TBSラジオ『アシタノカレッジ』金曜
2023年02月24日放送「エトセトラ学部」
出演 : 武田砂鉄
ゲスト : 最相葉月


TBSラジオの番組『アシタノカレッジ』の「エトセトラ学部」コーナーで最相葉月さんが「自著『証し 日本のキリスト者』」について話されていました。


■最相葉月
『証し 日本のキリスト者』
(KADOKAWA 2023年)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321610000779/
61q+y4NZAGL

武田砂鉄 僕は2014年まで出版社に勤めてて、2014年に会社を辞める時に会社の先輩から、「最相葉月さんの『仕事の手帳』という本を読みなさい」っていう風に言われて、ちょうどこれが2014年の4月に出たんで、会社辞める数ヶ月前に読んだんですけど、それを読んで何を学べっていう風に言われたのか、そこはわからないんですけどでも。まあでも、「フリーランスが大変だぞ」と、「無い無い尽くしだぞ」ということは書いてあったんで、肝に銘じたところもある一冊ではあるんですけどね。

最相葉月 ありがとうございます。それはもうタイトルをそういう風に『仕事の手帳』としてくれた日経新聞の編集担当者のおかげですね。

武田砂鉄 この本の中に当時のInterFMでラジオ番組をやられていて、結構長いインタビュー番組っていうのをやられてたとここに書いてたんですけど。

最相葉月 そうなんです。もうつくづく自分には向かないと思いました。

武田砂鉄 でも、この中にも今までいろんな方にインタビューしてきたけれども、ラジオっていうのは今、これを聞いてくださってる第三者の方に向けてインタビューをお届けすることの難しさがあるっていう風に書かれてましたけど、どのように難しかったですか?

最相葉月 やっぱり沈黙しちゃいけないじゃないですか。沈黙は事故扱いですよね。だけど、私のインタビューっていうのは第三者に聞かせるのではなくて、やはりお互いに深まっていくものなので、沈黙を耐えるっていうことがとても大事なんですね。その沈黙の間に下手にこちらが口を挟むと、考えて言おう言おうとしてたことが言えなくなっちゃうとか、すごく大事な時間なので、ラジオの場合はそれができないというのが非常につらかったですね。だからお聞き苦しかったと思いますね、当時は。

武田砂鉄 でも、ラジオのインタビューに限らず、いろんな方にインタビューする中でもやっぱり当初はすごく沈黙が怖かったっていうこともお書きになってましたけど、僕なんかもラジオだけじゃなくて、いろんな方にインタビューすることもあるんですが怖いですよね。で、僕はまだ怖いままなんですが。

最相葉月 怖いです。

武田砂鉄 完全に克服されたわけではないのかもしれないですけど。

最相葉月 「何かいけないこと聞いちゃったかな?」とか、「こんな質問をするなんて、全然自分のことを理解してないじゃないか?」と思われてるんじゃないかとかですね。やっぱ質問ってとても質問者が問われることでもあるので、一つ一つとても怖い怖いの連続でしたよね。今も決して慣れませんよ。

武田砂鉄 でも本当にその沈黙の後に出てきた言葉っていうのが後から振り返ってもすごくど真ん中にあるというか、背骨になるような言葉っていうのがそこから出てきたりですることがありますよね。

最相葉月 そうですね。だから、もう自分がそれが怖いということが自覚できましたので、それからはそれを克服するためにどこまで待てるかっていう、我慢比べみたいな時もありますね。

武田砂鉄 これ以上待つと、ただ緊迫した場所なんじゃないかっていうこともあったりしますもんね。このバランスがすごく難しいし。

最相葉月 難しいと思います。

武田砂鉄 インタビューって、饒舌だからいいっていうものでもないっていうところがありますよね。饒舌にしゃべってるんだけど、実はそれはいつもしゃべってる内容だったり、どこかで繰り返し発言してきたことなんだろうなって思いながら聞いてると。

最相葉月 やっぱり取材をする時っていうのはこちらのテーマとか、意図がはっきりあるわけですけれども、その質問の仕方によってその相手を誘導するようなことはあってはいけないという風に、自分がインタビューを受けたりする時もとても感じることなので、それは相手もお感じになってるだろうと思って、できるだけこちらは真っ新な状態で言葉をいただくということの方が結果的に後で読み直した時にこれは普通に訊いたんじゃ聞けなかった言葉が聞けたなと思うことが多いですね。

武田砂鉄 誘導したくならないですか、でも?

