ニコニコ動画で活動していた音MAD作者の末路
ニコニコが死んでからそろそろ2ヶ月くらい経とうとしている。たまに彼のことを思い出してはブックマークに保存されているリンクを開くが、未だRe(仮)のままである。
自分がニコニコ動画に初めて音MADを投稿したのは2011年のこと。12~3年前のことになるが、当時のニコニコは今より人口も多かった。それでいて、クール毎にアニメOPで多くの音MADが作られて何十万再生もされていた。素材は例のアレ黎明期でクッキー☆が流行っており、その後デスノやZ会が主流になっていった。
今思えば、アレは幻想だったのかもしれないとさえ思う時があるが、その幻想を今も追い求めようとしてしまう。それは雲のように掴めないもので、何時しか日は沈み、空を見上げても雲は見えなくなってしまった。
普段から動画や配信を観る習慣はあったが、それらはYouTubeやTwitchである程度補うことができる。でも、音MADだけはニコニコ動画をメインとして観ていた。ニコレポでマイリスト登録されたのを観たり、音MADタグの新着を漁ったりしていた。
それに比べたらYouTubeはタグ検索自体あまり使いものにならないし、正直音MADより面白そうな動画をオススメされるとそっちを観てしまう。音MADを観るという趣味は95%くらい失われたに近い。
配信もニコ生からTwitchメインにしたが、なんとなく雑談しづらくゲームも配信に向いたのをやる気も起きず、あまりモチベーションは無い。
音MADに限らず、動画は作る側がいないと成り立たないジャンルの1つではあるが、収益が稼げない以上音MADは他者からの評価やそれに伴う承認欲求などが制作意欲を掻き立てる大きな要因となっている。
そして、その意欲を増長させる鍵こそが他人の作った音MADを観ることだった。
ニコニコ動画での投稿数自体はサイトが死んでることもありずっと0のままだ。これでは制作意欲が掻き立てられない。
だから、音MAD作者はモチベーションを失いつつあるのではないのだろうか。
XのTLにもそのような意見が散見される。それに、イベントの放送とかもニコ生が多かったがために界隈全体の企画も立ち止まってしまっている。
このままでは音MADという文化がかなり縮小するに違いないと思わざるを得ないのだ。
音MADなんて、音MAD界隈なんて無くなればいい。そう思っているうちはまだ良かったのかもしれない。実際にニコニコが死んで、もしかしたらまともに復活しないかもしれないと思うほど、この界隈とその関係者に同情してしまう。
自分も当事者のうちの1人であるはずなのに、それを受け入れたくないのかこんな俯瞰からの視点でしか語れない。
最近はニコニコは復活するにしても11月くらいになるんじゃ無いかと思ってきている。もしいつか復活したとして前のようなモチベーションを戻せるのだろうか。
XのいいねやYouTubeの高評価ではなく、なんでこんなにもニコニコのコメントを求めてしまうのか。
完全に界隈感に囚われてしまっている。
こんな哀れな音MAD関係者は自分だけだろうか。
作者でも見る専でも構わない。総じて言えるのは、少なくとも自分や身の回りを見ていると前のような空気感でやっていけるのか不安になってくるということだ。
Twitchで配信しようがDiscordで通話しようがゲームしようが自分は音MAD作者のふーふーなんだ。
そうだったに違いない。
雨の降る夜はまだ長そうだ、という日記である。


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