マイノリティ役は、当事者俳優か非当事者俳優か。
公開がスタートした映画『ブルーボーイ事件』。1965年という高度経済成長期に起きた性別適合手術の違法性を問う裁判事件をベースに、オリジナル脚本によって制作された本作のメガホンを取ったのは、自身もトランスジェンダー男性である飯塚花笑監督だ。映画に登場するトランスジェンダー女性にはオーディションで選ばれた当事者となる中川未悠。ドキュメンタリー映画『女になる』に出演経験はあるが演技未経験。他にもドラァグクイーンのイズミ・セクシーやシンガーソングライターで俳優の中村 中が出演。更には錦戸亮が弁護士を演じている。8年前にニューシネマプロジェクトでグランプリを取ったもののコロナ禍を経て、ついに映画となった『ブルーボーイ事件』。当事者俳優にこだわった飯塚花笑監督が本作へかけた思いとはなんなのか。公開を迎えたばかりの飯塚監督に話しを聞いた。
[きっかけは自らのアイデンティティ]
ーー1965年に実際に起こった「ブルーボーイ事件」を映画化するにあたり、何をベースにオリジナル脚本を書かれたのでしょうか。
飯塚監督:
僕を含めてトランスジェンダーの方々は、自分自身のアイデンティティに悩んだ時、まず調べることをすると思います。僕の場合はインターネットに触れることが出来る世代だったので、中学生ぐらいの時にネットで調べました。当時はトランスジェンダーという言葉よりも「性同一性障害」という言葉が一般的だったので「性同一性障害」と調べていくと「ブルーボーイ事件」など関連したワードが色々と出てくるんです。そこで事件名だけは知りました。
事件自体は1965年の裁判なので、今回の企画に着手するにあたって、裁判資料を入手しました。現在見ることができるのは石田仁さんという研究者の方が所持している裁判資料で、そこに証人として映画に登場する、3人のトランスジェンダー女性のモデルとなった方の証言記録があります。性別適合手術を受けた方々が証言をされているのを書記官が生の言葉として記録していて、口語の言葉、ひとつひとつが綺麗に残されていたんです。
[主人公は、危険な状況下だったトランスジェンダー女性に]
ーー描き方によっては弁護士を主人公にも出来たと思いますが、あえてトランスジェンダー女性【サチ】を主人公にされた理由というのは。
飯塚監督:
裁判資料に触れた時、中川未悠さん演じる【サチ】のモデルの方のことが書かれていました。その方はパートナーの方と事実婚みたいな感じで暮らされていて、喫茶店で女性としてごくごく“普通”に働いていらっしゃいました。命がけで手術を受けたのはもちろんですが、当時、生きていくだけで大変だった時代に裁判で自らのことを証言でお話しされたと知り衝撃を受けました。僕自身もですが、沢山の人が居る前で自分自身のパーソナルな話をするのにはハードルを感じます。1960年代はトランスジェンダーだとバレたら危険なくらい、簡単にはオープンにすることが出来ない状況だったと思います。そういった中で、ある日突然、証言をしなければならない。何でも話さないといけないとなった時に、もの凄い葛藤があったと思いますし、色々な想いを抱かれたと思うんです。そういう想像を色々としてしまい、そういった想像がこの映画の物語に繋がっていきました。
[マイノリティ役は当事者に演じてもらう意味]
ーー「この映画では“当事者に演じてほしい”」と仰っていましたが、それは何故でしょうか。
飯塚監督:
実在していらっしゃった方々の想いがあると思うので、それをどういう形で届けるのか、誰の手によって届けるのかがまず大事なのではと。尚且つ、日本映画界では、今までずっと非当事者が、トランスジェンダーの役を演じていました。私自身も『フタリノセカイ』で非当事者(坂東龍汰がトランスジェンダー男性を演じた)に演じてもらっています。業界の風通しも以前よりずっと良くなってきていて、私自身も以前よりオープンにして働くことにストレスを感じなくなってきています。そんな状況で「もうやらない理由はない」というのが本当の意味でのスタートでした。
