203X年4月10日
かつて、帰還者学校と呼ばれていた場所があった。一万人程いたSAOプレイヤーの内、現実に帰還できたのはおよそ六千人程。その中には少なくない数の学生が含まれており、学生たちには空白の約二年を学び直す時間と場所が必要だった。
俺やアスナも通っていたその場所は今となってはすっかりさびれていた。
十年も経てば当時学生だった人はとっくの昔に卒業している。俺たちの仲間だと最年少だったシリカが卒業した時は皆でお祝いしたのが懐かしい。
ほんの少し埃が積もっている廊下を歩けばどこかから学生の喧騒が聞こえる気がした。
「……なんて、な。爺さんならそんなことを言うのかもしれない」
学校としての役割を終えた帰還者学校は一種のモニュメントへと姿を変えた。
俺が良く授業を受けていた教室の前に立つ。教室名を示すプレートを一瞥して、中に入った。
人が入ってきたことにセンサーが反応すると、照明が灯ってかつてはチャイムを鳴らしていたスピーカーが案内音声を鳴らした。部屋の中には教室があったことを思わせるモノはそれくらいだ。
『ようこそ、SAO資料館特設コーナー、在りし日の酒場へ』
今も営業中のダイシーカフェに雰囲気が似た部屋へ入り、利用客を模しているマネキンのうち、カウンターに座っているヤツの隣に座る。少し背が低くて、黒づくめで、二刀流のマネキン。
「よう、ひさしぶりだな。黒の剣士のキリトさん」
なんて、な。マネキンに触れると警告音声が鳴る。彼が背負っているエリュシデータやダークリパルサーには触ることはできない。もっとも、それらの剣は模造品なのだが。
近くで仕事があるので泊まりに来ていた直葉に起こされたかと思えば煙草を買っていたことで叱られて、サーバー管理系の仕事をしていたアリスからはSAOサーバーのことで呼び出され。
SAOサーバー管理室の閉鎖作業はしておくからあなたは約束を果たしてきなさい、なんて言われながらここの地下室を追い出されてエレベーターに乗ったのが数分前。俺、すっかり尻に敷かれてるな、とか自嘲してたらボタンを押し間違えて目的の階層の一つ上について現在に至る。
記念館を作るのはいいがアインクラッドを宣伝するのは不味いだろう、というか俺やアスナの装備を模したレプリカを纏うマネキンの存在意義は如何に。苦言を呈したのはいつの頃だったか。
苦言を呈したところでそれらの計画は実行されてしまい、テレビで報道された時はアスナとそろって頭を抱えたものだ。絶対に行くことはないな、なんてALO上のアインクラッドでクラインやエギルと笑っていたものだがこうして訪れてみるとどこか懐かしい気分になってしまう。
「指を振っても……そりゃそうだ、ウィンドウは出ない。オーグマーも持ってきてないしな」
カウンターの椅子をくるりと回して酒場を見渡す。ボスの攻略方法らしきものが記された黒板の前には作戦を説明しているようなポーズ付きのアスナマネキン。彼女に作戦を提案しているような青い装備の騎士の姿に第一層で散ったディアベルの姿がダブる。
よく見ればどこかトゲっとした髪型の剣士も横にいるな。キバオウもセットなら青騎士はディアベルだろうかな、リンドとは結局仲が改善されることはなかったはずだし。
一歩引いたところで壁にもたれかかっている髑髏仮面……あれどう見てもミトだろ。鎌背負ってるし。ベータテスト時代のアバターだな。あいつは今、服飾系の仕事で海外だったか。
