アフガニスタンという地獄 12/13 投稿
もちろんお嬢様と岡崎も知らない話
アフガニスタン内戦が、有志連合軍の介入によって北部同盟の勝利となったのまではいい。
問題はその後で、統治機構の未成熟に対米感情の反感、そしてパキスタンからの義勇兵をもって、アフガニスタン南部を拠点に武装勢力の反攻が始まった。
その一方で、武装勢力を首都から追い払った米軍は次のイラクに向けて戦力を再編し、このアフガンの治安を担うのは、有志連合が資金を出し、国連が作った暫定統治機構がお墨付きを与えたPMCだった。
そのPMCの中心になったのは、ロシア、北日本、インドから成る元軍人達で、ロシアと北日本は食うために、インドはカシミール問題と国会議事堂テロの復讐を兼ねての参加である。
だが、米軍が航空戦力を残してアフガンから撤退する意向を見せた結果、新生アフガン政府設立から外れた形となったアフガンの最大民族で、武装勢力の母体だったパシュトゥン人を中心にアフガン南部で蜂起が勃発。
これと時を同じくして隣国パキスタンから義勇兵が流れ込み、首都奪還の動きを見せたのである。
これは、PMC側にとっては予想された、というより誘っていた動きだった。
特にインド人傭兵は元インド軍だけあってアフガンの事情をまったく斟酌するつもりはなく、ロシア人も過去の因縁から喜んでその復讐に手を貸した。
後に、カンダハールの虐殺と呼ばれる、アフガニスタン南部全域の化学兵器および大量虐殺兵器使用はこのような状況で行われた。
もちろん国際社会はこれを形だけは非難したが、その非難も同時多発テロ事件によって崩れ落ちるツインタワーと、この事件の7日後に発生した炭疽菌事件によってパニックになった米国の混乱がメディアに流れ続けた事で、お互い様の同情しか得られなかったことが、この悲劇を黙認した。
毒ガスおよび、クラスター弾頭の無差別攻撃によって、公式に発表された民間人を含めた犠牲者数は三十万人に及ぶ。
そして、この悲劇の滑稽な所は、誰にとっても正当化されたという一点につきる。
米国は自国兵士が行った訳ではないこの虐殺を表向きは非難しつつ、同時多発テロの復讐として米国民は快哉をあげたのである。
昔、アフガンで痛い目を見たロシアも、この間テロで痛い目を見たインドも似たようなものである。
アフガン少数民族が多数派だったアフガン暫定統治機構は、ここで最大民族のパシュトゥン人が被害を受ける事で政府内の勢力争いを有利にしようとし、被害者であるパシュトゥン人ですら被害者をアピールしてイスラム聖戦士達からの支援を求め、パシュトゥン人が多く住み国内過激派の処遇に困っていたパキスタンは、喜んで彼らをアフガニスタンに義勇兵として送り出すことで国内統制を引き締めようとした。
そして、米国の次の目標であるイラクは、この暴挙を見て、対抗するだけの大量破壊兵器がなければならないと決意し、大量破壊兵器の確保に動こうとする。
開戦の口実が欲しかった米国の諜報網の真ん前で。
『我らが民を殺した米国とその仲間たちに復讐を!
同胞よ、我らの怒りを晴らし給え!!』
死者の街と化したカンダハールの壁に書かれた落書きの写真は一躍有名となった。
それ以上にこの写真が有名になったのは、誰が書いたか知らない、おそらくはPMCの兵士が付け足して書いた次の落書きによる。
『その同胞も核数発で消える』
後にアフガニスタンで核を使わなかったのは、核を使う目標が無かったからだと言われるようになるが、その指摘はある一面でとても正しかった。
そして、激怒した米国が核を使うならばと国際社会が考えた時、その国はうかつにもというかやむを得ずと言うか、しっぽを出してしまった。
後のイラク戦争の大義名分となり、その正当性について今でも議論がされるその理由はこうして提示された。
なお、この虐殺に参加した部隊だが、その資料の大半が機密となっており、未だ多くを知る事は出来ない。
とはいえ、大量破壊兵器の運用は国家でないとできないから、米国が提供したそれをインド軍が使用したのではないかと推測されている。
そんな彼らが所属していた部隊も機密の中に守られており、その名義を貸したと噂されるPMCの一つが北樺総合警備と言われているが、公式には否定されている。
ちとニコニコでファフナーの一挙放送をやっておりまして、核おばさんドクトリンを採用してみた。
この世界、現実よりも核の引き金がそこそこ軽い。