パウロは2テサロニケ2章で反キリストの台頭を引き止めている者がいると教えています。

日本のクリスチャンの多くは、それを聖霊だと考えているのではないでしょうか。患難前携挙論者もそう考えており、教会が携挙されたら地上には聖霊がいなくなると教えています。
しかし、聖霊なる神は遍在されるお方ですから、仮に教会が存在しなくなったとしても、ご自分は地上に存在することができ、働きつづけることができるはずです。

それでは、「引き止めている者」とは何者なのでしょうか。

人格を持つ単一の存在

2テサロニケ2:6~7

不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。
不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです

さて、2章7節の「取り除かれる」という動詞をギリシャ語本文で調べますと、この動詞の主語が「彼」または「それ」であることがわかる語形変化で書かれています。ギリシャ語と文法が比較的似ている英語の聖書では、「彼」という主語が訳出されています。

Only he who now restrains it will do so until he is out of the way.ESV) 

新改訳聖書2017年版の場合、6節では「引き止めているもの」という非人格的な訳語となっていますが、7節では「引き止めている」というふうに人格を持つ存在として訳されています。 

これらの聖書の訳し方に基づくと、「引き止めている者」というのは人格を持つ単一の存在だということになります。歴史的には、この「引き止めている者」というのはローマ帝国であるとか、この世の政府であるとか、教会であるとか、聖霊、サタン、大天使ミカエルといった解釈がなされています。これら解釈の中で、人格を持つ単一の存在に当てはまるものは、聖霊かサタンかミカエルになります。
しかし、先に述べたとおり、聖霊説には神学的な矛盾があると言えますので、
残るはサタン説かミカエル説ということになります。サタンが反キリストの台頭を引き止めているという考え方は私的にはしっくりきませんので、ミカエル説にウエートを置いて考えてみました。

 

パウロの情報源

パウロは、1テサロニケ4章で終末論を述べた際、「主のことばによって」そうしたと記しています(15節)。この「主のことば」というフレーズは、1テサロニケ1:8にも登場します。

主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡った

また、2テサロニケ3:1でも使われています。

主のことばが、あなたがたのところと同じように速やかに広まり

パウロと異邦人伝道を共にしたルカも、このフレーズを頻繁に使っています。多すぎるため聖句の引用は控えますが、旧約聖書の引用箇所を除いても、「使徒の働き」と「ルカの福音書」で11カ所使っています。それらの箇所を見ると、「主のことば」というフレーズが主イエスが語られたことを指していることは間違いありません。ですので、パウロが終末論の情報源としていたのは、主イエスが公生涯で語られていた言葉であると考えられます。 

2テサロニケではこのフレーズは登場しませんが、パウロはマタイ24章のオリーブ山の説教に基づいてⅠテサロニケ4章を書いていますので、「引き止めている者」について述べた際も、オリーブ山の説教に基づいて書いていた可能性が大です。 

さて、主イエスはオリーブ山の説教の中でダニエルの預言を引き合いに出し、「荒らす忌まわしいもの」にスポットライトを当てています。このことを考えるとき、パウロが2テサロニケ2章を書いた際、やはりダニエルの預言を参照した可能性が出てきます。 

その場合、反キリストの台頭に相当する箇所はダニエル12:1だと考えられます。そう考えるヒントとなるのは、ボールド体の部分です。

その時、あなたの国の人々を守る大いなる君ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。ダニエル12:1 

「国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難」という部分は、主イエスご自身がマタイ24章で引用しておられます。このことから、ダニエル12:1は、終末論を語る上で要となっている箇所だと言えます。

そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。マタイ24:21

 

もう一度ダニエル12:1に戻ります。

その時、あなたの国の人々を守る大いなる君ミカエルが立ち上がる

この箇所で「守る、立ち上がる」と訳されているのは、「アマッド」というヘブ語の動詞です。「守る」と「立ち上がる」では随分と意味が異なるのですが、どちらも同じヘブル語の訳語です。
私たちはヘブル語に疎いため、一見わかりやすく訳されているかのように思ってしまうのですが、実のところ、この訳し方が誤解を招いているようです。
以下の聖句の赤で強調した部分は、どれもアマッドの訳語です。

民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった。ヨシュア10:13

この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ
2歴代誌20:17(新改訳第三版)

アマッドの原義は「立つ」ですが、文脈によってニュアンスが変わるため、訳語も大きく変化することが上記の訳語でおわかりいただけると思います。 

まず、ダニエル12:1の「守る」という訳語ですが、これは「アマッド+アル」という二つの言葉からなる表現をまとめて「守る」と訳しています。二つの言葉をそれぞれ直訳すと、「~の上に立つ」となります。つまり、ミカエルがイスラエルの民の上に立つことで、この民を守っているとニュアンスです。

 

一方、「立ち上がる」と訳されているほうは、ミカエルが立ち上がることで、イスラエルを守ることを止めるというのが、本来この聖句が云わんとしていることのようです。つまり、イスラエルの民の上に立っていたミカエルが立ち上がってしまうので、守りがなくなって反キリストが民を迫害できる状態になり、「国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る」というわけです

 

このように、アマッドの意味を正しく理解すると、ダニエル12:1の前半と後半が調和して、全体として理に叶った内容になります。また、その内容は2テサロニケ2:6~7とも調和します。

 

ミカエルの役割

次に、ミカエルの役割を確認しておこうと思います。そうすることで、ミカエルが反キリストの背後にいるサタンを今のところ抑えていることに納得がいきます。

ダニエル10:13、20~21
ペルシアの国の君が二十一日間、私に対峙して立っていたが、そこに最高位の君の一人ミカエルが私を助けに来てくれた。私がペルシアの王たちのところに残されていたからだ。

20 すると彼(人のような姿をした方)は言った。「私がなぜあなたのところに来たか、知っているか。今、私はペルシアの君と戦うために帰って行く。私が去ると、見よ、ギリシアの君がやって来る。しかし、21真理の書に記されていることを、あなたに知らせよう。私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者は、あなたがたの君ミカエルのほかにはいない

上記の箇所からわかるのは、「ペルシアの君」「ギリシアの君」といった悪霊的存在がいるということです。「君」と訳されているヘブル語には「支配者」という意味もありますので、これらの霊的存在は、サタンの下で自分に割り当てられた国を統治する高位の霊的存在であることがわかります。ミカエルは、それらからイスラエルの民を守る役割を担っているようです。そして、そういった高位の悪霊的存在に「立ち向かう者は、…ミカエルのほかにはいない」のです。

 

ユダの手紙1:9

御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて悪魔と論じて言い争ったとき、ののしってさばきを宣言することはあえてせず、むしろ「主がおまえをとがめてくださるように」と言いました

この箇所では、ミカエルがサタンと一対一で対峙した様子が伺えます。

 

黙示録12:7

さて、天に戦いが起こって、ミカエルとその御使いたちはと戦った。竜とその使いたちも戦ったが

ここでもミカエルが、仲間と共にサタンの軍勢に対峙しています。この後、ミカエルらはサタンの軍勢に勝利します。
このようにミカエルは、悪霊のヒエラルキーの中でも上位に位置する強力な霊的存在や、サタンそのものと対峙したり、戦ったりする役割を担っています。

 

●まとめ

反キリストを「引き止めている者」については、聖書中に具体的な描写が見られないため100%断定できませんが、これまで見てきたことから、私はミカエルこそが「引き止めている者」であると考えています。

 

おわり