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山田詠美「予習復讐」について —鮪の“怒り”—

 今回は、山田詠美『タイニーストーリーズ』所収の「予習復讐」という作品について書く。
 この作品は、幼い頃自分をいじめた山岸早苗という女に再会した主人公・吉田園子が、山岸早苗に復讐を果たそうとする、という物語である。園子は、復讐の計画を練るため、山岸早苗の家を訪れる。このことを、園子は「復讐のための予習」と表現している(山田詠美『タイニーストーリーズ』文春文庫、p,315)。山岸早苗は、自分が苛めをしていたことなどすっかり忘れていた。そして、山岸早苗と接している内に、園子は、彼女の暮らしぶりに思わず同情してしまい、自分を満たしていた怒りが消え去ろうとしているのに気付き、慌てる。すると、山岸早苗は、次のような言葉を口にする。

 「そう言えばさ、私、五年生の時に転校したじゃない? 新しい学校で苛められて大変だったのよ? 園子ちゃんには解んないかもしれないけど」(同書、p,318)

 さらに、その山岸早苗の会話の後には、次のような文章が続き、物語は幕を閉じる。

  目の前の黒ずんだ鮪の切り身が、プラスティックの菊の花を貼り付かせたまま、ツマの大根をその汁で薄紅に湿らせている。(同書、pp,318-9)

 この末尾の部分は、一体何を意味しているのかと、我々読者は一瞬戸惑ってしまう。しかし、作品のある箇所に注目すれば、その答えは自ずと明らかになる。その、「在る箇所」とは、312頁の次のような一文である。

  山岸早苗の家へ向かう道すがら、園子の内で長い間保存していた怒りは、解凍されたかのように、体温を含んで体の外に滲み出て来ていた。(同書、p,312)

 ここで、園子の「怒り」が「体温を含んで体の外に滲み出て来ていた」とあるが、これは先ほどの引用で、鮪の切り身の汁が、ツマの大根を「薄紅に湿らせている」のと似ている。この類似から、この後者の引用では切り身となった鮪の「怒り」が描かれていることが分かる。いや、より正確に言えば、園子が鮪の切り身を目にして、そこに鮪の「怒り」を感じた、というのが正しい。要は、園子が鮪の「怒り」を感じたことが、ここでは類似した二つの表現を用いることによって、抽象的に表されているのだ。
 このことは、園子が、山岸早苗も実は苛められていたのだという事実を知り、早苗にも隠された「哀しみ」や「怒り」があったのだということに初めて気付いた、という展開と響き合っている。つまり、園子は結末に至って、自分の身の回りの物全てが実は「怒り」を孕んでいるのではないか、という考えを抱くようになるのだ。
 作中には、

  苛めた方は忘れていても、苛められた方は、決して忘れない。(同書、p,309)

 という一文がある。園子は結末で、この文章の内容のような法則を、自分が理解していなかったことに気付いたのではないだろうか。つまり、園子は、山岸早苗に苛められていた自分も、誰かのことを苛めていたかもしれない、という可能性に思い至ったのである。「苛めた方は忘れてい(る)」という法則があるため、そのような可能性も皆無ではない。そして、その園子に苛められていたかもしれない誰かもまた、別の誰かを苛めていたかもしれない。そうした連鎖の果てに、「鮪の切り身」の存在が浮かび上がる。鮪の切り身も、人間の手によって苦しめられ、殺されたために、今、食卓に並んでいる。自分が苛め、苛められたその連鎖の先に、鮪の「怒り」はあると、園子は考えたのだ。
 しかし、苛めの連鎖を鮪の切り身にも応用するというこの考え方は、突拍子もない極端な発想である。いくら、山岸早苗も苛められていたという事実に驚き、「皆、見えないところで怒りを抱えているのだ」という感慨を覚えたとしても、普通は、魚に同情するところまではいかない。何より、魚には、思考するための脳みそはない。だから、鮪が「怒り」を感じている、というのは、真実ではない。
 だが、たとえ、鮪が「怒り」を抱いているというのが真実ではないとしても、それを真実であると考えた園子特有の性質に迫るのが、我々読者の目的である。なぜ園子は、鮪が「怒」っていると考えたのか。ここで、「苛めた方は忘れてい(る)」という法則があることをもう一度思い出してほしい。我々人間は、普段、食卓に並ぶ魚が、我々の手によって殺されていることを忘れている。だから、鮪が、苛めと怒りの連鎖の中に組み込まれているというのは、論理的には間違いではない。
 この、鮪の「怒り」の例から分かるように、園子は、論理的な正しさを重視するあまり、常識を突き抜けてしまった人間であると言える。しかし、常識というものは、あくまで他人が設定したものである。それに対して、論理的な思考というのは、自分の頭で考えたことである。我々は、幼い頃から、「自分の頭で考えなさい」と教わる。園子は、そのように、世の中で良しとされている、自分の頭で考えるということを忠実に実行している人物であるとも考えられる。
 このように、「予習復讐」は、結末の手前までは、普通の話として読める。しかし、この小説の結末部分は、どう解釈すれば良いのか、読者に戸惑いを感じさせる。私はそれを、主人公の特異性という観点から読み解いてみた。その結果、この難解な部分こそが、この小説の要なのだという結論に達した。



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