私はきっと、悪い大人だ。
「…………………………えっと」
「何も言わないで」
「とは言われても」
「何も、言わないで」
「えぇ……?」
こんな高校生の男に。大人だというのにだらしなく身体を預け、ただの女の子かのように心臓を跳ねさせているなんて。
彼からしたら、良い歳をした大人がと思うだろう。
でも、と。あのダンボールの中で彼を見つけて、わずか一ヶ月を一緒に過ごした記憶が蘇る。
「やっと見つけた」
「捜索願いでも出されてたんですか俺」
「私が出してた」
「出してたのかよ」
「うん」
「俺は犬ですか」
「どっちかって言うと私かも」
すん、と鼻を鳴らす。
胸元に逃さんと抱いた彼の匂いは、久々に嗅いだけれどやはり煙草とバニラが混じったような高校生が滲ませる匂いでは無くて。
思いっきり、深呼吸する。
「……志麻さん」
「なに」
「側から見たら高校生吸ってる成人女性の図ですけど」
「世間体なんて気にしない」
「気にしろよ」
「私、いつまでも待つから」
「何を??」
「大丈夫、君しか見ないよ。見てないよ。これまでも、これからも」
「何が???」
「だから、今は」
今だけは。
「…………見ない内に甘えん坊になった?」
「元からこんなだけど」
「そう?もっと、しっかりしてた気がするけど」
「多分それ違う人」
「そんな事無い、と思うけどなぁ」
「絶対違う」
「はいはい」
ぽんぽん、と頭を撫でられる度に頭の奥から甘い何かが分泌されるのを感じる。
きっと犬や猫が撫でられて目を細めるのは、こうして誰かに撫でられた時のこの感覚が好ましいものだからだろう。現に私も、きっと人には見せられないような顔をしているだろう。
彼を胸に抱いていた筈が、いつの間にか抱かれていて。
ああ、やっぱり。私は────────
「………………ねー、いつまで街のど真ん中で抱き合ってるの?」
「黙れ廣井今良いとこなんだよ殺すぞ」
「!?????志麻が過去一酷い暴言を!???!!!」
──────一度、廣井を殺しておいた後。
「ひっさびさだねえ、少年」
「そうですね。今日も酒臭いですね、近寄らないで下さい」
「今ちょっと酔いが覚めかけてるからあんま強い言葉使わないで貰って良いかな。死ぬから」
「気にしないで。コイツは死んだ方がいい」
「志麻、その子に膝枕されながらそんな事言わないでくれる?」
「この子が居るのに甘えない方がおかしいから」
「キミ達どんな関係なの????」
「…………友人?」
「私はペットでも何でも」
「えぇ……」
「……こんな事言う志麻初めて見たよ」
彼の匂いに包まれながら、彼の膝で横になる私に目を丸くする廣井はやはり後で改めて殺そうかと思う。
とは言え、普段の私とのギャップで驚きはするだろうが、そんな酔いが覚める程だろうか。そこまで違う訳でもない。
ただ、普段気を張っていて、今は気を抜いているだけ。
「志麻ぁ、高校生男子に甘えちゃうくらい追い込まれてるなら私に言いなよぉ?」
「は?」
「えっこわ。全部酔い覚めちゃった」
慌てて懐から取り出した鬼ころしを酸素ボンベのようにぢゅーーーと吸い、ぷはっと助かったような廣井を尻目に瞼を閉じる。
等間隔で撫でられる感覚が心地良い。まるで撫で慣れているかのような力加減とテンポに、また頭から幸せホルモンが分泌される。
彼はペットでも飼っていたのだろうか。いや、もしくは。
「……ねえ」
「ん?」
「私、何番目でもいいよ」
「えっ」
「迷惑は掛けないから、たまにこうして」
「ねえ廣井さんこの人っていつもこんな感じなんですか」
「全然違うよー、ほんとに、あとその、ちょっと鬼ころ入れ直してるから待っててね?あと二本、いや五本くらい、やっぱもうちょい……」
「未成年の前で酒に逃げるのは終わってると思いますよ廣井さん」
「酒に逃げれるのは大人の特権だよー?未成年喫煙くん」
「ぐう」
「ぐうの音出てら!」
がははと笑う廣井のうるささに瞼を開いて、名残惜しさと共に身体を起こす。
「久しぶり」
「…………うん。久しぶり」
ああ、変わってない。とその笑顔に安堵を覚える。
たった一か月。されど一か月。
その一緒に居た時間は長いようで短くて、短くて長い程に私に濃い思い出を作ってくれた。
「元気だった?」
「うん」
「良かった」
「君は?」
「……まあ、程々に?」
「そう、良かった」
しっとりと、彼の手をなぞり上げる。
「一人暮らししてたんだ」
「言ってませんでしたっけ」
「言ってなかったよ。そろそろお暇する、って言ったっきり」
「連絡先も交換とかしてませんでしたしね」
「君、携帯無くなってからそのままだったもんね」
「確かに」
ぴくり、と跳ねる感触を楽しみながら肩に頭を預ける。
「ギター、いっぱい置いてるね」
「友達が此処に置きに来るんです」
「何で?」
「家じゃ置ききれないから、無駄に広いウチなら置けるだろって事で」
「へえ。弾いたりするの?」
「ん……まあ、最近は」
「そっか。今度聞かせてよ」
「えー……」
「何。嫌なの?」
「別に、見せる程のアレじゃないので」