別のテーブルでは冒険を成功させたらしきパーティが乾杯している。あそこのメンツはどうもめちゃくちゃだな。帽子をかぶった丸サングラスはグリムロックさんっぽいけど、どっちのアクセサリーも爺さんが指輪の代金としてもらってたはずだし。
で、その妻のグリセルダさんらしき女性はギルド風林火山っぽい鎧姿だけど風林火山って女性メンバーいないぞ。しかもバンダナついてるし、まさかクラインか?性転換してるし。
仲間のメンバーもどことなく見覚えあるけど、背が低いエギルってもはやドワーフの類だろ、うわ、あの身長が高くてグラマラスな鼠フードはアルゴか?この辺作った奴ちゃんと仕事しろよ。
『仕事したら仕事したで個人情報駄々洩れで大問題だロ』
聞き覚えのある声が聞こえてきて思わず立ち上がる。一体どこから聞こえた声だ。スピーカーから聞こえてきた声のような気がするが……となれば。天井の角に設置してあるカメラを睨む。
「おいおいおい……なにやってんだよ、アルゴ」
『パチモン冒険者見てドン引きしてたキー坊を見つけたから監視カメラ越しに情報販売、ってところダナ。久しぶりに鼠のアルゴのお仕事だけど、お代は要らないヨ?』
「現実でも金をとる気かよ。大体個人情報がどうこう言うなら俺とアスナはどうなんだよ」
監視カメラの向こうでニャハハ、と笑い声が聞こえる。
『キー坊とアーちゃんは英雄だからそれなりに情報が出回ってるシ。パチモン作ったら逆に批判が来ちゃうんだヨ、オー、コワイネー』
「はいはいそうですね。そういえばここの監修にはアルゴも関わってなかったっけ?」
『まあナ。ここを作った連中は一種のアトラクション染みたものにしたい思いも多少はあったのかもしれないが、あの事件を風化させたくない想いがあったのも事実。だから、昔の記憶を思い出して鼠お婆ちゃんは政策担当者に色々とレクチャーした、ってわけダ』
「そういうことね。でも、お婆ちゃんっていうにはまだ若いだろ?」
『そうでもなイ。あの頃もへとへとになるまで浮遊城を駆け回ったものだけド、現実世界であることを抜きにしてもだいぶ疲れもたまりやすくなった。おかげで貰い手がつかない不良債権になりそうダ』
「アルゴほどいい女ならその気になればすぐだろ」
『キー坊みたいに魅力的な男はそんなに見つかるわけないヨ』
「……これだ。これがアルゴだった。本気なのか茶化してるのかわからないけど言われたらゾクっとするような言葉をサラッと吐く。本物だな、アルゴ」
『しっつれーだナー。キー坊、年取ってあの爺っぽくなってるゾ』
ジジイ。ゴロー爺さん、か。そういえばゴロー爺さんはアルゴの弱味を握ってるとか言ってたっけか。だからあいつを顎で使えるんだ、とか言ってた爺さんはなかなかに悪い顔をしてた。後々真相を調べてみればただの犬嫌いで拍子抜けしたっけなぁ。
……その代わりにSAOでのあれやこれを直葉やシノンとかSAO未経験者に売り払われてしばらく白い目で見られる羽目になったが。
「割と陰湿な仕返しも爺さんに似てるよ、アルゴ」
『ンナァッ!?そ、そんなわけないだロ!?』
「もしかしたら爺さん、ああ見えてアルゴのこと気に入ってたのかもな」
『……寒気がしてきた。私、ちょっと暖房効いてる部屋に行ってくるね』
ブツン、とスピーカーの音が切れた。あいつの鼠口調が途切れたくらいだしよっぽど爺さんのことが苦手なんだろうな。SAOでのアルゴは自分のことを隠しがちだったように思える。そんなアルゴが犬嫌いだったことを把握していた爺さんに対してある種の恐怖心を抱いているのだろうか?
