浮遊城に生きた者へ感謝を込めて。


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作:あおい安室
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はじまりの街で紅の魔王と出会った。


またしても遅れて申し訳ありません。
タイトルにもあるように紅の魔王部分を書くのに難儀した結果がこの投稿時間ですよ……
書きたいシーンもカットしてる部分があるので、大会期間中に加筆修正を検討しております。
楽しみにしてくださった方には本当に申し訳ございません。


次回もちょっと間に合うか自信がなくなってきましたが、
最後までお付き合いいただけると幸いです。

正直やりたいことをやりすぎた感がある。


2022/12/08
加筆修正。終盤にカットしていたシーンを追加。
次回投稿は現状だとやはり0時には間に合いそうにないです。
一応、次回で最終回となります。よろしくお願いします。


 闇の中から私の意識は目覚めた。激しい痛みが目覚めさせる。

 

 口の中はカラカラに乾ききっており、呼吸するだけで胸がひきつれるような痛みを感じる。それでも肺を動かして、息苦しい体に少しでも多くの空気を送り込まなければならない。

 

 苦しい体に欠けているのは生きるための活力。酸素が足りない。水をたくさん飲ませてくれ。腹は空腹を叫んでいる。それらをどうにかして確保しないと今にも死んでしまいそうだ。

 

「ゲホッ……ガハッ、ガフ、ガフォッ……ッッッツ!!」

 

 痛みが治まらないが体を動かすことができるだけの酸素を吸い込めた。

 

 意識が少しだけクリアになる。ぼやけていた視界が定まってきた。手を動かせば指先が何かに触れる。触れたそれは古びた棒切れ。簡単に折れてしまいそうなソレを頼りに立ち上がる。

 

「こ、ごっ……フグ、ガッ!」

 

 声は出ない。唾も満足に出ていない今の状況では言葉を紡ぐことすら困難だ。

 

 ……ここは、どこだろう。

 

 夕暮れの差し込む町並みが私を取り囲んでいる、と文字にすれば普通の光景に見えるが町並みの姿は異常だった。棒切れを杖代わりに町並みへと近づく。建物のレンガ壁に触れる。

 現代社会お馴染みのコンクリートづくりの建物はどこにもない。耳を澄ましても信号の音は聞こえないし、車が走っている様子はない。その代わりにレンガや土壁、木造の古風な建物がいくつも立ち並んでいる。一言でいうのなら、ファンタジー物語の世界に似ていた。

 

 だが、私の装備はファンタジーという概念に喧嘩を売っている。

 

 着慣れた黒スーツにくたびれたローファー、安売りの柄無しネクタイ。職業、サラリーマン。この世界の住人に生きる世界を間違えていると言われたら否定できない。

 

 ちらり、と目を向けた道端には露店が一つ。橙色の洋服の上に白いエプロン、白いバンダナを身に着けた女性が店員を務めているようだ。店の前に立つと女性はニコリと微笑む。

 

「いらっしゃいませ!何かお探しですか?」

 

 目の前に白い板が出現した。何事かと驚いたが、落ち着いて観察してみれば白い板はパソコンのウィンドウに似ている。空中投影式ウィンドウ?まだ仮想空間でしか実現していないはずのそれが、どうしてこんなファンタジー世界にあるのだろう。

 首をかしげながらもウィンドウに表示されている内容を確認する。出店に並んでいる瓶入りの飲み物がウィンドウに表示されている。タップすれば飲み物の名前や値段が表示された。

 HPポーション、解毒ポーション、止血ポーション、消痺ポーション……品物はどれもファンタジーチックな名前だし、値段もやや高そうに見える。もっとも所持金らしき項目には0col。

 

 無一文の私が買えるアイテムはなさそうだ。

 

 肩を落としながらウィンドウをスクロールさせていると、一番下に水の項目があった。値段はFree。無料だ、ありがたい!何度かタップして複数注文。注文確定。

 

「ありがとうございました!またのご利用お待ちしております」

 

 ……あれ?水を渡してくれないのか?お姉さん、水はどうした。

 

「いらっしゃいませ!何かお探しですか?」

 

 いや、だから水。

 

「いらっしゃいませ!何かお探しですか?」

 

 水をくれないか。

 

「いらっしゃいませ!何かお探しですか?」

 

 ダメだこりゃ……ゲームのNPCみたいな反応しか返ってこない。いや、NPCなんだろう。でなきゃこんな反応をされてたまるか。さて、どうしたものか。

 目の前には白いウィンドウが再び表示されている。もう一度水を注文しようとして、購入ボタンの近くに手渡しする、といった旨のチェックボックスがあった。良かった。今度はチェックボックスをタップしてから手渡し式で水を注文した。

 

