九


 戦廻暦五十七年、秋月季の四日目。厨村での騒動から数日が経っている。


 山の天気は変わりやすい。

 玄慈たちが朝目覚めて、朝食に昨日の残りの鍋に干飯を入れた雑炊を掻き込んで出発すると、早速、ひと雨きた。

 持参していた笠と蓑を被って、なつめは翼の内側に火蓑を入れて雨風を凌ぎつつ斜面を進む。


 山の生き物たちは木のうろや土の中に隠れて雨を凌ぎ、肉食獣はそれを狙ってほら穴に顔を突っ込んで小動物を喰らっている。

 逃げ回る灰色鉄鼠ハイイロテッソに、纏火狐マトイビギツネが飛びかかり、炎の五行龍気で熱した牙を突き立てて焼き殺し、その場で頭を噛み潰す。

 マトイビギツネは火の五行に愛された化獣ばけものである。紅蓮の体毛を持つその狐は、山を登る玄慈らを一瞥してから、すぐにテッソを咥えて走り去っていく。


 しかし四半刻もせぬうちに本降りになり、雷まで鳴ってくると、さすがに進むのは厳しくなる。

 玄慈は山歩き用の杖で、右手の岩壁を示した。そこには、ちょうどいい具合に穴が空いているではないか。


 一向は雨風を凌ぐため、そこへ足を向けた。しかし警戒はする。先んじて洞穴にやってきた獣か、あるいは化獣ばけものがいないとも限らない。

 獣狩ししがりとしての経歴と経験のある和真が進んで痕跡を確認する。幸い、そこは安全な場であると分かったようで、「集合」を意味する合図を送ってきた。

 玄慈は先になつめと火蓑を行かせ、己は最後に壁穴に入った。

 後ろを警戒しつつ見、それから警報用の結界札を壁に貼り付けると奥へ進む。

 

「土砂降りだ」

 玄慈はそう言って、体に巻きつけている縄と登山杖を使って簡便な物干し竿を作ると、半革具足を干した。

 革は濡らしたまま置いておくと、ひどく臭う。

 このままでは凍える。そう思ったのは玄慈だけではないようで、火蓑が熱札を取り出した。それは火を起こさず熱を発する式符であり、なつめからもらったものだそうだ。


 寒い日に火事を起こさず暖をとる便利な札だ。彼女はそれに妖力を注ぐと熱を発し、洞窟を温めた。

 式符は基本的には高価である。術を紙に封じると言うのは意外と手間がかかるのだ。そのために専用の書道道具もいるし、媒体素材もいる。

 それを、出会って間もない仲間のために惜しげもなく使うところが、玄慈は、札が発する熱以上に温かいものに感じられた。


 轟々と雨が降り注ぐ。一向は洞窟の奥に引っ込む。広さは、入り口はひとがやっと通れるかと言うくらいの狭さだが、内部は広く、三人くらいなら大の字で寝られそうなくらいには広い。

 一同は車座となり、改めて、今後の計画を話し合う。


鬼賊村きぞくむらへ行く」玄慈はそう言って、鹿皮紙の地図を指でなぞり、「鬼賊村」と記されているところを示した。

 和真は小さく頷く。「この額狩岳で最も防御に向き、最大の拠点にして、龍穴の守護隊がいる……たしかに俺たちの旅程においても、人間の略奪部隊にせよ素通りはできんだろう」


 なつめは形の良い顎に手を当てて、

「堅固な山城だけれど、それだけに落とされれば額狩岳が落ちたと考えていい。人間の略奪部隊の数が、およそ二百、かつ後詰めありなら最悪三倍に膨れると見ていい。そうね、火蓑?」

「そうです。村に襲いかかってきた連中だけでも、二百は下らなかったかと」


 火蓑が恐怖のあまり、誇張して記憶しているだけでは、と玄慈は少し思っていたのだが、村を回ったなつめはその痕跡から、二百というのがあながち嘘ではないと確証を得ていた。

 敵の目的が妖怪を誘拐し、半妖部隊の礎とすることなら、当然抵抗されることも視野に入れている。あるいは、厨村に拠点を置かなかったことから別の村をすでに襲撃し、拠点化している可能性もある。


