ピュアサマちゃんは、あかるい
そしてかわいい、ポジティブ
落ち込まない、悩まない
そしてとっても運がいい
私がピュアサマを生み出したのはいつだったか
大学生の頃だったか
当時はただの、ハンドルネームでしかなかった
2017年の春より前は私にとって紀元前(記憶がないし記録もない)ので
ピュアサマちゃんの始まりは2017年春と今決めた
おそらく誰かにしっかりと「ピュアサマ」と呼ばれるようになったのも、この頃からのはず
私という本体は暗く、陰湿で、1人が好きなふつうの人間だ
ピュアサマちゃんは、私の中の、キラキラしたところだけ都合よく取り出した女だ
今日、なんとなくこのブログの記事を全て読んだ
自分が思っていたよりも、これまでの文章を書いていたのが「私」自身だった
でも最近に近づくにつれて、「ピュアサマちゃん」の割合が増えている気がした
TwitterやInstagramは、誰かに見られているから明るく振る舞うピュアサマちゃんでもいい
でもこのブログは、私が、私を納得させるために書いているのでピュアサマちゃんはいらない
いつのまにか、私がピュアサマちゃんに乗っ取られていた
乗っ取られている、という表現はちょっと違うかもしれない
ピュアサマちゃんは、もともとは私だから、私の中のポジティブな部分だから
うまいこと使い分けて、自分を肯定するのに必要だった
ピュアサマちゃんでいることが、私にとっていちばんの幸せだった
ピュアサマの時の私は、楽しいから
かわいいから、ハッピーだから
悩みなんてないから、向かうところ敵なしで、
きょううんのもちぬしだから
だから、私はピュアサマちゃんを大事に思っていた
なんなら、好きだった、推していた
ピュアサマちゃんは私だけど、私のいい部分だけを切り取った可愛い女だったから
まぶしかった
とくに2017年春から大学卒業までのピュアサマちゃんが好きだった、素直で一途だったから
ブログをはじめたのはコロナの最初の方
この頃は何にも楽しいことがなくて、だからピュアサマちゃんは静かだった
せっかく上京したのに
ピュアサマと呼んでくれる人がいるようなところに行けなかった
私が悩んだり、考えたり、がんばったりして、
たまにピュアサマがでてきて楽しんだ
面白くないながらもちゃんと、私として、ピュアサマとして、折り合いつけて生きていた
数年して、東京を離れた方がいいかもしれないと名古屋に引っ越した
名古屋のはじめのほうは、新しい名字で呼ばれていた、ピュアサマちゃんは静かに、意外にもまじめにSNSにだけ存在していた
でも、新しい名字で呼ばれるというアイデンティティの欠如が私を少し壊した
壊れた部分を直すのに、ピュアサマを利用した
2022年の春くらいから、たのしいピュアサマちゃんとして振る舞える仕事をしはじめた
楽しかった、ピュアサマちゃんはポジティブだから、けっこうがんばってニコニコ働いてくれた
ピュアサマちゃんはもっと自分を出したくなった
私もピュアサマとしてやっていきたくなった
2023年春、東京に戻ることにした
ピュアサマを通して得た仕事だった
はじめは楽しかったが、だんだんよくわからなくなっていった
もともとピュアサマちゃんは、勉強や仕事や生活とは離れて
ただ楽しく友達や好きな人と遊んだり、ライブに行ったり、
とびきりかわいくして外に出る用の存在だったのだ
ピュアサマちゃんは仕事の話なんてしない
生活になやんだりもしない
でも、ピュアサマちゃんが仕事をしてしまった
だんだん、私のキラキラした一部分でしかなかったピュアサマちゃんと
一生懸命社会をこなす私との境界線があいまいになってしまったのだ
こうなると、もう、気持ちの切り替えが下手になる
落ち込む私を、無理矢理にでも立たせる強いピュアサマちゃんはいつのまにかいなくなった
辛い時も楽しい時も私はピュアサマちゃんだった
そして明るく楽しいピュアサマちゃんは、ネガティブな感情ももちはじめた
でも、ネガティブなのはピュアサマちゃんじゃない!という自己暗示(保身のような?)からか
