憑依先の悪役将軍の立ち回りが地獄過ぎる件 作:Mind β
再び迎賓室の扉を開いた瞬間、空気が張り詰めているのがわかった。
ステンドグラスの色が、まるで冷え切った空気に吸い取られていた。
その中心に、二つの影が寄り添っていた。
ナギサはミカを抱えるようにして座り込み、
ミカは肩を震わせながら、細い指で涙を拭うことすらできずにいた。
俺が戻ったことに、二人ともすぐには気づかなかった。
「……戻られたのですね」
最初に声を出したのはナギサだった。泣き腫らした目のまま、それでもホストとしての礼を崩すまいと姿勢だけは正そうとする。
しかし腕は震え、体を支えるのに必死だ。
「すみません……今、立とうとすると……少し、呼吸が……」
「そのままで大丈夫です」
俺は制帽を外し、テーブルの上に静かに置いた。
軍人ではなく、ただの一人間として話すために。
ミカも、かすかに顔を上げた。
怯えた小動物のような、追い詰められた目だった。
「……ひどいよ……あなたまで、怒ってるなら……もう……帰って……いいから……」
その声は弱く、掠れ、もう限界だった。
俺は短く間を置いてから言った。
「怒ってはいません。少なくとも貴方に対しては」
ミカの震えが僅かに止まる。
「さっきのことは……」
「すべて、私の責任です」
言葉を遮るように言う。
「部下の不始末も、場の空気を制御できなかったのも。貴方たちを追い詰めるつもりはありませんでした。あれは、外交としての必要最低限でしたが……感情を潰したまま押しつけるべきではなかった」
ナギサが目を見開く。
「ですが……あなたは交渉で……」
「交渉は終わりました。今は別の話です」
俺はゆっくり二人の正面に腰を下ろした。
ミカは怯えたままこちらを見ている。
ナギサはまだ呼吸が浅く、ミカの背を支えたまま震えていた。
「まず聞きたいことがあります。どちらも、勘違いしたままではいけない」
俺はテーブルの上で指を組み、穏やかな声で続ける。
「……ミカ嬢。貴方にも一つだけ、確認したいことがあります」
その言葉に、ミカの体がぴくりと跳ねる。
「や、やだ……もう……言わないで……お願い……」
「違います。その件ではない」
俺は首を横に振った。
「ミカ嬢が、まだ何に怯えているのか……その本当の理由を知りたいのです」
ミカの呼吸が、ひとつ、乱れる。
「……本当の、理由……?」
「はい。コウエンの言葉で震えていたのは、裏切り者と呼ばれたからではない――貴方が一番恐れているのは、別のことでは?」
ミカの目が、わずかに揺らぐ。
ナギサもまた、その言葉にハッとしたようにミカを見つめた。
「ミカさん……本当に、あなたが恐れているのは……?」
ミカは唇を噛み、耐えようとするが耐えきれなかった。
膝の上に置いた手が握り締められ、肩が震え、そして――
「……私が……殺した……んだよ……っ」
その声は、泣き声というより、悲鳴に近かった。
「セイアちゃんは……私が……アリウスに教えたから……っ!! 私のせいで……死んじゃって……! みんな私のせいで……っ、全部……!」
ナギサの顔色が、蒼白に近いほど変わる。
「……ミカさん……あなた……そんな……」
「私ね、最初は……ほんとにちょっとした嫌がらせのつもりだったの……! なのに……! あんな……! 私……人を殺したんだよ……? ねぇ、どうしたら……どうやって……生きていけば……!」
ミカはナギサの胸元に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。
ナギサは震える手でミカを抱きしめる。
ミカの顔には別の苦悩があった。
彼女は、真実を胸に抱えたまま限界だったのだ。
そして――その限界が今、溢れた。
「……ミカさん……」
ナギサの声は、泣き声と紙一重だった。
「ミカさん。あなたが……あなたが背負っているその苦しみ……それは、誤解です」
ミカの涙の音が止まった。
「……え……?」
ナギサはミカの手を握り、震える声で続ける。
「セイアさんは……生きています」
迎賓室の空気が、一瞬で変わった。
ミカの瞳が大きく開き、呼吸が止まる。
「……え……? だ、だって……ヘイローが……壊れたって……」
「確かに彼女は重傷でした。けれど……死んではいません。安全のため、死亡を偽装し救護騎士団に匿われているだけです」
ミカの口から、息とも泣き声ともつかない音が漏れた。
「……生きてる……? セイアちゃんが……? 本当に……?」
ナギサは涙を堪えながら、ミカの肩に額を預ける。
