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シャニマスは私を裏切るな ― 元Pの記録


はじめに:

私は、シャニマスが大好きだった。

あのコロナ禍のころ、まだ高校生だった。
リモート授業になって、教室に行くこともほとんどなくて、画面越しの声だけ聞いているような毎日。授業と授業の合間や、放課後になってもどこかに遊びに行けるわけでもない。とにかく、時間だけはやたらと余っていた。

そのとき、なんとなく見つけたのがシャニマスだった。
それまでアイマスというコンテンツの存在は知っていたけれど、ちゃんと触れたのはこれが初めてだった。音ゲーとか苦手だし、そういうゲームじゃなさそうなこれ、ちょっとやってみっか!
私にとっての「アイマスの入り口」は、まさにこのゲームだった。

最初は軽い気持ちで始めたはずなのに、気づけばリモート授業の合間や休憩時間、放課後のほとんどをシャニマスに使うようになっていた。
Zoomのタブを閉じて、ブラウザでシャニマスを開く。画面の向こうで動くアイドルたちのコミュを読みながら、W.I.N.G.優勝に四苦八苦し、始めて担当アイドルを優勝させたとき、物語に引き込まれて戻れなくなった。

そうやって、息苦しい現実のすき間を埋めてくれたのが、あの頃のシャニマスだった。「面白かった」という過去形を使わざるを得ないこと自体が、正直いちばん悔しい。
ゲームとしても、物語としても、あそこまでハマったコンテンツはこれまでなかった。それでも、今のシャニマス/シャイニーカラーズにはどうしてもついていけない。むしろ、あの頃のシャニマスの上に、今の空気が乗っかってしまっていることに怒っている。

これは、元Pが作品をぶっ叩いてスッキリしたいだけの文章ではない。
かつて本気で好きだったコンテンツがどう変わっていき、どこで自分は降りたのか。その過程と、自分なりの怒りの理由を、ちゃんと記録しておきたいと思って引き出しを整理しながら執筆した。


1. イルミネーションスターズとノクチルに惹かれていた頃

最初にハマったのは、イルミネーションスターズだった。
精緻な感情の揺れと、爽やかで透明感のあるイラストが、「アイドルとして生きる女の子たち」をただ静かに支えていた。余計なメタも自己主張もなくて、キャラクターが前に出ている世界。

イベントコミュを読み終わったときの“読後感の爽快さ”が特に好きだった。
ユニット単位の完結型のお話がメインで、その垣根を超えるところ(いわゆる越境コミュというやつ)はまだ模索中だったと思う。だからこそ、ひとつひとつの物語がきれいに着地していた。爽やかに終わってくれるから、読み終わるたびに「ああ、いいもの読んだな」と思えた。

ノクチルは、そこからもう一段階刺さった。
ユニットの柱たる二人のやや複雑な関係性。幼なじみとしての愛と、言葉にならない暗い感情。その両方に説得力を持たせる迫真の独白と内面描写。
それでいて、画面に映っているのは“尊い日常”と、少し不安定だけど確かにそこにある青春。重くなりすぎず、でも軽くもない。その絶妙なバランスで、読むたびに胸を締めつけられながらも、でもちゃんと楽しかった。

イルミネーションスターズもノクチルも、ユニットとしての“絆”と“信頼関係”が物語の真ん中にあった。
やり取りの一つひとつに「この子たちは、お互いのことをちゃんと分かっている」という実感があって、その上で少しずつ距離が変わっていく。その変化を、コミュという“読み物”として追いかけていけるのが、本当に楽しかった。

とにかく、読み物が好きな人間なら、供給に埋もれるくらい飽きないゲームだった。
一人ひとりのストーリーを進めながら、成長させていって、大きな大会で勝たせる。その結果としてもらえるカードを、また別の対戦で使う。
中身だけ見れば「ありふれた、課金がものを言う対戦ゲーム」と言われても仕方ない構造かもしれない。でも、そこに至るまでに「このアイドルをちゃんと育ててきた」という説得力があった。だからこそ、勝っても負けても納得できた。

私にとってのシャニマスは、そういう“透明で、ちゃんと報われる世界”だった。


2. ひび割れの始まり:声優と運営への不信感

離れるきっかけになったのは、ゲーム部分の改悪ではない。(あくまで今だから言えることで、当時はゲームに対する不満もあったかも知れないが、覚えてないので書けない。)

最初に微かな曇りを抱かせたのは、コンテンツの外側――声優や運営の“振る舞い”のほうだった。

まず、某声優の浮気炎上騒動。
プライベートな問題だと言い切るにはあまりにも規模が大きく、コンテンツ全体を巻き込むレベルで燃え上がった。本当に、ありえない位大事になってしまった。見ていて一番堪えたのは、演じているキャラクターへのヘイト創作である。関係者がインターネット上でもガラの良くない一団だったこともあり、それらにコンテンツを近づける形になったと言ってもいいかもしれない。結果として、シャニマスという看板そのものに大きな傷をつけた。