「ご注文の品はこちらになります。ありがとうございました!」

 

 飾り気のないシンプルな瓶に入った水が数本手渡される。ふたを開けると一息にゴクゴクと飲み干す。一本目、二本目、三本目、四本目。ゴクゴク、ゴクゴクと水を飲んでいるだけで幸せだ。

 

「……うまい。うますぎる。こんなに水が美味しいなんて」

 

 冷たいとも言えず温かいとも言えないぬるさで味もない水だったが、そんな水でも乾いた体にとっては極上の栄養だ。一口、また一口と飲む度に胸の痛みがどんどん引いていく。もっとも、腹は膨れないが。すきっ腹に水を詰め込むのはそれはそれで辛い。

 

「なあ、お嬢さん。この辺りにレストランはないか?」

 

「いらっしゃいませ!何かお探しですか?」

 

「知ってた。もっとも財布の中はすっからかんだがな」

 

 さて、どうしたものか。こういう時には情報が欲しいものだが。NPCらしき店員に色々と質問してみるが定型文しか返ってこない。諦めて別の場所へ行こうとしていたその時だ。

 

「そんなところで何をしているのかね、ご老人」

 

 背後から声を駆けられて振り向く。建物の影で顔がよく見えないが、声の主は私の元へと歩みを進めてくれる。夕日が顔を照らし出す。明らかになったその顔には見覚えがある。

 

 

「……紅の鎧はどうした?あなたのトレードマークのようなものだろう」

 

「今日はオフだよ。如何にも仕事帰りな君とは違ってね」

 

 

 オールバックに前髪を一本だけ垂らした青年は険しい表情を変えることなく私を見つめている。彼のことを知っている。よく、知っている。血盟騎士団団長にして、ユニークスキル神聖剣の持ち主。ソードアート・オンラインの開発者でありながら、デスゲームを始めた張本人。

 

「君にはいろいろと聞かせてもらいたいことがある。ご同行願えるかね、ジョン・ドゥ」

 

「ナナシノゴンベエ扱いは勘弁してくれ、ヒースクリフ。いや、茅場晶彦と呼んだ方がいいか?」

 

「ヒースクリフと呼んでくれ。では、君の名前は何と呼べばいい」

 

「……私の名前、か」

 

 

 

「桐谷。キリガヤゴロウだ。よろしく頼むよ、紅の魔王様?」

 

 

 


 

 

 203X年4月10日

 

「……キリガヤゴロウ。俺と同じ、キリガヤ。それが爺さんの名前。」

 

「以上、お爺さんが初めて確認された日の記録。2023年4月10日。今日と同じ日だよ」

 

 SAOサーバーが保管されている殺風景な部屋に映し出されていた光景が消える。洋風の街に立ち尽くしていたサラリーマン姿のゴロー爺さんと何度か目にした紅の私服姿のヒースクリフの再生映像は表情を変えることなく電子の欠片となって消えてしまった。

 

「あの場所には覚えがある。はじまりの街だよな」

 

「その通り。SAOサービス開始当日にログインした人も、レッドプレイヤーと呼ばれていたPohみたいに後からログインした人も、そういう人もはじまりの街からスタートしてたんだ」

 

 でも、本当はこっちの場所からスタートするよね。

 

 鎧が指を鳴らす。部屋の光景が転移門が設置されている以外は何もない大広場へと変わった。あの日。はじまりの日に、茅場晶彦が巨大なローブ姿のアバターでデスゲーム開始を宣言した場所。

 

 ゴロー爺さんが目覚めた路地裏からは遠く離れた場所だ。

 

「通常とは違う場所で目覚めたお爺さんはカーディナルのエラー検出プログラムにも引っかかったけれど、茅場晶彦の目にも止まった。それにはもう一つの理由があったの」

 

 鎧がコンソールを操作する。大広場の真ん中に一つのベッドが出現した。色データはないから推測で付けてるけどね、と念押しされて出現したそのベッドは枕元に巨大な機械が設置されている。

 ベッドの上に眠っているのは……アスナ?SAO時代のアスナだ。どうしてこんなところに。

 

「本当はお爺さんが寝てたんだけど、キリトはこっちの方が好みかなって。見放題だよー」

 

「後でこっぴどく叱られるからやめてくれ。しかし、これは一体……」

 

「お爺さんがログインに使った端末をデータから再現したものだよ。本来のナーブギアではない別の端末からログインしたプレイヤーときたら、茅場晶彦の目にも止まるよね」

 

「なるほどな。それで、これが未完成のナーブギアか」

 

 眠っているアスナの体には何本かのバイタルデータ確認用の端末が取り付けられている。首、手首、足首、エトセトラエトセトラ。お爺さんも同じものを付けていたのか?エヴァは頷いた。少し記憶を巡らせる。ベッドの形には見覚えがある。メディキュボイド。医療用フルダイブマシン。