最相葉月 どうなんでしょうね。誘導しちゃってるのかもしれませんけれども。

武田砂鉄 難しいですよね。本当に人それぞれだから。こっちにノウハウがあるとかってことじゃないじゃないですか?本当に相手がどう出るかとか、その場に誰がいるかとか、残り時間何分だとか。

最相葉月 残り時間何分はね、ラジオは必要ですけどね。自分の場合は今回は特に、それはもう制限を設けなかったですね。

武田砂鉄 今回、『証し 日本のキリスト者』というご本を出されまして、もう1000ページ超える本で、もう鞄に入れてるだけで移動するのに結構大変だみたいな。

最相葉月 すみません、重くて。本当にごめんなさい、重すぎて。

武田砂鉄 それぐらい分厚い本なんですけど。今回、135人ものキリスト者に話を聞いたということなんですが、信仰というテーマをこれだけ追いかけようと思われたのはどうしてだったんですか?

最相葉月 本当に一つの作品を書き上げる時というのは一つだけの理由ではないので、とても短い時間で説明しにくいんですが、この十年ほど精神科医療の取材をずっと続けて、心理カウンセリングの世界を書いてきたんですけれども、その中で日本に戦後、カウンセリングが入ってくるんですが導入したいろいろなルートの中の一つに一人の宣教師による講習会というのがありまして、その宣教師の師匠という方がカール・ロジャースという非常に有名な心理学者ですね。そのカール・ロジャースの生まれというのがとても敬虔なクリスチャン一家だったということで、キリスト教とカウンセリングというのが根底の部分が何か非常に関係があるんじゃないかということは精神科医療、カウンセリングの取材をする中で感じていたことです。ですので、キリスト教がどういう風に心を癒しているのかっていうことも知りたいですし、なぜ、これが日本に入ってきたのかっていうこともちゃんと調べたかったというのが一つあります。もう一つ大きなきっかけがですね、昔『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』という本を書いてるんですが、これは中国朝鮮族の女の子の話で、私がたまたま電車で道を訊かれて、身元引受人になる女性だったんですけど。彼女が中国の地下教会の生まれでして、中国というのはキリスト教は禁止されてますので、地下で非常にいい敬虔な一家、クリスチャンファミリーだったんですが、まずそういう子とたまたま知り合って、今も友人なんですけれども。彼女と会うと必ずキリスト教のことで喧嘩になってしまうというのがありました。それはなぜかって言うと「最相さん、こんな素晴らしい聖書という本があるのにそれを読まないのは本当に人生の大きな損ですよ」みたいなこと言われたこともありますし、「これを信じたら天国に行けるのにどうして信じようとしないんですか?」って、日本語がそんなに完璧ではないっていうこともあるんですが、必ずそのあたりで言い合いになって、彼女を理解するためにもやっぱりキリスト教をちゃんと知りたいなとか、そういうことはとてもありました。だから構想十年というのはそういう他の仕事している中で「これはいつか本格的に取り組まないといけないテーマだな」という。で、動き出したということですね。

武田砂鉄 でも、取材を始められてからも本当に全国津々浦々の、そしてキリスト教の中にもいろいろな考え方があって、たくさんの方に話を聞きに行かれてるわけですけど、いろいろな揺さぶられ方っていうのがあったと思うんですが、自分がスタートしてみて、いろいろな人に話を聞いてみて、どんどん道はズレていったと思うんですが、どういう揺さぶりがありました?

最相葉月 まず最初の頃の大きな衝撃というのは、本当にアポなし取材で歩いてました。だから、今、スマホでGoogleマップで調べられますね。Googleマップに新しく着いた土地で「教会」って入れて検索するとワーッと教会が出るじゃないですか。じゃあ、ここに行こうと行くとですね、鍵が閉まってたりするんですね。

武田砂鉄 もうアポなしにも程がありますね。

最相葉月 本当にこんな風に教会っていうのはやっぱり駆け込み寺的なところも…寺って言っちゃいけないけれども、そういう場所でもありますので、鍵が開いてるものだと思い込んでたんですが、これはちょっと違うぞと。現在の教会はちょっと違うことになってるんじゃないかって、それで取材依頼をちゃんとしてから次に行くようになって、どんどん、どんどん同じ教派であれば繋がっていくようになったんですね。教派を超える場合はまたゼロからちゃんと取材依頼をしてっていうところで取材を次また行くという、そういう行き方ですね。