「ええ……本当です。あなたが背負ってきたその罪は……あなた一人のものではありません……あなたは……殺してなんていない……」
ミカは震え、何度も何度も首を振った。
「……じゃあ……私……人殺しじゃ……ない……? 本当に……?」
その問は、子供が縋るような弱々しい声だった。
それにナギサが答える。
「ええ。ご安心ください」
その瞬間、ミカは膝の上に顔を伏せ、しゃくり上げた。
「……よかった……生きてて……」
その安堵に満ちた呟きを聞いたところで、俺は立ち上がった。
そして――その場の空気を変えるため、あえて少し冷たい声音を選んだ。
「――ですが、ミカ嬢」
ミカの体がぴたりと止まる。
「セイア嬢が生きていたのは結果論です。貴方の罪が消えたわけではありません」
ミカはゆっくり顔を上げる。
その瞳には、希望と恐怖が混ざっていた。
「……っ」
「裏切りは罪です。動機が善意でも、意図がなくても、責任は発生します。貴方の軽率な行動は、トリニティの安全保障を揺るがせた。当然、我々カイザーにもいずれ被害が出ていたかもしれません。セイア嬢が死ななかったのは……ただの幸運にすぎなかったかも」
ナギサもミカも、一言も返せなかった。
だから続ける。
「キヴォトスは子供が政治を行い、子供が軍事を担う世界。だからこそ――子供だから責任が免除されることはありません」
「……じゃあ……私は……どうすれば……」
ミカは震える声で言った。ミカの視線が俺を恐れるように上がる。責任を突きつけられた子供の目だった。
「――償うんです」
ミカが瞬きをする。
「罪をなかったことにする方法はありません。ですが、罪を相殺することはできます。そしてそれは、今の貴方にしかできません」
「……私に……?」
「貴方は裏切りで誰かを傷つけた。なら次は――裏切りではなく誰かを守る選択をすればいい」
ミカの呼吸が少しだけ落ち着く。
「キヴォトスでは、大人は子供の代わりに責任を背負ってくれない。ですが――挽回しようとする子供に手を差し伸べる力はあります」
その言葉に、ミカの目から涙がまた一滴落ちる。
「……そんな……そんなの……許されるの……?」
「許すかどうかはトリニティ次第、許される可能性のある未来はまだ残っています。ただし、それは逃げないと決めた場合だけですが」
「逃げない……」
「ミカ嬢は若い。若さにはやり直しが利くという特権がある。幸いにも貴方は最後の一線は越えることがなかった。その特権を捨てるも、掴むも、貴方次第です」
ミカは唇を噛み、震える声を出した。
「……私……償えるかな……やり直せるのかな……ナギちゃんのことも……セイアのことも……」
俺は静かに首を横に振る。
「償えるかどうかなど分かりません。やり直せる保証も。それを肯定するほど私は貴方の人生に責任を持てませんから。ですが――やり直そうとする姿勢がある者を切り捨てるほど、私もトリニティも狭量ではありません」
ミカはついに堰を切ったように涙を落とした。
「……ナギちゃん……私……やり直したい……間違えたくない……もう、誰も……傷つけたくない……」
ナギサはそっとミカを抱き寄せた。
「ええ……ええ、ミカさん……その言葉が聞ければ……十分です……!」
ミカがナギサに縋るように泣き、
ナギサはまるで壊れ物を抱えるように優しい手つきで彼女を支えた。
その光景を見て、俺は静かに帽子を取り、深く頭を下げる。ステンドグラスの色が、先ほどとは違う柔らかさで二人を照らしていた。
(一先ず、ミカはこれで大丈夫そうだな)
俺はそのまま、話題を戻すように言う。
「共同作戦の件については、後程またお伺いします。色良い返事を期待していますよ」
一応、この会談はそれを取り決めにきたのだ。予想外のことがあったとはいえ、それを有耶無耶にしてはいけない。
と、その時。ナギサが食い気味に言った。
「いえ、この場で決めさせて頂きます。トリニティ総合学園は限定的に、カイザー・コーポレーションへ協力することに合意します」
「……宜しいのですか?」
あっさりと宣言されたことに俺が目を白黒させ、そう質問すると、ナギサとミカは静かに頷いた。
「分かりました。それでは、作戦の内容等については後日通達致します。本日は失礼致しました」
⬜︎
会談は、静かに幕を閉じた。
ミカは涙の跡を残したまま、それでもナギサに支えられ、ゆっくりと立ち上がった。二人の影がステンドグラスの光の中で重なり、少し前とは違う色に見えた。
俺は制帽を被り、軽く会釈をしてから迎賓室を後にした。
