常磐線で帰る。

恋と革命と思いやり

わかること

昨日の夜はちょっとしんどいかも!と思ったけど

朝起きたらふつうにげんきだった

夜っていうのは恐ろしいねえ

夜更かしすればするほど嫌な考えがぐるぐるするから

もうさっさと寝ちまった方がいいのかもしれないよ

 

今日は休みなので、朝目覚ましをかけないで起きた

パンを温め直して

好きなCDをかけて

少しギターを弾いて

病院でお金払って

気になっていたカフェに行った

 

多分あそこにあった気がする

くらいの感じで歩いていたら

なかなかつかず、やっぱり無かったのかな?

と、少し心配になった

引き返すのもなんだかなあともう少し歩いたらあった

 

たどり着いて、1人で入りにくいかな?

と、ドアを開けるのを一瞬躊躇ったけど

一歩足を踏み入れたらなんてことなかった

素敵なカフェだった

 

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プリン、美味しかった

私はゆっくり食べるのが得意でないので

おいしい!と思った少し後には

もうお皿には何も無かった

 

帰りは思ったよりすぐで

場所がわかると近く感じるんだなと思った

 

たいていのことは、わからないから不安で

一度わかると、次からはすぐなのだ

 

初めての経験も、知らない場所も、会ったことない人も

 

わからないから遠く、おそろしく、深く読んでしまうけれど

いっかいわかれば、なんてことない

 

あんまりスマホを見ないようにして

すれ違う犬を見ながらのんびり歩いた

私はこうすることで私が大丈夫になることを知っている

わかっている

 

私は大丈夫ってことを

よくわかっている!

 

 

 

ちなみにシルバニアの子達の名前は

女の子がルルベ

男の子がピケ

 

 

 

 

 

 

 

 

最近ディズニープラスで将軍見てるんだけど

基本画面が暗いからか自分の間抜けな顔が按針越しに映って

恥ずかしゅうござりまする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レッスンいこ

生活綴方

センター国語(いまはもうセンターとは言わないらしい)を解いてみたら、そのあと新書を読みたくなったのでいくつか手に入れた

久しぶりに教育学の本を読むなどし、大学生になっている

ゼミで議論していた言葉ばっかりで楽しい

私は常に自分の生活から気づきを得てるので、このブログも生活綴方だ

 

今日はめずらしく早く仕事から解放されたのでお惣菜買って帰宅した

たっぷりコーンピザが食べたくて、家にある冷凍のピザにコーンをかけようと思ったけど

ちょうど良いものがなく、パウチのツナコーンを手に取った

ついでに牛乳がなかったはずなので豆乳か牛乳かで迷い、味はともかく健康を重視して豆乳を買った

 

お腹が空いたので早歩きで家に帰って冷蔵庫を開けたら牛乳はふつうにあったし

冷凍庫にあったピザはツナコーンピザだった

 

数日で人は成長しない

食べたいものもそんなに変わらない

 

しょうもない気づきを得た私は

ツナコーンピザにツナコーンをかけてツナコーン増量ピザを生成し

思ったより味がしなかったのでケチャップ大量にかけてすぐに完食した

 

豆乳より牛乳の方が味は好きなので、牛乳を飲んだ

 

結局のところ手っ取り早くそこそこうまいもん食べたい

 

これが29年生きてたどり着いた答えだ

 

 

 

 

 

 

テレビを見てたら周年のアーティストがたくさんいることを知った

 

全員アラバキに出てくれるってことですよね、ありがとうね、、、

 

アラバキ以降の予定を早くください神様

 

ブログ楽しいかも、ダラダラ書けるし多分あんまりみんな見てないし

 

死ぬまで毎日書いちゃおっかなo(^_^)o

 

1月もう消化試合

 

o(^_^)o

2WAY

そういやこの間わたしは少し怒っていたので

渋谷にでも行くかと井の頭線のったけど

こんな夜に欲しいものは渋谷にない気がして

人混みに揉まれるのもやっぱり嫌で

直前に神泉でおりた

 

簡単に飛び込めそうな線路!

