恋愛なんかしなくてもいい。
恋愛はするものであって、させられるものではない。させられる恋愛なんかしなくてもいい。自分の部屋は汚れたまま、他人の部屋を掃除している場合ではない。恋愛をしていなければ人間ではないと、結婚のために活動をすると惨めになる。してもらいたがっている人にはしてあげなくちゃと思うと、あっという間にケアセンターになる。認められるためにケアをするようになる。自分を変形させなければ愛されないと思うようになる。逆だ。変形させなければ愛されないのではなく、変形させなければ愛せない。愛は変形を要求する。
女は花。女を咲かせるために男は死ぬ。今は逆になっている。男を咲かせるために、女が疲れている。女が死んでいる。男は「俺はこんなにお前のことを愛しているのだから、お前も俺好みの女になれ」と変形を要求する。女とぶつかり合う勇気がないまま、情に訴えることで女を支配する。男の話を通すと、女はどんどんダメになる。愛は情に敗れ、自由は良識に敗れ、勇気は義理に敗れ、バイタリティは売女リティに敗れる。女は男の言うことを聞くな。男は女の言うことを聞け。男の勇気と女の勇気は質が違う。男の勇気は自分を変形させる勇気。女の勇気は自分を肯定する勇気。自分の体を肯定する勇気。自分の体が感じる喜びを肯定する勇気。自分の中の悪を肯定する勇気。
東京在住の女性E様から「過干渉な母親に弱体化させられて、成人してからも母親の前に行くと緊張して、母親の話をするだけでも緊張するようになった。私に喝を入れて欲しい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。E様は「抑圧された環境の中で育ったから、怒ることもできないままいい子を続けた反動が体に出て、成人してからは風俗で働いたり手当たり次第男と寝るようになった。自分なんかといてもつまらないだろうなと思うから、誰かといるために金や体を差し出すようになった」と言った。E様にはあだ名があった。私は、E様をそのあだ名で呼びたくないと思った。あだ名は一つのキャラクターみたいなもので、あだ名でその人を呼び続ける限り、その人はその人ではなく固定されたキャラクターを生きる。そのキャラクターを生きさせたくなかった。
E様は「嫌な感情になった時の対処が苦手だ。怒りを出すことができない」と言った。怒りを出すのが苦手な理由は、E様の中に「許せない」と言う感情があるからだと思う。E様は「母親にされて嫌だったことを、他人にはしたくないと思う」と言った。セックスの問題は、たいしたことじゃない。問題の根底には家族との関係がある。セックスなんかより家庭環境の方がよっぽどエグい。親を許せないと自分を許せない。家族から認められるために、変形させた自分を固定化させるようになり、笑顔が強張り、頭はガチガチになり、生きているのか死んでいるのかわからなくなる。自分の体を冗談にして、自分の体をちゃんと触ることができなくなり、自分の体をちゃんと触ってもらうことができなくなる。嫉妬。自虐。比較。これらの感覚が固定化して、自分の体が壊される。
人間になるために人間を捨てる。愛を取り戻すために愛を捨てる。愛だと思い込まされていたものはただの執着でありただの情である場合が多い。愛の仮面を被った情に支配されると、慰め合ったり、同情し合うことを愛だと勘違いするようになる。逆だ。愛は変形を要求する。固定化された枠の中から解放する。結婚は契約。裏切られることが前提だから、自分を人質として差し出すようになる。規律で縛るのは本当じゃない。哀れみ合ってどうする。哀れみは気力と体力を奪う。恋愛なんかしなくてもいい。自分に恋をすることだ。嫉妬も比較も自虐も必要ない。自分が自分の恋人になる。自分に惚れ直すと、世界に惚れ直すことができるようになる。人間になり、愛を取り戻す。
将来の夢がなかった 将来の夢なんて学校の授業でのお題としか思ってなくて、ケーキやさんになりたいとか他人事みたいに言ってた
大人になったらどこかの会社に就職して25くらいになったら結婚して子供を2人くらい産む、そういうのが人生みたいなものなんだと思ってた
大人になったら自動的にそうなるんだろうなって
でも大人になっても何も自動的には出来なかった
就職活動のときみんな一斉に同じ求人サイトに登録した
みんなは何十社も受けたりしてるのにわたしは働きたいと思う会社なんかひとつも見つからなくてこの違いは何なんだろうと思った
周りはみんな当たり前のように恋人がいて、いない人はマッチングアプリで探しているし、同級生は結婚して子供がいる人も増えてきた
恋愛の話になったときわたしはいつも話せることがなかったけど、ネタがないとつまらない空気になるからそれっぽいこと言って誤魔化してきた
誰かを好きだと思ったその気持ちは本当だけど、どこかで「これでみんなみたいに話せる、嘘つかなくていい、参加できる」って思いが浮かんできたのも本当
彼氏いるかいないか聞かれて いないって答えるともったいないねえって言われてその度に泣きたい気持ちになった 付き合ったらセックスしなきゃいけなさそうなのが嫌だった したいと思えなかった
何で自分は自動的に進まないんだろう、この違いは何なんだろう
みんな自動で進んでる訳じゃないのは分かってるし、私みたいに逃げてないで行動してるからどんどん進んでる、それは事実、だけど、何も引っかかりなく疑問を持たずに進めている(ように見える)ことが羨ましかった
人生って「そういうもの」だからなのか、自分由来のものなのか、どっちなんだろう?
自分の感覚がみんなとズレているような気がするとき、自分は違う星からきたしそもそも生まれる予定じゃなかった(母親は私を産む前に一度流産している)と思って線を引くことは都合がよくて簡単だった。だからそういう視点を持ったこともあるけど自分が自分を疎外してばっかりでつまらなかった。勝手にどんどんひとりになった。人のことを見下していた。私は中途半端だから、自分に振り切ることも殺し切ることもできなかった。どっちにしても死にたくなった。でも自分がこういう気持ちでいることとか、この感覚とか、少しでもいいから誰かと話すことができたとき、それを聞いてもらえたとき、死ぬまでしなくていいか、と思えるようになった 生きてたら出会えるかもしれないって
こういうものだ、とかこうしなきゃいけないって正解っぽいことを誰かや何かに思わされているうちは嬉しくも楽しくもないし動く気にもなれなくて、自分の中から好き、やってみたい、こうしたい、って自然に湧いてきたときは頭より先に身体が動くんだってことがだんだん分かってきた
そういうものや人に出会えた時に全部ひっくり返るような気がする
自分から湧いた欲なのか世間からそう思わされているだけなのか、それだけはいつも分かってたい、それを見極める目は絶対に殺さないでいようと思いました
おおまかな予定
11月21日(金)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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