実は裁判資料だけでなく、当時の週刊誌など色々なところで当時、生きていらした方々の声が残っています。でも、きっとこれらは忘れ去らせていくものなので、誰からの手によって語られなければいけないと思っていたんです。そうなった時にフィルターをかすのではなく、ちゃんとその声に寄り添い、想いが声となってストレートに届くことがとっても重要だと考えました。そう考えるとやっぱり、当事者が一番、その想いに寄り添うことが出来ると思いました。まさに劇中の【サチ】の証言シーンは、当事者じゃなかったら出来ない想像力で、それが演技の中で現れていると思います。非当事者が一生懸命想像して到達できる演技の領域を中川さんは超えてくれました。当事者でやる意義があったと本当に思っています。
[難航したキャスティング]
ーートランスジェンダーであることをオープンにしている人、していない人もいるので、オーディションで人を集めるのは、より大変だったと思います。
飯塚監督:
何処にどういう方がいらっしゃるのか、まったく分からない状態でオーディションを始めたので、「当事者キャスティング」と言っては見たものの、本当に出来るのか不安でした。募集をかける時は、トランスジェンダーやノンバイナリーの方も含め、サチを何らかの当事者性を持って演じることができる可能性のある方に集まってもらいました。
まずは、芸能事務所に色々と情報をお渡しして出来る方々にお声がけしました。【ツカサ】役の泰平さんや【ベティ】役の真田怜臣さんは事務所経由で情報が行き渡って、来て頂きました。【ユキ】役の六川裕史さんは舞台畑で舞台を沢山やられている方で、知人をかえして紹介の紹介という感じで来て頂きました。後は新宿二丁目でお店を持っている方で出入りしているお客さんに「興味がある方いますか?」と聞いたりして、人海戦術ですね。
お陰で、中川さんも含めて演技経験がない方もたくさん来られて、なかには「この作品で抜擢されたらオープンにします。それまでは隠して活動していきたい」という方も参加されていました。とにかく情報が行き渡らないのが嫌だったので、なるべく知り合いの知り合いでもいいから誰か役に合う人に出会えればいいと思って、色々と情報を渡して集まって頂きました。結果的に、大体40名くらいの方がオーディションにいらっしゃいました。
ーー演技未経験の中川未悠さんに決めた一番の理由を教えて下さい。
飯塚監督:
オーディションでは、この映画の肝となるサチの2回目の証言シーンを演じてもらったんです。演技未経験者をキャスティングする場合、オーディションではたまたま出来たけれど、撮影だと緊張してしまったりと、色々なリスクが考えられます。ご本人の人となりも見させていただくことが重要なので1次オーディションをやった後、少し期間を開けて2次オーディションでは長いワークショップ形式で演技を見させて頂きました。その時に証言のシーンをやって頂きました。
中川さん本人も凄く緊張されていて「頭が真っ白になるくらいでした」と仰っていましたが、オーディションでは書かれた台詞ではなく、ちゃんと肉声として台詞を発していたんです。嘘のない、本当に腹の底からの声として台本に向き合って表現している姿を見た時に、お芝居のセンスを感じました。なにより想いがある方だと凄く感じました。後は【サチ】のルックとか、イメージなど諸々がフィットしたので、中川さんに決めました。
[当事者俳優のキャスティングだから他の俳優にもスイッチが入った]
ーー当事者役は当事者俳優に演じてもらうことを実現させ、更に弁護士である【狩野卓】役で錦戸亮さんが出演されていますね。
飯塚監督:
