宗教家としてのイエスの評価については(評価する資格無しという意味で)
サッパリな筆者ですが、
以前の記事のとおり 理論家としてのイエスはかなり評価できます。
多分12使徒と呼ばれている人もその辺に惹かれたからこそ、
イエスの弟子になったのでしょう。
でも宗教である以上、庶民の生活に根差した活動をせねばならない。
インドで仏教が衰退した理由は、
その庶民受けしない活動にあったことが有力な説ですし。
しかし、いくらイエスはスゴイ賢い人だったと訴えても、
庶民は(良い悪いの問題ではなく)進んで勉強して理解することがありません。
だから数々の“奇跡”エピを創造することで、
イエスの素晴らしさを感覚的にわかるように努力したのでしょう。
だから洗礼後のイエスには神がかり(というか神と同一ということにされた)的な
様々なお話が作られることになります。
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エダ「私は稀代のトリックスター、ガリラヤの湖を渡る男に仕えてんだ。」
との名言が生まれるキッカケとなった場所に向かいます。
中にはキリスト時代の舟の模型がありました。
んで湖には桟橋があり、そこを渡って船に乗り込みます。
我々日本人ツアーの貸切です。
見渡せる景色は2000年前とあまり変わりが無いと思います。
おそらくはこのあたりでイエスは湖上を歩いたのでしょう。
その時に彼が見た景色もこんな感じだった・・・はず。
なお、湖を歩くエピは大体こんな感じ。
ペテロが乗っている舟は向かい風のせいで前へ進めなくなった。
その時イエスが湖上を歩いて船に向かって来た。
イエスから「こっちまで歩いてこいよ!」と言われたら、一歩だけ歩けた。
でも風が吹いて恐くなった途端に沈んで「助けて!」と叫んだ。
イエスは助けつつも「お前は不信心だな」と言ってペテロを叱った。
ここからどういう教訓が得られるのかは筆者は分かりません。
ただ、湖を歩く気はさすがに起きなかったですね。
(短いですが今日はこれまで)