 

 かつてユウキという少女が利用していたそれは医療用機能を内蔵されていたため機械が大型化していたが、ダイブマシンとしての機能はナーブギアと同等、それ以上はあったはずだ。

 

「……大きすぎる。これだけの大きさなら未完成のナーブギアと呼ぶのも納得だ。ナーブギアの前身機も大きいマシンだった。だが、さっきこう言ったな?ログアウト機能がない、と」

 

「ないよ。システム側でログアウトを封じされていたキリト達とは違う。何度構造を見直しても仮想空間に送った意識を現実世界に送り返す機能が見つからなかった」

 

「これを作ったやつは正気じゃない。仮想空間に閉じ込めて死ねと言ってるようなものだろ」

 

 設計データを見せてもらう。AIのエヴァよりは見る速度は劣っているが、こっちにも技術者の意地がある。数分で粗方の構造はわかったが、やはりログアウト機能らしきものは見当たらない。鎧はベッドに腰掛ける。眠っているアスナはいつの間にかいなくなっていた。

 

 鎧のエヴァはベッドに寝転がって目を覆う。アリスのエヴァは目を落としながら告げる。

 

「……それでも。お爺さんにとってはこれしか方法がなかったんだよ」

 

 俺の前に見慣れた爺さんの姿が現れる。くたびれた黒いコートに煙草を咥えている姿を見るだけで懐かしくなる。彼の前に一つのウィンドウが表示される。

 

「見て、キリト。これはアタシがずっと守ってきたお爺さんのプロフィールデータ」

 

 お爺さんがどこから来たのかを示すための重要な手がかりだよ。ウィンドウに表示されているのはゴロー爺さんの本名や身長、年齢といったデータだけでなくあれだけ探しても見つからなかったログイン場所のデータも記されている。そして、ログイン時刻も。

 

 ログイン場所。横浜市立大学附属病院。調査済みだ。

 ここにゴロー爺さんらしきSAOプレイヤーが入院していた記録はない。

 

 

 ログイン時刻。4月10日。今日と同じ日付。

 だが……だが……!ありえない!年代が、ありえない!

 

 

「2072年だって?今から40年近く先の未来じゃないか!」

 

 

 


 

 

 2023年4月10日

 

「なるほど。君の言う通りなら君のログインデータにエラーが見られるのも納得だ」

 

 食べるかね?そう言ってヒースクリフが差し出したサンドイッチを貪るように食べ尽くす。ようやく腹が満たされて気力も調子もいつも通りというわけだ。ありがたい施しだよ。店の中には客の姿も店員の姿もない。開発スタッフだけが使えるデバックルームで秘密の話し合い、か。

 

「ナーブギア以外の端末でログインするだけでなく、未来からの来訪者とは。ただ、タイムマシンの設計には少々眉をひそめるがね」

 

「失望したか、ヒースクリフ。2072年の科学は君のたどり着いた場所からははるか後方にいるんだ。マシンのデータもある程度は読み取れるはずだが、見れたか?」

 

「既に確認した。ひどいマシンだな、メディキュボイド並みの大きさでありながらスペックはナーブギアにも劣っている。脳波伝達機構の性能もよろしいとは言えないな」

 

「こうしてあなたと会話するだけの出力と通信速度は出ているはずだがね」

 

「通信量が増加する戦闘時には十分とは言えない。少なからずラグが出るだろう。ソードスキルの使用はあきらめた方がいい」

 

「やはりか。これでもやれるだけのことはしたんだが」

 

「努力したところで結果につながらなければ意味はない。ナーブギアのプロトタイプよりも性能はかなり低い。欠陥品だな」

 

 努力の結晶を否定されるのはあまりいい気分ではないが、受け入れるしかない。マシンの性能が低いと言われても否定する材料は何一つないし、予算があればもっとマシな物を作れた。

 

「だがプログラムには光るものがある。これを書いたのは君か?」

 

「ああ。私の専門はハードではなくソフトなんだ。こっちまで酷評されたら心臓が止まる」

 

「安心しろ、プログラムは悪くないどころか見るものがある。こちらにはない技術で作成されているが、理論的にはナーブギアにもフィードバックできる上に性能を上げてくれるプログラムばかりだ。やるじゃないか、2072年」

 

「そいつはほっとした。これでもこいつを作った会社の技術研究部で重役を務めていたからな。部下もそれを聞けば喜んでくれる」

 

「だが、君がそれを伝える手段はどこにもない」

 

 ヒースクリフがテーブルに3D立体映像を表示させるアイテム、ミラージュスフィアを設置した。起動したそれが映し出す映像は私が使った未完成のナーブギア。構造の一部分を拡大してみせたそこは、意識を仮想空間へ送り込む部位。