次に、別の声優による、同業者や仲間内に対する目に余る暴言。
冗談で済ませられる範囲をあっさり飛び越えていて、「本気でこれを公の場で言っているのか?」とドン引きした。ファン同士で苦笑いしてスルーする、というレベルではなかった。

そして、その周辺にいる他の人たちからも、じわじわと“自我の強さ”が滲み出てきた。
自分は声優ファンではないので、そういう自己アピールをありがたがるタイプではない。むしろ、作品外でのキャラ語りや身内ノリが前面に出てくるたびに、「うるせえな」と感じていた。
作品の外で騒いでいる姿は、アイドルの物語を追いたい側からすると、正直ただの雑音でしかなかった。

本来、キャラクターと物語が主役であるはずのコンテンツに、声優と運営の“自我”が少しずつ入り込んでくる。
このあたりから、俺の中で「シャニマス」という作品と、「シャニマスを取り巻く人間たち」がだんだん分かれて見えるようになっていった。


3. 作風の暗転と、因縁ばかりが肥大化していく物語

もう一つの大きな転機は、作風そのものの変化だった。

ある時期から、芸能界のダークな部分や、人間の露悪的な感情を前面に押し出したような路線が強くなっていった。
「リアリティ」を追求したかったのだろう、という意図は察せられる。けれど、その結果生まれたのは、やたらと陰惨で、展開の遅い“因縁の物語”だった。

・永遠に続く因縁の説明
・視界の半分以上が“背景”で、キャラが画面から消えるコミュ
・「いま誰の話を読まされているのか」が分かりづらくなる構成
・難解であるものを難解であると言い切ってしまう窮屈さ

気づけば、「アイドルとして目の前にいる女の子」の物語ではなく、「制作陣が見せたい“人間の暗い部分”の実験場」「純文学ごっこ」みたいになっていた。
私はそこから、もうコミュを「理解する」ことができなくなった。

そこにさらに重なってきたのが、「刹那的な消費」の匂いだ。
かつては、ひとつひとつのコミュやイベントが、読み終わったあとにじわじわ効いてくるタイプの物語だったのに、だんだんと「その場で強いインパクトを出して終わり」「一瞬バズれば勝ち」という方向に寄っていったように感じる。

当時あまりにも心が離れていたのもあってシャニソンはリリース初期の一瞬しかやっていないのだが、3Dモデルや演出もギラつきが増し、「今、この瞬間にどれだけ目を引けるか」「どれだけ話題になれるか」が優先されているように見えてしまった。これは、私の歪んだ認知の故だろうか。
シャニソン以降の流れは、私にとってはまさにその象徴で、「ああ、これは長く味わうためのコンテンツではなく、その場その場で消費されていくタイプのゲームになってしまったんだな」と理解してしまった。

正直に言うと、「ああ、この人たちはアイドルとちゃんと向き合うことより、“リアリティ”とか“実在感”とか“人間の醜さ”を書きたいんだな」と察した瞬間に、ストンと心が離れた。
ここで、私はシャニマスから降りた。


4. 距離を置いたあとに見えた、“ライブ、演出という名の嫌がらせ”

そこから先のストーリーは追っていない。
にもかかわらず、しばらくしてから“例のライブ”のことを耳にして、久々にシャニマスの名前をちゃんと検索した。

ファンが高いお金を払って、推しのアイドルがステージから途中退場させられる。
翌日には何事もなかったかのように出てくる。
それを「演出です」「コミュをライブに落とし込む精神です」と言い張る。

薬だと嘯いて、実際には毒を飲ませるようなもんだと思った。
観客に「これは物語として正しいんだ」と言い聞かせながら、実際にはファンにだけ痛みを押しつけている。そのくせ、ライブを終えたあとに真正面から謝ることもなく、注意書きの「出演者は予告なく変更になる場合があります」で逃げ道を作る。

YouTubeの感想会のコメント欄には、こんな空気が広がっていた。

推しが倒れたことしか頭に残らないならシャニ向いてない、チケット譲れ
暗い気持ちになったと書いただけで「向いてない」扱い
ステージに“実在している意味”を解釈しろ、理解できないほうが悪い

当該配信のコメント

「金を払って暗い気持ちになっている」ファンのほうが、むしろ責められている。
痛みを覚えた側に対して、「それすらもコンテンツだから理解しろ」と押しつける。その光景に、正直、ぞっとした。

所詮は仮想の出来事なのに、でもあれを見て暗い気持ちになれる。それくらい本気でシャニマスが好きなんですよね?

