それは、在りし日のバベル。
「えー。これじゃダメなの?」
建設中――というよりかは、修繕中のロドス・アイランド号であたしは日夜プライドを賭けて実働可能な段階に復旧させるべく複雑なシステムの骸と格闘していた。
自身の手元から鳴る音。
目の前に注がれる集中。
この二つで大体他の事が頭に入らなくなる私だけど、数少ない例外がある。
通路を軽く叩く靴音にぱっと振り返る。
音自体は変哲もないんだろうけど、音の主の纏う雰囲気がいつもなら気に留めない情報すらにも意識を惹く彩りを与えるんだろう。
「あれれ、殿下」
「お疲れ様、クロージャ。今帰って、あなたを見かけたから」
嫋やか微笑むのは、テレジア殿下。
雪に溶けたように薄く、それでいて毛先に向けて段々と濃淡が切り替わる桃色の髪は儚いようでいて強かな本人の気質を表すようである。
白いドレスは荒野の砂塵に吹かれていたのか、裾が少し砂埃に汚れていた。
際立つ美貌も、いつもより疲れの色を含んでいる。
「殿下も休みなよ。目の下の色が悪いよ?」
「ありがとう。彼にもう少しこの中を案内したら、休ませてもらうわ」
「彼? って――っ」
「ほら。こっちにいらっしゃい、レイクァトム」
呼ばれた名に、殿下から離れた場所に黙然と佇む影が動いた。
いつからいたんだろう、ってくらい存在感が無かった。
何なら、その見た目の所為で殿下に召喚された幽霊か何かと言われても信じてしまうくらいだ。
いやいやいや、それよりも!
「でで殿下!? 何処で拾ってきたのさこんなに強く――」
「クロージャ」
「っあ、ごめん」
こんなに強く、死の臭いがするヤツはそういない。
あたしは腕の震えを隠した。
レイクァトム――そう呼ばれたサルカズ、風体からしてナハツェーラーの男は見た目も異様だ。
腐敗を隠すナハツェーラーの包帯はよく見るが、角以外は頭全体がグルグル巻きでもう辛うじて人相がうっすら浮かぶ程度。
何だかボロボロの古い布仕立ての上着と頭の風貌で幽霊って表現したあたしは悪くないと思う。
「殿下。このブラッドブルードは……」
「クロージャよ。私たちを支える技術そのものと言える頼もしい仲間なの」
「ちょ、殿下ってば正当評価にしても照れるってば〜」
殿下の紹介に、レイクァトムが少し頭を揺らして。
「お初にお目にかかる……殿下の忠臣クロージャ。我はレイクァトム、殿下が初恋にして今はかのケルシー士爵という34回目の恋に身を焦がす戦士」
……ごめん、聞き取れなかった。
「お初にお目にかかる、殿下の忠臣クロージャ。我は殿下の狗であり椅子、殿下という初恋に巡り会えて以来恋に生きるナハツェーラーにして絶賛ケルシー士爵に現を抜かして滅しようと悔い無き男」
「聞き取れなかったのは音じゃなくて処理できない情報があったから! 一回目より余計な情報増やして聞き取れなくしないでよ!?」
「というわけで殿下、そろそろ士爵の居る場所へ参りたい。彼女が我を待っているッッ!」
「さっき会ったでしょう。気絶して憶えてないのでしょうけれど」
「……なるほど、つまり今日は2回も新鮮な気持ちで士爵に顔合せできると。おお、この妙にあった身体の傷にも感謝せねば」
最初の怖い印象は何処へやら。
すっかり頭の中まで朽ちているナハツェーラーに刷新されてしまったよ。
「ではな、クロージャとやら。今日より我もそなた同様、バベルに名を列ねて殿下に奉仕する身よろしく頼ケルシー士爵いざァア!!」
…………。
……………………。
案内人の殿下も置き去りに迸る欲望のまま死にに行ったよ。ナハツェーラーの生態って特殊だから、そうそう死にはしないけど、いつか消滅しそう。
隣でくすりと笑う殿下は、あんなのを拾ってくるくらいだし、判断力が鈍るくらい相当疲れてるんだろう……。
「また賑やかになるわ」
「あんなに強そうなナハツェーラー……一緒にするとナハツェーラーが可哀想だし、訂正。あんな強いやつ、何処から連れてきたの?」
戦闘にあまり関与しないあたしでも分かる。
今バベルに集う面子からしても、殿下に近しい何かを感じさせる。