 

「ログアウト機能がないとはおかしな設計をしているな。正気か?」

 

「ログアウトを封じたデスゲーム運営には言われたくない台詞だな」

 

 これも苦肉の策ではあったのだがね。煙草の一つでも吸って気分を紛らわせたいところだが、金無しの身で贅沢は言えない。代わりに酔えない酒を一口、それを潤滑油に言い訳を喋る。

 

 

 ログアウト機能は、作れなかった。私の生きている内には完成しない。

 

 

 ログインするための機構、ログインした後に必要になるソフト、ログイン時に生じるバグへの対処といったログアウトに関係ない部分は完成したし改良も進んでいたけれど、ログアウト機能を作るためにはあと一歩技術革新が必要、といったところで停滞してしまった。

 

 私もどうにかして作れないかと知り合いの技術者に協力や共同研究を持ち掛けてみたが、それでもうまくいかなくて毎日無茶をしていたら、疲労困憊でぶっ倒れた。

 

 そして、病院で寝込んでいたところに医者から厳しい宣告が飛んできた。

 

「重度のガンだとさ。研究にばかりかまけて定期健診もサボっていたツケを払う時が来ちまった」

 

「……治療の目途はないのか。50年後の未来だろう?」

 

「あなたが思うほど技術が発達していない、むしろ停滞している未来だよ。医療関係は新たに発見された病気の治療方法はある程度確立されたりしたが既存の重病を完治させる手段は出てこなんだ」

 

 どうにもできない死が待ち受けている。それを聞いた私の心は不思議と穏やかだった。

 

 死ぬこと自体はどうだっていい。人はいつか死ぬものだということは両親を見送った時に身を染みて理解していた。守る家族はいない。愛する家族もいない。心をゆだねる友もいない。孤独な男の心に残っていた感情はただ一つ、悲しみだ。志半ばで命を落とすことが悲しかったのだ。

 

 ナーブギア。人の意思を、心を、魂を。電子の世界へと連れていく夢のマシン。

 

 人生を賭けて作ろうとしたマシンが完成することなく、あるいは完成する姿を見ることなく命を落とすことが悲しかったのだ。なぁ、あなたにもその気持ちはわかるだろう?

 

「……わからない、とは言わない。私もSAOが完成する前に死ぬことが定められているのなら、君と同じく悲しみに暮れるだろう。同時に、多少の無茶に出るだろう、という確信がある」

 

 キミもそうだったのだろう?現にキミは片道切符を片手にここにいるのだから。

 

「そうだな。会社にも無理を言って死ぬことが決まっている人体実験に志願した」

 

 ログアウト機能がないナーブギアでも仮想空間へと入ることはできる。結果が上がっていない部門には金をいつまでも注ぎ込まれはしない。無茶な形でもいい、何らかの成果が求められたのだ。

 

 だから、命を求めていた天秤に自らの命を乗せた。

 

 ログアウトは構造上絶対にできず、理論上ではログインできるが一度も成功したデータはない。ログアウトできないマシンを使いたがる者はいないのだ。命を捨てたくはないのだから。

 

「未完成のナーブギアに搭載されていた機能はいくつもあった。基本的には仮想空間での肉体動作の確認を目的としたテストプログラムや車や機械の設計データを仮想空間で動かすプログラム。完成はしていたが動作確認できていないプログラムが多すぎた」

 

「命一つでかなりのタスクが片付く。賭けるチップは高いが得られるモノも多い」

 

「そうだな。人体実験が通ったのも会社に利益があるのと業界全体から見て美味しかったからだよ。政府まで動いたのもありがたいことで。その代わりに、私の我儘も聞いてもらえた」

 

「ふむ。何を要望したのかね?」

 

「ゲームを一本入れてもらったのさ。子供のころに見た夢のゲームだよ」

 

 とある男が夢見た浮遊城。どこまでも広がる大地を百枚切り取って積み上げた浮遊城。剣士たちは浮遊城の頂点にそびえたつ紅の城を目指す。そこまで言うと彼も察したらしい。

 

「君の時代からすればレトロゲームかな?遊んでくれてありがとう、というべきかね」

 

 

 

 

 

 

 

「……なんてこった、頭がこんがらがってきた。爺さんは2072年の人間で。未完成のナーブギアで仮想世界にフルダイブ。そして、その仮想世界で遊んでいたゲームの名前は……」

 

 

ソードアート・オンライン。

 

 

「といってもキリト達がプレイしたSAOとは別物だったけどね。VRゴーグルに両手のコントローラーで操作する前時代的なVRゲームで、アタシからしてみれば模造品もいいところ。お爺さんはこのソフトをエミュレーター機能を使って未完成のナーブギアで遊ぼうとしたんだ」