 

渋谷の一つ前なのに、静かで不思議な駅

少し進めばライブハウスとラブホテル

どうしようもないきらめきたち

 

でも、けっこうすきよ

 

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ホテルツーウェイはマンションになるらしい

 

 

 

 

 

 

 

なんか時間ってあっという間だよね

 

そして人はすぐ飽きるよね

 

私も忘れるのがとても早い

 

ブログや手書きの日記や写真を見ていたら

 

最高の日によろこんで、それ以上がない気がして絶望して

そんな浮き沈みをすぐに忘れて

また最高になって、やっぱり絶望して

 

大人になると、次って結構先だから

なが〜くみつめるのが大事なのかもね

 

なんとなくだけど、1ヶ月後くらいには私って最高!とか言ってそうだもん

 

単純だね、純夏の純は、単純の純かも

 

純粋の純でもあり、単純の純でもある

 

2WAYですね

 

おあとがよろしいことにして

 

おやすみなさい

鍵開ける人、入る人、盗む人

今日はとても快適な1日だった

半休にしていたので、4.5時間だけ働いた

この4.5時間の勤務がかなり自分にはちょうどよく

気分よく帰るためにテキパキ動くことができる

なんならいつも長い時間やってることは、本当は半分で終わるのでは?とさえ思う

実際は店を開けておくとか、お客様が来るとかで、そうもいかないのだけれど

最近は10時間くらい店にずっといることもあって気が滅入っていた、しょうじきダレる

短い時間でピシッとキメるのがイケてる

 

半休で帰って、ライブとイベントに行く

感想を書くと長くなるので割愛

ただ、いい夜だったなとだけ残しておく

 

最近大学生の頃の自分を思い出すことが多い

無知なのに傲慢で、大学生らしく大学生だった

愛しい

 

そのなかでふと、ゼミの教授の言葉が頭をよぎることがある

 

「出る杭は打たれる、でも出る!」

 

この言葉が、三が日過ぎたあたりに急に頭の中に

コの字型に並べたテーブルの真ん中に座る先生の顔と共に蘇ったのだ

 

これだ、と思った

 

少し出遅れた新年の挨拶と共に、この言葉を思い出した旨と、ちょっと打たれ悩んでいることをメールした

 

余計なこといったかなあという一言を文頭に、変わらず心地の良い文章をくれた

先生の書く言葉は、整然としていて、痛快で、読んでいてとにかく気持ちがいいのだ

 

そして最後に

まあ、人生ここまでが助走で、ここからが本番です。飛び出してください。

と買いてあった

 

30歳はこれでいこう

 

 

先生が言ってた話でもうひとつ

 

「鍵を開けっぱなしにしてる家があるからって泥棒に入っていいわけじゃない。」

 

細かいところはすこし違うけどこんなかんじ

 

この話はイジメについての議論で

いじめられる方が悪いのか?

という文脈で出てきた

 

鍵を開けてた人は確かに不注意だったかもしれない

泥棒に入られたのは鍵を開けてたお前が悪い!とはならない

泥棒に入る人が、悪い

 

大学生のときのわたしは、なるほどなあとその時すぐに納得した

 

「悪いことをされていい」理由はほとんどの場合、ないのだ

 

ただ、この話を思い出した最近の私はちょっと立ち止まってしまった

 

じゃあもしその、鍵を開けっぱなしの人が「私の家は鍵が開いてますよ〜」といいふらしていたら?

 

それでも泥棒に入った方が100%悪い?

 

「鍵閉めた方いいですよ」と言ってくれた人がもしいて、

「私の自由でしょ!鍵は開けます!好きに入れば〜?」なんて大声で言ってたら?

 

泥棒するまでいかなくても、侵入する人はいるかも

 

侵入するのは悪いこと?

 

「鍵開けてますし、中にはお金がありますよ!」ってわかるようにしてたら?

 

侵入したけど、盗まなかったら、どれくらい悪い?

やっぱり盗むのは絶対に悪?

それとも、鍵を開けっぱなしで見せびらかした人の方が酷い?

