あ
幼少期
私の一族は兵庫県や大阪府の出身が多いが、私だけは唯一東京都江東区で生まれ、そしてすぐに大阪府豊中市・東豊中の高級住宅街へ転居した。
夫婦仲は悪かったけど、自分のことしか考えてなかった当時は友達いっぱいで毎日が楽しかったと思う。
小学生時代
その東豊中の高級住宅街を離れたのは6年後。愛媛県松山市へ移住した。そこでの生活はとても充実していた。毎日たくさんの友達に囲まれ、遊びに誘われ、クラスの中心にいて……とにかく私は幸せだった。
終わりへの始まり
そしてある日、埼玉県川越市への転校が決まった。度重なる転校で、人間関係に疲れが溜まっていた時期だった。さらに、最近落ち着きつつあった両親の仲も再び悪化し、頻繁に「〇〇くんはどっちに着いていくの?」と聞かれる日々が続いた。
転校
そしてその半年後、県内で今住んでいる市へ引っ越すことになった。
小学校では転校初日から、たまに普通級に来る障害のある子の面倒を任されていた。私は仲良くしようと努力していたが、実際にはお金を盗られ、馬乗りにされて叩かれ、メガネを投げ割られた。
四面楚歌
普通級でも机にイタズラを繰り返され、声を上げれば「被害妄想だ」と片づけられ、誰も助けてくれなかった。机に貼られた大量の「死ね」と書かれた付箋。私が教室にいない間に壊されたギガスクール構想のタブレットと、それを隠蔽する周りの生徒たち。コンクリートに頭を叩きつけられて失神したこともあった。
ずっと人には避けられ親友には裏切られ同級生からは暴力暴言ばかり受け続けた。また両親からの止まらない暴力と逃げ場がなかったことが本当に辛かった。
レディーファーストと体罰
担任からは「女子と口論した」という理由で“レディーファースト”の名のもと体罰を受けた。それ以外にも首を絞められたり殴られたり、暴言を浴びせられることが頻繁にあった。体罰アンケートに書いて提出したが、担任が勝手に開封して教育委員会に届かず、親には「私が悪者」という説明をされて面談は終わった。
俺の味方は誰も居なかった。
障害?
ある日、例の障害児の件を我慢できずに報告したが、「我慢しろ」と一蹴された。
みんな私なんかよりその障害児の方が大切なんだな、私なんて生きてても意味なんてない、
そうやって追い詰め始めたのもこの頃だった。
そんな生き苦しさを感じて親に相談し、小児精神科を受診。診断はADHDとASDだった。
限界
イタズラやいじめに耐えきれなかった私はそこでして初めて誰もいない教室でハサミを投げて椅子を破壊した。
事情が色々あったので弁償や叱責されることもなく、当時担任だった先生にたくさん話を聞いてもらった。その先生とても優しかった。今でも連絡を取ってるくらい。
ただいくら責められなかったとしてもハサミを投げて椅子を破壊したことはとても反省していることである。
それからの中学でのいじめはこの出来事からエスカレートすることとなる。
また2年以上続いた障害児の暴走にも堪えられなかった。
当時未だに私は面倒見役をやらされていた。
家を荒らされ、公共の場で私の横で叫んだり、私を馬乗りにして叩いて財布を取ってコーラを買ったりメガネを投げ割って弁償せずに踏み倒そうとしてきた。私が怒ればいつも正義感の強い女や学校の教師が障害を理由に必死に擁護してきた。
初めての復讐
毎日その障害児は私に中指を立てながら私の後ろを歩くようになった。
我慢できなかった私はその障害児とわざと同じエレベーターに乗り彼の脛を何度も蹴ったこともある。
その後、大勢の人が家に押しかけてきた。
「相手は障害者なんだよ!?」
「なんで今まで相談しなかった!?」
事情も知らずに騒ぐ外野がなんだかんだ1番嫌い。
そいつらこそ死んで欲しいと思った。
夜に集団で突撃してきたPTA、俺の話は聞かずに一方的に責められ続けた。
