「誤解を招き申し訳ない」 政治的謝罪もどきに言語哲学者が抱く危惧

 「そんなつもりはなかった」「誤解を招き申し訳ない」というのは政治的言い逃れの常套句(じょうとうく)だ。どうやらそれに右も左も関係ないらしい。自民党の黄川田仁志沖縄・北方担当相が北方領土に臨む北海道の納沙布岬で「一番やっぱり外国に近い所ですから」「若い人たちが足を運んでこの距離感をしっかり見てほしい」と発言した。北方領土を外国呼ばわりするような発言だが、「真意が正しく伝わっていない」「誤解を与えたことをお詫(わ)びする」と釈明したという。現職議員ではないが共産党の池内沙織元衆議院議員は「高市総理を現地妻であるなどということを意図して書いたものではありませんでしたが、誤解を招く表現であったことをお詫びいたします」と「謝罪」した。「高市氏をみながら、『現地妻』という悲しい言葉を思い出す」というXでの投稿への釈明であった。どちらもつい先日の出来事である。

メディアでよく目にする政治的な言い逃れが社会に与える影響とは。「誤解を招いたとしたら申し訳ない」の著者で、言語哲学者の藤川直也さんによる寄稿です。

 ここでみた二つの「誤解」云々(うんぬん)という言い訳は、政治的に問題のある発言や侮蔑的な発言をしたのにそれを誤解だと言い張り、なかったことにしようとする謝罪もどきである。

 自分がやったことをあたかもやっていないかのように後になって否認する。そうすることで発言の責任から逃れようとする。そうした言い訳が白々しいものであればあるほど、それは言葉の責任を軽んじる振る舞いになる。

 言葉の責任を軽んじる傾向は深刻化している。根拠なき放言や犬笛で人々を煽(あお)るだけ煽っておいて、その責任は取らない。真偽不明の情報を喧伝(けんでん)しておきながら、その根拠を問われてもまともに取り合わない。言いっぱなしで責任を取らないという、ドナルド・トランプ合衆国大統領に象徴されるような態度が、政治に蔓延(まんえん)しつつある。

 言葉の責任を軽んじる振る舞いがもたらす一つの帰結に、言葉が本来の機能を果たせなくなる、つまり、「言葉がダメになる」という事態があると考える。

 たとえば「真摯(しんし)に受け止める」という言葉は政治家たちに濫用(らんよう)されてきた。そう口にするけれど、結局行動には反映されない。「真剣に検討しましたが、その結果何もしないことにしました」と言わんばかりに。こうした事態をたびたび目の当たりにすることで、今や私たちは、その言葉を聞いても、真摯に受け止めることはないんだろうな、と思ってしまうのではないか。これは、「真摯に受け止める」という言葉が、本来の約束の言葉として機能しなくなりつつある、つまりダメになりつつある、という事態だ。

 「誤解を招き申し訳ない」という釈明はインターネット上でたびたび騒ぎになる。そうした騒ぎを見て最近感じるのは、「『誤解を招き申し訳ない』は謝罪ではない」というリアクションがテンプレ化してきているのでは、という懸念だ。「誤解を招き申し訳ない」という言葉は本来、使い所を間違えなければ真っ当な謝罪の言葉として通用するものだ。ところが今やそれは謝罪の言葉としては機能しなくなりつつある。この言葉がダメになりつつある原因の一端は、その言葉で謝罪もどきを繰り返す政治家たちの振る舞いではないだろうか。

 言葉の責任を軽んじることは、言葉を壊すことにつながりうる。言葉は私たちのコミュニケーションを支えるインフラである。それは、水道や公共交通機関と同じように、私たちの日々の暮らしを支えるなくてはならない重要な社会的資源だ。言葉の責任を軽んじる振る舞いは社会のインフラを脅かしうる――政治家の無責任な言葉はこの観点からも批判されるべきだ。

写真・図版
言語哲学者の藤川直也さん

 ふじかわ・なおや 1980年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。専門は言語哲学。著書に「誤解を招いたとしたら申し訳ない」「名前に何の意味があるのか」。

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