の校長とはいえ帝国軍三長官の懐刀と言われている。サイオキシン麻薬摘発事件、アルレスハイムの会戦、トラウンシュタイン産バッファロー密売事件、ヴァンフリートの会戦、第六次イゼルローン要塞防衛戦、陛下御不例時の帝都治安維持、第三次ティアマト会戦、第七次イゼルローン要塞攻防戦、そしてカストロプの反乱鎮圧……。前線でも後方でも功を上げている。実績、実力、共に帝国屈指の人材だろう。

「兵站を担当か、エンメルマン、卿は自信があるか?」
フェルデベルトが訊ねてきた。不安そうな表情をしている。
「無いとは言わないが……」
「そうだな、校長閣下は四年間兵站を専攻したからな……」
「それに任官後も兵站統括部に居た」
「時々授業も行うらしい」
所詮は兵站だ等と考えいい加減な授業をしたらとんでもない事になるだろう。

「戦争の基本は戦略と補給か」
「何だ、それは?」
ハックシュタイン准将が問い掛けてきた。どうやら口に出していたらしい。
「ヴァレンシュタイン校長閣下の御考えです。士官候補生の頃から言っておられました」
「なるほど、それは大変だな」
ハックシュタイン准将が俺とフェルデベルトを気の毒そうな眼で見た。前途多難だ。溜息が出た。



 

 

第十五話 たまには食事でも楽しもう




帝国暦487年 12月 5日 オーディン   アントン・フェルナー



官舎のドアのインターフォンを鳴らすとナイトハルトがドアを開けてくれた。
「来てたのか?」
「勿論だ、ギュンターも来ている」
「エーリッヒは?」
「料理を作っているよ。今は海鮮餡かけパスタとホイル焼きだ」
「なるほど、良い匂いがする」
部屋の中に入ると匂いが更に強く香った。

奥に入るとダイニングルームにギュンターが居た。
「手伝わないのか?」
「邪魔になるってさ。手伝うのは運ぶ時と食べる時と片付ける時だけで良いそうだ」
苦笑いしながら肩を竦めている。確かにそうだな。テーブルの上にはグラス、フォーク、ナイフ、ナプキン、取り皿の他にサラダの入った大皿が有った。残りの料理はこれから出るのだろう。

席について少しするとエーリッヒが“皆来てくれ”と声を上げた。どうやら出来上がったらしい。三人でいそいそと台所に行くと海鮮餡かけパスタの入った大皿とレバークネーデル・ズッペの入った大皿、それにホイル焼きの入ったフライパンが有った。ナイトハルトがパスタを、ギュンターがレバークネーデル・ズッペ、俺がフライパンを持つ。エーリッヒがフライパンの敷台と白ワイン、ジンジャーエールを持った。

料理を運んで席に座ると白ワインとジンジャーエールで乾杯した。
「久し振りだな、こうして四人でエーリッヒの料理を食べるのは」
「そうだな、士官学校を卒業して以来だ」
「昔を思い出すよ、良く作って貰った。士官学校の食堂の料理よりも美味かった」
「お褒め頂き恐悦至極、まあ今日はゆっくりやろう」
四人で料理を取り始めた。俺はサラダ、ギュンターはホイル焼き、ナイトハルトはパスタ、そしてエーリッヒはレバークネーデル・ズッペを取り皿に分けた。

うん、このピクルスとソーセージのサラダは美味い。ピクルスの酸味がソーセージと合う。粉チーズが美味い、ムラサキ玉ねぎもいける。ワインに合うな。
「このサラダ、美味いな。ドレッシングは何を使っているんだ?」
「白ワインビネガーとオリーブオイル、それに塩コショウだ」
「なるほど」
結構簡単に作れそうだ、そう思っているとギュンターが“俺もサラダを貰おう”と言って新しい取り皿にサラダを取った。一口食べて“うん、美味い”と言う。ナイトハルトはパスタに夢中だ。唸りながら食べている。俺もパスタを食べたくなった。取り皿にパスタを取った。一口食べる、海鮮の餡が、キクラゲがう、美味い!

