お嬢様の居ぬ間の……
とある学校……というか、とあるお嬢様が修学旅行に行ったその時、東京はあのテロ以来の緊張に包まれていた。
「警視庁より通達。
本日0700をもって、新宿ジオフロントテロ未遂事件の一斉捜査を行う。
関係各所は警戒を続けるように」
九段下交番は別にこれとは関係がないように見えるけど、交番職員の警戒も凄いものがあった。
交番所長の小野健一警部はあくびをしながらその報告を聞いていた。
「警部。
向こうからの差し入れですよ」
「おう。
いつものようにちゃんとお断りして、もらっておけ」
公務員に差し入れをすると色々問題があるので、こうやってお断りをするのが決まりである。
とはいえ、向こうこと北樺警備保障はみなし公務員になった訳で、そのあたりの法解釈がまだ追い付いていない。
向こうもそんな事で叩かれたくはないのでこの手の差し入れは缶コーヒー等であり、こちら側もお断りした上で『持って帰るのも重たいでしょう、そちらに捨てておいてください』と言ってもらうのが日常となっている。
「で、向こうさんの方はピリピリしていたかい?」
「そりゃもう。
お嬢様が神隠しにあったのですから、警護体制の見直しを進めているらしいですよ。
夏目警部も初の始末書を書かされたそうで」
「そりゃかわいそうに」
部下の巡査と話しながら小野警部は苦笑する。
ノンキャリアの叩き上げで、警部補のまま退職というコースが変わったのは、この九段下前にできた高層ビルの主と今年改正された法律のおかげである。
警備員・賞金稼ぎ・探偵等が警察の下請けになった結果、それを指揮する警部が大量に必要になったのだ。
それを知っていた彼はダメ元で試験を申し込み、合格してこの九段下交番の主としてこんな所で差し入れられたコーヒーの缶を開ける事に。
これも、以前組んでからウマが合って、未だ酒飲み友達である前藤正一管理官のおかげだろう。多分。
で、そんな前藤正一管理官のコネの結果、交番の前の高層ビル――九段下桂華タワー――の主である桂華院瑠奈の警護で大量にやってきた北樺警備保障は基本彼の指揮下に入る。
ビル警護だけで四個分隊(約40人)が交代で警備しており、武装メイドまで入れたら小隊規模(約50人)、北樺警備保障の東京支社でもあるから集まっている連中は中隊規模(約200人)という大規模人員を握る彼の存在感は大きい。
多分無事に務められるならば、退職前に副署長でゴール。
真面目に働くならば、署長も夢ではないがそこまで無理して働くつもりは小野警部にはなかった。
「さてと、仕事をしよう。
俺たちの管轄ではこの捜査に絡むものは無いが、テロ阻止を名目に各所に立って警戒。
見回りの回数も増やしておけ。
おそらく向こうから提案が来るから、それをありがたく受けておこう」
新宿ジオフロントに対するテロ計画が発覚し、それを名目とした大規模捜査が可能になったのも大量に増えたマンパワーによるものが大きい。
特に、探偵名目でハッカーを警備会社が雇い、反政府組織に対してのネット情報収集がこのテロ計画発覚につながった。
もちろん、ハッキング等も行われたらしく野党が騒いでいるが、世界はテロに対して厳しい視線を向けていた。
(しかし、今回の捜査は前藤が絡んでいるらしいが、お嬢ちゃんが居ない間にする事を選んだか。
あのお嬢ちゃん、よほどの大物なんだろうなぁ……)
彼女の経歴は仕事上表裏とも知っているが、そこまで大物であるという感覚にいまいちピンとこない。
何しろ、差し入れを最初に持ってきてしょぼんと帰っていたのがそのお嬢ちゃんである。
なお、持ってきたのは引越し挨拶の蕎麦だった。
何かがずれているが、そんなお嬢ちゃんを見守るのが彼の仕事である。
「警戒対象として、今回のテロを計画した反政府組織、極左暴力集団、右翼、新興宗教過激派等の動きは常時情報をチェックしておけ。
それと、この捜査に連動して暴力団関連にも捜査の手が入る。
捕物はかなり大掛かりになるから、駅に立つ連中に捕物の写真の配布を忘れるな」