私は何度も相談した。
これはしょうがないことだとも思う。
お金も取られてるし、誰も動かないし、
だから私はその件から障害の診断を持っているのにも関わらず手帳取得や社会福祉は全て拒否している。
中学時代
中学受験はできず、地元の公立中学に進学したが、いじめは続いた。
最初の方は友達も1人だけいた。
小学時代から仲良くしてくれてたし、2人で1人、ニコイチみたいな親友だった。
通話中に私の親の怒鳴り声を聞いたその友人はその友人の親に頼み込んで私を保護してくれることになった。
そこに私の両親が警察に通報した。
警察や親には
「あなたのせいで〇〇君やその家族に迷惑をかけているんだよ?」と理不尽に叱られた。
それ以降彼との連絡は途絶えた。多分彼の親が辞めるように言ったのだろう。
中学時代 転落の始まり
自転車で追いかけられたりして散々だった。怖くなり、しばらく引きこもった。久々に教室に入れば「レアキャラの田所やん、えぐー🤣」と笑われた。信頼していた友人にも縁を切られたので私は完全に孤立して不登校になった。
引きこもり
数か月引きこもった後、親の提案でフリースクールに行ったが、スマホを盗まれ、YouTubeに投稿していた動画をネタにされた。味方だと思っていた人も陰で悪口を言っており、結局新入りだった私が辞めさせられた。
ネットでの出会い
その後、ネットで出会った人たちに助けられた。不登校で学力が壊滅的だった私に基礎を教えてくれ、「普通の中学に転校してやり直そう」と提案してくれた。
市内で転校
転校先では最初はうまくいき、女友達ができて、その女友達と2人でゲームセンターに行くほど仲良くなったが、クラス替えで疎遠になった。
2度目の不登校
家庭環境も悪化し、別居生活を送って再び不登校に。しかしなんとか奮い立たせて復帰。偏差値38から必死に勉強を始めた。
高校受験
中学3年になると、頼りにしていた担任が退職。いじめはさらに酷くなり、容姿をいじられ、ゴミを食べさせられ、教科書を隠され、殴られ蹴られ首を絞められ吐血した。菌扱いされて避けられ、給食は職員室で食べた。親は小さな実害では動かず、私の話を満足に聞いてくれなかった。私の居場所はネットだけだった。
不登校の進路とは
私は偏差値66前後の後に進学した自称進を志望していた。私の住む埼玉県では確約制度もあった。
ただ欠席日数が多くどこの確約を取れない私を、スポーツ推薦で偏差値48程度の生徒にバカにされた。それでも私は諦めずに学力を伸ばし続けた。
そして私は最後、偏差値70の私立高校を単願で狙っていた。
偏差値60台後半の県立進学校は浦和とかを除いて学力的には余裕だったが、元不登校の私には内申や欠席日数でかなり厳しかった。なんとかその中でも勝利の見込みのある偏差値70の私立の男子校を狙っていたが、
欠席日数で受験資格すらなかった。
確約
そして最終的には最初に志望していた偏差値66前後の高校の確約を取ることになった。
中学3年3学期にはその高校の欠席日数制限のギリギリを狙って休んだ。そのことでいじめはさらにエスカレートした。
私の文房具をいじめっ子たちに投げ合ってゴミ箱に捨てられ、それを拾った私自体をゴミ扱いされた。
死にたくて仕方なかった。
喜べない合格
高校受験は66前後の自称進には確約はもらっていたものの無事合格。
合格後もずっと中学を休んでいたが、担任からの家庭訪問が来た。
親から強制的に卒練と卒業式に参加することを約束させられた。
ただ卒業式練習は殆ど参加できず、パニック発作と鬱で保健室で待機。
余裕が出始めた頃から職員室で先生と練習を始めた。
最初は人と目を合わせる練習など、本当に自分にとって苦痛でしかなかった。
卒業式はなんとか参加はしたが、とても苦しい時間だった。
欠席日数は3年間で280日を超えていた。
幸せ(?)