「フェルデベルトとエンメルマンは如何だ?」
訊ねるとエーリッヒが“嫌な事を訊くな”と顔を顰めた。
「私が近付くと直立不動になって固まるよ」
「本当か?」
「本当だ。卿らの言う通りだ。私は怖がられていたらしい。不愉快な事実だが認めざるを得ない」
ギュンター、ナイトハルトと顔を見合わせた。二人とも肩を竦めている。

「ところで、今日俺達を呼んだのは何のためだ?」
ギュンターがサラダを頬張りながら訊ねるとエーリッヒが肩を竦めた。
「偶には皆で食事をと思ったんだ。ゼーアドラーだと周囲の眼が煩いからね」
「本当か?」
「嘘だ、ちょっと相談したい事が有ってね。まあ話は食事が済んでからにしよう」
やれやれ、久しぶりに飯を喰おうと言うから来てみたがやはり裏が有ったか。まあ良い、次はホイル焼きだ。キノコの出汁が、ソーセージの肉汁が……、堪らん!

話しが始まったのは食事が済み紅茶を飲みながらだった。
「アントン、ブラウンシュバイク公に会いたいんだが」
思わずエーリッヒをまじまじと見た。冗談で言っているわけでは無いらしい。しかしナイトハルトとギュンターの前でそれを言うとは……。

「内密にか」
「まあそういう事になる。周りに知られると煩いからね」
「おいおい、俺やナイトハルトは良いのか?」
ギュンターの言葉にエーリッヒが“うん”と頷いた。
「卿らは良いんだ。私を危険視してないから」
「俺は卿を監視しているんだぞ」
「監視じゃなくて心配しているんだって分かっているよ」
ギュンターが肩を竦めて天を仰いだ。困った奴、そう思っているだろう。

「会って何を話すんだ?」
「……これからの事かな。ブラウンシュバイク公が現状を如何見ているのか、そしてこれからの事を如何見ているのか、その辺りを話したいんだ」
これからの事か、露骨には言わないが皇帝陛下崩御後の事だろうな。

「正直に言うよ。私は士官学校の校長になった時、ホッとした。軍の統制を維持するには処分を受けるのが至当で有ったしローエングラム伯が指揮権の一件で私を恨んでいるのも分かっていた。処分を受ければ伯も已むを得なかったのだと考えるだろうと思ったという事も有る」
エーリッヒは憂鬱そうな表情をしている。

「卿らは認識が甘いというかもしれない。だが私は士官学校の校長になった事で軍中央とは縁が切れたと思ったんだ」
ギュンターが溜息を吐いた。俺も吐きたい、なんでそう思うんだ? ナイトハルトは首を横に振っているぞ。
「だが状況は悪化した。まさかレポートの所為でこんな事になるとは思わなかったよ」
「官舎の外に居る連中か?」
問い掛けるとエーリッヒが頷いた。この官舎に入る前に二人の軍人に誰何された。

「私の身辺警護をしている。四交代制で常時四人が私に張り付いているんだ。軍務尚書は私を敵視する人間から守るためだと言ったよ。リューネブルク大将の所から選んだみたいだ」
今度は本当に溜息が出た。
「憲兵隊、情報部、それに装甲擲弾兵から身辺警護か」
俺の言葉にギュンターが“それだけじゃない”と言った。
「最近じゃ内務省もエーリッヒに関心が有る様だ。社会秩序維持局がエーリッヒを監視している」
気が付けば頭を振っていた。前代未聞だ。

「まあ確かに貴族達は危険かもしれない。カストロプの一件でエーリッヒを声高に非難する声は消えた。だがそれは怯えからだ。連中はカストロプ公爵家は帝国政府に潰されたと見ている。それにエーリッヒが絡んでいると見ているよ。レポートにはカストロプ公爵家の取り潰しが記されていたんじゃないかとね。怯えから暴発という事は十分に有り得るな」
エーリッヒが溜息を吐いた。

「私は反乱鎮圧の作戦は立案した。しかしね、それはマクシミリアンが反乱を起こす、フェザーンがそれを利用するかもしれないと考えたからだよ。カストロプ公爵家を潰す事を考えたのはリヒテンラーデ侯だと思う。私じゃない」
不本意そうだがフェザーンが関与すると想定すること自体、鋭すぎるだろう。おまけにアルテミスの首飾りが使われると考える等普通じゃない。周囲がエーリッヒを畏れるのは已むを得ない。

「統帥本部も危ないぞ」
「統帥本部? どういう事だ、ギュンター」
俺が問うとギュンターが“ロタール作戦部長だ”と言った。
「エーリッヒに作戦部長の椅子を奪われるんじゃないかとピリピリしているらしい。何かと比較されて肩身の狭い思いをしているとも聞いている。時々ヘルトリング情報部長と話し込んでいるらしい。情報源は情報部の人間だ、信憑性は高いな」
エーリッヒが“勘弁して欲しいよ”と言って溜息を吐いた。