諸々の事情で、撮影4日目に一番大事な法廷シーンを撮影しないといけなくなってしまって、正直、困惑していました。本当はスタッフもキャスト同士も仲良くなった最終日に、物語上で重要な2回目の証言シーンを撮りたいと思っていたんです。一応、早い段階から中川さんや【アー子】役のイズミ・セクシーさんとは、散々あのシーンの練習をしてきてはいました。いざ法廷でのシーンの撮影が始まった時、錦戸さんや山中(崇)さんや安井(順平)さんが中川さんとイズミ・セクシーさんの演技を見て、スイッチが入ったように見えました。錦戸さんは弁護士の役ですが、【サチ】(中川さん)の証言を聞いて、錦戸さん個人として涙がこらえられなかったようです。何故なら【狩野弁護士】はあんなに憲法13条のくだりを絶叫する予定はなかったのです。そこに生の錦戸さんが映ってしまったのが、僕はすごく嬉しかったんです。中川さんやイズミ・セクシーさんといった、本当にお芝居に初めて取り組んだ方々の純粋な想いが周りを突き動かして、その生ものがこの映画には沢山映っています。それがこの映画の力になっているのではないかと思っています。
ーーイズミ・セクシーさん演じる【アー子】さんが、錦戸さん演じる弁護士に、ある質問をされます。それが辛かったのですが、あの質問も実際にあったんですか。
飯塚監督:
形は変えていますが実際にああいう質問があったんです。
裁判って実際に残酷な部分があり、裏裏を取っていく為に確認作業をしていく中であのような身体的な質問もあったようでした。更に裁判の戦略として「精神異常であるから治療として治すべきで、性別適合手術は合法である」という方法がとられていたりするんです。今になって、ようやく日本でも脱病理化が浸透してきた段階だと思っています。当時はまだまだ精神異常として、性的倒錯者という言い方もされていました。それが通常の価値観だったので、ああいった質問を映画に取り入れることで当時の価値観を示しました。
[マイノリティの人達へ伝えたい思い]
ーー映画『ブルーボーイ事件』を通して、どんなことを届けたいですか。
飯塚監督:
僕はこの映画の中で【サチ】は勝利したと思っています。サチはアー子やメイなどの仲間たちや、自らの尊厳を守り、意思を貫き通しました。この映画を通して「自分たちの尊厳は揺るがない、そして傷つけられていいものでもない。一人の人間として個人の幸せを追求していい存在なんだ」というメッセージと、もうひとつ「大丈夫、明るい未来がある」というメッセージを届けたいです。
ーー監督はずっと社会的マイノリティの人々を中心に据え、ご自身が描かれたオリジナル作品を作られていますが、そこにはどんな想いがあるのでしょうか。
飯塚監督:
今までの映画も切り口はマイノリティであることをテーマにしてはいますが、マイノリティの人達だけに通ずる物語なのかと言えば、そうではないものを作っていると思っています。トランスジェンダー男性と恋人の関係を描いた映画『フタリノセカイ』についてもそうですが、どの方々にも起こりうる話だと思っています。あの映画は「家族って何?」という問いがテーマですし、いつも誰しもがもう一度立ち返るべき話を撮っているつもりでいます。今回の作品もそうです。
ーー今回の作品では、当事者の人達に演じて貰うことを意識して作られました。『フタリノセカイ』では、演技力のある俳優を起用されています。私自身はどちらも有りと思いますが、監督はどう思われますか。
飯塚監督:
僕もどちらもあるべきだと思います。これは当事者性を表すものが何なのか?という話になってくると思います。当事者性をしっかり作り込めば、非当事者が演じたとしても作り込める可能性はあると何処かで信じています。なので、どちらの表現もあっておかしくはないと思うのですが、一度ちゃんと“色んな方々がキャスティングされる状況とか可能性を考えましょうよ”ということをやらなければいけないと思います。でないと、当事者の役ですら非当事者が演じて、当事者俳優は弾かれるばかりで埋もれてしまいます。結果、キャリアも築けない。労働環境としてとっても不平等だと思うんです。例えば、クラス30人の映画を撮ったとして、クラスに1人、トランスジェンダーの子が居てもおかしくないですよね。“もう少し表現を考えましょ”という思いが強く有ります。そして最も大事なのは、物語を「誰の手によって語られることが重要か」をきちんと考えることです。