ただその卒業式が終わった後に、後の彼女となる某ゲーセン女子から話しかけられた。
私は嬉しくて堪らなかった。
また共通の趣味の話題で盛り上がり、その後秋葉原へ2人で向かった。
諦めていた恋心がもう一度再熱し始めた頃だった。
高校時代
高校では高い成績を保ち続けたが、中学時代のいじめをネタにされたり、クラスメイトから避けられたりし、人間不信から学校行事にも参加もできなかった。
容姿をいじられ、勉強をすれば勉強イキリと罵られ、休み時間寝れば叩かれる。
おまけに言うと毎日全ての休み時間に階段裏でリラックスしてる私をトイレの花子さん扱いして弄ってくる超暇人もいた。
便所飯
学校で食べると思って母親が用意した弁当を不登校が自室で泣きながらボソボソ食べる瞬間もとても苦しかった。
母親曰く便所で食べられるより部屋で食べられた方がマシだとのこと。
こんな会話が出るほどの落ちこぼれになった私が情けなくて死にたかった。
救いと悲劇
唯一の救いは、かつての女友達と交際に発展したことだった。しかし彼女も家庭環境に苦しんでおり、彼女を守ろうと深夜だろうが自宅から徒歩1時間もかけて毎晩彼女の家へ向かって助けに向かった。
交際のキッカケは彼女がリストカットをしていることを知った時、守れなかった自分がまるで中学のいじめを見て見ぬフリをする同級生みたいで憎かった。とにかく自分が憎かった。
でも彼女の
「私なんて誰も必要としてない」
この言葉だけは否定したくて、私の3年間の片思いの気持ちを彼女のダイレクトメッセージに送信した。
そしてやはり消えない彼女のリストカットや悩みに気づけなかった罪悪感や高校受験や過去のトラウマからくるストレスで処方された抗うつ剤や抗不安薬を45錠飲み、痛みもなく長い眠りについた。
そして私が目覚めたのは病室だった。
それに彼女とは実は両思いだったという展開。
横にあるスマホの通知を見た時にokの返事があった。
とても嬉しかった。
すみませんね。惚気話はその辺にして話題を戻します。
続く苦しみ
でも彼女が出来ようが、私は依然として誰にも私の悩みを相談できず、その苦しみから何度もリストカットを繰り返した。常に孤独を感じていた。
後から考えれば無視してれば良かったような泥女も一度恋すると助けようにも助けられない不甲斐なさでさらにメンタルが追いやられていくんですよね。
彼女の優しいけど許せない嘘(?)
彼女は高校でいじめられていて便所飯もしてると自称するも、周りからのタレコミで高校デビュー大成功して毎日みんなと机を囲んで弁当を食べて放課後に友達と遊びに行ってるみたい。
彼女の親からも聞かされた。
私ってなんなんだろう。私の便所飯を馬鹿にしてるのか?
