私の高校時代は1976年4月
から1979年3月までだ。
私が高校に入る前年に日本
のオートバイ事情は大きな
変化があった。
それは1975年に道交法が改
正され、それまで高速道路
でのみ着用義務が付されて
いた自動二輪のヘルメット
着用が「政令指定道路」に
おいて義務化された。
政令指定道路という道路は
1965に制定された指定道路
で、ほぼ国道に該当する。
時速40km以上の道とかの
区別ではなく、政令による
指定区域の道路。
その大改正と共に、自動二
輪免許(排気量125cc超~無
制限)の中に条件が組み込ま
れた。
それ以前の1972年に二輪免
許は「原付(50)」「小型二輪
(~125)」「自動二輪(無制限)」
が新設されていた。(戦前か
ら戦後1972年までの免許変
遷史は割愛。何度も制度が
改訂された)
この自動二輪の中に排気量
別で400ccまで運転可能な
「中型車限定条件」という
ものが1975年10月以降実施
された。現行の「普通二輪
免許」「大型二輪免許」とい
う別物の免許ではなく、同じ
自動二輪運転免許の中での
区分だった。現在は普通二
輪免許で大型二輪を運転し
たら無免許運転で一発取消
だが、1975年法改正では
「条件違反」という違反だ
った。
同じ自動二輪免許でも限定
条件無しの排気量無制限の
1975年10月までの自動二輪
免許は教習所では取得でき
なくなった。
いわゆる「限定解除」と呼
ばれる試験を警察センター
で受験して合格しないと1975
年10月以降の自動二輪免許で
は大排気量車は運転できなく
なったのである。
この通称「限定解除」という
試験は、超絶難関というか初
めから合格させない事を目的
とした警察内部の「申し渡し
事項」に該当する制度で、試
験1回で合格する者は皆無だ
った。試験官への返事と身だ
しなみと態度と、試験官に気
に入られないと絶対に(絶対
である)合格ができない形ばか
りの「(誰にでも門戸は開いて
ますよという)民主主義的」な
建前だけの受験制度であり、
合格まで10回20回受験は当た
り前、というのが実態だった。
技能がいくら高度で適正でも
合格はさせない制度だった。
態度に至っては、新人警察官
と全く同じ態度でないと点呼
の段階で不合格にされた。
「気をつけ」「敬礼!」のよ
うな態度でないと受験さえ
できないのが1975年~1990
年代初頭までの実情だった。
(アメリカの圧力で1990年代
中期にかけて限定解除試験も
ごくユルに変化する)
限定解除試験制度導入の目的
は「安易に二輪免許を取得
させない」「暴走族対策のた
め」「事故防止、減少のため」
という事だったが、世の中皮
肉なもので、事故が激増して
暴走族の数が限定解除制度実
施以降に爆発的に増加したの
が現実だった。
真の暴走族対策の道交法改正
は1978年12月の法改正だった。
私の高校時代の1976年4月~
1979年3月において、まだ一
般道で自動二輪でノーヘルOK
だった1978年12月までの時代、
普段乗りでも私の仲間たちは
真面目君もヤン坊も危ないの
でごく普通にメットだけは被
っていた。
ただし、そこらに買い物とか
のちょい乗りでは、排気量に
関係なくノーヘルで運転して
いた。違法でもなかったので。
自動二輪の全道路でのヘルメ
ット着用義務化は1978年12月
1日からだったからだ。
この1978年道交法改正は、同
時に、暴走族などはそれまで
は集会と集団暴走をしようが
「信号無視」と「停止義務違
反」で切符を切られて4点加点
のみだったが、一挙に「共同
危険行為」というものに切り
替わり、一発免停、累積で一
発取消等に変更になった。
これにより従来の莫大な台数
で集団走行(都内だけで土曜の
夜には数万人)していた旧来の
「暴走族」は激減どころか一
気に消滅した。
ただし、構成人員が一番多い
年は警察白書などによるとそ
の後の1980年になっている。
その後、1980年代半ばになる
と、それまでの暴走型ではな
い曲線路での競争型の暴走族
が発生した。だが、1980年代
中期まではまだ個人個人の暴
走状態だったが、80年代後半
に入ってからチーム化、グル
ープ化して完全に暴走の族と
なった社会現象が存在した。
