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消えた1500万円

「ほんまにあかん話は、人に言えへんのや」

母の言葉である。

最近になってようやく母の腹の底から煮えくり返ってドボンヌと出てきた話があり、わたしが「なんで今まで言ってくれんかったん」とたずねたら、返ってきた言葉である。

以前、このnoteでわたしは大学の奨学金を返済したと書いた。

今までに背負ったことのない額の借金だったが、父を亡くし、アルバイトひとつで生計を立てる母子家庭であれば、そんなもんだろうと思っていた。

それがどうやら、違っていた。

うちにはもともと、わたしを大学に行かせてくれるだけの1500万円もの貯金があったと言うのだ。

ではその1500万円は、どこへ消えたのか。

美しくもなんともない、我が家の家計事情話の供養がはじまる。


生前、母と結婚したころの父は、大手航空会社系列の不動産会社に勤めていた。

それなりに給料もよかったが、阪神大震災が起き、家が倒壊して涙する人々を前に、自宅待機を命じられた父は居ても立ってもられず、甲子園で大工をしていた祖父に弟子入りした。

新しく手に入れてよかったと思える、素晴らしい家をつくるためだ。

そして父は、当時はまだめずらしかった、中古マンションのリノベーション会社を苦楽園で立ち上げた。

良いお客と良いパートナーに恵まれ、父は念願の東京・赤坂に進出した。

その矢先、心筋梗塞で命を落とした。

家に残ったのは、主婦の母、中学生のわたし、小学生でダウン症の弟だ。

まず、父の保険金と貯金をあわせて、岸田家の通帳には3000万円があった。らしい。わたしも初めて聞いたから、知らん。

1000万円は、父の会社の精算で消えた。

東京での事業拡大のために、かなりの金額を銀行から借り入れていた。わたしとよく似ている父ながら不思議なことに、超優良経営で信用されていたそうだ。

受注もばんばん舞い込み、普通に生きて、普通に仕事をしていたら、数年で完済できるはずの借り入れ金だった。

残り、2000万円。

これを大切に大切にして、とりあえずわたしが成人するまで、アルバイトをしながら、慎ましくも不自由なく暮らしていこう。母はそう思ったそうだ。

しかし、二年後。

今度は母が大動脈解離で倒れる。

一命は取り留めたが、下半身に麻痺が残り、車いす生活になった。

歩けていた人が歩けなくなるというのは、想像を絶する苦しみと困難だ。母は日常生活を送るためのリハビリに励み、退院には一年強を要した。

わたしは高校生、弟は中学生。

母にかわって、自宅の家事や料理をしてくれたのは、母の母、つまり“ばあちゃん”だ。じいちゃんはわたしが物心つく前に亡くなり、父の父母は重い病気で入院していた。

ばあちゃんは大阪の谷町で、印刷の小さな町工場を営んでいた。

週に2度、神戸にあるわたしの家から、町工場へ様子を見に行く日々が続いた。ばあちゃんは、よくも悪くも適当だった。

材料は違うのに、いつも同じ色と同じ味の煮物が三食出てきた。ばあちゃんはいつもニコニコしていたけど、学校でどんなことがあったとか、部活はなぜ辞めたのかとか、友達とどこへ行くのとか、そういうのは一切聞いてこなかった。

わたしや弟のことはかわいがってくれるが、それほど興味があるわけではない。でも毎朝起こしてくれるし、茶色の弁当も持たせてくれる。不思議な距離感のばあちゃんだった。

母は2000万円から、500万円を抜いて1500万円が入った通帳を、ばあちゃんに渡していた。生活費として。

500万円をなにに使ったかというと、治療費と、車の購入費と、自宅のバリアフリー改修費だ。

歩けなくなった母にとって、やっと見つけた生きがいは、手だけで運転できるように改造した車と免許の存在だった。そもそもうちの地元は、車なしでは生活が難しいので、これは必要な買い物だ。

自宅のバリアフリー改修は、自治体から補助が出て、風呂場とトイレとキッチンだけだったとはいえ、かなりの金額がかかった。しかし車いすに乗って暮らすには、背に腹は代えられない。