武田砂鉄 でも、ここに書かれてる方ってのはそんなに日頃、インタビューをじっくりされるっていうことに慣れていらっしゃらない方が多いと思うので、そういう方ってのやっぱりインタビューするにしても、最初から「はい、どうぞ」って言った時にバーっと出てくるわけではなくて、正に最初におっしゃってた沈黙の後に出てくる言葉っていうのをまず必要というのが多くあったと思うんですが、それをずっと続けていくのは結構、これまでいろいろな取材と比べてもやり方が結構違ったところもあるんじゃないかなと思うんですが。

最相葉月 違いますね。やっぱり自分が教会の礼拝に出席しました。毎週日曜日、どこかの教会に行ってましたね、全国のね。そこにまず礼拝に行って、ちゃんと皆様とご挨拶してという、そういうちゃんと手順は踏んでるわけですね。それで「もしよろしければ、皆様の中でこういうテーマで取材をしてるんですけれども、お話を聞かせてくださる方いらっしゃいませんか?」って言ったら、何人かの方が「私でよろしければ…」っていう風な形で手を挙げてくださると。そういう形ですね。

武田砂鉄 僕自身が最相さんの本はいつも刊行されたらいつも手に取って読んでるんですが、今回とりわけすぐ読もうと思ったのは、僕自身が中高時代ですね、中高一貫校に行って、プロテスタント系の学校だったんですけれども。なので毎朝、礼拝というのがあって、8時40分から30分ぐらい、クリスチャンの先生が礼拝堂の上に立って、いろいろと話をするというのがあったんですね。中高生だったということもあって、割と斜に構えて見てたっていうところがあって、本当にかなり雑なことを言うと、「なんで、あのムカつく先生がこの自分に神について話をするんだろうか?」みたいな、そういう苛立ちみたいなものもあったんですけど。今考えてみると、あそこでいろいろな話を聞いたことであるとか、そしてその先生たちが「なぜ神を信じているのか」「なぜ信仰心を持ってるのか」っていうことをもうちょっと話し合うじゃないけれど、真剣に問いかけるってことができたんじゃないかなっていう、後悔みたいなものがあって。だから、今回、この本の中に出てくる、「なぜ自分は信仰を持つようになったのか」「神を信じるようになったのか」って、本当に多種多様な信じ方、信仰の仕方があるわけですけど。そのバリエーションの豊かさというか、一つとして同じものがない感じっていうものを、もっとあの頃は単色のものとして、「神を信じるってのはこういうもんなんだ」っていう風に処理しすぎていたし、それはもしかしたら、今どこかに、自分が信仰心がないものなんで、あるわけですよ。そこがすごく揺さぶられた感じがしましたね。

最相葉月 だから、同じ神様を信じていると思えないと思いました、一神教なのにですね。

武田砂鉄 おもしろいという言い方があれなのかわからないけれども、人に話を聞けば聞くほど、どんどん枝分かれしていくというか。

最相葉月 多様であるんですね。教派が違いは違いますし、キリスト教って一神教ですが、一体何をもって一神教というのだろうということもとても疑問に思いましたね。みなさん自身が本当にそうだったと思います。神を信じると言いながらもさんざん疑問を持って格闘してるわけですね、ご自身の思いというものに。そういう信仰の道程というのが今回とても人それぞれ、多様であることが私は人の営みとしてとても素晴らしいと思って、何度も感動しましたね。

武田砂鉄 何章かにわかれてるんですがその章の中に、「神はなぜ奪うのか」という章と「それでも赦さなければならないのか」という章があって、災害とか、事件とか、近親者の喪失みたいなものがあった時に「それでも信仰というものは揺らがなかったんですか?」というような問いかけをするという所が随所に出てくるわけですけれども、これは本当にその答えも人それぞれなわけですけれども、これは問いかける方もすごくある種、問いかけとしてはかなり重いものだし、そこから返ってくる言葉っていうのもすごく重い言葉というのが多かったですよね。

