こまったこ
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ちゃんとした仕事のほうがいい、お金は稼いだほうがいい、趣味は充実していたほうがいい、友人はいたほうがいい、結婚したほうがいい、子どもはいたほうがいい、全部そう世間が思い込ませてくるだけ
三十代になってもまだ朝起きられないとかお風呂にスムーズに入れないとかで悩んでいるとは思わなかった、三十代にもなればもう自分の生活はコントロールできるものだと思っていた
平日朝はギリギリに起床し身支度も適当に出勤、日中は心を無にして業務をこなし帰宅したらうだうだ日付が変わるまでインターネット、休日も基本ずっと家、この繰り返し、人付き合いはゼロ、この暮らしいったいどこに向かえばいいの
23歳のときすでに人生終わった気でいたけど28歳の今から見れば全然そんなことなかったし、今だって数年後に振り返ったら同じことなんだろうけど、例えそうだとしてもそのとき感じる絶望は本物なんだから後から軽く評価することはしたくない
Twitterから消えた人々は現実に居場所を見つけたのか生きること自体をやめてしまったのかいずれにしてもアガリなわけで、どこにもいけないわたしのような怨念だけが何年も何年も居座り続ける
一度働き始めたらさいご次に一ヶ月以上連続で休みが取れるのは定年後ってそんなのみんな受け入れられるのか、転職すればインターバルで休めるかもしれないけど私が欲するのはそういう変化に伴うものではなくて日常の中の休暇なんだよ
十代の頃はまさか三十代になっても架空のキャラクターの関係性が私生活の中心を占めているなんて思ってなかったよ……でもここまできたらもう四十代、五十代になっても変わらないんだろうな…………
三十代にもなるとTwitterですら結婚だ子どもだ仕事だという悩みが主となり「生きる気力が湧かない」みたいな理由でぐずついている人は見かけなくなっていく、生きづらい二十代は結構いたのに皆どこに行ってしまったのか
本命の男の子がいるのにその子とうまくいかないからと別の好意を向けてくれる優しい男の子とつきあいでもやっぱりその子のことを好きになれなくて振り回すだけ振り回して別れ本命の子とくっつく少女漫画にいがちな優柔不断で天然気味で外見のわりにやたらモテる女の子がきらいだ
結婚も子育ても自分には適さないと分かってるしそれらを望んでいるわけでもないのに、それ自体おめでたい話だと思うのに、周囲がこなしていくのを見ると息苦しくなってしまう、窒息しそう
平日は仕事に行くだけで終わる、部屋は荒れ放題、身だしなみも適当、休日はひたすら寝るだけ、よくて起き上がってピザを食べながらアニメを見る、あとはずっとTwitter、私はいつまでこんな生活を送るんだろうな
所用で出身大学に行く機会があり、在学時は苦しくて苦しくて一刻も早く出たいとばかり思っていた場所なのに今になってみると懐かしさすら感じて、何も実らなかった虚無や苦痛ですら美化して人は生きていけるんだなって
巷の人の「休日何もしなかった」には掃除洗濯炊事買い物自宅での映画ドラマ等の鑑賞も含まれることが多いけど私の何もしないはトイレとお風呂以外一切布団から出ずに延々とネットを眺めることをいう
精神的に安定するためには体力が必要で、体力をつけるには適度な運動と栄養バランスの良い食事と規則正しく十分な睡眠が大事だけど、この三つを維持するには精神的に安定していないと無理なんだよな
私もう28歳なんですよまともに人と関係も築けず作業としか言えないような無為な仕事に日々明け暮れ微々たる金を稼ぎ心の空虚さを埋めるために浪費する、何やってんだろう何で生きてるんだろ
湯船に浸かって一息ついたときに無意識でしにたい〜と言ってしまって自分でびっくりし、誰に聞かれたわけでもないのに「うそうそ笑」と重ねて声に出すのをやった、もうだめだ
院から無職時代にかけての一番心身ボロボロで全身に蕁麻疹が出ていた時期にお誘いされてさすがにお断りした結婚式、後から開催者に来てくれなかったよね〜と言われて他人の事情も知らずになんなんだと思ったし、万が一自分が結婚するとしても絶対に他人に祝福を強いることのないようにしようと誓った
結婚する/しない・子ども持つ/持たない・仕事をする/しないが、ランチをサバの味噌煮定食にするか豚の生姜焼き定食にするかのようにどちらを選んでも誰にも何も思われない並列な選択になればいいのにね
二十代の頃はレールから外れ過去の人間関係を絶ってしまったことに後悔や情けなさを感じることもあったけど、この年齢になると真っ当に生きていてもライフステージの違いで疎遠になることも多いと知りあまり気にならなくなったのはよかった
子どもを見ると普通にかわいいと思うし種を残すのが生命の根本なので子どもも妊婦さんも最大限尊重されるべき、とはいえ自分は責任も負えないし生きるつらさを強いるのも気がひけるしお金もかけられないので自分の子がほしいわけではない、この二つの思いは両立するはずなのに理解されない
仕事は楽しみもやりがいも将来性もない、交友関係はゼロ、特に打ち込んでいる趣味もない、こういう人たちはどういうモチベーションで生きてるの?三重苦揃っている人は意外と少ないの?
発達障害の特性に諸々当てはまるけど(体力がない先延ばし癖がひどい等)薬を飲まないと暮らせないほどではないし単に自堕落なのを言い訳にしているのではという気持ちと、例え発達障害だとしても診断を受け薬を飲んでまでまともになりたいわけでもないという気持ちから今日も何もできずに終わっていく
世の人々は我が子がニートになる可能性をどの程度考慮して子をなしているんだろう、環境に問題がなくとも当人固有の要因でニートになることはある、ニートならまだマシなほうで犯罪者になる可能性だってある、親子とはいえ他人だから完全にコントロールすることはできないだろうに
きっと死ぬまで何に対しても興味もやりがいも持てず生きるためだけに時間を切り売りして終わるんだろう、そんなのをだらだらと続けないためにもやはり人生のゴールは自分で設定し自ら終える必要がある
二十代の頃はあれだけお風呂までの心的距離が遠いことに悩んでいて結局翌朝になってしまうことも度々だったのに今では何の抵抗もなく浴室に向かえる、年齢と共に自然と解決する問題も確かにあるんだ
二十代前半で選択を誤った人生終わったと感じてこのアカウントを始めたけど、当時の私に本物の終わりはこんなもんじゃないこれから次々とより大きな終わりがやってくるよと教えてあげたい、そしたらちゃんとあの時点で人生終わらせてたと思う