1500万円。

二年だれも働かずに四人家族で生活し、わたしを大学にやるには、足りる金額だ。

そのあとの暮らしは、母と弟の障害者年金で、すこし贅沢をしたければ母とわたしはアルバイトができるので、それで無理のない範囲で足せばいい。

すこし心もとないが、妥当な計算だと思う。

しかし、退院を一ヶ月前にひかえた母のもとに、電話がかかってきた。

ばあちゃんだった。

「あのな、もうお金ないで」

「えっ?」

「お金。うちらの生活費」

「お金って……1500万円入ってたよね?」

「そんなん、もうない。すっからかんや」

ばあちゃんから、残額4ケタ台がならぶ通帳を見たとき、母は心臓が止まるかと思ったらしい。心臓が止まりかけたから入院をしていたのに。

「なんで?どうして?なんで?うそやろ?」

母が何度聞いても、ばあちゃんは

「わからんわ、そんなん」

と言った。

うちのばあちゃんは、80歳手前になった今でこそ物忘れがひどいが、この時はぴんぴんしていた。つまりバックレていたのである。

1500万円が、一年も経たずとして消えた。

夫をとつぜん亡くし、自身も病気で歩けなくなり、高校生と障害のある中学生をふたり抱えて、アルバイトとして生きていく母は、病床でどれだけ不安だっただろうか。

しかし、1500万円があれば、当面はなんとかなる。父のような経営者になりたいと願うわたしを大学にもやれる。それは父と母の約束でもあった。それが母の心の支えだった。

頼みの綱だった、1500万円が。

母は、呆然としながら退院したのだった。


ばあちゃんに、趣味嗜好はない。

本当にないのだ。母いわく、昔からずっと。

家事とテレビ番組と法事には精を出すが、服やバッグや化粧品も滅多に買わないし、旅行にも行かない。

かといって、わたしや弟が、エビカニホタテにウニアワビを毎晩食べていたわけでもない。ちゃんと得体の知れない茶色い煮物で腹を満たしていた。

ばあちゃんは、自分の町工場の運転資金として、1500万円の大半をブチ込んでいたのだ。

町工場は、じいちゃんが始めた。

じいちゃんはしっかり者で、自らも職人だったが、病気になり、伝説のアル中となって亡くなってから、ばあちゃんが引き継いだ。

ばあちゃんはなんの知識もなく、簡単な事務と経理をやる社長で、ほとんどの仕事は雇っている職人のおじさん三人に任せていた。

トヨちゃんだかスギちゃんだか、そういう名前のおじさんだった気がする。いつも機械油とインクにまみれていて、ぶっきらぼうだった。

しかし、町工場の印刷業なんて、仕事が減る一方である。

わたしも幼いときに何度か中を見たことがあるが、きかんしゃトーマスのパチモンが描かれた子供服の値札みたいなのがひたすら刷られていた。あれはたぶん、アメ村とかのたたき売りで使われるのだと思う。

土地代、印刷機代、職人さんの給料だけで、毎月アホみたいにお金が飛んでいく。親戚中から「はよ潰せ」と言われたが、ばあちゃんはなぜかいつも「もうすぐ大きい仕事が入るから」「ここから巻き返すから」と、ごまかしていた。

母が倒れ、入院したころにはもう、仕事と呼べる仕事は、どこにもなかった。パチモンのトーマスですら、中国でずっと安く刷られることになった。

1500万円はこうして、一瞬で消し飛んだ。


「大丈夫。まだ大丈夫や。お母さんにも手をつけられてない、わたしが解約した保険金の300万円がある。これで奈美ちゃんを大学にだけでも……」

気を取り直した母のもとに届いたのは。

300万円のローン返済の督促状だった。

見れば、母のクレジットカードでキャッシングを繰り返していたという記録だった。おかしい。入院していた母は、どのクレジットカードも使った覚えがない。ましてやキャッシングなんて。

ばあちゃんだった。

ばあちゃんが母のクレジットカードを持ち出し、追加で300万円、使っていた。

こうして正真正銘、母の貯金は終わった。わたしの奨学金生活が決定した瞬間でもあった。

母はひっくりかえって泣きながら

「なんで、なんでなん。それは奈美ちゃんのお金やのに。パパと約束した、大学に行かせてあげるお金やったのに」

と訴えたが、またもやばあちゃんは「工場があるねんから、しゃあないやん」という、どこ吹く風な返事だった。

「もうあかん。ほんまにあかん。300万円はもう返さんでいい。でもこれ以上は1円も貸せない。これで最後にして」

母の懇願に、ばあちゃんは「わかった」と約束した。

そして母は近所の整骨院で受付のアルバイトを最低賃金の時給ではじめ、わたしは迷ったすえに大学進学を決めて受験勉強をはじめた。お金がなくて塾に行けなかったので、母の整骨院の院長に、タダで勉強を教えてもらっていた。