扉が背後で音を立てて閉まる。廊下には、会談前とは違う温度が漂っていた。荒れていた空気が、どこか落ち着きを取り戻しているように感じる。
――その時だった。
「将軍。……少し、お時間をいただけますか?」
振り返ると、ナギサが一人で立っていた。
ミカの姿はない。恐らく部屋で休ませているのだろう。
ナギサは、深く礼をした。
「先程は……本当に、ありがとうございました。あなたがいてくださらなければ……ミカさんは――」
「礼は不要です」
俺は手で軽く制した。
「本来なら、我々の作戦の余波で追い詰められた二人。助けたというより……責任の一部を取りに戻っただけです」
ナギサは小さく首を振る。
「いいえ。あなたは……事実を突きつけたあとで、あの子の心が壊れないように……救ってくださいました。言葉の選び方や、距離の取り方……あなたのような大人の方が、キヴォトスにもっと居てくれたら――」
そこで言葉が途切れる。
ナギサの瞳には、深い影があった。
政治の表舞台に立ってきた少女の、重すぎる影。
俺は静かに問いかける。
「……ナギサ嬢。貴方は今、何に怯えているのですか?」
ナギサの肩が、ぴくりと揺れた。
「怯えて……など……」
「嘘ですね。貴方も何かに酷く怯えているように見える」
ナギサは目を逸らす。
でも、その指先はわずかに震えていた。
俺は続けた。
「貴方はずっと正しい選択をしようとしてきた。そのためなら、自分の心を犠牲にしても構わないとさえ思っている。ですが――」
俺は一歩、彼女に近づいた。
「貴方はまだ、ただの学生だ。学園一つの行く末を全て背負う必要はありません」
ナギサの呼吸が、かすかに乱れる。
「……ですが、私は……ホストで……トリニティの代表で……もし私が弱れば、条約も……平和も……全て……」
「無論、無責任でいろと言うわけではありません。子供とはいえ、キヴォトスの政治形態では子供がその責任の全てを負うもの。ミカ嬢の件然り、子供だからといって責任が発生しないわけではありませんが、貴方が壊れたら和平以前にトリニティが持たない」
その一言で、ナギサの強張った表情がふっと揺らいだ。
彼女は、泣くことすら許されない顔をしていた。
責任と使命感で自分を吊り上げ続けた少女の限界が、そこにあった。
「……私は……ずっと……」
「孤独だった、と?」
ナギサの瞳に光が宿り、そのまま溢れた。
「……はい……誰も信じられなくなって……何が正しいのかも、わからなくなって……ミカさんのことも、ヒフミさんのことも……友人を疑いたくなくて……でも疑って……私……私は……最低の――」
「最低でも無能でもありませんよ。追い詰められた精神状態で、そうなることは至極当然。誰が敵で誰が味方かも分からない状況で、他人を信じ切れというほうが無理がある」
ナギサは涙を拭うことも忘れたまま、その場に立ち尽くしていた。
俺は制帽を軽く脇に抱え、静かに言った。
「ナギサ嬢の事をよく知っている訳ではありませんが、断言しましょう。貴方は誰よりもよくやっている。ですが、限界まで全てを抱え込むことが仕事ではありません。政治とは、一人で戦うものではない」
「でも……私は……間違えてばかりで……」
「間違えたなら修正すればいい。間違えた自分を未来永劫吊るす必要はありません」
ナギサは口元を震わせた。
「……そんな風に……言ってもらえたのは、初めてです……」
「私も似たようなものですので。ナギサ嬢ほどではありませんが……」
ナギサは小さく笑った。
泣き笑いだったが、それでも少しだけ色を取り戻した笑みだった。
「将軍……あなたは……なぜ、そこまで私たちに……」
「簡単な話ですよ」
俺は視線を迎賓室の扉へ向けた。
「貴方たちはまだ若い。若い者が、自分の失敗を取り返しのつかない罪だと思い込んで潰れていくのを……私は見たくない。キヴォトスには、責任と罪を履き違えている人間が多すぎますから」
ナギサは目を伏せた。
彼女の涙が、床に一滴落ちる。
「……ありがとうございます……あなたに今日会えて……本当に……救われました……」
「こんな悪徳企業の人間に礼は不要ですよ。そんなことよりも、今はミカ嬢のそばに戻ってあげて下さい。彼女には貴方が必要です」
俺がそう言うと、ナギサは深く頷き、もう一度強く礼をした。
これで一件落着か。そう思い踵を返そうとした時、廊下の奥の扉が開いた。
「………あ」
"ぁ、え、えっと……"
(し、シャーレの先生!? 何故ここに……!?)
ついに先生登場です