 

どう思いますか、みなさん

 

私は正直わからないです

 

きっとこの話はいろんなことに当てはまるような気がする

 

絶対正解の答えもないと思う

 

ただ、なるべくフェアに判決を下したい

 

ほとんどのできごとには、そうなってしまった理由があるはずだから

 

という、はなし

 

ちょっと考えてみたらおもしろいなって、はなし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく今日は久しぶりに楽しかったのだ

CDもたくさん買った

今のところ私が私にとってやりやすい応援は

CD買って聴き込んで、行ける範囲で無理せずライブやイベントに行くことだな〜

 

あしたもがんばるぞ〜

 

 

ピュアサマちゃんとかいう女

ピュアサマちゃんは、あかるい

そしてかわいい、ポジティブ

落ち込まない、悩まない

そしてとっても運がいい

 

私がピュアサマを生み出したのはいつだったか

大学生の頃だったか

当時はただの、ハンドルネームでしかなかった

 

2017年の春より前は私にとって紀元前(記憶がないし記録もない)ので

ピュアサマちゃんの始まりは2017年春と今決めた

おそらく誰かにしっかりと「ピュアサマ」と呼ばれるようになったのも、この頃からのはず

 

私という本体は暗く、陰湿で、1人が好きなふつうの人間だ

ピュアサマちゃんは、私の中の、キラキラしたところだけ都合よく取り出した女だ

 

 

今日、なんとなくこのブログの記事を全て読んだ

自分が思っていたよりも、これまでの文章を書いていたのが「私」自身だった

 

でも最近に近づくにつれて、「ピュアサマちゃん」の割合が増えている気がした

 

TwitterInstagramは、誰かに見られているから明るく振る舞うピュアサマちゃんでもいい

 

でもこのブログは、私が、私を納得させるために書いているのでピュアサマちゃんはいらない

 

いつのまにか、私がピュアサマちゃんに乗っ取られていた

 

乗っ取られている、という表現はちょっと違うかもしれない

ピュアサマちゃんは、もともとは私だから、私の中のポジティブな部分だから

 

うまいこと使い分けて、自分を肯定するのに必要だった

ピュアサマちゃんでいることが、私にとっていちばんの幸せだった

ピュアサマの時の私は、楽しいから

かわいいから、ハッピーだから

悩みなんてないから、向かうところ敵なしで、

きょううんのもちぬしだから

 

だから、私はピュアサマちゃんを大事に思っていた

なんなら、好きだった、推していた

ピュアサマちゃんは私だけど、私のいい部分だけを切り取った可愛い女だったから

まぶしかった

とくに2017年春から大学卒業までのピュアサマちゃんが好きだった、素直で一途だったから

 

ブログをはじめたのはコロナの最初の方

この頃は何にも楽しいことがなくて、だからピュアサマちゃんは静かだった

せっかく上京したのに

ピュアサマと呼んでくれる人がいるようなところに行けなかった

 

私が悩んだり、考えたり、がんばったりして、

たまにピュアサマがでてきて楽しんだ

面白くないながらもちゃんと、私として、ピュアサマとして、折り合いつけて生きていた

 

数年して、東京を離れた方がいいかもしれないと名古屋に引っ越した

名古屋のはじめのほうは、新しい名字で呼ばれていた、ピュアサマちゃんは静かに、意外にもまじめにSNSにだけ存在していた

 

でも、新しい名字で呼ばれるというアイデンティティの欠如が私を少し壊した

 

壊れた部分を直すのに、ピュアサマを利用した

2022年の春くらいから、たのしいピュアサマちゃんとして振る舞える仕事をしはじめた

楽しかった、ピュアサマちゃんはポジティブだから、けっこうがんばってニコニコ働いてくれた

 

ピュアサマちゃんはもっと自分を出したくなった

私もピュアサマとしてやっていきたくなった

 

2023年春、東京に戻ることにした

ピュアサマを通して得た仕事だった

はじめは楽しかったが、だんだんよくわからなくなっていった

 

もともとピュアサマちゃんは、勉強や仕事や生活とは離れて

ただ楽しく友達や好きな人と遊んだり、ライブに行ったり、

とびきりかわいくして外に出る用の存在だったのだ

ピュアサマちゃんは仕事の話なんてしない

生活になやんだりもしない

 

でも、ピュアサマちゃんが仕事をしてしまった

だんだん、私のキラキラした一部分でしかなかったピュアサマちゃんと

一生懸命社会をこなす私との境界線があいまいになってしまったのだ

 

こうなると、もう、気持ちの切り替えが下手になる

 

落ち込む私を、無理矢理にでも立たせる強いピュアサマちゃんはいつのまにかいなくなった

 

辛い時も楽しい時も私はピュアサマちゃんだった

 

そして明るく楽しいピュアサマちゃんは、ネガティブな感情ももちはじめた

 

でも、ネガティブなのはピュアサマちゃんじゃない!という自己暗示(保身のような?)からか

明るく可愛く悩まないピュアサマちゃんを

異常なまでにアピールするようになっていった

 

