11月28日夜、那覇で田中聡沖縄防衛局長がオフレコ懇談を行った。翌29日、琉球新報が〈 沖縄防衛局の田中聡局長は28日夜、報道陣との非公式の懇談会の席で、米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)の「評価書」の年内提出について、一川保夫防衛相が「年内に提出できる準備をしている」との表現にとどめ、年内提出実施の明言を避けていることはなぜか、と問われたことに対し「これから犯しますよと言いますか」と述べ、年内提出の方針はあるものの、沖縄側の感情に配慮しているとの考えを示した。 〉と報じ、これが大問題になった。
田中局長は29日に東京に呼び戻され、事情聴取を受けた。同日夜、一川保夫防衛相は、記者会見で田中氏を沖縄防衛局長から更迭し、防衛大臣官房付とした。
本件に関する朝日新聞那覇総局長の谷津憲郎氏が12月3日朝日新聞朝刊に掲載したコラムに筆者は強い違和感を覚える。まずこのコラムを引用しておく。
〈 朝日新聞朝刊〈記者有論〉防衛局長発言 問題なのは言葉だけか
■谷津憲郎(那覇総局長)
あの夜、1時間ほど遅れて居酒屋につくと、目当ての人は奥のテーブルでにぎやかにグラスを交わしていた。田中聡・沖縄防衛局長(当時)と、それを囲む報道各社。男ばかりが約10人。3千円の会費を払い、私は隣のテーブルで報道室長と話し始めた。
犯す前にこれから犯すと言いますか---。沖縄県名護市辺野古への米軍普天間飛行場の移設に向けた環境影響評価(アセスメント)の評価書の提出について、田中局長がそういう発言をしたのは、この店でのことだった。「率直な意見交換を」と局長の発案で開かれた懇談会。「評価書の提出は12月のいつごろ?」「越年する可能性は?」。公式の会見ではおざなりな答えしか返ってこない。質問を重ねる中だった。
なんとも間抜けだが、私は例の発言を聞いていない。では、もし聞いていたら記事にしたか。参加したのが自分ではなく同僚で、そう報告を受けたら「書け」と指示したか。いまこう書くのは大変気が重いが、たぶん記事にしなかったのではないかと告白せざるを得ない。酒の席で基地問題を男女関係に例え、政府が意のままに出来るかのように表現するケースは、防衛局に限らず、時々聞いたことがあるからだ。
1995年の少女暴行事件に限らず、沖縄では戦後、米軍による性暴力の被害を数々受けてきた。発言が不適切だという指摘は、その通りだ。だが、根っこにある問題も見過ごしてはいけないと思う。
国は辺野古で、まさに発言通りの行為をやろうとしてきた。県内移設を拒む沖縄県民の意思に反し、「理解を得て」と言いながら是非を許さず、金を出すからとなだめ、最後は力ずくで計画を進める。下劣な例えだが、もっと下劣なのは現実の方だ。
私にとって不快なのは、発言した田中局長よりも、発言の後でも評価書の年内提出を言いのける野田政権の方だ。「事実だったら言語道断」「心よりおわび申し上げる」とトップが言いながら、1日の審議官級協議で米国に約束履行を表明する外務・防衛省の方だ。私に言わせれば、彼らは酔ってもいないのに「それでも犯し続ける」と言っているのに等しい。
騒ぎの末に政府が謝ったのは、自分たちの行為ではなく、言葉の使い方だけだ。本質は変わっていない。本当に沖縄を愚弄(ぐろう)しているのは誰か。本土に目を向けてほしいのは、むしろそちらの方だ。 〉(12月3日、朝日新聞デジタル)
那覇総局長は同席していたのか、いなかったのか?