そのなかで、自分も当時こういうコメントを書いた。


「それってあまりに酷だろ……」と。

・あのライブに暗い気持ちを抱くこと自体は、むしろ「本気で好きだからこそ」自然な反応だということ。
・シーズやコメティックの物語は把握している前提でも、ステージ上の出来事を“ただ悲しいだけの体験”として受け取ってしまう人がいるのは当然だということ。
・それを「解釈が足りない」「シャニ向いてない」で片づけてしまうのは、あまりに酷で、あのライブや物語を高尚なものとして持ち上げ過ぎているのではないかということ。

つまり私は、「物語を理解しているかどうか」と「その場で傷ついたかどうか」は別の話だ、と言いたかった。
文脈を追っていても、それでもなお“ただ悲しいだけの体験”として心に残ってしまう人がいる。その存在ごと「向いてない」「解釈不足」と処理される空気が、どうしようもなく気持ち悪かった。

傷ついたことすらコンテンツへの愛として回収しようとする。それはもはや「作品に向き合う態度」ではなく、「作品のためなら客がどれだけ傷ついても構わない」という開き直りにしか見えなかった。


5. 「毒でも薬でもいい」という欺瞞と、コミュをライブに落とし込むという言い訳

もう一つ触れておきたいのが、「コミュをライブに落とし込む精神」という言葉と、その背景にある高山Pの発言だ。https://x.com/tonguewasabi/status/1878704491454939184?s=20

誰かにとって毒でも、誰かにとって薬になるものを作りたい。

一見すると挑戦的で、クリエイターとしての覚悟があるように聞こえる。
だが、これをライブの現場でそのまま実行した結果が「推しの途中退場」と「ただただ陰惨で後味の悪い結末」なのだとしたら、それはもはや信念というか加害の予告である。

毒でも薬でもいいと言うのなら、本来ポイントになるのは「毒があることを知らなかった客が被害者だ」という話ではない。その公演は、そもそも毒々しい話が前提にあるユニットたちの公演だったし、そこに一定の覚悟を持って来ていたファンも多かったはずだ。

それでも問題になったのは、

  • XRという“すべて事前収録”の形式で、あたかも突発の体調不良のように見せたこと

  • 有償ライブ(チケット代・遠征費含めて重いコスト)で、事前の明示なしにアイドルの出番を削ったこと

  • その結果として生まれた悲しみや怒りに対し、「向いてない」「外野は黙れ」でフタをしようとした信者の空気 この三つだ。

「誰かにとって毒でも~」というなら、本来セットで受け止めるべきなのは、毒を食らった側のショック・抗議・拒否反応も含めた全部だろう。そこまで引き受ける覚悟があって初めて“毒も薬も”と言える。にもかかわらず、実際に傷ついた側に対して「批判する権利はない」「分かってない」と言い出した時点で、その言葉はただの便利な免罪符に堕ちている。

しかも、その毒を飲まされて暗い気持ちになった客に対して、

暗い気持ちになったなら向いてない、チケット譲れ
あれを見て暗い気持ちになるのは本気で好きだからこそ
にちかが最後までステージにいたことを解釈してほしい

といった“解釈の強要”が飛んでくる。
毒を仕込んだ側ではなく、ダメージを受けた側に「理解が足りない」と責任を押しつける構図だ。

コメントの中には、こういう指摘もあった。

何が「コミュをライブに落とし込む精神」なんだか。
以前それを実行して批判されて引っ込めたんだから信念なんてないんですよ。そういう信念があるなら1stからやってるはず。

シャニマスの初期はダークとは程遠い、まあよくあるアイドルものコンテンツだったので、1stから一貫しろよ、というのはさすがに無理があるが、前例である周年ライブの演出を批判されたら引っ込め、都合がよくなったタイミングで「実は前からやりたかった」と後付けで語る。それを“挑戦”とか“シャニマスらしさ”と呼ぶのは、さすがに無理がある。

ストーリーをライブに落とし込むというのは最近の流行でアイマス以外はどこもやってますけど、シャニマスはやり方を全く間違えてますね。なんでネガティブなストーリーを現実に持ってくるのか。

ストーリーをライブに持ち込むこと自体は否定しない。
ただ、「ネガティブなストーリー」をそのまま現実に持ち込んで、客に体験させる必要が本当にあったのか。
そこに対する説明は、結局なかったように思う。


6. ミーム取り入れの“すり寄り感”と、安っぽくなっていく作品像

もう一つ、私個人として腹が立って仕方がないのが、ここ最近のミームの取り入れ方だ。

エビ揉めや、ふゆミーム、「月曜が近いよ」botのパロディ。
そういったX(旧Twitter)発のネタを、MVや流行語大賞の枠にまでガッツリ織り込んでくる。

ぱっと見は「ネット文化を理解している公式」の顔をしているが、正直なところ、

俺たちもネットわかってるだろ?
ほら、君たちのミームを公式が拾ってあげましたよ?