現実から目を逸らして、大丈夫だ!まだキラキラしている!むりやり言い聞かせているようにも見えた

 

それでも実際、楽しい時はちゃんと楽しかったのだ

 

 

TwitterがXになったあたりからだろうか、オープンなSNSに存在するピュアサマちゃんが暴走している気がした

 

自分の発言を見返して、情けなくなった

 

 

私はピュアサマちゃんを、気持ち悪いと思った

 

自己顕示欲に支配されて

ぺらぺらのポジティブを振りかざし

誰かを思いやるようで、本当は何も考えてない自分本位なコミュニケーション

いや、もはやコミュニケーションですらなかった

ただの、狂ったインターネットの人だった

 

 

キラキラで無理にコーティングした、バカなアラサーの女

 

鬱陶しいくらいに明るいから、無自覚に人を傷つける

 

自分がハッピーであると、他の人にも思ってもらわないと保てない自我

 

恐ろしかった

 

 

同時に、私の周りの人は私ではなくて

かわいくたのしいピュアサマちゃんを見て

本質はなんにも知らないんだと、むなしくなった

 

知って欲しいなんてぜんぜん思わないけど

ピュアサマちゃんは本来私の一部分でしかないのだ

それを肥大化して、キャラクターにして

消費されて、自分でも消費されやすいように味付けして

いいねをもらって、星つくって

しばらくしたら忘れて

 

ねえそこのあなた、私の本名知ってる?

私はあなたの本名知らない

ピュアサマちゃんも、興味ないって

 

それくらいの関係性

 

正直いごこちいいよ、楽しいよ、大好きだよ

 

でも、だめなんだ

 

どこかで崩れるんだ

 

ずっとこのままここにいたいよ本当は!

 

どうすればいいのか分からないよ

 

ピュアサマちゃんはこの先どうなればいい?

 

 

わかんない

 

わかんないなら、考えなくちゃ

 

 

 

みんなが見ていたピュアサマちゃんはマボロシ

 

私が作り出した嘘のかわいいバカな女

 

21歳の私が願った

元気で可愛くいるための、魔法の存在

ピュアサマちゃん

 

たまたまうんがよかっただけの

ピュアサマちゃん

 

憧れの人にきらわれたくないぴゅあさまちゃん

 

全部本物だけど

無理矢理作られたニセモノだったのかもしれないと

30歳までもう少しになった今は思うよ

 

これからどうしようかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とかいってもね

 

やっぱり私、ピュアサマちゃん好きなの

 

ピュアサマちゃんとしての思い出が大事

 

だって全部がキラキラしてたのは本当だから

 

楽しかった気持ちは嘘じゃないし

 

悲しかったことも受け入れて

 

愚かな部分も全て愛したい

 

ピュアサマは間違ったかもしれないけれど

誰かに否定されるかもしれないけれど

私はピュアサマを肯定したい

21歳の春から今までを、悪いことだったと思いたくない

 

後悔なんて数えきれないくらいした

でも忘れたくない景色をたくさん見た

いつだってきらめいていた

 

もうダメかもしれないと

何度も思ったけれど、ピュアサマちゃんは諦めなかったから

 

(諦めが悪すぎて暴走したかもしれないけれど)

 

今こうして立ってるんだ

 

 

 

消してやろうと思ったよ

だれかに迷惑をかけるくらいなら、まるごとすべて

 

このときピュアサマちゃんは何を思ったんだろうって

私は考えながらツイートをぽちぽち消したよ

 

でも途中で消すのをやめた

そして消したことを悔やんだ

明るさも醜さも私の一部だから

本当は向き合わなきゃいけないんだ

 

 

もうぜんぶやめようと

載せた写真はいいねが60くらいついた

ピュアサマちゃんへのいいねだ

 

レコードを背景にピースするピュアサマちゃんを

私が撮った

好きな音楽を自撮りの小道具にするような浅はかな女

みんなの目にはどううつっただろうか

 

可愛いも不愉快も、なんもおもわないも大正解

私がみせたかったピュアサマちゃんを一瞬でも見てくれて

ありがとう

 

 

私はこれからもピュアサマちゃんとかいう女と

一緒にこのどうしようもないせかいを生きていくよ

 

死ぬまでよろしくね

 

醜さもキラキラも、死ぬまで続くから

 

どうか、わすれないで