手紙も取り上げられて宙ぶらりん。
龍門に向かうアーミヤちゃんを笑顔で見送ったけど、他人の感情に敏感なあの子は不安げな眼差しを返していた。
筒抜け、だろうな。
虚勢を張る方が足を引っ張るかもだけど、今吐露するのはアーミヤちゃんに迷惑だからってだけじゃない。
初めてなんだ。
ここまで自分が理解不能な状態は知らない。
だから、正体も掴めない「何か」を吐き出した時に返って来るモノがあたしを壊すんじゃないかって予感がする。
それで、あたしは――考えることをやめた。
分からない内に、まだ何もこぼれ落ちていない内に自覚しないところへ封じる。
そしたら、きっといつもみたいに目の前の事に集中できてふと浮かぶ機会すら失う。
まだロドスは窮地を脱していないんだから、特にケルシーから「あたしが居なきゃロドスは動くことすら儘ならない」とまで言われちゃ立ち止まってなんていられないでしょ!
「よーし、今日も張り切ってくかー!」
「おまえさんは相変わらず元気だな」
「ん? ってAce、また病室抜け出して……医療オペレーターに散々言われてたのに。ケルシーが帰って来たら痛い目見るよ?」
「この状態じゃ休むのも仕事だとは承知してるんだがな。気になってよ」
通路で声をかけて来たのは、エリートオペレーターAce。
堅牢なロドスの盾として戦場では皆の精神的支柱となり、兄貴分な性格は濃い髭面の醸し出す貫禄と相まって皆にとても慕われている。
それはドクター救出でも遺憾無く発揮され、作戦の成功に貢献した。
……ただ、その代償として片腕の欠損と凍傷、火傷も負って帰還時は応急処置で命こそ間に合ったけど意識朦朧としていた。
「前線復帰は厳しいかもな」
「皆がまだ寝てても不思議じゃない重傷なのに、流石はAce! ……なんて感動した勢いで褒めてるけど、冷静になると見てて心配になるからベッド戻りなよ」
「…………」
「大丈夫だって。Aceが体張って助け出したドクターも居るし、これからロドスはもっとよくなるよ」
「……だな」
「くくく……それにまだ右も左も分からないなら、今の内にあたしの味方にする余地も……」
「……一応、元気みたいだな」
Aceの物言いに引っかかりを覚える。
やめてよ、考えないようにするって決めたのに!
耳を塞ごうか悩む。
でも、そんな態度を取ったら露骨に意識しているとバレて余計に心配させちゃいそうだし。
ぬぐぐぐ……!
「元気だってば。だから、Aceの分まで働くし安心して眠れ!」
「そうか」
「……もー、どうしたのさ?」
Aceの態度が少し異様だ。
怪我があるからというのもそうだけど、いつもより萎んでいるように見えた。
いつだってドンと構えてハッキリ物申す頼もしさを欠いている所為かも。
「Lycorisの事なんだが」
「うん。聞いた」
「それで、墓まで持っていくつもりだったが……あいつが死んだ以上、伝えるべきだと思ってな」
「え?」
「オペレーターの見舞いに来たアーミヤが、俺にクロージャがLycorisを知りたがってるって言ってきてよ」
「んなッ!? 別にそんな――」
いや、そうなのかも。
手紙の件で、あたしはレイ君を何も知らないと自覚したくらいだ。
ぽっかり空いてるのか、それとも重く伸し掛かっているのかも分からない胸裏に存在する何かを解消するには知る事かもと遺しょ……じゃなくて手紙を読もうとしたんだ。
『え、我を知りたい? うーむ、吝かでもないが我だけ底を暴かれるのは些か以上に堪え難い、対価を要求する! さあ、我同様にすべて曝け出すのだ姫!! そなたを表す一片にまで至上の愛を捧げて見せようッッ!!』
あー!
脳内レイ君黙れ!
最近出てきすぎなんだよ君!