という、必死なすり寄りにしか見えない瞬間が多い。

ツイッタラーに異常行動させるカルト手法みたいで怖い。
そもそもエビ揉め自体、学マスという強コンテンツを経由したからそのおこぼれとしてシャニマスが恩恵を甘受してるだけだろ!
元からシャニマスの音MADやおふざけ創作を笑っていた人間だったが、シャニマスを離れて見れば、それはめちゃくちゃくだらないのだった。
大好きだったイルミネが、"Happy Funny Lucky"が、公式に利用される形で消費されることに、自分勝手ではあるが、めちゃくちゃイラついた。一瞬でも身内が擦ってたらそれこそミュートするくらいにはイラついていた。

流行語大賞の“復活”も、「ミームを巻き込んで、公式がそれを受け入れる演出をしたいだけでは?」というデキレを疑うくらいには、すり寄り臭が強い。

一方で、「臭み消しが上手い」「ネットミームをうまく昇華している」という擁護もある。
だが、それも「7年半伏せていた手札」だの、「最初からこうするつもりだった」だの、いちいち擁護してくる信者がキモい。
初期の叙情的で文学的な空気から路線変更して、“毒”路線に振った挙句、今度はバズ狙いでミーム消費に走る――その流れを見てきた身からすると、純粋に安っぽくなったと感じてしまう。

昔は、「読めば読むほど心に残る話」が中心だったのに、
最近は「Xでネタにされやすい要素」や「流行語として切り抜きやすい断片」が目立つようになってきた。
いい話や良質なコミュが全くなくなった訳ではないのだろう。だが、“見えるところ”に出てくるのが、やたらとミーム寄りの表現ばかりなのは事実だと思う。

私が気持ち悪く感じているのは、

  • ミームそれ自体ではなく、

  • それを公式が「利用する前提」で拾ってくる姿勢と、

  • それを“センスのある公式”“分かってる運営”の証明として見せつけてくる態度

その三つだ。

初期のシャニマスが持っていた、叙情的で静かな熱量は、少なくともそこにはもうない。 ミームの自己輸入と、「分かってるでしょ?」という気持ち悪さ

そしてとどめが、最近の“ミーム文化”の取り込みだ。

ミームというのは、本来アンダーグラウンドな場所で、ファンが好き勝手にやっているおふざけだ。
「公式がわざわざ手を出さないからこそ面白い」領域でもある。

それを公式側が持ち出して、「俺たち分かってるだろ?」みたいな顔をする。
リアリティだの実在性だの、芸能界の闇だのを熱く語るくせに、そういうところは平気でふざける。そのアンバランスさが、とにかくキツい。

リアリティを追求したいのか、
ミームでウケを取りたいのか、
自分たちのセンスを見せつけたいのか――。

軸がどこにあるのか分からないまま、「全部やってます、分かる人には分かるでしょ」と開き直っているようにしか見えない。


7. ただ、怒り

私は、今のシャニマスそのものをただ憎んでいるわけではない。
怒りの根っこにあるのは、「かつてのシャニマスが本当に楽しかった」という事実だ。

・イルミネーションスターズの、眩しいくらい真っ直ぐな輝き、その裏の二面性
・ノクチルの、幼なじみとしての愛と暗い感情が同居する、あの独特の空気
・読み終わったあとに、ふっと心が軽くなるイベントコミュの爽快さ
・育成ゲームとしての説得力と、物語としての厚さ

それらの上に、「声優と運営の自我」「露悪的なリアリティ」「ライブでの嫌がらせみたいな演出」「ミームの自己輸入」が重なっていった結果、私の中のシャニマスは壊れてしまった。

「もう追うのはやめよう」と決めたとき、どこかでホッとした自分もいる。
それでも、今の開き直ったような態度や、ファンの痛みを“理解力の不足”にすり替える空気を見ると、どうしても腹が立つ。

これは、縁切りというよりも、供養に近い。
3〜4周年頃までの、あの透明なシャニマスの世界を愛していたことは、今でも記憶から消えない。
その上で、「私はもう、今のシャニマスとは付き合えない」とはっきり書き残しておきたい。

最後に一つだけ付け加えるなら、シャニマスから離れたあと、私はミリオンライブにだいぶ救われた。
ここではあえて多くは語らないが、ちょうどシャニマス引退したそのころに始まったミリアニの先行上映。そこから果てしない夢、その体現者たる一人のアイドルに出会わせてくれたことに、ただ深く感謝している。 おわり。


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シャニマスは私を裏切るな ― 元Pの記録|スマブラ太郎
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