「俺自身、ちょっと連発できるくらいの鉄砲に負けるようなことはない。だが多勢に無勢だ。中には退魔師もいるかもしれない」

「そうだな。玄慈や俺が並より強いこと、なつめが規格外、火蓑が支援術に長けるにせよ、無理がある」

 玄慈と和真がいうと、なつめは首肯。

 この四人組は図らずも「平均値以上の歩兵と弓兵、規格外の万能兵、支援兵」を役割分担できる「そなえ」として機能している。


「まずは鬼賊村に事の次第を伝えて、防備を固めさせるのが得策ね」

 なつめがそう言った。


 しばらくの間黙って、足を揉んだり肩を回したりしていた。


「……この雨、止みませんかね」

 火蓑が洞窟の出入り口を見た。

 激しい雨はいっそう勢いを増している。

 さて、半刻ほど待っていたか。

 いい加減根を張りそうなくらいに退屈してきた時、外がからりと晴れてきた。

 通り雨にしては長居だったなと思いつつ、一向は装備を整え直して外に出た。


 登山杖をつきながら山を登っていく。道に詳しい火蓑が先導した。彼女は額狩岳で育っただけあり、この山には詳しかった。

 地元の者しか使わない抜け道をいくつか通って道筋を大幅に短縮し、途中、食材となるサビクイヘビを狩り溜めておく。

 薬の材料になる野草やキノコ、地脈から露出する鉱脈を小型の鶴嘴つるはしで砕いて、いくつか希少な鉱石を採取する。


 こういった採取活動は獣狩ししがりの癖のようなものだ。己の武具をより良くしていくためというのはもちろん、村などで物々交換に使う際の対価にもなる。

 基本的に妖怪の経済活動は「物々交換」、「現物支給」である。人間の間で用いられる金銀銅鉄の貨幣通貨はあまり馴染みがない。

 妖怪は実際的かつ実利的な考えの者が、意外と多い。決して刹那的なわけでも短絡的なわけでもない。


「お、天嵐鉱。……雨のあとの幸運巡りってやつか」

「良かったじゃねえか。村に加工屋があれば、長巻をちょいと強化できるかもわからんぜ」

「へへ……こういうの拾えると、山が味方してくれてる気がすんだよな」


 玄慈とてまだ十四の若者。一方の和真は、聞いたところによればまだ二十五らしい。不幸さえなければ何百年、一千年と生きられる妖怪において、二十五など青すぎるほどの、新芽のごとき歳である。

 若い妖怪二人のやり取りの傍で、なつめは「ちょっとわけてもらうわね」と言って、薬草を刈り取って袋に詰める。

 と、火蓑が山菜を入れた袋を背負ってやってきた。


 手土産としては充分だろう。先のオオヅツヘビの素材もある。鬼賊村への贈答としては、むしろ、オオヅツヘビだけでも上等だったかもしれない。

 ひとしきり採取すると、一向は誰ともなく頷いて、鬼賊村へ歩き出した。


 火蓑の案内で歩くことしばし。

 空が朱に染まり、カラスが鳴き交わしながら飛び去っていく頃。


「ついた……」

 玄慈はそう呟いた。

 眼前には、鬼賊村──その山岳城の惣構の堀と土塁があり、村へ続く跳ね橋の前には、守衛が二人立っているのだった。


 守衛の二人は薙刀を手に持ち、直立不動でそこに立っていた。二人とも額から二本角を生やし、肌は血のように赤く、筋肉粒々の勇ましい大男である。

 上背はゆうに七尺。乱暴者ならばひと睨みでくびり殺してしまいそうな威圧感。


「なんだ、旅人。ここから先は鬼賊村。妖怪同胞であっても用がなければ、今は通せん」

 玄慈は臆せず一歩前に出た。「そのことで話したいことがあるんです。お二方もご存知でしょうが、人間がこの山に布陣しつつあります」


 ム……と、守衛は顔を見合わせた。


「厨村のことは聞いていますか」

「いや……しかしあちらが騒然としていたから察しはつく。こちらへ誰も逃げてはこなかったことからも、おおよその末路もな」

 もう一人の守衛がいった。

「時を同じくして、多田鉢村ただばちむらも襲われたのだ。合議の末そちらを一旦救援せんと部隊を送ったが、敵には退魔師がいた。……おかげで痛烈な反撃を許した」


 なるほど、それで厨村には救援がなかったのかと、玄慈は思った。

 しかし火蓑は悔しそうに奥歯を噛んだ。事情があったにせよ、見捨てられたと感じたのだろう。


「退魔師は何人いる?」

 和真の問いに、守衛は顔を見合わせた。

「二人だ。あ、……いや、なぜ? お前たちは一体……」


 なつめが一歩前に出て、首から下げている鉄札を見せた。微かに翡翠がかった色のそれは狂飆鋼で相違ない。

 刻まれている文字は表に「武」、裏には「梟福殿なつめ」。

 すなわちこれは武の神使隊に属する、梟福殿きょうふくでんなつめであることを示している。


 この郷において──いや、よその郷でも人妖問わず、神使を騙る行為は重罪である。その刑罰は、情状酌量の余地なく即座に死罪である。

 なつめの眼光と、鬼をも恐れぬ威風堂々たる歩みで全てを察したのだろう。守衛は「す、すみません。神使隊の方が来られるとは露知らず」と慌てて道を開けた。


「それはいいのだけれど、救援隊はどうなったの?」

「撤退を余儀なくされた。戻ってきた兵によれば、略奪軍に損害を与え後退させたとのことだが、村は相当に荒れたらしい。生き残りを三十ばかり連れ、今は山麓の郭にいる」


 なつめは顎を引いて頷いた。


「通してもらうわね」

 なつめが微笑むと、鬼の二人は少しだけ嬉しそうに頬を緩めたが、すぐに、厳しい顔つきで守衛の仕事に戻った。

 玄慈らはなつめの鉄札と立場でどうにか通行を許されて、鬼賊村──その惣構の内に入って行った。


 ──そうして一行は、この鬼賊村を巡る攻防へと身を投じ、それは計らずも、その後の旅立ちを決定づける戦いへと発展していくのだった。

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