最相葉月 そうですね。産婦人科医の先生のプロテスタントの信者の方のインタビューで、産婦人科医ですから中絶の現場も立ち会っておられるわけですね。キリスト教というのは基本的にそれはいけないことだということをみなさん主張されますが、その正に現場で自分がもしその女性を助けてあげなければ、誰かがやらなくてはいけないんだと。なら自分がやりましょうということで、対応されてらっしゃるんです。もうその話が、私は宿の畳の上で、ちゃぶ台で向き合ってインタビューしたんですけど、お話を聞きながら二人でボロボロ泣いてですね、インタビューを文字に起こす時にも泣いて、コーヒーショップでまとめたものを読みながら泣いて、ゲラでまた泣いてという感じでですね、本当にこんな苦しいことがあるんだろうかと。私たちはみんな見ていない。知っていながら見ていない。そこにもクリスチャンがいるっていうことですね。今回、本当に初めて知りました。彼女はその中の一人だと思います。たくさんいらっしゃると思います。

武田砂鉄 最相さんが阪神淡路大震災であるとか、そして東日本大震災であるとか、日本で起きた大きな震災を取材されたり、現場を見られたりということもあって、その中で信仰というのが大きな支えになってる方というのもこの本の中にたくさん出てこられますよね。そういった方たちとの対話っていうのはどのようなものでした?

最相葉月 今回は東日本大震災の被災地である岩手県の山田町の正教会ですね。ハリストス正教会、東方教会ですけれども、そちらの信者さんたちに何名かインタビューさせていただいたんですが、目の前で奥様を流された方がいらっしゃいましたし、本当にあそこは町が実はもう全焼したんですね。ですので教会が焼けてしまったということで。家も流され、焼かれ、教会も焼かれということで本当に心の拠り所が全くなくなってしまった中から今、復興の道に進んでらっしゃるわけですけれども、本当に神なんかいるんだろうかっていう方もいらっしゃれば、「主憐れめ、主憐れめ」と私、早口言葉みたいで言えないんですが、もっと早くおっしゃるんです。「主憐れめ、主憐れめ」っていうことを繰り返しながら逃げたとか、本当にギリギリ、「神様!」って言った人もいれば、「神なんかいいいるもんか!」って思った方もいれば、それも時間が経つとまた変わってきているんですね。その時間をかけて、どういう風に変わってきたかっていうこともやっぱりお聞きしてきたんですけれども。実は今朝、宅急便の冷凍便が届いて、その教会の方々がみなさんで少しずつ出し合って、海の幸を送ってくださって、お手紙が入っていて、今回の本を、本当に自分たちの記録が流されてしまったんですね、この教会は。だから、「活字にしていただいてありがとうございました」ということでお手紙が入っていて、それはかえってこちらの方が感謝する思いですね。

武田砂鉄 でも最相さんの作品の中で取材して、ご自身の文章としてノンフィクションを書かれるっていうスタイルが多かったと思いますけど、今回、どなたかの語りというのを一つの章にして、書き起こすという形にしてまとめるっていうのはやっぱり、これまでとは結構違うやり方、そしてインタビューもご自身で文字起こしをされて、それこそ沈黙の部分であるとか、その息遣いみたいなものを体感し直すっていうことをされたという風に書かれてましたけど、やっぱりこれまでの書き方とはやはり違うものでしたかね?

最相葉月 「神を信じて生きるとはどういうことか?」っていうことをみなさんに語っていただいている。そのことに対して取材してる人間がそれを何らかの角度で評価するとか、そういうことはちょっとできない。そういうテーマだろうと思ったんですね。私はとりあえず置いといて、まず、たくさんの人の言葉をとにかく聞いて、信仰というのはどういうものなのか、本当に神を信じてる人がどういう風に考えてるかっていうことをとにかく聞きたかったということですね。それはやはり、SNSの時代になって、言葉が断片的に切り取られたり、炎上したりということで人の言葉がとても軽んじられている。言葉がかわいそうな時代に、そうじゃないという。とことんまで、その人が納得されるまでとにかく耳を傾けるという。それを今回すごくやりたかったということですね。

武田砂鉄 この1000ページの本の最初の10数ページの所にロシアの思想家のミハイル・バクチンの言葉として
人間の真実は特定の誰かの視点のみで表現することはできず、どれほど多くの視点を集めて分析したとしても、両者には大きな隔たりがあるという。

武田砂鉄 ってことを書かれていて、
本書にあるのも特定の証言者の記憶であり、証言者一人の視点のみで語られた心の軌跡である。その意味では、内面のノンフィクションといったほうがよいだろう。

武田砂鉄 という風に書かれてますけれども。でもやっぱり、一人一人の内面に入り込んでというのか、借りてというのか、表現はわかりませんけれども、その一人一人の内面をこうやって形にするというのはなかなか達成できたという風に言い切れる形になるっていうのはそれはそれで難しいところがありますもんね。