(案外、この捜査はこっちの方が本命かもしれんな……)
現場一筋だった小野警部の嗅覚は、そんな臭いを嗅ぎ取っていた。
この時期、バブルの後始末として特別背任で訴えられた経営者達の判決が出だし、バブルの闇の紳士達の存在が見え隠れしていた。
そもそも、洋上都市なんて面倒な物を造らなくても、破綻したリゾートなりニュータウンなりを利用すれば、もっと安くできるはずだった。
にも拘わらず政府は洋上都市を選択した。
(あのお嬢ちゃんが金をぶち込んでいる鉄道事業こそ、土地が密接に絡む伏魔殿だ。
そもそも、未遂の新宿ジオフロントの中核は桂華鉄道が推進する新宿新幹線。
桂華金融ホールディングスは、多額の不良債権を切り離して救済されたが、その不良債権は地上げされた土地で、暴力団が絡んだ物も多い。
政商桂華が嬢ちゃんに継がせる為に、後ろ暗いのを掃除したかもな)
小野警部の嗅覚はかなり当たっていた。
この捜査で、桂華金融ホールディングスはマネーロンダリングの情報を提供し、桂華鉄道は新宿ジオフロントに絡む地上げで被害届を提出していた。
なお、修学旅行中のお嬢ちゃんは何も知らされていない。
「あと……」
小野警部は一旦そこで言葉を区切る。
彼がまだ巡査だった頃の苦々しい思い出を振り切って、彼は言葉を続けた。
「第二次2.26事件を起こした帝都警とその残党が蜂起しかねん。
奴らは俺達の獲物だ。
二度と自衛隊に獲物を持って行かれるなよ!」
第二次2.26事件は自衛隊の治安出動まで引き起こした警察最大の汚点である。
95年の新興宗教によるテロ事件を始めとして、警察側も対テロ部隊の編成を急いでいたが、警備会社という名のPMCを手に入れた事で警察側にジレンマが生まれる。
彼らが第二の帝都警になるのではないのか?
独特の治外法権を有している華族連中辺りの動きは警戒しなければならず、その先に居るのがお嬢ちゃんこと桂華院瑠奈だった。
また、この捜査には自衛隊も密かに協力していた。
秋に発生したテロ未遂事件でテロ組織の拠点が湾岸地区のボートハウスだった事から、今回の捜査は湾岸地区を大規模に捜査する事になっており、船で東京湾から逃れる連中の為に護衛艦が一隻羽田空港沖合で遊弋することになっている。
警察として、協力に感謝はするが、手柄を横取りされたくないと思うのは仕方ないことだろう。
「警視庁より通達。
湾岸地区の捜査を開始。
都内数カ所の捜査を開始し、公務執行妨害で逮捕者が発生……」
「この大捕物に現場に出なくて椅子に座っていられるとは。
俺も偉くなったもんだ」
小野警部の自虐とも取れるぼやきを聞いている者は居なかった。
この捜査で、暴力団十数人、右翼および極左暴力集団、新興宗教過激派が別件逮捕され、密輸品だの麻薬だのが大量に押収されたが、マスコミに公開された一番の映像は倉庫街にあった大量の東側の武器弾薬だった。
それを隠していたと目される反政府組織を捕まえられなかった事で警察は非難を受けたが、都内浄化作戦と称してこれからもこの手の広域捜査を続けてゆくと発表された。
それと同時に、都市部の開発規制が緩和され、二級市民向け住宅問題が政治の季節を迎えることになる。
差し入れ等
警察などにお礼をする場合、一番いいのは実は警察あての手紙である。
この手の手紙は署内で公表され、ちゃんと査定に入るらしい。
警部の壁
刑事ドラマや探偵ものでよく聞く警部だが、ここが一番の壁だったりする。
その分権限も大きいが、合格者の人数は上のポスト数の退職者と比較して決められているので、この話のように警部が大量に必要な際の試験などでは合格ラインが緩くなる。
前藤管理官と小野警部
キャリアの前藤に現場を教えたのが小野という設定。
で、前藤の本部情報と小野の現場情報の交換という形で、酒場で友情が続いている。
武器弾薬
某修羅の国の北が付く九州の市レベル。
対戦車ロケットまであったらしい。
北日本製の武器が流入しているので、一昔前の刑事ドラマクラスの銃撃戦は結構発生している。