ちなみに朝日新聞の本件に関する第一報の冒頭を引用しておく。
〈 沖縄防衛局長「犯す前に言いますか」と発言 辺野古巡り
沖縄県名護市辺野古への米軍普天間飛行場の代替施設建設に向け、政府が環境影響評価(アセスメント)の評価書の提出時期を明言しない理由について、沖縄防衛局の田中聡局長が28日夜の報道各社との非公式の懇談で「これから犯す前に犯しますよと言いますか」などといった趣旨の発言をしていたことがわかった。複数の出席者が語った。女性への性的暴行に例えた発言で、沖縄県内で反発の声が広がりそうだ。
懇談は28日夜、那覇市内の居酒屋で行われ、沖縄県内の報道機関約10社が参加。朝日新聞社は、発言時には同席していなかった。田中局長の発言は、沖縄の地元紙・琉球新報が29日付朝刊1面で報じた。(以下略) 〉(11月29日、朝日新聞デジタル)
ここで、「朝日新聞社は、発言時には同席していなかった」と明確に記されている。「同席していなかった」とは通常の日本語の用い方で考えるならば、物理的に居合わせていなかったことを指す。筆者が調べたところでは、この懇談は午後8時に始まり、田中氏が「これから犯す前に犯しますよと言いますか」と発言したのは、午後9時半過ぎのことという。谷津氏は、「あの夜、1時間ほど遅れて居酒屋につくと」と述べている。
それならば、谷津氏は物理的に田中氏が不適切発言を行った場に居合わせたことになる。谷津氏の「私は隣のテーブルで報道室長と話し始めた」、「なんとも間抜けだが、私は例の発言を聞いていない」という記述を総合的に判断すると、不適切発言の現場にいたが、聞き逃したと釈明していると読むことも可能だ。
谷津氏は、田中氏の不適切発言があったときに現場に居合わせたのか、そうでないかという事実関係は、朝日新聞の報道姿勢を知る上で重要なデータになる。朝日新聞の報道からでは、この点が明確にならない。谷津氏が、当初は、自分が参加する前に不適切発言が行われたと思っていたが、取材を進める内に自分のその場に居合わせたが、田中氏の発言を聞き逃したということが判明したということならば、それを読者に説明するのが報道に携わる者の職業的良心に基づいた行動と思う。
構造的差別を認識してない
記者有論で、谷津氏は、「酒の席で基地問題を男女関係に例え、政府が意のままに出来るかのように表現するケースは、防衛局に限らず、時々聞いたことがあるからだ」と述べている。筆者はこの記述に強い違和感を覚える。なぜなら、基地問題を「男女関係」にたとえることと「性犯罪」にたとえることの間には、大きな飛躍があるからだ。
酒を飲んでいようがいまいが、性犯罪を前提とする表現を国家公務員が用い、それを記者が黙って聞いているというような事態は正常でない。田中氏の「これから犯す前に犯しますよと言いますか」という発言を「男女関係」のたとえととらえ、「性犯罪」であることに対する認識が谷津氏に欠如していることが筆者には理解できない。
さらに谷津氏は、「私にとって不快なのは、発言した田中局長よりも、発言の後でも評価書の年内提出を言いのける野田政権の方だ」と述べる。「よりも」というのは比較を示すときに使う。野田政権の評価書の年内提出よりも、田中氏の発言の不快さの方が軽いという谷津氏の認識が筆者には理解できない。
筆者も評価書の年内提出という方針は正しくないと考える。しかし、それは政策判断の問題だ。これに対して、田中氏は、レイプを前提とする「これから犯す前に犯しますよと言いますか」という発言、買春を前提とする〈 1995年の少女暴行事件で米軍高官が「レンタカー代があれば女を買える」と発言したがその通りで、そうすれば事件は起こらなかった。 〉(11月30日付日本経済新聞朝刊)という発言をしている。
この場合、「犯される」という対象は沖縄で、「買われる女」として想定されている女性も沖縄人だ。田中氏の発言の問題に含まれている構造的差別に対する認識が谷津氏には弱いと言わざるを得ない。
さらに最も深刻なのは、谷津氏は、「本当に沖縄を愚弄しているのは誰か。本土に目を向けてほしいのは、むしろそちらの方だ」と、沖縄側に立って本土の政治家を糾弾する。スターリン時代のソ連に「告発者は告発されない」という俚諺があった。谷津氏は、「酒の席で基地問題を男女関係に例え、政府が意のままに出来るかのように表現するケースは、防衛局に限らず、時々聞いたことがある」と告白する。
それならば、なぜそのことを書かなかったのか。オフレコの約束があった云々というのは、本質的な理由にならない。このような情報を報じることに公益性、公共性がないという判断を谷津氏がしたからだ。
本当に沖縄を愚弄しているのは誰か
朝日新聞の那覇総局長が、田中氏の不適切発言について、「では、もし聞いていたら記事にしたか。参加したのが自分ではなく同僚で、そう報告を受けたら『書け』と指示したか。いまこう書くのは大変気が重いが、たぶん記事にしなかったのではないかと告白せざるを得ない」と明確に記し、そのようなコラムを朝日新聞が掲載したことの意義はとても大きい。
朝日新聞の沖縄における最高責任者は、官僚とのオフレコによる拘束と国民、なかんずく沖縄県民の知る権利を比較した場合、前者が重いと判断していることが明らかになった。まさにこれこそが構造的差別者の視座と筆者は考える。そして、これが朝日新聞の現実なのである。
沖縄を愚弄するのは、「基地問題を男女関係に例え、政府が意のままに出来るかのように表現するケース」を知りながら、記事にしなかった記者ではないのだろうか。いずれにせよ谷津氏のコラムは、朝日新聞の沖縄報道が岐路に立っていることを如実に示すものだ。