 

 シュイン、という音と共にアリスがVRゴーグルとコントローラーを装備する。ヒュンヒュンとかズバズバとか言いながらコントローラーを振り回していると、彼女がブロックノイズに包まれた。

 

「ところが動作中にエラーが起きた。まだまだ未完成だったから、マシンが想定外の挙動と処理を行った結果とんでもない負荷がかかって処理落ちを引き起こす。お爺さんにも影響が出た」

 

 アリスの足元が崩れる。こっちに向かって手を伸ばしながらも落ちていく姿に反射的に手を伸ばすが、これは映像でしかない。全く、凝った演出をしてくれる。辺りは暗闇が満ちている。

 

「お爺さんの意識は仮想空間に完全に閉じ込められた。肉体とのリンクは途切れて、意識だけがネットの海の中へ落ちた。当然お爺さんの意識は復帰する場所を求めてさまようけれど、マシンの再起動には時間がかかってしまった」

 

「数秒、数分、数時間。何度も何度も彷徨って、溺れながらも息ができる場所を求めていたお爺さんが握っていた道しるべはソードアート・オンラインのデータただ一つ。それを手掛かりにたどり着いた場所は……」

 

「2023年のアインクラッドだったのか」

 

 模造品と称されたSAOのデータを頼りに、過去の時代で起動していた本物のSAOまで流れ着いた。ログインしてしまったんだ。

 

 エヴァの話を聞いて、一つの噂話を思い出す。データ上にあるブラックホールの話だ。

 

 SAOの一件から急速に発展し今も広がり続けている仮想世界だが、バグというものはどこにでもあるモノ。その中にはデータ消失系のバグもあるのだが、ひょんなことから焼失したデータも復活したこともあったとか。凄い話だと、アリスと同じく仮想空間で生まれたAIがこのバグに直面したが、二年後に無事生還した……という事件も話題になっていた。

 それ以来データ消失バグ、ブラックホールが発生するとそれに飛び込めば未来に行ける、なんて噂話が出回っているのだ。実際はバグが改善されたことでバグった/消失したデータが回復して、復活したように見えるだけ、というのが大抵の答えだが真相は解明できていない。

 

 爺さんは、2072年で似たようなモノに巻き込まれてこっちに来たんだろうか。

 

「こればっかりは未知の現象だから茅場晶彦もお手上げ。その代わりにいくつかの質問をして、彼が未来人だという確証を得ようとしていた。当時まだ解放されていなかった層のデータやクエスト、当時の攻略組メンバーのリアル情報も聞いてたかな」

 

「アインクラッドの情報はわかるけど、どうして攻略組メンバーの情報聞いてるんだよ」

 

「いずれSAOが攻略される日は必ず来るはずだ。その時茅場晶彦を倒した者は英雄として祭り上げられることになる。少なくないリアルの情報が出回るだろう……という感じのことを言ってたみたい。実際お爺さんがキリトやアスナの個人情報を話してるログが残ってるよ」

 

 人の個人情報を勝手に売るとか何やってんだ爺さん。……ってことは、茅場は75層以前から俺に倒されることを予期していたのだろうか。

 

「予期してないはずだよ。未来を知りすぎてもつまらないからね、とか言ってて今後起きる展開については聞いてなかったから。それでもお爺さんが未来人だと信じるには十分だった」

 

 映像としてのゴロー爺さんとヒースクリフがまた現れる。そして、握手する。

 

「そして、茅場晶彦はいくつかの取引をすることを条件にゴロー爺さんがアインクラッドに生きることを許したんだ。1つ目は茅場晶彦の、ヒースクリフの妨害をしないこと」

 

 ヒースクリフのホログラムは鎧を身にまとい、剣を抜いた。

 

 血盟騎士団団長として攻略組を牽引しながら、程よいタイミングで正体を明かしてラスボスに君臨する。あいつと決戦した時、そんなプランを語っていた。未来人のゴロー爺さんもそのプランも知っていただろうから、妨害はたやすい。だが、それはあいつは好まない。

 

 なんだかんだ言って、あいつはズルが、チートが嫌いな奴だったから。

 

「2つ目はお爺さんに護衛兼監視を付けること。お爺さんはナーブギアの性能不足が原因でまともに戦闘できないからね。キリトも見てたでしょう?」

 

「言われてみれば……そうだった。爺さんは戦闘になるとどうも動きがもたついていた。モーションの速度不足でソードスキルの発動にも難儀していたな」

発動にも難儀していたな」

 

「だから、戦えるNPCを護衛に付けることにした。そして、ヒースクリフの妨害に出ることがあれば止めるための監視。その代わりに色々とアイテムをもらう取引をしていて、馬車もこの取引で入手したんだよ」

