582 訪れ得る悲劇
「今日は、貴方たちに伝えたいことがあって、来たの」
「……なに?」
フランはレーンの正体を詮索するよりも、まずは話を聞くことにしたらしい。レーンが不意に浮かべた真面目な表情には、それだけ有無を言わせない何かがあった。
「私は水を通して過去の因果を視ることができる。そして、視えた過去から、未来を識ることができる」
「未来?」
「そう。この世に、決まった運命などというものはない。でも、このまま何もしなければ訪れる可能性の高い、未来という名の結果は在る」
レーンにはサイコメトリー的な能力があるようだ。未来を予測するほどだから、相当詳しく過去を分析できるのだろう。しかも、過去の情報を基に演算を行い、未来を予測する力もあるらしい。
俺がただの剣ではないとばれたのも、その能力のせいかもな。フランの過去が見えるなら、当然そこには俺もいるはずなのだ。
「勿論、確実ではない。今のままなら、高い確率で訪れるというだけだから」
「つまり、どういうこと?」
「あなたたちにとっての悲劇が近づいている」
「悲劇?」
「ええ。前の時に、貴方には救われたから、その恩を返したいと思って」
「前? さっきから何を言っている?」
「ごめんなさい。あまり私が干渉すると、今見えている未来が全く違うものに変わってしまうかもしれない。でも、本当にあなたたちが心配なの……。剣さん。この悲劇を回避するには、あなたがしっかりしないとダメ」
レーンの目が、確実に俺を捉えた。
「あなたは、気づいていない。自分の変化に」
『……どういうことだ?』
もう完全にばれている。これ以上は隠していても仕方がない。それよりも、フランに訪れる悲劇とやらが気になり過ぎる。
「あなたは、剣になりつつある」
『なりつつ? もう、剣なんだが?』
「体はそう。でも、中は違う。未だに人」
あー、そういうことか。元人間なんだし、そこは仕方ない。
「でも、段々と人ではなくなってきている。人としての精神から、剣に相応しい精神へと、変化が加速している」
『それが、ダメなのか?』
「以前だったら、フランを止めているはずの場面で、あなたは躊躇った。最近のあなたは、一歩引いたところから俯瞰して、フランを見ている」
『それは、前から――』
「ううん。決定的に、違う。前のあなたは保護者だった。でも、今は剣。単なる剣」
『そりゃあ、俺は、剣だし……』
「そう思うことに、違和感がなくなってきている」
『違う……。お、俺は……!』
レーンに対して反論しようとして、自分が発した言葉の弱々しさに驚いた。何だろう。もっと強く、「違う! 俺は剣だ!」と言おうとして、失敗してしまった。
「あなたは、フランの変化にも気づいていない」
『なに?』
「運動ができなくて、イライラしている? 本当にそうかしら?」
どういうことだ? フランを見ると、耳をペタンと寝かせて、なんとも言えない顔で俯いてしまう。申し訳なさに、悲しみ、寂しさ、色々な感情が混ざっているような顔だった。
「ごめんなさい……」
『な、何で謝るんだ?』
「師匠が少し変なの、気づいていた。でも、言うの怖かった……」
『フラン……』
抱えていた不安のせいで苛立ち、攻撃的になっていた……? 俺のせいで?
「あなたは確かに剣。でも、人でもある。そのことを忘れないで」
そう告げた直後、レーンの体が薄くなり始める。
『あ、ちょっ!』
「あなたは師匠なのでしょう? 単なる傍観者にならないで。心を強く持つの。自分は、フランの師匠なのだと――」
『レーン! まってくれ! もう少し詳しく!』
ダメだ。言いたいことだけ言って消えちまった。
『フラン、レーンは?』
「消えちゃった」
『そうか……』
俺が剣になりつつある? それがどう悲劇に結びつくっていうんだ?
「師匠」
『なんだ?』
「私は、師匠は師匠のままがいい」
『フラン……』
フランの声には、確かな悲しみが籠っていた。まつ毛が微かに震え、その目がわずかに潤んでいる。
フランは俺を鞘から引き抜くと、その刀身を力強く抱きしめた。フランの温かさと、心臓の鼓動が、ハッキリと伝わってくる。
「剣なら、いっぱいある。でも、師匠は師匠だけだから」
『俺は……』
あのフランが、恐れている。俺が剣になってしまうことを。俺のために、涙まで流して。
俺は、その瞬間に恐ろしくなった。
フランにここまでされても、自分が剣になってしまうということに怖れを抱けなかったのだ。フランに出会った頃の俺なら、絶対に申し訳なさと恐怖を感じていたはずだ。
レーンが言っていた通り、剣になりかけている。それを強く意識した瞬間、俺は凄まじい悪寒に襲われた。
『ぐぅ……』
「師匠?」
剣になって、初めての感覚だ。そして、次の瞬間、俺は心の中を支配したよく分からない衝動に、体を震わせた。いや、震わせる体なんかないんだが……。
『がぁ……』
「――!」
そして、ふと気付く。剣になるということに対して、強い恐怖を感じている自分に。
これは――。
「――! 師匠っ!」
よほど周囲が見えなくなっていたらしい。フランの声も聞こえなくなっていた。だが、その悲痛な呼びかけが耳に入った瞬間、急激に冷静さを取り戻すことができていた。
『……フラン?』
「師匠! だいじょうぶ?」
『あ、ああ。大丈夫だ。全然大丈夫。すまん、ちょっと取り乱した……。なあ、最近の俺は、変だったか?』
「ちょっと。でも、本当にちょっとだったから」
多少の違和感程度だったってことか。だから、言い出すことができなかったらしい。しかし、フランが明らかにホッとしている。
『フラン』
「なに?」
『俺は、俺だ。フランの師匠だ』
「ん……」
ただ、どうすればいいんだ? レーンは心を強く持てと言っていた。つまり、まだどうにかなるってことだろう。
『俺、頑張るよ』
「ん!」
体調不良とお伝えしていましたが、やられてしまいました。
次回は一応2/9の予定とさせてください。申し訳ありません。
皆様も、体調にお気を付けください。
インフルだけではなく、ウィルス性腸炎も流行っているようですので……。