「ナイトハルト、ローエングラム伯は如何なんだ?」
俺が問うとナイトハルトが顔を顰めた。
「控えめに言っても最悪だ。カストロプの一件で伯はエーリッヒに恥をかかされたと不満を漏らしているよ。軍務尚書に副司令長官としての自覚が足りないと叱責された事が周囲に広まったからな。特に十年後はエーリッヒが副司令長官になるという噂にピリピリしている」
エーリッヒがまた溜息を吐いた。

「ローエングラム伯がカストロプ討伐を願い出るなんて思わなかった。貴族の反乱なんだ、いきなり正規艦隊を動かすなんて有り得ないだろう」
「しかしアルテミスの首飾りが有った。願い出ても可笑しくは無いんじゃないか」
俺が問い掛けるとエーリッヒが首を振った。

「カストロプ討伐を願い出るのは討伐隊が失敗してからで良かったんだ。それなら軍務尚書も反対は出来なかった筈だ。アルテミスの首飾りの情報も入ってくる。攻略法を検討してから願い出ても遅くは無いんだ。攻略出来れば正規艦隊の精強さを皆に示す事が出来ただろう」
実際には討伐隊は鎮圧に成功した。だがローエングラム伯が討伐を願い出なければ軍務尚書に叱責もされず評価を下げる事も無かったという事か……。

「かなり焦っている。悪い方へと進んでいるよ。若いんだから焦る事は無いんだが……」
「……」
「この状況で内乱が起きればどうなると思う……」
エーリッヒが俺達を見た。
「貴族達が勝てば卿は殺されるな」
「甘いな、アントン」
エーリッヒが冷笑を浮かべている。

「貴族達が勝つ事は無い、ローエングラム伯が勝つだろう。だがその時はゴールデンバウム王朝は終わる」
シンとした。
「クーデターか?」
ギュンターが問うとエーリッヒが頷いた。
「千載一遇の機会だ。宇宙艦隊を率いて貴族達を滅ぼす、返す刀でリヒテンラーデ侯、帝国軍三長官を倒し実権を握ろうとするだろう。後は簒奪まで一直線だ」
ギュンター、ナイトハルトと視線を合わせた。有り得るだろうか?

「その時は私も殺されるだろうな」
「しかし宇宙艦隊の司令官達はローエングラム伯よりも卿に心服しているだろう」
ギュンターの言葉にナイトハルトが頷いた。
「帝国軍三長官の懐刀を生かしておくと思うか? それにローエングラム伯の意のままに動く人間が居ないとでも?」
またギュンター、ナイトハルトと視線を合わせた。二人とも難しい顔をしている。

「卿の懸念は分かった。俺も正直に言う、内乱が起きるのは危険だと公は考えている。俺も同感だ。その点では利害は一致するだろう。話し合いの中で何か生まれるかもしれない。公に提案してみよう」
「有難う、助かるよ」
ギュンター、ナイトハルトに視線を向けた。二人とも頷く。まあこれで二人の協力は得られるだろう。



帝国暦487年 12月 5日 オーディン   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



三人が帰った。十二月か、もう遅いかな? 原作ではフリードリヒ四世は死んでいる。しかしこの世界では未だ生きている。やはり原作でのフリードリヒ四世の死は自然死じゃないのかな? オーベルシュタインが動いた? 良く分からんな。原作ではフリードリヒ四世の死が内乱へと繋がった。この世界でもそれが起きれば俺の命は危ういだろう。

人間何時かは死ぬ。フリードリヒ四世の死は避けられない物として考えるべきだ。となれば問題は内乱を起こさせないためには如何するかだ。そこを考えるべきだろう。或いは内乱が起きてもそれがラインハルトの覇権に繋がらないようにする。そんな手が有るのか……。

内乱が起きた理由は後継者問題だ。エルウィン・ヨーゼフ二世には後ろ盾が無くエリザベート・フォン・ブラウシュバイク、サビーネ・フォン・リッテンハイムには後ろ盾が有った。それが理由だ。となればその二人が後継者レースから降りてしまえば内乱は起きない。貴族達も求心力を失いバラバラになるだろう。

そんな上手い手が有るか? ……有るなあ。あの二人は遺伝子に問題を抱えている。エリザベート、サビーネが女帝になればゴールデンバウム王朝は女帝が続くだろう。当然だが皆が首を傾げるに違いない。そして遺伝子に問題が有るとなればその責任はブラウシュバイク、リッテンハイムの責任になる。それを突けば両家は降りる可能性は有る。しかしその時はブラウシュバイク、リッテンハイムが俺を殺そうとするかもしれない。イチかバチかの手だな、気が進まん。