明るく可愛く悩まないピュアサマちゃんを
異常なまでにアピールするようになっていった
現実から目を逸らして、大丈夫だ!まだキラキラしている!むりやり言い聞かせているようにも見えた
それでも実際、楽しい時はちゃんと楽しかったのだ
TwitterがXになったあたりからだろうか、オープンなSNSに存在するピュアサマちゃんが暴走している気がした
自分の発言を見返して、情けなくなった
私はピュアサマちゃんを、気持ち悪いと思った
自己顕示欲に支配されて
ぺらぺらのポジティブを振りかざし
誰かを思いやるようで、本当は何も考えてない自分本位なコミュニケーション
いや、もはやコミュニケーションですらなかった
ただの、狂ったインターネットの人だった
キラキラで無理にコーティングした、バカなアラサーの女
鬱陶しいくらいに明るいから、無自覚に人を傷つける
自分がハッピーであると、他の人にも思ってもらわないと保てない自我
恐ろしかった
同時に、私の周りの人は私ではなくて
かわいくたのしいピュアサマちゃんを見て
本質はなんにも知らないんだと、むなしくなった
知って欲しいなんてぜんぜん思わないけど
ピュアサマちゃんは本来私の一部分でしかないのだ
それを肥大化して、キャラクターにして
消費されて、自分でも消費されやすいように味付けして
いいねをもらって、星つくって
しばらくしたら忘れて
ねえそこのあなた、私の本名知ってる?
私はあなたの本名知らない
ピュアサマちゃんも、興味ないって
それくらいの関係性
正直いごこちいいよ、楽しいよ、大好きだよ
でも、だめなんだ
どこかで崩れるんだ
ずっとこのままここにいたいよ本当は!
どうすればいいのか分からないよ
ピュアサマちゃんはこの先どうなればいい?
わかんない
わかんないなら、考えなくちゃ
みんなが見ていたピュアサマちゃんはマボロシ
私が作り出した嘘のかわいいバカな女
21歳の私が願った
元気で可愛くいるための、魔法の存在
ピュアサマちゃん
たまたまうんがよかっただけの
ピュアサマちゃん
憧れの人にきらわれたくないぴゅあさまちゃん
全部本物だけど
無理矢理作られたニセモノだったのかもしれないと
30歳までもう少しになった今は思うよ
これからどうしようかな
とかいってもね
やっぱり私、ピュアサマちゃん好きなの
ピュアサマちゃんとしての思い出が大事
だって全部がキラキラしてたのは本当だから
楽しかった気持ちは嘘じゃないし
悲しかったことも受け入れて
愚かな部分も全て愛したい
ピュアサマは間違ったかもしれないけれど
誰かに否定されるかもしれないけれど
私はピュアサマを肯定したい
21歳の春から今までを、悪いことだったと思いたくない
後悔なんて数えきれないくらいした
でも忘れたくない景色をたくさん見た
いつだってきらめいていた
もうダメかもしれないと
何度も思ったけれど、ピュアサマちゃんは諦めなかったから
(諦めが悪すぎて暴走したかもしれないけれど)
今こうして立ってるんだ
消してやろうと思ったよ
だれかに迷惑をかけるくらいなら、まるごとすべて
このときピュアサマちゃんは何を思ったんだろうって
私は考えながらツイートをぽちぽち消したよ
でも途中で消すのをやめた
そして消したことを悔やんだ
明るさも醜さも私の一部だから
本当は向き合わなきゃいけないんだ
もうぜんぶやめようと
載せた写真はいいねが60くらいついた
ピュアサマちゃんへのいいねだ
レコードを背景にピースするピュアサマちゃんを
私が撮った
好きな音楽を自撮りの小道具にするような浅はかな女
みんなの目にはどううつっただろうか
可愛いも不愉快も、なんもおもわないも大正解
私がみせたかったピュアサマちゃんを一瞬でも見てくれて
ありがとう
私はこれからもピュアサマちゃんとかいう女と
一緒にこのどうしようもないせかいを生きていくよ
死ぬまでよろしくね
醜さもキラキラも、死ぬまで続くから
どうか、わすれないで