最相葉月 だから、あちこちでいろんな声がしてると。その総体を持って、日本のキリスト者なんだということなんだろうと思いますね。誰か特定の一人だけではない。いろんな形の神のあり方、信仰の仕方を通じて、全体の浮き上がってくる日本の、在住外国人も含めてのキリスト者ですけれども、そういうことが浮かび上がってくればいいなという風に。だから、私自身の結論も特にないですね。

武田砂鉄 これは取材に六年間、毎週末いろんな所に行かれたということですけど、この六年間といいますか、最近の話では当然、コロナというのもありましたし、そして今日はちょうど一年ですがロシアのウクライナ侵攻というのがありましたし、日本でいえば、宗教ということで言えば、旧統一教会と政治の繋がりがどうなんだみたいなところもトピックになりましたけれども、そういった社会的な出来事っていうのはこの取材する中でどういう風に影響してるとかっていうのは感じられたことってありました?

最相葉月 直接お会いするっていうことが、礼拝も中止になったりしましたので、まずできなくなりましたので、それはもうしょうがない。諦めまして、リモート礼拝があれば、そこに参加させていただくとか、緊急事態宣言が解除された合間を縫って出かけたりっていうことですね。ウクライナとロシアの戦争については、ちょうど正教会の在日ロシア人の方を取材しておりましたのでご夫妻なんですが、再取材させていただきました。彼が今、本当に引き裂かれている状況というのを語っていただいたんですけれども、正教会も本当に直接的な影響を受けて、非常に分裂している、今も分裂している状態で、心を痛めている方々がたくさんいらっしゃいますのでそれはもう本当に私がこう言っちゃいけませんけれども、祈るしかないという状況ですね。

武田砂鉄 本当にこの本を読むと、日本は何か特定の宗教を信仰するっていうことを持たない方が多いですけれども、逆に言うとだから「信仰とはどういうものか」っていう問いかけっていうのを自分に対して問われることとか、自分自身に問うことっていうのが極めて少ないわけですよね。だから、それこそ昨年から続いてる旧統一教会の問題なんかも、そこにいる人たちがなぜ、あそこまで強い信仰心を持っているのかっていうことをどういう風に自分の頭の中で想像していったらいいのかっていうのさえわからないっていうところがあったりして。だから、それをどういう風に言葉にしていいかってすごく悩みますし、かといって、起きてる問題自体は非常に大きな問題なわけですから、何かを解決しなくちゃいけない。言葉を言わなくちゃいけないって、この悩みはすごくまた、これを読み直す中で直接関係してるわけではないにしても、すごく感じるところが多くあったんですよね。

最相葉月 おそらくそこは直接関係してると思います。宗教、信仰だからこそ、歪む可能性があるんだと思います。ですから、今、献金問題がかなりクローズアップされましたが、なぜ献金するかといえば、信仰があるからですね。信仰があるということは神を信じるから。神を信じるからこそ神を信じない人に対する思いというのも非常に先鋭的になる危険性があるわけですね。そういうことはおそらくカルトであれ、そうじゃない正統派であれ、あまり変わらないんではないか。だから、組織、人間の営みである以上、いつでもそういう危険性はあって、だから自分たちがどういう風に本来の姿であるべきかということは常に自分自分で問い続けていかないといけないという風に思います。だから、旧統一教会が発端にはなりましたけれども、私たち自身が、仏教も神道も一緒です。宗教の世界自体が自分たちの来し方行く末というのを問い直す、そういう機会なんだと思います。

武田砂鉄 今回のこの本の帯に「なぜ神を信じるのか」と。そして本の帯の背の所に「信仰とは何か」という風に書かれてますけど、本当にこの本を読むとその問いかけというのはずっと自分に問いかけられてくる本ですので、1000ページとかなり大著ではございますけれども、是非読んでいただければなと思います。そろそろお時間でございます。今日、紹介しました『証し 日本のキリスト者』はKADOKAWAから発売中です。最相さん、本日はありがとうございました。

最相葉月 ありがとうございました。


■最相葉月
『仕事の手帳』
(日経BPマーケティング 2014年)
https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/2014/9784532169275/
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■最相葉月
『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』
(岩波新書 2015年)
https://www.iwanami.co.jp/book/b226326.html
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