 

 深紫色の鎧が兜を取る。中から薄紫色の髪の奥で紅の瞳が輝く少女が現れた。あれがエヴァの素顔。だが、その口には鎖が嵌められている。喋ることはできない。

 

「監視する役は未稼働だったMHCPの中から二号機が選ばれた。つまり、アタシ。だけど、あの頃はまだまだ成長途中で特に言語機能が未熟。お爺さんがボヤいた未来知識を誰かの前で喋る恐れがあったんだよ」

 

 だからヒースクリフは私の口を封じたんだけど、そろそろ外してくれてもいいよね?そう言いながら膨れ面を見せるアリスの姿に苦笑する。失礼だけど、外したら少しうるさそうだ。

 

「で、3つめはFNC改善に協力すること、要するにナーブギアのバグを直すこと。お爺さんの技術は脳波変換プロセスにおいては茅場晶彦を上回っていたからね。その結果は知ってるでしょ?」

 

 爺さんが鎧のエヴァにメモを渡す。そしてそのメモを俺に見せる。描かれていたのはノーチラス、そしてネズハ。俺が知っているFNCを発症していたプレイヤーだ。

 

「これは爺さんの希望だった。未来のことを知りたがらないヒースクリフだったけど、ノーチラスについては絶対に知ってほしいと言って無理やり話した。お爺さんの話だと、ノーチラスはFNCが原因で大切な人を失う未来が待っていたらしい。多分、だけど……ユナさんだよね?」

 

 頷いて返す。ノーチラスにとってユナは、今も昔も、ずっと大切な存在だ。

 

「それを聞いたヒースクリフはそれも運命だろう、というだけだった。ところがお爺さんはこう言い返す。開発者の技術不足を棚に上げるとは情けないと思わないのか、ってね」

 

 こちらのミスで足枷を付けられるハンデを背負った者に運命を強いるのは些か理不尽だろう。

 

「その言葉にはさすがに思うところがあったみたいで、基本的にはお爺さんが主体に治療プログラムを作って茅場晶彦がチェックする形で許可が下りたんだ。そっちの方をキリト達は調べるだろうし、いずれ私の存在に気づかれるとは思ってたけど、遅かったね」

 

「もっと早く気付いたけど、色々と事情があったんだよ。取引はそれで終わりか?」

 

 

 

「終わりだよ。あ、でもあと一つだけ取引というか、確認してたことがあった」

 

 

「お爺さんは、アインクラッドが消える時に確実に死ぬ、ってね」

 

 

「変則的な形でSAOにログインしたお爺さんはデータ的にはかなり危うい状態だったと聞いてる。考えてみてよ、キリト達は現実での肉体があって、SAOをプレイしてた時も肉体の脳が考えたことを仮想空間とやりとりしてた。でも、お爺さんにはそんなものはなかった」

 

 ヒースクリフの背中から伸びた線が白衣の男、茅場晶彦につながる。ゴロー爺さんの背中から伸びた線はどこにもつながらない。大きなクエスチョンマークが立ちふさがる。

 

「モノを考える頭も、ヒトを感じる心も、全部データ化している状態のお爺さん。肉体とつながろうにも、遠い未来にはつながらない。なら、一体どこを使って考えたり行動してたと思う?」

 

「どこ、か……まさか、SAOサーバーか!?」

 

「うん。お爺さんはSAOサーバーの中に生きてたんだよ」

 

 クエスチョンマークが破壊される。線はSAOのサーバーにつながった。

 

「カーディナルや私たちMHCPを動かせるサーバーだからね、思考能力の余剰分を使えば人一人分の意識を動かすくらいはできる。でも、そんなことは想定された挙動じゃない」

 

「それでも、動いている。動かせてしまった。一度動き出したプログラムはもはや止まらない。お爺さんはSAOサーバーと一体化する形で生きていた。だからこそ――離れられなくなった」

 

 アリスの掌に涙型の宝石が乗っている。ユイ。データを圧縮してナーブギアに保存した時の姿。

 

「アタシのお姉さん、キリトの娘のユイみたいにデータをどこかへと送ることはできない。SAOのシステムの中でしか生きられなくなった。それと同時に、お爺さんの運命は決まってしまった」

 

 

お爺さんの死は、SAOサーバーの中で動く肉体が消える時。

 

だからこそ。ゲームがクリアされた時、お爺さんは死ぬしかなかった。

 

空に散りゆく浮遊城とともに落下して、落下ダメージで死ぬ。

 

ログアウトは許されない。ログアウトしても行く先がないから。

 

 

そして、お爺さんは再び電子の海へと消えた。もう、どこにもいないんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キリト。君がこれを聞いている、ということは私を探してくれたのだろう。

 

後味の悪い死に方をしてすまないな。これしか方法がなかった。

 

だから、君にサヨナラは言わなかった。探さない限り、私が死んだことを知らないで済む。

 

あの浮遊城で生きた者の思い出の中の存在として、終わることになるからな。

 

 

 

それでもこれを見つけ出して聞いてくれている、ということは……

 

エヴァの奴が教えてくれなかった、最後の秘密を聞きたい。そうだろう?

