厄介がられて頼られて 在英エッセイスト・園部哲さんが見る移民社会
寄稿 園部哲さん エッセイスト・翻訳家
9年前、ブレグジット(EU、すなわち欧州連合からの離脱)で英国が騒然としていたとき、こういう質問をうけた。
「ところで君はどう思うのかね、移民として」
「移民として?」と、東洋人は細い目を丸くして問いかえす。会社から転勤を命じられてロンドンに赴任し、そのまま住みついているだけで……とミニ履歴をもごもごと披瀝(ひれき)してみるが、質問者はそれがどうしたという顔をして「入り口は百人百様、結果的には君だって移民なんだよ」といった。
移民が支えた英国の戦後 それは今も
1960年前後に、こんな貼り紙がロンドンのパブや宿泊施設の窓にあらわれた。
「アイルランド人と犬と有色人種はおことわり!」
当時の英国は戦後復興のために労働者を必要としていた。単純労働者ばかりではない。医師・看護師といった専門職も不足し、その穴うめとして旧植民地から大量の移民を迎えていた。アイルランド人は中世以来英国から迫害をうけてきたが、近年、仕事を求めて英国にやってきても差別をうけつづけたのである。
68年、保守党で影の内閣の一員でもあったイーノック・パウエルがいわゆる「血の川」演説をぶつ。「移民をのさばらせるな。白人イギリス人がなぜわりを食わなければならぬのか。人種的対立は激しくなり、川に血があふれるだろう」という趣旨の。
2013年には、不法滞在者を対象に「国へ帰れ、さもなくば逮捕を覚悟せよ!」という巨大ポスターを貼った車がロンドンを走りまわった。信じられないかもしれないが、右翼の街宣活動ではなく政府の仕事だった。あまりの悪評に1カ月で姿を消したけれども。
かように排外的主張がときおり破裂する英国戦後史ではあるが、22年に政府が発表した「ルワンダ流し」の計画はすごかった。ドーバー海峡を渡ってきた非正規移民を捕まえ次第、東アフリカのルワンダへ強制移送するという計画である。もちろん英国はルワンダに迷惑料として数億ポンド相当を支払った。しかしよりによってルワンダとは! 今でこそ政治は安定し、経済も順調だが、かつては部族対立によるジェノサイドで知られた国ではないか。翌年末、最高裁判所はこれを違法と判断、最終的に取りやめになった。
海越えてきた人々の胸に「理想の英国像」
やじ馬的観点からすると、英国の移民問題というのは、数世紀にわたって搾取されてきた植民地の子孫たちが、旧宗主国に貸しを返せと押しよせてきた、いわば歴史的帳尻合わせのようにみえる。あるいは世界を股にかけて好き勝手をしたことへのしっぺ返しのように。でもそれは皮肉まじりの見方だ。戦後から現在にいたるまで英国は、医療、交通、製造などの分野で移民労働力をほんとうに必要としていた。それなくして今の英国はない、というのがこの国における共通了解である。
「ルワンダ流し」に見てとれるように、最近の英国の苦労はドーバー海峡を渡ってくる難民への対応だが、そもそも彼らはどこからやって来るのか? バルカン紛争勃発時には旧ユーゴスラビア人が、「テロとの戦い」時にはアフガニスタン人が、シリア内戦時にはシリア人が多かった。都度都度の国際紛争をうつす暗い鏡のようだった。しかしなぜ彼らは英国をめざすのか? 彼らの胸中には理想的な英国像があるのだ。人権が尊重され出自を問わず共存できる文明社会というバラ色の。ナイーブというなかれ。彼らにとっては初めての英国旅行なのだから。
日本人も食べる燻製(くんせい)ニシン(a red herring)。英国では議論の本質から注意をそらす目くらましを表現する慣用句のなかで使われてきた。猟犬の鼻を訓練するためにそれが利用されたという歴史的背景がある。獲物たるキツネの追跡経路を横切るかたちでニシンをひきずり匂いをなすりつける。優秀な猟犬はだまされず、その先にただようキツネの匂いを追って突進するが、手元の匂いにたぶらかされたワン公はふらふらと脇道へそれてしまう
ニシンを操る人々 操られる駄犬
移民問題というのは燻製ニシンではないか。追及すべきキツネ――つまり、警察組織の機能低下や経済格差などの根本的社会問題がほかにあるのに。ニシンはよく匂うので食いつきがいい。選挙民としては体制と対決する方途はなし、2大政党の代議士はどちらも役立たず。そんなときはニシンにかぶりつきながら気炎をあげたほうが痛快だ――こうした群集心理を利用する政治家は常にいる。そして、自分たちに糾弾の矛先が向かわぬようにニシンをまいてくれる政党を好む既得権益者もいる。