他に手が無いかな? 内乱が起きない可能性は無いのだろうか? 原作ではリヒテンラーデ侯とラインハルトが手を組んだ事で貴族達が反発した。しかしこの世界ではリヒテンラーデ侯と帝国軍三長官が組む事になるだろう。反発は少ないんじゃないだろうか。それに原作ではシュターデン等の反ラインハルト派の軍人が貴族連合に加わった。だがこの世界ではそれは少ない筈だ。となれば自重する? 可能性は薄いな。例え自重しても唆す奴が居るだろう。

いや、待てよ? フェザーンはイゼルローンに続き今回のカストロプでも失敗した。となればフェザーンがフリードリヒ四世の命を狙うという事も有るんじゃないだろうか? フリードリヒ四世を暗殺し貴族達を煽り内乱を起こさせる。その時に同盟を唆しイゼルローン要塞攻略戦を行わせる……。

……まさかな、原作でのフリードリヒ四世の暗殺はフェザーンが犯人なのか? 帝国領侵攻で同盟の大敗北は見えていた。となれば次は帝国を混乱させ国力を低下させるべきと考えた? だから内乱の引き金になるフリードリヒ四世の暗殺を行った。だがラインハルトが覇権を握り帝国は再生した。確か原作では地球教がルビンスキーの動きが悪いと憤慨していた筈だ。だが悪かったのではなく想定外だったとしたら? ……可能性は有るな。

如何する? フリードリヒ四世の暗殺、可能性は有る。フェザーンはもう動いているかもしれない。となれば……、レポートなんて言ってる場合じゃないな。軍務尚書、いやリヒテンラーデ侯だ。直接会う、そこで話そう。陰謀爺にとってもフリードリヒ四世の死は痛手の筈、つまり俺と爺は利害関係が一致するわけだ。急ごう! 二十一時、未だ寝ては居ない筈だ。



帝国暦487年 12月 5日 オーディン  新無憂宮 クラウス・フォン・リヒテンラーデ



「御屋敷に連絡した所、未だこちらだと伺いましたので」
ヴァレンシュタインが護衛付きで執務室にまで押しかけて来た。明日には大騒ぎになっておろう。宮中の雀共が煩く囀るに違いない。嫌な予感がした、ヴァレンシュタインの顔には緊張が有る。血圧が……。

「急用だと聞いた。用件を申せ」
「はっ、杞憂かもしれませぬ。……陛下の御命が危のうございます」
護衛達が顔を強張らせた。私も強張っているだろう。
「……どういう事だ?」
「フェザーンが帝国の混乱を願っております」
「うむ!」
唸り声が出た。いかん、数値が二十は跳ね上がった。心臓が音を立てておる。

「内乱を引き起こそうとするか」
ヴァレンシュタインが頷いた。可能性は有る。帝国を混乱させる最大の要因、後継者問題か……。イゼルローンで失敗した、貴族の反乱で失敗したとなれば……。
「宮中にフェザーンの手が伸びているというのじゃな」
「或いはこれから伸ばそうとしているのかもしれませぬ」
「有り得る事よ」
そこまでやるかという思いも有る。だがカストロプにフェザーンが関与していた。フェザーンも帝国がその事を知ったと判断している筈。となれば帝国の報復を避けるためにも陛下を暗殺し内乱を起こさせようとするかもしれぬ。いや、それだけでは無い。内務省に調べさせているフェザーンが接触した貴族達、あの者共が動く可能性もある。ヴァレンシュタインの危惧を杞憂とは笑えぬ。

「如何する?」
「この宮中にて仕える者を全て調べる必要がございます」
「暴発するぞ、却って陛下の御命が危ない」
「陛下には新無憂宮を離れて頂きましょう」
「……何処へ御移り頂く」
「ブラウンシュバイク公爵邸、リッテンハイム侯爵邸に」
「……」
両家とも陛下の女婿、妥当な選択では有るが……。ヴァレンシュタインが笑みを浮かべた。如何して笑えるのだ!

「両家とも細心の注意を払って陛下をお守りしてくれましょう。万一の時は後継者争いからは脱落する事になります」
「なるほど、そうじゃな。これから陛下の下に参る。卿も同道せよ」
「はっ」
急がねばならん、陛下が危ない。小走りに急ぐと後ろからヴァレンシュタインが付いて来た。護衛も一緒に。この連中、血圧は大丈夫だろうな。