◆スポーツ報知・記者コラム「両国発」
6月3日午前11時。スマホが震える音で目を覚ました。画面には会社の番号。紙面レイアウトは深夜に及ぶ仕事で、午前中は貴重な睡眠時間だ。ましてや休日。「ミスをした連絡か…」。嫌な気持ちで電話に出た。「ご存じだとは思いますが」と部長の暗い声。寝ていたから何も存じ上げません―と思いつつ「はぁ」と返すと、部長は言った。「長嶋さんが亡くなりました。できれば出勤を」。「はい」。寝起きで理解が追いつかないまま返事をしていた。
この日がプロ野球界の、そして報知新聞にとって歴史に残る一日と実感したのは出社した午後5時だった。すでに編集局は満員。正午から集まり始めたという編成部員はほぼ全員出社。作業端末が足りず、異動したばかりの後輩が所在なさげに立ち尽くしていた。
私の担当面は王さんとの2ショットを大きく扱った。「中判リバーサルフィルム」で撮っていて、1974年にもかかわらず「最新の一眼レフにも負けない」という。紙面いっぱいに割り付け、りりしい顔のONが読者を見つめる迫力たっぷりの仕上がりとなった。
東京本社発行32ページのうちテレビ欄と全面広告を除く30ページに追悼記事が掲載された、6月4日付の紙面は圧巻だった。熱心な長嶋ファンの父から「懐かしい写真も多かったし、読み応えあったわ」と連絡が来たほどだから、G党に満足してもらえる出来栄えになったはずだ。本紙連載「ありがとうミスター」を始め、その後も紙面で輝きを放ち続けている長嶋さん。やはり、ミスターは「永久に不滅」だった。(レイアウト担当・中島 仁志)
◆中島 仁志(なかしま・ひとし)2005年入社。大阪本社から東京に転勤し、もう10年。