母の月給は、7万円だった。

しかしながらこれで、お金のもめごとは終わり。

ではなかった。

祖母は何度か整骨院に電話をかけていた。

「娘を出してくれ。今日の15時までに20万円を振り込んでくれ。そうじゃないと不渡りを出してしまって、工場がとにかく大変なことになる。お願い、助けて」

仕事中に、同僚もいる中で、しかも泣きながら頼まれたら。母は断れなかった。恥ずかしくて、悔しくて、泣きながら、同僚に悟られないように、休憩時間中に振り込みに行った。不渡り確定の15時まであと2時間もないという状況でかかってきたから、もう冷静な判断ができなかったという。

それが3度ほどあって、3度とも振り込んで。

結局、工場はつぶれた。

一体なんだったんだ。



ここまで読んだ人のなかには、「いや、孫のあんたも止めんかい」とイライラしたと思う。

止められなかった。

なぜなら、そんなことが起きてるとは、昨日までマジで知らなかったからだ。

母はいつも

「奨学金を借りてもらうことにはなってしまうけど、うちから通う分には、パパが残してくれたお金もあるし、大丈夫やからね。あんたの勉強と健康が最優先やで」

とわたしに言ってくれた。

母はいつも服をきれいに着て、化粧をして、楽しそうに働いていた。

二段重ねのお弁当には、お肉も野菜もいっぱい入ってた。毎週水曜日には、イオンモールまで運転してくれて、レストランで好きなものを好きなだけ食べさせてくれた。だいたい、丸亀製麺のとろ玉うどんと、おおがまやのたこ焼きを頼んだ。

わたしがスパゲッティ屋のアルバイトで稼いだ月給4万円は、遊ぶために自由に使いなさいと言ってくれた。

たしかに、芦屋の地下室のある家に住んでる友達みたいに裕福ではないけど。貧乏でもない。そう信じていたのだ。

まさか母に、毎月の通帳記入すら怖く、家を売らなくても食べていけるかだけに怯えて生きていた時期があるとは。


「あんたはもう、分別のつく大人やから。わたしの話がすべてやと思わんでええから、どうしても聞いてほしい話があるねんけど」

昨日、母から切り出されるまで、本当に、まったく、気づかなかった。母が祖母の借金を少し返していたという話だけは、知っていたけど。

ここまでとは。

わたしは怒った。

「そんなひどい話、なんで今まで言ってくれんかったん!」

「そしたらあんたも、家にお金入れないとって思うやろ」

「当たり前やん」

「親にお金をとられるしんどさは、わたしが一番よう知ってるから。あんたに同じ思いをさせたくなかってん」

子どもであるわたしは、一緒に背負うことすら許されなかった。あのとき、わたしが友達とUSJに行くために使った4万円が。流行っているだけですぐに捨てる服に使った4万円が。

あのお金があれば、母は、職場で泣くことはなかったんだろうか。

「なにがなんでも、ばあちゃんの頼みを断るってわけにはいかんかったん?」

「やっぱり、育ててもらった恩があるし。親の恩は絶対に返さなあかんって、昔は親戚もみんなそう言ってたから」

「じゃあ、じゃあ、まわりに打ち明けて、助けを求めたら? 不渡りとか、経営とか、そういうのに詳しい人もおったかも」

「言えへんよ」

母は、困った顔で首をふった。

「言えへんかった。当時は、親のお金のことを他人に相談するなんて、恥やと思ってた。どうしたらええかも、誰に言うたらええかもわからんくて、ただ、その場しのぎで払うしかなかった」

そういう時、ズケズケと恥も外聞もなくブッ込んでいくのは、そういえば父の役割だった。父を失った母は、ひとりで家族のすべてを抱えていた。

「今でこそ、毒親とか、過払い金の返済とか、そういう情報がネットやテレビであふれてるやろ。でも昔はなかった。こんなことで悩んでるのは、日本でわたしだけやから、弱音を吐いたらあかんと思った」

本気の悩みを、本気の苦しみを、すがるような気持ちで、言葉にしてネットに放流するだけでも意味がある。濁流に浮かぶボロボロの小枝を見て「わたしと同じ小枝だ。この濁流から抜け出さなくては」と思う人が川岸にいる。