 

 

2072年、未来人であるはずの私がどうして『未完成のナーブギア』を使ったのか。

 

キリトが生きる2022年にはすでに完成しているはずのナーブギアをなぜ使わなかったのか。

 

その答えは、君だけに伝えたい。これだけは誰かには言えない。

 

 

キリト。友人として、お前だけにしか話すことはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――これで契約成立だ。ようこそ、アインクラッドへ。この世界の創造主として、あるいは、この世界に生きる者の一人として君を歓迎しよう、キリガヤゴロウ。」

 

 これは餞別だ。ヒースクリフは私にいくつかのアイテムを譲渡した。レザークロスやスチールブレードといった名称のそれらは初期装備の品物らしい。ウィンドウを操作して受け取った私は早速着替えることにした。グレーのシャツに茶色の胸部プレート。黒いズボンに皮のブーツ。

 知識としては知っていたし何度か映像で目にしたことがあるそれらを身に着けたことで、ようやく私もアインクラッドにいるのだ、浮遊城に生きているのだ。そういった実感がわいてきた。

 

「それで、一つ訪ねておくが。君はこれからどう名乗る?」

 

「どう名乗る?と言っても、キリガヤゴロウという名前があるが。ああ、アバターの名前か?」

 

「そうだ。君がアインクラッドの住人として生きるのであれば名前を決めなければならない。ただし、こちらも制限を付けさせてもらうぞ」

 

 テーブルの上にウィンドウが表示される。そこにはいくつもの名前が並んでいた。

 

「黒鉄宮は知っているかね?そして、そこにある蘇生者の間の役割も、だ」

 

「……生命の碑か。全プレイヤーの名前が記された石碑で、死亡すると名前に線が引かれるはずだな」

 

「その通り。ゲーム開始当日、私がSAO開始を宣言した日にログインしていたプレイヤーの名前は全て記載した。後からログインしたプレイヤーの名前は石碑に追加される仕様になっているが、どうやら情報屋がそれを記録している節がある。見当はつくかね?」

 

「ふーむ……デスゲームと化したソードアート・オンラインに後から入ってきたプレイヤーは訳ありとみて調べているのか?いや、あれか?Pohか?」

 

「Poh?」

 

「ソードアート・オンラインにおける最大最悪の殺人者だ。あいつはSAOには後からログインしたはずだが、それに気づいた情報屋が調べているのかもしれん。後からログインしたプレイヤーは彼の仲間かもしれない、とな」

 

「ふむ。確かに君の言う通りPohというプレイヤーは後からログインしているな」

 

「……出来ることなら今のうちに始末するか監獄に叩き込んでおくことを勧める。彼の存在はアインクラッド攻略において百害あって一利なし、だ」

 

「気には留めておこう。君が未来から来たことは信じてはいるが、君が知っている未来の出来事が本当に起きるとは限らない。それに、そこまで有名な人物が早期にリタイアしてしまえばタイムパラドックスを引き起こすのではないか?」

 

 だから口ごもったのだろう。ヒースクリフの言葉に私は苦い表情で返した。良くも悪くも彼が与える影響は大きすぎる。短期的には被害を抑えてくれるだろうが、長期的に見れば何が起こるかわからない。

 

「わかった。未来を尋ねはしないが、攻略組にとっても確実に障害と判断できたタイミングで対処に動く。それならば君が知っている歴史と大差ない未来につながるだろう」

 

「……すまない。それで、この中から名前を選べばいいのか?」

 

「そういうことだ。ベータテスターの名前は生命の碑に全員刻んであるが、全員はログインしていない。ログインしなかったベータテスターの名前を使えば無用な疑いは避けられるはずだ」

 

「ありがたい措置だな。ベータテスターには悪いが、名前を使わせてもらうぞ。顔も知らない相手に謝ったところで意味はないがな……あ、いや、待てよ?」

 

 Eから始まりZで終わる名前のリストを探していけば、ちょうど真ん中あたりに探している名前が見つかった。P。Pitohui。ピトフーイ。妖艶な女性の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 

「やっぱりログインできてなかったか……」

 

「知り合いかね」

 

「ソードアート・オンラインをプレイできなかった結果別のVRMMOで色々とこじらせたヤバい女……いや、元からだいぶイカれているようではあるらしいが……」

 

