赤坂マラソン
「失礼します。
今日の特番のマラソンに参加する桂華院瑠奈と申します。
よろしくお願いします」
楽屋に入って私はペコリと挨拶をする。
特番ともなると多くの芸能人の為に控室があるのだが、そこに一室ずつ挨拶をしてゆくのだから、かなり時間が掛かる。
「よろしく」
「がんばれ」
「あの子どこの事務所?」
大部屋俳優辺りだと、私の事を子役ぐらいにしか見ていないらしい。
これが個室を与えられる俳優だと、私の事を知っているからこんな挨拶になる。
「わざわざスポンサーがこちらに来なくても、こちらから挨拶に行くのに。
ありがとうございます」
なお、こう言う連中に限って、向こうから挨拶に来る人間はまずいない。
この特番は赤坂の放送局で春と秋に行われており、桂華グループは帝西百貨店がスポンサーとして名前を連ねていた。
「しっかし多いわねー。
こんなにタレントが居るならするんじゃなかったわよ」
愚痴を言うが、この手の挨拶は本当に大事なのだ。
マスコミの視線がそろそろうるさくなり、かと言って逆らうのもめんどくさいのだが、そんな私がこの赤坂五丁目のマラソンに参加する理由は、司会者直々のオファーという事がある。
今をときめく司会者からの口説きに負けた風を装いながら、ちゃっかりとコネを構築するという下心も無いわけではない。
「けどお嬢様が言い出した事でしょうに。
控室にいるのがつまらないから、全部挨拶していきましょうって」
メイド姿のアニーシャが淡々と突っ込む。
アンジェラは未だTV局の偉い人とお話中なのだ。
もちろん話の主題は私に対する風評被害についてだ。
「スポンサーとしてTV局の上の人に圧力を掛けちゃえば終わりじゃないんですか?」
「駄目よ。アニーシャ。
この国はね。
トップが権力を持っていないのよ。
誰が権力を持っているかというとそれは現場なの」
近い過去では太平洋戦争の日本軍の組織系統なんかがそれだし、このマスコミ業界も同じ問題を抱えている。
現場の判断と称して、プロデューサーやニュースキャスター、司会者やコメンテーターが権力者なのだ。
実際、ある司会者は「私は内閣を3つ失脚させた」と豪語していた。
そんな彼らに私が狙われている。
スポンサーを怒らせて番組打ち切りという手も無いわけではないが、それをし過ぎると確実に私が悪役として定着する。
硬軟織り交ぜた対策が必要だった。
「大変なんですね。
私の故郷なんて党の命令で一撃でしたよ」
「これが自由で、これが民主主義ってものよ。
叩くのも自由だけど、叩かれるのも自由ってね。
さぁ、次に行くわよ」
「はーい」
挨拶も大御所クラスになるとその人が持つオーラみたいなものに圧倒される。
面白いもので、俳優というのは真似事とは言えその役を演じる為にその役を知るから、大御所クラスの役者ともなると下手な政治家や官僚よりもタチが悪い。
「これはこれは。
挨拶ありがとうございます」
そして、弟子なり軍団なりを引き連れているので、部屋に入るとその圧にびっくりする。
たとえ私が大人だとしても、この深みに届かない。
この重さが私には無い。
詰まる所、私が舐められて叩かれるのはそこなのだ。
かくして、金に物を言わせたしっぺ返し戦略で、手を出すと噛まれるというのをマスコミをはじめ皆に教える必要があった。
「よくいらっしゃいました。
楽にしてくださいな」
私がその楽屋に挨拶に行った時、ちょうどその人と司会者が私の出るマラソン大会について話し合っていた。
挨拶をしたら司会者のほうが私にこんな質問をぶつけてきた。
「挨拶をしているのは知っているけど、どうして挨拶を大部屋からしていたんですか?」
「はい。
上の人達は私のことを知っていますから。
まずは知らない人から挨拶をと思いまして」
ここで可愛く猫をかぶってお嬢様アピール。
ちらりと話にオチを入れて二人の反応を探ってみる。
「それに知らなくて叱られても、それは子供の無知で済みますから。
遠慮なく使わせてもらっています」
「ははは。
その年で自らの武器を知っているあたり末恐ろしいですな」
その部屋の主が笑う。
基本マラソン大会のルールやハンデはその人に一任されていた。
だからこそ、この人の機嫌次第でルールやハンデが私に有利にも不利にもなる。
その人は私にこんな事を尋ねてきた。
「TVで一番面白いのは何だと思いますか?」
首をひねる私にその人は断言して言った。
その言葉に重さだけでなく諦めの色が乗っていたのが、その時の私には理解できなかった。
「素人が芸を見せるか、プロが私生活を見せるか。
つまり、TVにおいてはドキュメントが一番面白いんですよ」
「さぁ!
やってきました、赤坂マラソン!!
今回は特別ゲストをご用意させていただきました!!
帝西百貨店キャンペーンガール。
桂華院瑠奈さんです!!!」
拍手とともに私はスタジオに入る。
もちろん、ランニングウェアからシューズに至るまで、スポーツメーカーの特注品なのは言うまでもない。
あ。
写真家の先生。
解答席からカメラで撮らないでください。
お願いですから。
「今回特別ルールとして、彼女に先行してスタートしてもらいます。
赤坂五丁目マラソンコース三周ですが、彼女はハンデとして二周です。
彼女を追い抜いた参加者には、帝西百貨店より10万円の賞金が提供されます」
女性司会者の説明の後参加者を募り五十人ぐらい運動に自信のある人達が集まる。
クイズには参加せずこのマラソン大会のみの参加だが、小学生という事でハンデをつけた時点でチートボディ持ちの私に敵は無い。
「お嬢様。
意気込みみたいなものを一言」
「勝ちます」
ただ一言。
カメラに向かってまっすぐ、凛々しく言い放つ。
あとはそれを日本全国に見せつけてやればいい。
スタジオに轟く号砲と共に、私は風となった。
「速い!速い!!
このお嬢様、只者ではない!!!」
大人たちや陸上選手の追撃を物ともせずに走る。走る。走る。
それと同時に視聴率も上がる。上がる。上がる。
心臓破りの赤坂の坂をなんなく上り詰めて、先頭でゴールテープを切った時、その大波乱に会場は大いに沸き、この番組の瞬間最高視聴率を叩き出した。
「お嬢様を誰も追い抜けなかったのですが、ここでスポンサーの帝西百貨店より参加者全員に一万円が支給されることが急遽決まりました。
皆様おめでとうございます」
アニーシャに万一の為に司会者に言うようにと頼んだ仕掛けが役に立ったか。
負けた事には悔しいだろうが、参加賞として賞金が出るのならばそっちに目が行くのも芸能人というものなのだ。
そして、上層部だけでなく現場層も私というコンテンツをどう消費するかで考えるだろう。
「優勝インタビューです。
お嬢様。
今の感想を一言」
「これぐらいたいしたことないですわ♪」
実にわざとらしい悪役令嬢ムーブで言い放ったその一言がその年の流行語大賞になって、私の黒歴史として年末羞恥で震える事を今の私は知らない。
赤坂五丁目マラソン
『TBS感謝祭』の名物イベント。
この頃のTVの栄華をまざまざと見せつけてくれる。
そして、近年の没落ぶりも。
部屋の主
この人がマラソン大会のハンデとかをその場で決めていた。
早すぎる引退を惜しんだけど、今のTVの没落を知るとそれが正解だったと思い知る。
ニコニコに上がっているこの人の芸人論は、見る価値があり。