まるでカカオの加工先も知らずに必死にカカオを運ぶアフリカのガキのようなそんな気分になった。
そして彼女に対し嫉妬もしていたし、彼女の青春に嫉妬する自分がとにかく嫌だった。自己嫌悪はさらに進んでいった。
自殺配信
さらに母親からの八つ当たりのことで母方の祖父母に何度も相談しても「死ね死ね」と叫ばれ、追い出された。
その夜は私は市販薬を100錠飲んで、それをDiscordサーバーにて配信した。
その後親の通報で緊急搬送された。
数日間はICUに入っていた。
そして医師から適応障害の診断を受けたのと同時に死にたいなら入院しようと言われた。
しかし私は入院は「死ぬ気はない」なんて嘘をついて拒否した。
重なる不幸
あれからも彼女の親との問題は解決しておらず、学校でも避けられ悪口を言われている。
それでも彼女が笑顔を見せてくれると「守りたい」「幸せにしたい」と思える。
いじめっ子を見返すための今までの勉強は、今は彼女を幸せにするための勉強に変わり、私はひたすら努力を続けた。
予備校にも通うようになった。
最初は私のバイト代からの約束だったけど父の優しさもあって父が払うことになった。
私はそのバイト代で彼女を幸せにしたいと思った。
理不尽
ただそれからも彼女の虐待中継通話の最中、何もできない自分が本当に許せなかった。
とにかく遠い距離を走って近くに行くことしか出来なかった。
このやり場のない怒りや悲しみがさらに自分をのちに追い詰めることになるとは当時は知らなかった。
しかしそんな守ろうとしてた私は彼女の親から酷い言葉を浴びせられた。
とても残酷だ。
警察沙汰
ただ9月上旬にはストレスが限界に達し家出後に自殺をすると言い残し自宅を出た。ネッ友の助けもあり、ネットカフェに宿泊するも翌日に予備校の自習室にいるところを警察に確保された。
つまり私の親は私に対する捜索願を警察に出していた。
過去にも警察は家庭内の暴力で私が精神崩壊した際に
👮「アフリカの子供の方が不幸だ」
👮「自分だけが不幸なんじゃねえんだよ」
👮「みんな辛いんだよ」
👮「自殺未遂が続くようなのであれば施設にも入れますよ?」
🤓「拒否します」
👮「国家権力舐めないでね」
今回も同じく警察からはとても最低な言葉を言われた。
同じく九月初頭の家出と自殺未遂の件についても
👮「お前はこんなに周りに迷惑をかけてるんだよ。分からせるためにバイトしてることを高校にバラしてやる。」
🤓「警察の刑法と高校の校則は関係ないのでそこは言わなくていいのでは?」
👮「警察だから関係ないから入ってくるなって言いたいの?」
🤓「そこまで言ってないです。」
👮「そう聞こえたんだけどさあ、俺の耳がおかしいって言うの?」
🤓「そうだと思いますよ。」
👮「あ、じゃあ〇〇高校に電話するね?」
警察からは散々なことを言われた。
意志薄弱な彼女に苛立つ私が許せない
その彼女も意志薄弱でその両親や友人が発した私に関する根も葉もない情報に流されて何度も音信不通にされた。
薬がなくても生活できるぐらいに寛解したうつ病が彼女やその両親に振り回されるようになったのはこの頃からだった。
逃げ場のない自分
私は様々な悩みを抱え、誰にも相談できず、彼女も見ていたTwitterアカウントで自殺をすると宣言し、彼女は高校(自分と同じではない)でパニックを起こして保健室に移動したそう。
責任転嫁と大人によるイジメ
それらを全て私の責任にされ、元交際相手の周りには「精神異常者との交際はやめろ」と言う人間ばかりで私には弁明する機会すらなかった。
そして向こうの両親から一方的に虚偽の情報を流布された。
持病
少し前からも私も電車や教室で頻繁に発作を起こすようになり、パニック障害と統合失調症と言われた。
元々うつ病は持っていたが今回の件で悪化したうつ病や上記の新しく発症した精神疾患を理由にバイトも即日解雇された。
両親とも上手くいかず…
私は辛くなって私の両親に相談するも、2人は私に対し、ひたすら冷たい言葉をかけ続けた。
2ヶ月相談しても言われる言葉は「別れろ」の一言だけだった。相談するだけでイライラしてそうな態度を見せられた。母は物に当たっていた。
リビングに行くだけでキレられるほどだった。