彼ら違法競争型暴走族は別名
ローリング族と呼ばれた。
取り締まる警察側からしたら
1970年代の市街地集団暴走
の共同危険行為型暴走族と
同じく競争型のただの暴走族
でしかなかった。
ゆえに、峠の走り屋たちが
「俺たちは暴走族ではない。
ただバイクで走るのが好きな
だけ」という認識は大甘で的
を射るものではない。警察か
らみたら市街地集団暴走の
暴走族も、峠や埠頭でローリ
ング(同一個所を何度も往復
する行為)するローリング族も
同じ「暴走族」であるのだ。
現代は、それら二種の暴走族
とは別に第三の勢力が世の中
に台頭し始めている。
それは、実体としては速度違
反等をするくせに、いい子ち
ゃんぶって他人を摘発告発あ
げつらってネットで匿名で非
難したり誹謗中傷をする精神
の集団が大量発生しているそ
の勢力だ。彼らの言動での暴
走は止まらない。
私はそれらの第三の勢力を社
会的にみて「ニセ正義マン」
とか「コンプラ市民警察」と
か「エセ良市民」と呼んでい
る。
彼らは「僕たちをああいう人
間たちと一緒にしないでくれ」
という徹底した差別排外主義
的視点を貫徹し人を口撃して
嬉々としている層だ。
オートバイに乗る人間たちの
中にそのような連中が登場す
るとは1980年代には思っても
みなかったが、一億総ネット
誹謗中傷大好き人間大集合時
代の現代、たまたまバイクと
いう乗り物に乗る連中が同じ
バイク乗り自身を排外して喜
んでいる。
いうならば、法的にも社会的
にも同じ飲食業者であるのに
「自分らより下の卑俗な店」
として他店と従業員を見下し
て「あいつらと俺らを一緒に
見る事などは許さない」とす
る差別排外意識と全く同質な
歪んだ人間的質性を二輪の場
面で見せているのである。
バカバカしくて話にならない。
飲食店は飲食店で同じであるし、
人は人で誰も同じ人であるのと
一緒で、バイクに乗って走れば、
誰でも同種の危険が平等に降り
かかってくるのに。
オートバイはウルトラ平等な
乗り物で、たとえどんな地位
や経済的格差があろうと、到
来する危険は同一だ。
二輪乗りには同じ条件で同じ事
を天が采配として我々に付して
くる。
つまり、本質的に二輪乗りは
その個人の質性や思想や思考
法とは関係なく「同族」である
のだ。
そこを理解できていないと、同
じ二輪乗りなのに他者を差別排
外していながら「差別など私は
していない」と言い張る根っこ
からの大トンチキになってしま
う。
原付1種のヘルメット完全着用
義務化は1986年に実施された。
これにより、買い物バイクでも
ヘルメットが必要となり、原付
の売り上げが激減したという事
実があった。
日本において、すべての排気量
ですべての道路でヘルメットの
着用が義務化されたのは1986年
であり、それ以前と以降では
扱いが全く異なる。
今の時代、1986年公開の映画の
中のシーンを指して「アパート
の建物の横でエンジンをかける
な」と指弾して良市民ぶるエセ
コンプラ警察気取りの人間もい
る程の時代だ。映画の表現に文
句言って正義感ぶっている。
その事自体が根本的にズレズレ
のトンチキだと自覚できないと
いう恐ろしい時代。
同時に、ニセ正義マンたちによ
る告発通報密告時代。
バカな時代になったものだと
強く感じる。
ただ、バイクに関しては、危な
いのでヘルメットは義務化がど
うのとかの遵法からの観点だけ
でなく、被ったほうがよい。
30km/hで走っていてもノーヘル
だったりしたら電柱に頭部があ
たったら死ぬよ、間違いなく。
私がノーヘルOK時代でもヘル
メットをできる限り被るよう
にしていたのは、二輪車の現
実ってホントにそれだったか
らだ。
学生時代に入ってからは完全に
メットは被っていた。
それでも駐車場内とかの移動
運転ではノーヘルの時もあった。
原付50はノーヘルOKだったの
で、原付買い物等ではノーヘル
だったが。
自動二輪は道路では完全着用に
していた。法に関係なく。転ぶ
と死ぬ可能性高いから。
事実、何度も命を守ってくれた
のがヘルメットだった。
高校時代と大学初期はアライだ
ったが、その後nava→ショウエ
イに以降した。
碓氷峠R18バイパス(1981)
二輪における運転免許制度の歴史