(文中敬称略)

 2025年10月21日に高市早苗内閣が発足してから、この原稿が掲載される11月21日で、ちょうど1カ月になる。

 私は「日本の抱える問題が新たに発足した高市内閣で解決するわけがない」と判断している。むしろもっともっと悪くなっていくだろうと予想している。

 不幸にもその予想は台湾海峡を巡る中国との外交問題として火を噴いている。

総理大臣は鉄砲玉では困る

 私には、高市早苗という人が、日本国の先頭に立つ内閣総理大臣に就任してもなお、「鉄砲玉」の体質であることをさらけ出しつつあるように見える。

 ヤクザ映画で親分は決して「誰それを殺(や)れ」とは言わない。鉄砲玉は雰囲気を察して、「あ、あいつが邪魔なんだな、タマを取れば親分が喜ぶな」と感じ取る。そして誰それの事務所に「うりゃー」とばかりに突っ込んで、逮捕される。取り調べには「全部俺の判断でやった」と言って押し通す。

 そこは親分も察するので、刑務所からの出所時は、「おつとめご苦労さまでした」とずらっと組の一同並んで迎え、若頭の地位を与える。表面上、親分と鉄砲玉は何も共謀していないので、警察も親分に手を出せない(だからその後、暴対法における使用者責任が厳しくなった)。すべては「お察し」で進行する。

 台湾海峡のような歴史的経緯が絡まって難しい問題は、100年でも200年でも曖昧にしておいて、その間に海峡の両側とも経済的に得をするように持っていくべきだという話を書いた(「種子島から考える台湾海峡」)。あえて状況を曖昧にしておくのは、外交という人間の営為が生み出した知恵だ。

 曖昧さを維持したまま、中国に「台湾周辺で米軍と中国軍が交戦したら自衛隊による何らかの行動の可能性があるぞ」ということを伝えることも可能だ。政治の外縁部に鉄砲玉を立てて、そいつに一言言わせればいい。

 今回の岡田克也・元外相の衆議院予算委員会での「台湾有事の際、どのような場合に集団的自衛権を行使できる存立危機事態になるのか」という質問は、それ自身が鉄砲玉的役割を持ったものだった。

 ここで、答えるのに首相以外を立て、しかも「戦艦を使い、武力の行使も伴うものであれば、存立危機事態になり得るケースだと考える」と答えたとする。これは「中国が武力で台湾統一を図れば、自衛隊が出動する」と言ったも同然なので、台湾問題は内政問題と常々主張している中国は怒る。

 そこで、親分たる内閣総理大臣は、「ウチの若いのが失礼しました、まあワシの顔に免じて許しておくんなさい」とばかりにこれまでの曖昧さを維持した公式見解を繰り返す。表だっては、何も変化しない。が、確実に相手には伝わる。

 しかも後には、「親分が直接言う」という正当な外交的エスカレーションのステップを残すこともできる。言葉を上手に選べば「直接言う」の中に、さらにステップを刻むことができる。ステップが増えれば破局的事態を回避できる可能性は高まる。

 しかし、今回は親分自らが「歴代内閣が言えなかったことを言う」という快感に酔ったのか、いきなり鉄砲玉として振る舞ってしまった。質問者である岡田氏にとっても予想外だったようで、まさかここまで言うとはと驚いていた。

 総理大臣は、国の親分である。

 外部の評論家や議員が言うのとは言葉の重さが違う。だから発言は慎重になるし、曖昧なものも多くなる。一時の感情で組の、おっと、国の将来を縛るわけにはいかないからだ。

 鉄砲玉は、手柄を立てる機会を狙っている。

 だからリスクを恐れない。その思い切った行動が格好良く見えることもある。

 だが鉄砲玉は、大局を見ない。王将周辺だけを見て将棋を指すように振る舞う。局所最適の結果、全体最適は失われる。盤面全体の勝敗は全体最適で決まるので、鉄砲玉がトップに立てば、敗北は必至となる。国のトップが鉄砲玉になれば、その不幸は国民全体が被ることになるのだ。

 「それを言っちゃあおしまいよ」と言うことを、人気が出るなら「すぱっと言う」。

 それは国を預かるトップの態度ではない。

 自民党はなんでこんなことになってしまったのか。

 今、私の脳裏を離れないのは、宮沢賢治の「オツベルと象」だ。「オツベルときたら大したもんだ。」と、裕福な農家のオツベルをたたえる一文から始まる童話である(「オッペルと象」で記憶している方も多いはずだが、初出誌ではこちらの題だった。以下、底本とした青空文庫に従って「オツベル」を使う)。

 使用人を雇い、がんがん稼いでいるオツベルのもとにある日、白い象がやってくる。オツベルは大きな象に恐怖を感じつつも、言葉巧みに象に仕事をさせるよう誘導する。象は無邪気に喜んで働く。

 オツベルは徐々に、象を抑圧し始める。脚に鎖をはめ、重りを付けて象を拘束し、「税金が高いから」と言い訳しつつ、仕事をどんどん増やし、他方で象が食べる麦藁(むぎわら)を減らしていく――。

 オツベルは自由民主党、白い象は日本国民だ。

自民党は「下野だけは嫌だ」で動いている

 これまでも何度かに分けて書いてきた話になるが、毎度過去リンクをたどっていただくのも面倒だと思うので、この際、改めて私の見るところをまとめておこう。

 現在に至るまで、自由民主党という政党が何を考えて動いているかは、2つのことに注目すれば一貫した流れとして理解できる。

 1つは全体を貫く主線であって、「絶対に政権から降りたくなくて、下野しないためにはなんでもする」だ。

 もう1つは、主線を明確に理解するための補助線だ。「岸信介以来の旧統一教会との癒着」である。これは旧統一教会に限らず、広く「下野しないためにかき集めた組織票」と考えることができる。

この記事は会員登録(無料)で続きをご覧いただけます
残り5496文字 / 全文7875文字

【11/27(木)まで年額プランがお得】お申し込みで…

  • 毎月約400本更新される新着記事が読み放題
  • 日経ビジネス14年分のバックナンバーも読み放題
  • 会員限定の動画コンテンツが見放題