587 ゼロスリードの頼み
「ウィーナレーンいない」
『そうだな……。小一時間くらいしか経ってないんだが』
ジル婆さんに話を聞き終わり、俺たちは野営地に戻ってきた。ウィーナレーンに、レーンの屋台について話をするためだ。しかし、天幕の中に彼女の姿はなかった。
「……ウィーナレーン、どこいった?」
「俺は何も聞かされてはいない」
フランが、天幕の中で拘束されているゼロスリードに尋ねるが、行き先は知らないようだ。
『独自調査に出たのかもな』
(どうする?)
『うーむ……』
仕方ない。ゼロスリードに言付けを残して、ロブレンに話を聞きに行くか。ゼロスリードが相手でも、業務的な会話ならできるようになったしな。
それにしても、この男を1人だけ残していて平気なのかと思ったが、精霊の監視がきっちり付いているようだ。力を大きく抑えられたゼロスリードであれば、どうとでもなるのだろう。
しかし、両足首に鎖を繋がれ、首に拘束具をはめられたその姿は奴隷にしか見えない。それでも暴れ出さずにじっとしている様子は、とてもあの戦闘狂と同一人物とは思えなかった。
「……ウィーナレーンに、キアーラゼンにレーンがいるかもしれないって伝えて。屋台をやっているって」
「……わかった」
互いに無表情なままで、そんなやり取りをする。フランは相変わらずゼロスリードのことを嫌っているが、向こうはどうなんだろうか?
憎い? 嫌い? 分からないんだよな。
言うことを言ったフランが天幕を出ようとすると、ゼロスリードに不意に呼び止められた。
「待ってくれ」
「……何?」
フランが一応立ち止まり、険のある声で対応する。
「……頼みがある」
「頼み? 頼みだと……!」
ゼロスリードがその言葉を口にした直後、フランがキョトンと首を傾げた。しかし、すぐに憤怒の表情で、呟く。
抑えきれない殺気が、周囲の空間を覆い尽くしていた。だが、ゼロスリードは恐れた様子もなく、その場で跪く。
恐れていないわけではなく、覚悟が決まっているのだろう。ここで、フランに斬られたとしても、仕方ないと思っているのだ。
土下座をしながらもフランを見つめるその目は、ゼロスリードの物とは思えぬほどに澄んでいた。
「頼みが、ある」
フランの口から、ギギリという歯が噛みしめられる鈍い音が聞こえる。思わず俺の柄に伸ばされた手が、信じられないほどに震えていた。
『フラン! まて! ここは――』
(……だいじょぶ)
未だにその目には怒りの炎が灯っている。しかし、フランは俺の柄に掛けられた手を解くと、そのままゆっくりと拳を下ろした。
(わかってる。わかってるから……)
フランのその様子を見て、続きを語ることが許されたと判断したのだろうか? ゼロスリードが再び口を開いた。
「……対価は、俺の命」
「!?」
「ウィーナレーンは、俺とロミオの契約を解除するつもりだ。その後だったら、俺の命を好きにしてもらっていい」
「意味が分かってる?」
「ああ、ただ殺すだけでは飽き足らないというのであれば、拷問でも何でも、してくれ」
「……」
「頼みたいことは、ロミオについて。俺が死んだ後、ロミオをバルボラの孤児院に預けてほしい」
「……」
「俺が一緒に居れば、ロミオは不幸になる。だから、頼む」
ありえない。俺でさえそう思った。自分の命を報酬にして、ロミオを託す? しかし、嘘ではないのだ。本気でそう言っている。
虚脱したように、フランの腕から力が抜けた。同時に、あれほどまき散らされていた殺気が雲散霧消する。今度は不気味なほど、静かな気配だ。ダラリと下げられた手が、ブラブラと揺れている。
その顔には呆けたような表情が浮かんでいた。ありえない言葉を聞いて、呆れ果てたのか? それとも、怒りが限界を突破した?
だが、驚く俺をよそに、フランがゼロスリードに向かって軽く頷いてみせたではないか。
「……わかった」
「本当か?」
「ん。お前の命を対価に、ロミオを孤児院に連れていく」
「……ありがとう、ございます」
「……ふん」
土下座の状態で頭を下げ続けるゼロスリードに、フランは背を向けた。そのまま、何とも言えない表情で歩き出す。
『フラン、よく我慢したな』
(……あいつ、変わった。やっぱり、前のゼロスリードじゃない)
『だから赦したのか?』
(……赦してない。でも……)
フランも言葉にするのは難しいらしい。それでも、即座に剣を抜くのではなく、その言葉に耳を傾けようと思う程度にはゼロスリードが変わったということだろう。いや、変わったのはフランか。
依然として憎しみはあるが、違う感情も芽生えているらしい。
『偉かったぞ』
「……ん」
魔術学院でフランがゼロスリードに斬りかかったあの時、俺は仕方がないと思ってしまった。
例えば俺がフランの立場だったら、絶対に攻撃をしかけていただろう。それこそ、関係ない人間を巻き込もうが、知ったことではない。正に、暴走するんじゃないだろうか?
そう思って、フランがゼロスリードに襲いかかるのは当然だと考えてしまった。だから、止めるのが遅れたし、俺に止める権利があるのかとも考えてしまったのだ。
それに、俺はフランの剣だから、その結果が破滅に向かう道だったとしても、最後まで付き従おうなどと考えていた。
馬鹿な話だ。それはもう保護者じゃない。レーンが言った通り、血の通っていない俯瞰の思考だ。
保護者失格である。
自分のことは棚に上げてでも、叱るのが保護者ってもんじゃないだろうか? 自分の親を思い出す。決して、聖人君子でもなければ、できた大人でもなかった。美点と欠点を挙げたら、欠点の方が多い人たちだった。小さい頃には親に叱られながら、「お前が言うなよ」などと思ったこともある。
だが、それでも俺を叱り、育てた。そもそも、反面教師になるのも、保護者の仕事だろう。
あえて仕事と言ったのは、保護者に必要なのは愛情だけではないからである。保護者には義務もあるのだ。庇護下にある子を健やかに、正しく育てる義務が。
保護者を自任する以上、それを忘れてはいけないだろう。
だから、俺は褒める。とりあえずでも憎しみを抑えて、矛を収めることができたフランを。
『フランは偉いな』
「ん」
ただ、気になるのは、本当にフランはゼロスリードの命を奪うつもりなのかということだ。しかし、その疑問にフランは困った顔で俯いてしまった。
「……わかんない」
『そうか』
どうやら、あの場の勢いで約束をしてしまったようだ。
「……でも」
『でも?』
「ゼロスリードは、まだ許せない」
『そうか』
「ん」
まだ、ね。