とても辛かった。
泣いても叱責は続いた。
私は誰にも言えなかった、相談できなかった、頼れなかった、初めての自分の気持ちを真っ向から否定されて責められた。
もうとっくに私の心は限界を迎えていた。
初めての暴走
小学・中学時代、いじめで何度も血と涙を流した。
そんなほぼやられっぱなしの自分で言うのもあれだけど温厚な私が初めて暴れた。
視界がおかしくなるまで壁に頭を叩きつけて死にたいと泣き喚いた。
親は私を精神異常者と侮辱し嘲笑い警察通報すると脅した。
過去の家庭環境のことで警察に「お前よりアフリカのガキの方が不幸だ」と言われたことがものすごくトラウマな私からすると、それはさらに傷を抉る行動だった。
そしてついに私は父を殴ってしまった。
精神科
私は精神科に診察しにいくことになった。
もう当時は被害妄想も強く電車も乗れず教室も入れず、メンタルが崩壊していた。
医者からは統合失調症やパニック障害などと言われた。
ようやく親は事の重大さに気付いた。
私の親は彼女の両親と話し合いをすると言ってくれるようになった。
両家との話し合い
私の親は彼女の親に
・息子に危害を加えないでください
・息子と彼女が愛し合うのは自由だから親が引き剥がすことはできない
・愛し合ってるのに無理やり引き剥がすのはお互いのメンタルによくない
・息子はあなたの娘(彼女)に危害を加えない
・あなた達のせいで息子(私)はこうなった
と伝えた。
ただ相手の母親は「息子(私)に危害を加えないでください」という私の両親がとりつけようとした約束を拒否しました。
つまりこれからも私に対しての嫌がらせは続くのです。
複雑な初キス
その次の日、なんとか相手方両親を説得して彼女と花火を見に行った。
そこで初めてのキスをした。
5,6回くらいはしたと思う。
とても温かく柔らかく、半目を開けて見た彼女の顔はすごく可愛かった。
そして私はこの幸せな日々がずっと続くと思っていた。
でもその日で最後だった。
絶望
ただその後彼女は彼女の親から私や私の親に関する嘘を吹き込まれ洗脳されてしまった。
彼女は泣きながら私に別れようと電話してきた。
後から聞いた話だとその両サイドには彼女の両親が居て、彼女は最後まで別れることを拒否したそう。
その中での泣きながらでの別れを告げる彼女からの電話は彼女にとっても本当に辛かったし、私も聞いていてかなり辛かった。
再起
私のメンタルは崩壊し、両親はやることはやったと言って全て放置、、
そして私は大昔に仲良くしていた友達にひたすら連絡をかけた。
何人かの人が私のために集まってくれて、慰めに来てくれた。
薬の効果も出始めてようやく希望を持つことができた。
未練と復縁と絶望(n回目)
その後、私はTwitterのDMにて彼女に復縁を提案した。3年間仲良かったからかは知らないが考えてることは同じで、お互い未練をたくさん残していた。
その後彼女の両親には秘密で復縁した。
親のウソ
DV男だのトー横キッズだの手帳持ちだの、相手方の両親が流した様々なデマが拡散されてまた彼女は私との関係を切ろうか悩み始めた。
彼女曰く私の事がとにかく嫌いでしょうがない相手方の両親はその彼女姉妹に徹底的に私の悪口や嘘を吹き込んでそれで一家を団結させたそう。
私の両親も相手親に対して嫌がらせをやめるように言いましたが、今度は私の親に関する嘘や悪口を流すようになってしまいました。
そして最後に彼女は付き合いたいと泣きながらも両親に強制され別れさせられました。
そして彼女が発した言葉は
「親友に戻ろう」
自分は納得ができなかった。
ここまで尽くしたのに、「愛が冷めた申告?ふざけるのも大概にしろ。キスもお前からやりたいと言い出したんだろうが。」
そう思った。思っただけで言ってはいない。
彼女の裏
後から知った話ですが彼女は裏でたくさん私の悪口を言ってたそうです。
綺麗な手のひら返しもされた。
「虐待されてました!!怖い!!助けて!!」
⬇️
「私が悪いことをしたから躾をされただけ」
と一変した。
裏では私のことを「キモい」「死ね」「きっしょ」などと言っていたそうで…
それが私にとって全てが裏切られ、捨てられた瞬間だと思った。