「わかった。では、今日から君はPitohuiだ」

 

「わかってないだろう。その名前はやめてくれ、お願いだから。後で絶対ややこしいことになるしする女だ、あいつ。アインクラッド帰還者を無駄な争いに巻き込みかねない」

 

「そうか。その人物も気になるが、別の名前を決めてくれたまえ。」

 

「……はぁ。わかった。これでいい。Goro。ゴローでいい」

 

 ウィンドウの中に紛れていた名前をタップする。すると、ウィンドウは消えて名前変更処理が完了した、という通知が降りた。やれやれ、結局こっちでも私はただのゴロー、か。

 

「ふむ。本名に近い名前でいいのかね?」

 

「それでいい。あんたがヒースクリフと名乗ったところで茅場晶彦であることには変わらないように。私がキリトやクライン、ディアベルを名乗ったとしても本質はただのゴロー爺さんだからな」

 

 英雄になれない男だ、平凡な名前でいい。その答えにヒースクリフはそうか、と答えて表情を変えない鉄仮面のような顔をしていたが、不思議と感情が伝わってきた気がする。どことなく、だが。

 

「なあ、ヒースクリフ。あんた、喜んでないか?」

 

「わかるのかね?」

 

「どことなく。さっきの会話のどこに喜ぶ要素があるのか聞かせてくれないか」

 

「……ふむ。キリガヤゴロウ。君は茅場晶彦にも不安がある、と言えば信じるかね?」

 

 彼は腰に身に着けた剣を抜き放つ。私の記憶にあるヒースクリフが持っていた剣と比べればみすぼらしいものだが、それでも夕日の光が溶けて美しい光を放っていた。

 

「茅場晶彦は空に浮かぶ鋼鉄の城に夢を見た。浮遊城はSAOというゲームの中で具現化されて、約一万のプレイヤーが一日一日を必死に生きていることは君も知っているだろう?」

 

「そして、私もその中の一人となった」

 

「そうだ。君はその中の一人になりたくて、遥か未来の世界でSAOを手に取ってくれた」

 

 ヒースクリフが私に手を差し出した。私はそれを戸惑いながら見つめるだけ。

 

「君は私が知らない未来の話を楽しそうに語ってくれる。それは私が作り上げた世界が、浮遊城を生きた者の姿が、彼らが作り上げた物語が、君を魅了したから。だからこそ……」

 

キリガヤゴロウ。君の存在は未来からの保証なのだ。

 

アインクラッドが。SAOが素晴らしいモノになったことを、証明してくれた。

 

「この浮遊城が迎える運命が悪くないモノだと知れた。これで私はもう不安を抱えることなく、この城で生きていくことができる。馬車と彼女はその感謝の気持ちでもある」

 

 馬車の御者台に腰掛けた鎧は首を傾げ、馬はいなないた。

 

「……そう、か。私はどう反応したものかな」

 

 ソードアート・オンラインの製作者へ感謝を述べるべきか。それともデスゲームにしたことへの恨み言をぶつければいいのか。言葉に迷いながらも苦し紛れの笑いだけは絞り出す。

 

「その手を取るのはやめておく。これからだ。これからソードアート・オンラインの物語は綴られていくんだ。全てが終わった時に。浮遊城の物語が終わった時に握手しようじゃないか。紅の魔王さん?」

 

「ふむ。ではそうしておくとしよう」

 

 誤魔化しの答えに満足して手を下ろしたヒースクリフに背を向け、馬車に乗り込む。御者にホルンカへ向かうように指示した。パシン、と鞭の音が鳴り響く。少しずつ。少しずつ冒険していこう。この浮遊城はとてつもなく広いのだから。私の命を使い切るまでに全てを巡れますように。

 

「……ゴロー!」

 

「なんだ!?」

 

 走り出した馬車に向かってヒースクリフは呼びかける。そして、口にした彼の言葉に私はサムズアップを返した。瞳を閉じる。魔王らしくない言葉を思い返しながら、馬車に揺られていく。

 

 

 

 生きてみせろ!私の浮遊城を生きた感想を、いつか聞かせてもらうぞ!

 

 

 




 そして。男は浮遊城を誰よりも楽しんで生きた。

 生きて、生きて、そして。最後の時を迎える直前に。

 笑いながら紅の魔王の手を取ったのだ。


「あんたの作った世界は最高だった」なんて言いながら、笑っていた。


 茅場晶彦が彼に何を言ったのかはあなたの想像に任せたい。

 孤高の天才にも、誉め言葉は必要なはずだ。

 天才も少しくらいは喜んでいただろう、と思うのはおかしなことかな。



 それはそれとしてデスゲーム化したことには文句があったので殴ったらしい。

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