「ほんまにあかん話は、人に言えへんのや」

なにも気づかず、母の必死の優しさの上で、ただ子どもをやらせてもらっていたわたしに後悔をしながら。わたしがいまこんなことを書いているのは、その、濁流に小枝を流す作業なのだ。



ばあちゃんは今も、わたしの実家で、母と弟と暮らしている。

今回、母からこのことを書いてもいいよと言われたので、ばあちゃんにも聞いてみた。

「昔、お母さんのお金、いっぱい使ったん覚えてる?」

ストレートに聞いてみた。

「あはは。そんなん、ないわ」

ばあちゃんはストレートに答えた。

バックレじゃない。ばあちゃんはもう、十分前に食べたご飯のことを覚えていない。一日に何度も、朝ごはんだと言ってトーストを焼く。

本当に、ばあちゃんは忘れていた。これを書くことによってばあちゃんがわたしを恨むとしたら、それはわたしが背負うべき業だ。

「奈美ちゃん、ちょっと」

部屋から出ていこうとするわたしを、ばあちゃんが呼び止めた。

「これ。おこづかい」

ばあちゃんはカバンから、一万円札を取り出した。ばあちゃんのわずかな年金だった。ばあちゃんの生活費だ。

いつも、断ってもぐいぐい押し付けてくるので、わたしはありがたく受け取って、こっそり母に渡して、返すようにしている。

ばあちゃんは昔から、よくわたしにおこづかいをくれた。工場に使うお金よりはずっと少なかったけど。わたしがお金を受け取ると、その日は機嫌がよかった。

使いみちを聞かれたことは、一度もない。



先日、売りに出していた、大阪の谷町にある空き家を売ることになった。ばあちゃんとじいちゃんが住んでいた家だ。

家は内装を取り壊すことになり、古い家具などもすべて、ゴミとして引取ってもらう。

「本当に大切なものは持って帰ってくださいね」

不動産屋に言われて、わたしだけが、その点検に向かった。

ほこりのかぶった、何年も、何十年も開かれていないアルバム。そこにわたしや弟の写真はない。ここは、じいちゃんと、ばあちゃんと、母が暮らした家だ。三人の写真が大半を占めている。

「わたしは、お母さんに育ててもらったけど、優しくしてもらったけど、愛されたかどうかはわからない。アルバムとかはいらんから」

母は一度、きっぱりと言った。

じゃあもう、持って帰るものはないかな。アルバムをいくつか取り出すと、奥から、手紙の山が出てきた。

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あまりにも、あまりにもな量だったので、宛名を見ると。

ばあちゃんと、じいちゃんが、お互いに送り合っていた手紙だった。

わたしはじいちゃんの記憶がほとんどないけど、伝説のアル中になる前は、とにかく賢くて、優しくて、愛情にあふれた人だったと母から聞いている。母は、じいちゃんから愛されていた。

なんだかちょっと申し訳ないなと思いながら、上に重なっていた数枚の便箋を開き、読んでみた。

ラブレターだった。

三重の山奥に住むばあちゃん。大阪に住むじいちゃん。

二人は婚約し、結婚するまでの数ヶ月間と、ばあちゃんが母を妊娠してからの数カ月間、離れて暮らしていた。その間に送りあった手紙らしい。

びっくりした。正直、ものすごくびっくりした。

ばあちゃんが、とても丁寧に、自分のことを色々と説明しているのだ。今日はどこへ行ってなにを食べたかとか。今度はなにがしたいとか。そして、じいちゃんに会いたいとも。じいちゃんのこんなところが好きだとも。

じいちゃんも同じだけの内容を、同じ熱量で返していた。

あの、ばあちゃんが。わたしにも弟にも母にも、興味がなかったばあちゃんが。こんなにもじいちゃんには、興味を持っているなんて。

さすがに後ろめたさが勝ったので、手紙はそこで閉じた。


ばあちゃんは、お金に執着していた人だったんだろうか。

たぶん、違うと思う。

お金に執着がなかった。

だから、あんな使い方ができたのだ。

実娘のお金を勝手に奪って、やっていけるはずのない工場に使って。お金なんて多分、どうでもいいと思っていた。だけどお金がないと、工場が潰れる。工場が潰れると、どうなるか。