圧倒的邪悪。
あれだけの強さなら、ナハツェーラー王庭の重要人物に違いない。
「ナハツェーラーの王から、根性を叩き直してと頼まれてしまったの」
「ネツァレム閣下直々に?」
「ええ。普通のナハツェーラーと違って、死と腐敗ではなく愛に生きる……きっとバベルに必要な人材ね」
「え゛ー……」
ちなみに、この後でケルシーに失神させられて身体中穴ボコのできたナハツェーラーが通路に転がってたとか。
「ん…………?」
目を覚ます。
モニターのみで照明されたチーフエンジニアルームの薄暗さ。
システムのメンテナンス中だったのに寝落ちしてしまったらしい。
作業机に突っ伏していた顔を上げると、手にかさりと乾いた紙の感触――思わず逃げるように素早く手を引っ込めた。
指が捉えた感触の正体は、すぐに理解できた。
でも、まるで体が拒んだような反応だったな。
それは、あたし宛の手紙。
厳密には、送り主が死後に私へと手渡されるよう意図して記した――遺書。
宛名はサルカズ語の丁寧な字で『我が愛しの君』。
イラッとする宛名だし、これを見た遺品整理中のドーベルマンたちがあたしの事だって分かる状況にも物申したい。
「……文とかレイ君らしくないじゃん」
さっきまで懐かしい夢を見ていたせいで自然とその名が出た。
そういえば、ラブレターは無かったな。
いつも我が身一つで体当たり。
文筆より声だ、と言ってたっけ。
その戦略で挑むがいつも結末は想像通り。
「ケルシーのあんなに冷え切った目、中々見ないよねー」
夢の中にあったかつての景色のように幾つ風穴を空けられようが腕を切断されようが戦場で吸収した死によって己を癒すので、そう簡単には死なない。
誰よりもしぶとく、誰よりも恐ろしく。
懲りずに愛とやらの為に意中の女性から冗談の範疇を逸した反撃を受けてもケロッと立ち上がる。
あたしの時はそこまでしたこと無いけど。
だから、この大地で生きる以上必然と覚悟する別れの生活にありながら、ほぼ不死身の悪霊じみた男の求愛は永遠に続くんだって思ってた。
そんなヤツが、死んだ。
毎日が静かだ。
必ず一日に見る顔が見えない事は何度も経験したけど、愛を叫ぶ声が絶えたのは初めてだった。
「……案外、あたし寂しいのかな」
口にしてみて、実感はない。
でも、うっすら自覚してる。
受け取ってから後回しにし続けて、いつもなら頭の片隅に追いやるとそのまま忘れちゃうあたしがふとした瞬間に冷たい感覚と共に手紙に目がいく。
読みたくない? 読めない?
「……クロージャさん」
「んおっ、アーミヤちゃん」
「お疲れ様です。……あ」
いつの間にか後ろにいたアーミヤちゃんがあたしの手元を見て気づく。
それにあたしが動揺したことにも。
この子は他人の感情に敏感だからな……。
アーミヤの眉が悲しみに震えた……幼い頃にドクターや殿下程ではないけど、よく相手をしてくれたレイ君の死を悲しんでいるんだ。
アーミヤにとってはアーツの師……は専らLogosで横からちょいちょい豆知識垂れ流して教壇に立つLogosと激しい議論になり講義を台無しにするのがお決まりだったね。
「ごめんなさい……」
「い、いやいや! あたしに謝ることなんか無いって。それに、レイ君もきっとそれを望んでないよ!」
「そう、なんでしょうか……」
「そうだよ! むしろ――」
『我を悼んでアーミヤが……そなたを悲しませぬよう努めるのが我が使命の一つであった。ふむ、不謹慎且つ遺憾だが意外とそう思われると分かって悪い気がしない……なんと、これは新たな扉! 流石は若くしてCEOを担う才媛、この腐り身に新鮮な刺激を齎すとは』
「――駄目だ、考えるほどロクでもない。悲しむのも癪だから、アーミヤちゃん元気出して」
「あはは……はい」
アーミヤちゃんが苦笑し、それでもやっぱり悲しそうに目の色を暗くする。
「私やAceさん達を撤退させる為に、レユニオンの追撃にLycorisさん単身で……その後の事は、Scoutさん同様に消息不明……でもレユニオンの歓声と同時に、胸に痛みが走って……」
