鎌倉本を発行した出版業者
江戸時代の出版業者は本屋、書林、書肆、書賈、書物屋、書物問屋などと呼ばれていて、出版と販売を兼ねていたのである。
江戸時代にどれくらいの本屋があったかということを、井上和雄編『慶長以来の書賈集覧』(言論社刊)から引用すると、「京都485、江戸356、大坂242、三都で1083。二十か国45、不明12で、総計1140」とし、二十か国の内訳は、「山城(伏見)2、和泉(堺、岸和田)2、摂津(有馬)1、伊賀(上野)1、伊勢(山田、津、松坂)5、尾張(名古屋)9、駿河(府中、沼津)2、常陸(水戸)2、近江(大津、彦根)2、美濃(大垣)1、信濃(松本、善光寺)2、播磨(姫路、赤石)2、備前(岡山)1、備中(倉敷)1、安芸(広島)3、丹後(田辺)1、因幡(鳥取)1、紀伊(若山)3、阿波(徳島)1、肥前(長崎)2」と記されている。実に、95%が京都、江戸、大坂に存在していたのである。
京都と江戸が特に有名な本屋が多く、『元禄太平記』では、京都の本屋を紹介していて、「京都の本屋七十二軒は中古より定まりたる歴々の“書林孔門七十二賢”にかたどり、其中に、林、村上、野田、山本、八尾、風月、秋田、上村、中野、武村、此の十軒を十哲と名付けて、専ら世上に隠れなく、いづれもすぐれた人なり」と書かれている。
これらは林白水(出雲寺)、村上勘兵衛(平楽寺)、野田庄右衛門(吉文字屋)、山本九兵衛(正本屋)、八尾甚四郎、風月庄左衛門(風月堂)、秋田屋平左衛門、上村吉右衛門(江見屋)、中野小左衛門(豊興堂)、武村市兵衛(壽文堂)のことである。
また、この時代の江戸の本屋は京都の出店がほとんどであったが、独自の本屋として、須原屋茂兵衛、鶴屋小林喜右衛門、山口屋藤兵衛、戸倉屋喜兵衛、太田屋庄右衛門、前川六左衛門などがいた。これらの書林は幕府や諸藩、寺院、あるいは、特定な学派などと特別な関係を築いて経営を安定させていたと言われている。そのなかで、特に、いくつかの鎌倉本を発行した本屋を上げてみる。
林重右衛門(麹屋)=京都。『澤庵和尚鎌倉記』万治二年(1659)
安田十兵衛=京都三条寺町。『鎌倉物語』万治二年(1659)
風月庄左衛門(風月堂)=京都二条通り。『北条五代記』万治二年(1659)
野田庄右衛門(吉文字屋)=京都烏丸通り。『三代實録』寛文十二年(1672)
山本九兵衛(正本屋)=京都二条通り。『頼朝三島詣』延宝六年(1678)
武村市兵衛(壽文堂)=京都二条通り。『鎌倉紀行』貞享四年(1691)
須原屋茂兵衛(千鐘房)=江戸日本橋。『鎌倉物語』(再販)文禄十三年(1700)
小川多左衛門(柳枝軒)=京都。『新編鎌倉志』正徳三年(1713)
唐本屋八郎兵衛=京都。『鎌倉実記』享保二年(1717)
中川茂兵衛=京都姉小路。『鎌倉比事』享保三年(1718)
八文字屋八左衛門=京都麩屋町通り。『武徳鎌倉日記』享保三年(1718)
鶴屋小林喜右衛門(仙鶴堂)=江戸大伝馬町。『江島鎌倉往来』享和元年(1801)、
『鎌倉詣』文政六年(1823)
村上勘兵衛(平楽寺)=京都二条通り。『鎌倉殿中問答』文化十三年(1816)
山口屋藤兵衛(錦耕堂)=江戸馬喰町。『頼朝武功往来』文政六年(1823)
吉野家大谷仁兵衛(津逮堂)=京都。『承久軍談鎌倉太平記』文政六年(1823)