そうした政党が、目下すさまじい躍進を見せる排外主義極右の「改革党(リフォームUK)」である。今年5月の地方選挙での驚異的勝利にそのすごさがあらわれた――約1600議席のうち670以上をもぎ取った。その裏では、保守党と労働党が合計861議席を失った。オセロの一気逆転みたいな爆勝だ。4年後の総選挙が心配になってくる。同党支持率は5月から30%前後で推移し、一番人気の政党でありつづけている。戦後の英国を担ってきた2大政党に対する幻滅の結果だ。
もし今すぐ選挙をしたら、現在5議席しかない改革党の下院議席数が300程度へ急増することが確実視されている。党首はブレグジットのとき「イギリス独立党(UKIP)」の党首として扇動役を演じたナイジェル・ファラージュである。ペテン師呼ばわりすらされていた男が首相になる可能性が高まっているという異様な事態なのだ。容易に推測できるように、彼は「血の川」演説をしたパウエルの信奉者である。
ところで、彼らがいうように移民の増加はほんとうに犯罪の増加につながっているのだろうか? 国家統計局のデータを見ると、英国の犯罪件数は1995年から2023年まで減少を続け、ピーク時の4分の1以下になっている。それは移民が急増していた時期に合致する。因果関係の証明にはならないが、移民増と犯罪減という二つの現象が併存している。
移民ヒステリーに対する処方箋(せん)としては、社会心理学でいう「接触仮説(contact hypothesis)」が一番効くという。交友、共同活動など個人同士の接触を増やすことにより、脅威に感じられていた「よそ者」グループの固定イメージが溶解する。偏見というのは知識の欠如なのだ。移民反対を唱える人々が、実際には移民の少ない地区に多いことはよく知られている。
心なんだよ大事なのは
経済的困窮におびやかされると、市民はその不安とうっぷんを外国人に向ける、歴史的に珍しくない現象だ。そこから自民族中心主義がめばえ、おれたちとあいつらという断層が生じる。絶望は人々を分断する。多文化共生とは異文化の陳列ではない。わたしたちの心の変容の問題だ。好奇心と寛容でふくよかになった心には、他者の心との接点がふえる。
欧州で移民政策を比較的うまくやっているのがスイスのように思われる。人口900万の小国を大国とくらべることには無理があるけれど。
たまたま僕の義妹が首都ベルンで移民相手の教育機関で働いている。秘訣(ひけつ)は何かと聞いてみた。「スイスに来たからにはこの社会に貢献してもらわなければ、というプラグマティズム」と彼女は答えた。言葉の教育から職業訓練、スイス文化習得まで徹底的に学ばせる。「博愛よりも投資なの。そしていい給料がもらえるとなれば移民たちは努力する」。最後の部分は力強いスイス経済があればこそのうらやましい発言である。ビル・クリントンが大統領選挙時に使ったキャッチフレーズ「経済なんだよ大事なのは、馬鹿野郎!」は身もふたもないけれど、どこでもいつでも真実なのだ。
なぜあらたまってそんな質問を?と問われたので、日本も移民労働力をますます必要としている、なにしろ日本人人口は毎年80万人ずつ減っているのだから、と答えると彼女はiPhoneで検索し、「それってジュネーブとチューリヒが毎年消えてゆく計算じゃない!」と絶句した。
地域コミュニティーの反撃
2カ月前にショッキングなことが起きた。与党入りをねらう改革党が無期限滞在許可の遡及(そきゅう)的廃止を公約に掲げたのである。一定年数合法的に英国に住んでいた外国人がもらえる許可で、永住権に等しい。僕が英国に住み続けていられるのもこのおかげだ。同じ立場の友人たちは皆青ざめた。ここまで来たか。ブレグジット、トランプ、ウクライナ、パレスチナ、のあとでは何が起きてもおかしくないという無力感に包まれた
この声明が発表された翌日、地域コミュニティーの仲間がチャットアプリでファラージュをくそみそにいい、次の選挙までに改革党をつぶそう、というメッセージを交わしていた。
「さもないとわたしたちの大切な友だちがいなくなってしまう」
われわれ移民が胸を熱くしたのはいうまでもない。
そのべ・さとし 商社退職後、翻訳を始める。自著「異邦人のロンドン」(集英社インターナショナル)で日本エッセイスト・クラブ賞。翻訳書にグロスマン著「スターリングラード」、ニコルス著「狂人たちの世界一周」ほか。ロンドン在住。
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