「Aceも気になるような言い方するから……」
「そうだな、俺も悪かった」
「んで、何さ……レイ君の素顔とか?」
「……なのかもな」
「ここ通路だし、エンジニアルームで聞くよ」
あたしは彼を連れて、自分の砦に戻った。
慣れ親しむ物に囲まれたここなら、幾分冷静でいられそうだ。
用意された椅子に腰掛けたAceがゆっくり口を開く。
「あれは、殿下が居なくなる前の事だ――」
その日、Aceは部下と決戦に向けて喝を入れる為の訓練から戻る途中だった。
随分と遅い時間、誰も使用していない会議室から声がした。
扉が薄く開いている。
中は照明も付いていないが、底から響く地鳴りのような声がする。
Aceは誰かいるか、と声をかけながら扉を開けると。
『我は……レイクァトム。……レイクァトム? ああ、知っているとも、憎き敵、私を殺した名だ! 戦なのだ。我は殿下の剣であり盾である、そなたらが害為せば命脈を断つ。……俺はただ殿下に帰って来て欲しいだけだ、慈悲深き御方の隙に付け入り誑かした異種族ども、も、もももも? 落ち着け、そなたの死は話しかけるな裏切りのナハツェーラー!! 裏切ってなどいな宗主の面子に泥を塗るのも大概にし我とて大師父に応えたかった、その為に研鑽し、数多の死地を馳せたが……。日に日に大きくなるレイクァトム、私は一生貴様を許さない! 頼むから、もう――』
誰何の声に応えたのは何だったか。
床に伏して、頭を抱えたナハツェーラーがAceの存在にも気付かず早口で独り言を続ける。
口調も声の高さも激しく変化していた。
まるで……何人もの意思が、一つの口を使っているが故に混線してしまったかのような……。
『Ace。下がっていて』
背後にテレジアが立っていた。
その瞳は、深い悲しみを湛えてそのナハツェーラーに注がれている。
『……危険――』
『大丈夫よ』
殿下は会議室へと進み出る。
そして、硬い床に額づく頭をそっと撫でた。
『ッ……殿下』
ばっと面が上げられる。
Lycorisは正気に戻ったようだった。
しかし、すぐさま自身を撫でるテレジアの手を掴んだ。
『殿下殿下殿下殿下殿下殿下おお魔王よ我々をどうか怪物の腹からお救いくださ裏切り者に裁きを与えどうしてカズデルにお戻りになられないので俺に任せて下さい異種族どもを皆殺――
――……殿下、我を殺してくれ……殿下のように、我には向き合える強さが無いのだ……』
消え入るような声だった。
テレジアは、その手を握り返す。
『だから戦わないでとあれ程……レイクァトム』
『ぁあ……殿下?』
『受け止めようとする前に、あなたは自分の声を聞かなくなって久しいのじゃない? 落ち着いて……埋もれた自身を拾い上げるの』
まるで幼子に言い聞かせる声調。
ふわりとテレジアの手から溢れた桃色の光がLycorisを照らす。
『耳を塞いで……何か聞こえる?』
『ああ……音だ。何度もショートする扉と格闘する、闘志だ。いつも隠れて聞いていた、あの娘の声だ』
『それを忘れないで。会いに行って、毎日話すの……そうすれば、もう嵐に紛れたりしないわ』
『殿下、それで渦巻くあやつらに呑まれずに済むのか?』
テレジアは微笑む。
Lycorisは、それからようやく落ち着きを取り戻した。
固唾を呑んで見守っていたAceに、彼は……。
『忘れてくれ』
その一言だけ告げた。
そして、後日テレジアが亡くなったと同時にLycorisの態度に変化が現れ始めたのだ。
「……えと、どういうこと?」
「俺にも分からん」
話したAce本人にも理解不能らしい。
ただ、普段から道化のように戯けたレイ君をおかしなヤツだと皆言うけど、今の話に出てくる異常さを垣間見るような瞬間は無かった。
また、知らない一面か。
「これはあくまで俺個人の推測だが」
「…………」
「あいつがいつも誰かを口説く前、何故か戦場に似た不穏な空気を一瞬纏う。そして口説く時にはケロッとして、いつも通り相手に痛烈な反撃で一掃されていた。……なあ、クロージャ……あいつは、何かに取り憑かれて、その『彼らの声』とやらを紛らわす為にあんなことしてたんじゃねえか? 相手がコロコロ変わるのも、反撃されて……落ち込まず、何処か安心してるのも」
レイ君が、取り憑かれていた。
サルカズの古代アーツ……ナハツェーラーの巫術にそんな要素があったかな。それか一生消えない効果を刻まれたとか。
所謂憑依というものに、この大地では科学的根拠に基く説明を付けるのは難しい。
自分の意識すら蝕む『声』から逃れる為に軽薄な態度を装い、自ら傷つけられるように動いていただけで、その言動は虚像でしかない、恋多きナハツェーラーは偽装――それがAceの推理。
「でも、女の人ばっかで……男は何かしてた?」
「慰めという建前で毎晩のように俺たちと酒飲んでたな」
男だけ酒で誤魔化すとかズルくない!?
「……あたしを口説いてたのは……?」
「それは、俺が見かけた……殿下に何か助言をもらってたあの日の後だ。それからは、クロージャにしかアプローチしてない」
「あ……たしかに……」
あれれ、考え方が間違ってる?
もー、ますます理解不能!
恋してない相手に迷惑かけてまで突貫する事に理由があったとか、意味分かんないよ!
頭を抱えて混乱するあたしにAceが苦笑する。
「だからよ。きっと――その『声』とやらが聞こえない程の熱量で、あいつは本気でクロージャに恋してたって事じゃねえか?
……そして、それに救われてたのかもな」
思わず息を呑む。
「だからクロージャ。あんたはあいつが好きになったいつもの自分のままで居てやるだけで誰よりもエリートオペレーターLycorisの為になる事ができる」
それだけ言って、Aceは軽く手を振りながらフラフラとエンジニアルームを出て行った。
呆然とその後ろ姿を見送ったあたしは、無意識に胸元で拳を強く握る。
そう、なのかな。
よく分からない。
でも、たしかに殿下との別れを境にレイ君は変わった。
あたしは何もしていない。
特に話してもいなくて、それなのに突然あたしだけを口説き始めたって印象しかない。
もう君が分からないよ。
今度は彼の一部分を知って、彼を知りたいって思えるようになったのに。
「何でいないんだよ……レイ君」
結局、何も解決できずに大きく膨らんで、考えないなんて逃げ道が塞がれただけだった。
おまけ
レイクァトム「スツール滑走大会は惨敗だった……」
クロージャ「大穴で賭けてたのに、情けないよレイ君!!」
レイクァトム「我に……? 何たる不覚、折角姫が期待を我が背に託していたというのに報いれぬとは……」
クロージャ「しかも決勝戦でScoutに賭けてそれも失敗しちゃったし……惜しかったのにー!」
レイクァトム「我以外にも? 浮気とは感心せぬぞ。そのような無体を働かれると我は……む、何だこの感情。これは……興奮?」
クロージャ「離れて」