じいちゃんが雇った職人さんが、露頭に迷う。

じいちゃんが作った工場が、消え去ってしまう。

たぶん、ばあちゃんが興味を持っていたのは、じいちゃんだけだ。

それに比べたら、お金なんてどうでもよかった。お金にがめつい人が、お金を欲しがるわけじゃない。お金に執着のない人が、お金を欲しがることもある。そして手元にお金を残さず、すべてを配ってしまう。

「なんで勝手にお金を使うの!」

と怒られて、その場では反省するけど、根本的にお金にそこまで魅力を感じていないから、人がなぜそこまで怒るのか、あまり共感ができない。

だったりして。


これはまったく美しい話じゃない。

こんな長文を読まされて、嫌な気持ちになってしまった人には、謝りたい。

どんな理由があっても、家族を失い、障害を負い、失意の底にいる身内から勝手にお金を巻き上げるなんて、とてもひどいと思う。

母はたぶん、ずっと、ばあちゃんのことを許さない。

でもわたしは、母に悪いと思いつつ、なぜかばあちゃんのことを心の底からは憎めない。ひどいと思う。でもバチバチには憎めない。

憎もうとすると、打出の小槌みたいにおこづかいをくれた、ばあちゃんがいつも浮かんでくる。あれ、母のお金だったかもしれないのにね。わたしの進学に使うお金だったかもしれないのにね。嬉しかったんだよ。

ばあちゃんはもう、お金を使わない。1円も。わたしのおこづかい以外には。

このnoteを書き終わったら、これはもう、笑い話にしようって母と決めた。いまだ、どう受け取ったらいいかわからないけれど、供養としてここに。



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コメント

28
kayou
kayou

「わたしは、お母さんに育ててもらったけど、優しくしてもらったけど、たぶん愛されたことはない」
私も自分の親に対して、かなり近い感覚を抱いています。
ひょっとしたら、奈美さんがおばあちゃんを心の底から憎めないことが、お母さんにとっては救いかもしれないと思いました。
私には子供はいませんが、もし私以外の家族が親を愛してくれるとしたら、そのことにちょっと救われるかもと。家族って厄介ですね。
奈美さんのてらいのない家族への愛に癒されます。いつもありがとうございます。

おおのはるか
おおのはるか

ああ、岸田奈美さん、書いてくれてありがとう。。こうして書いてくださったことで、本当に申し訳ないのだけど「自分だけが苦しいんじゃない・・もっと大変だった人がいる。奈美さんが明るくいてくれてるから、私も明るくいられる。」って、いつも奈美さんの文章を見て感じてしまいます。 私の家族にはわかりやすい愛がなくて、母が、お金関係でいろいろやってしまった人でした。そしてそんな母が認知症になって、やってしまったこと・まだ現在進行形のこと から忘れていく・・・。認知症って、忘れたいから、忘れる。っていうのもあるのかな?なんて母を見ていて、思います。情や恩や思い出があって、完全に憎めないから余計に苦しいのですよね。
でも全部、学びにできるように。いつか奈美さんのように今苦しい人にエールをおくられるように。
私も明るくいますね。ありがとう。

pap
pap

身内だと優しくされたこともあるし血が繋がっているからとか「お世話になったし…」と恨みきれないし、おばあちゃんも歳だからと曖昧にしてしまいますよね。でも私は許してはいけないと思ってます。完全な毒親よりもプチ毒親が1番悪いと思います。

家族だからとお金をむしりとっていいわけではない、血が繋がってるから多少傷つけることをしてもいいわけではありません。私も親に愛されてなかったのでよくわかります…辛い、悲しい…

冷たくしろということではなく…許さなくていいと思います。
どうかこれからはお母様にたくさんの笑顔が溢れる穏やかな日々が続きますように。神様は全部見てますから。

武藤礼恵
武藤礼恵

俺は実の母親でしたが「これからあんたにおんぶに抱っこして生きるから(秋田弁の意訳)」って言われた途端、ぶん殴って家から追い出しました。まぁその後引っ越しとか生活保護とかの手続きはやりましたけどね。
俺には妻がいますので。彼女との生活が大事なのです。勿論母は妻と折り合いが悪かったです。折り合いが悪くなくて、協力的で、仲良くしてくれてたら、そうはならなかったと思います。
人生で大事なものは「自分以外(おばあちゃんのおじいちゃん。お母さんのおばあちゃん。俺の妻)」なんですよ。あなたの大学進学は「あなただけのもの」。
つまりは、そういうこと。

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消えた1500万円|岸田奈美|NamiKishida
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