「いいの」
「何で?」
「私が聞きたいから」
「……そうですか」
「いやあのごめん」
「あ?」
「肩の上で低い声出さないで怖いから」
廣井が私と彼との穏やかで楽しい会話タイムを邪魔した事に苛立つ。
思わず低い声を出してしまったが、彼の前ではあまり出した事の無かった声だったからか驚かせてしまったらしい。
落ち着かせるようにそわりと太腿を撫でれば、びくりと彼がまた跳ねる。可愛い。
「私が居るのにそんなにイチャイチャムードをぶつけないでくれるかな?」
「其処に居るのが悪いだろ」
「いやいや、私と一緒にお邪魔してるんじゃんこの子の家に」
「私が誘われたんだよ」
「私もだって。……え、そうだよね?」
「はい」
「ほらー!」
「でも本当はすぐ帰って欲しいよね?」
「え」
「ほら」
「何がほらなの??」
わからない、私は志摩の事を分かっていると思っていたのに……と呟きながら酒をまた煽る廣井を尻目に、彼の温もりを堪能する。
ああ、やっぱり居心地が良い。彼の懐は何故こんなにも心地良いのだろう。
平静を保っている顔をしているのに、触れられ慣れていない初心なところが見え隠れするのも良い。可愛らしい。
「ねーねー、さっきギターやってるって言ったじゃん?」
「え、はい」
「前会った時、やるつもりは無いみたいな事言ってなかったっけ?」
「…………そうでしたっけ」
「あれ?違うっけ?」
「いや、言った事もあるような、無いような」
「えー?絶対言ったよー!ねえ志摩?」
「そんな事より連絡先交換しよ」
「あ、はい」
「そんな事!??」
廣井の戯言を流しながらトークアプリの連絡先を彼とぴろんと交換する。
少しして、『江島紫苑』という名前の初期アイコンの友達が追加され、確認するようにスタンプが送られてくる。アプリの初期にダウンロードされている、デフォルトのスタンプで「Hi!」と手を掲げる人のようなものが挨拶しているものに、私は犬が尻尾を振っているスタンプを送り返す。
既読がつき、『犬かわいい』とぱっと返ってきて、『可愛いでしょ』と返し、たぷたぷとスマホでお互いに軽く会話を続ける。
「え、私は放置して二人でスマホで会話?ねえ、酷くない?ハブじゃん、ハブ酒じゃん」
「は?」
「ちょっとわかんないです廣井さん」
「あんまり強い言葉使わないでね、ほんとに、傷つくから」
「勝手に傷ついとけ」
温もりと彼からのメッセージを堪能しながら、肩により体重を掛ける。
彼の髪が揺れるとまた香るのは煙草とバニラの匂い。一ヶ月で私の鼻と脳、何より心に染み付いてしまったそれは漂ってくる度に不思議と目からトロンと力が抜けてしまう。
たかが高校生、されど高校生。心の奥底に辛うじて残る理性が手綱を握ろうとするのを、優しく振り解く。
『ねえ』
『なんですか』
呼び掛ければ応えが来る。その当たり前に、どば、と頭の奥から身体の下まで何かが溢れる。
『また会お』
『いいですよ』
『今度は二人で』
『廣井さんも一緒でいいですよ』
『やだ』
『なんで』
『甘えられないじゃん』
『今のこれはじゃあ何なんですか』
『じゃれつき』
『犬ですか』
少し呆れたような吐息。
『犬でいいよ』
『随分大きなわんちゃんですね』
『わん』
『かわいい』
「…………そーですか、二人はそうやって私を放置するんだ、へー、そーですか……」
「ごめんなさい廣井さん、酒臭くてつい」
「酒臭いと放置するんだ!?それは酒カス差別だぞぉ!少年!」
「未成年なんでちょっとよくわかんないです」
「煙草を吸う未成年がよく言うよ!」
「ちょっとわかんないです」
スマホを置いて、廣井に構い始める彼に胸が少し揺れる。
廣井程度に構うのも彼の優しさだが、とはいえ二人でお邪魔したのだから三人で会話をすると言うのもまあ当然の話ではある。そう理解はしているが、折角会えた彼との時間を廣井にも奪われるのは納得出来ない。
私は悪い大人だ。こんな高校生に、独占欲に似た何かどろりとした感情を抱いてしまうなんて。
「てかさー、さっきも言ったけどギター弾いてるとこ見せてよー!」
「ええ、廣井さんにはなんか嫌です」
「なんで!?ねえ、もしかして少年って私の事嫌い!?」
「いや、まあ、どちらかいえば苦手というか」
「苦手!??こんなに可愛くて明るくて優しいお姉さんが!!?!」
「いやまあうるさいし」
「なんだとー!!?いいからギター弾けー!!」
…………たぷたぷ、と文章を作って。送る。
「────うぇ」
ぶ、と震えた携帯に反応して通知を見た彼が固まる。その反応で、私は心の中のどろりとしたものが少し薄まるのを感じた。
彼が浅く溜息を吐いて、じと、とこちらを見る。
嗜められているような、叱られているような。そんな目ですら、私の口の端が微かに緩んでしまうには十分なもので、またどろりとしたものが濃くなるのを感じた。
「んぁ?どったの?」
「いや……」
彼は首を傾げた廣井の質問に、首を振って。
「…………まあ。また、今度ですよ」
囁くように、そう答えた彼に廣井は喜んで、私は笑った。