親がどんな人でも好きなら反抗できるはず、会うのが禁止されてるなら放課後こっそり会うこともできたはず。
会いたいだの好きだの言う割には行動が殆どなかった。
そのくせ代わりに動いた私を責めて悪人へと仕立て上げる。
最後はあの人も両親と同化したんだ。
結局あの人も敵だった。
謝られようがもう許せない。
警察沙汰2
相手方両親からの嫌がらせや脅迫に耐えきれず、またそのことについて相談していた友達が警察に
「友達(私)が交際相手の親から虐待を受けている」
と通報をした。
その時来てくれた警官はとても良い人だった。
過去の警察とのやりとりもあって頼れなかったことを言うと、該当の警官に対して指導を行うとのこと。
安堵の気持ちでいっぱいになった。
闘病生活と中退の決意
やはり相手親からの嫌がらせは続いており、相手が通う高校でもデマが流れ、私の精神病は悪化し、
高校から夏のOD以来2度目の長期強制休学を求められた。休学なので単位もあってもちろん進級にも響く。
それを心配した私にかけた言葉は
「通信制もあるよ」
だった。
つまり自分はもうここにはいれないんだなと確信した。
進級ができないとも告げられた。
進級ができるならなんとしてでも残りたかったが、進級もできない学校に親に毎月高い学費を払わせるのもとても申し訳なかった。
元カノ一家からの嫌がらせで心身ともに疲弊して食事すら取れなくなった頃に
自分は高校を退学した。
フリーターの葛藤
第一志望や第二志望に行けなくても、元不登校で学年最下位で偏差値38だった私が偏差値70私立男子校全滅しても、私が言う「自称進」、その県2番手私立に入るのもスタート地点を考えれば難しかった。
中学3年生、孤独な1年間だった。
そして元不登校で学年最下位で偏差値38だった私が必死の努力で手に入れた
「受験の努力」「不登校からの努力」「偏差値70」「旧帝大B判定」「県2番手私立の生徒」
私は全てを捨ててフリーターになった。
面接の度に「なんで〇〇高校辞めたの?」「頭良いよね?」「君偏差値いくつあったの?(冗談)」
聞いててとても辛く、その場で泣いてしまわないように涙を堪えるので必死でした。
警察
先週メンタルの限界を超えた私はTwitterで公開愚痴アカウント的なものを開設して、元カノや元カノ一家への個人的な中傷にならぬよう気をつけながら運用していたのですが、アカウント開設から2日も経たずにそのアカウントが元カノ一家に特定されてしまいました。
私の知り合いも元カノのブログの投稿を見てるみたいで、その内容を少し教えてもらったのですが、思っていた通りの煽りや青春マウントで溢れかえっているそうで…
それと愚痴垢の件は元カノ一家から私がストーカーみたいな感じで警察に通報されてるんですよね。
聞いたブログの内容がまさに「自分のことを通報してやりましたよ😎」みたいな感じだったので、既に投稿は消されているとはいえ、元カノの詰めの甘さを感じてしまいます。
まず自分は何もしてないのにずっとSNSを監視してる時点で元カノがストーカーなんですよね。
警察も相手が男か女かで対応を分けているのだろうか🤔
心身絶不調
あの元カノ家族と関わり出してからうつ病は悪化するしパニック障害とか適応障害とかたくさん発症したし、高頻度で意識喪失して転倒を繰り返してる。
結果高校も辞める羽目になって人生最悪だよ。
元カノ一家は私を傷つけることで精神の安定を保っており、私という共通の敵を作ることによって家族を団結させているとも聞きました。
やってることが人として最低ですよね。
蛙の子は蛙、最初虐待の相談に来た元カノも最後は盛大に裏切ってますからね。
これが美人局ってやつなのかな?
別れてみたらそんなに美人とも思えなくなってきたけど。
今後
すぐにでも高等学校卒業程度認定試験に合格してそこそこの国公立大学に行こうかなとは思ってます。
そしてしばらくは療養に専念しようかと思います。
終わりに
こんな拙い文章ですが最後まで見てくださり、本当にありがとうございました。
最終更新2025/11/18 23:58



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