「……アーミヤちゃんが生きてるなら、レイ君はそれで満足だよ」
「……そういえば、クロージャさんはどうしてLycorisさんをコードネームで呼ばないんですか?」
「えっ、それは……」
それは……何でだっけ。
ああ、でもたしかレイ君をLycorisって呼ぶとほんの一瞬だけ元気が無くなったようにするから、名前で……いつものノリで愛称まで付けちゃったんだ。
「クロージャさんには、本名で呼ばれたかったんですね」
「本当にあたしだけかな? 変なこだわり沢山あったし……艦内でしかロドスオペレーターの服は着ないし、嫌いなのにカブの実食べたりさ」
「えと、後者はたしか……尊敬していた師匠の好物で、自分の将来に嘱望していたのに裏切ってしまった悲しみを忘れたくないからと」
「……へー、意外」
ネツァレム閣下のこと、嫌いじゃないんだ。
仲間になる前の彼が他者への迷惑を顧みないような理性を捨てているとしか思えないくらい好き勝手やっていた悪評は、一種の師や体制への反発もあるのかなって想像してたけど。
「それと、ロドスオペレーターの制服を着ないのは…………自分の力はどう足掻いても戦場で相手に恐怖を植え付けるから、その時にロドスも恐ろしいのだと極力思わせたくない意地だって仰ってました」
…………。
そんな殊勝な気配りできる人だった、のか…………ならあたしにも適切な距離で接しろよ!
ちょっといらいらしてきた。
ああ、でもそうか……こんだけ長く一緒にいたのに、あたしレイ君で知らないこと多いな。
遺書を読めば……何か他にも分かるかな。
――この、寂しさを埋める何かを見つけられるかな。
私は手紙に触れた。
今度は、冷たい恐怖に襲われなかった。
アーミヤちゃんもいるのを忘れて、そっと手紙の封を開けようとして。
「開けるな」
がっしりと、後ろから肩を掴まれた。
驚いて振り返ると、ケルシーだった。
何事かを訊ねる前に、さっと手紙が取り上げられる。
「この手紙をまだ読んでいなかった事は不幸中の幸いだ。そして君がここまで時間をかけている以上、開封にも複雑な感情の整理を経ているのは想像に難くなく、私のこの行動はその覚悟に泥を塗る……それを承知の上で、読まないで欲しい」
早口に告げられた内容を理解できない。
いつかのレイ君の欲望まみれな自己紹介と同じだ。
それよりも、あたしはこの時に態度は平生の落ち着きがあるように見えるケルシーがいつになく焦っている事も察知できず、あたし自身も謎の焦燥感に駆られて詰め寄る。
「な、なんでケルシーがレイ君の手紙読んじゃいけないって分かるのさ。遺品整理しててやっと出てきたから、ケルシーも知らなかったはず――」
「三年前に本人から聞いていた。書いたは良いが渡せた物でもなく、自分で捨てられないが他人に委ねる覚悟もない……だから自分ではどうしようもない己の死後、私に処分して欲しいと頼まれた。すまないが、私は彼の意思を尊重する」
「いやでも……あたし宛だよ……!?」
「約束は死を理由に破るわけにもいかない。…………すまない」
あたしの手が空を切る。
ケルシーはエンジニアルームを去った。
始終唖然としていたアーミヤと、中途半端に手を伸ばしたまま止まるあたしだけが残る。
じくり、と手紙が遠のく事実に胸が痛みで疼いた。
おまけ
レイクァトム「最近、我は精神に老いを感じる……」
クロージャ「へーそうなんだー……おお、今回は行けるか?」
レイクァトム「アーミヤ……我が主が日に日に成長する姿を目にし、まるで我が子を愛しむような感情に胸が転がること頻り……」
クロージャ「へへっ、この企画が通れば……!」
レイクァトム「己で何かを成してもおらず、されど周囲の変化に感傷に浸るばかり……何か手に掴まなければと思い直した。殿下に応える為にも」
クロージャ「ようし、これなら――って、え、何か言った?」
レイクァトム「…………いや。話が長くなるのも老いの徴やもしれん。つまり要約すると――
――我と夫婦になろうッッ!」
クロージャ「帰れ!!」