本人に問いかけてもはぐらかされるんだろうな。これまでも、そしてこれからも。
アインクラッドを模した部屋で変わらないあいつと言葉を交わしたことで懐かしさが胸を満たされていると、スマホに着信が入った。相手は……アスナ。……あっ。し、しまった。
「は、はい……和人です」
『キーリートーくーん?アルゴさんと楽しくお喋りしてたのかな?』
「えと、その……はい。例の教室で懐かしくなってたら、アルゴの声が聞こえてきて、つい」
『もう。わざわざアルゴさんが関係者に話通してキリト君探してくれたのに。あの部屋は確かに懐かしいけど、約束の時間とっくに過ぎてるよ』
「ごめん、すぐに向かう」
通話を終了すると部屋の出口へと駆け出した。そして、廊下に出た後……どうしても、振り返りたくなってしまった。振り向いた先にはまだ明かりがともっていた。
柔らかい光に照らされているキリトやアスナ、ミトにクライン……もどきだけどクラインだ。アルゴにエギルもいるしディアベルもキバオウもいる部屋をもう一度目に焼き付ける。別の部屋にある鍛冶屋もどきの部屋には、リズベットやシリカみたいなマネキンもいるんだっけか。
でも。今の俺にできるのは振り返ることが精いっぱい。あの頃には決して戻ることはできない。
酒場のカウンターの向こう側。煙草……はダメだったのか、キャンディを咥えた人がいる。
爺さんがいたあの頃には、SAOのアインクラッドには戻ることはできないんだから。
自動点灯の照明は誰もいない部屋を照らし続けはしない。暗闇に沈んだ部屋を、忘れるかのように走り出した。それでも、浮遊城の思い出は胸の中に残り続けている。残し続けるんだ。
「爺さんは……どこにもいない、のか。茅場みたいに、データ上の存在になってる可能性は?」
SAOサーバー前での問答。アインクラッドから帰ってきた後も何度か手を貸してくれたあいつは今もどこかで生きているらしい。それと同じことは起きていないのか。ゴロー爺さんが消えた事実を突きつけたアリス……の中にいるエヴァに問いかけたが、エヴァは目を閉じて首を横に振った。
「茅場晶彦はVRマシンでちゃんと脳をスキャニングして、意識を全部データ化した。だけど、お爺さんの場合は不十分なマシンで意識の一部だけをデータ化してた感じ」
「……だから、SAOサーバーと一体化することで活動していた」
「欠けていた部分をSAOサーバーの一部が補ってくれていたんだ。だから、お爺さんが、アインクラッドと一緒に……消えるのを、アタシは……アタシは……」
見てる、だけだったんだよ。感じるだけだったんだよ。こころが、こわれそうだった。
口をふさがれている鎧姿のエヴァのホログラムが拳をぎゅっと握りしめて、涙を流している。そうだ。彼女はユイと同じなのだ。人を見て、心を学んで、成長していた。その姿を俺は見ていた。
初めて会った頃は雨にうたれていた彼女は、いつの間にか馬車の中で雨宿りを覚えていた。釣りのやり方がわからなくて何故か俺を釣っていた彼女はいつの間にか釣った魚を俺や爺さんに自慢するようになった。料理を食べて微笑む爺さんを嬉しそうに見ていたこともある。
エヴァにとって、ゴロー爺さんは親代わりのようなものだったのだろう。
かけがえのない存在を失う姿を目の前で見てしまって……今日まで、ずっと眠っていた。
「でも……でも。アタシは壊れないよ。この心が時の流れで朽ち果てるまで、壊れるもんか。だって、アタシはお爺さんがアインクラッドにいたことを知ってるんだからね」
涙をぬぐったエヴァは二つのアバターで俺を見つめる。あなたもそうだろう、と。
「お爺さんはどこにもいないけれど、あそこにいたことをアタシたちは知ってる。だから、ずっと覚えていたいんだ。皆に忘れられたその時、人は死ぬんだよね。そうだよね、キリト」
「……そうだな。その通りだ、エヴァ。俺たちは忘れちゃいけないんだ」
俺の答えにエヴァは何も答えなかった。ただ、微笑んだ。
ホログラムの光景が突然崩れて、エヴァが出現させたヒースクリフや爺さんの姿はチリとなる。鎧姿のエヴァも、消えた。現実の殺風景な部屋が露になると共にエヴァは、アリスは倒れた。
「なっ……!?エヴァ!?エヴァッ!アリス、アリスッ!!」
ほんの少し重い体を揺さぶりながら問いかける。瞳がゆっくりと開いて、俺を見つめる。大丈夫か。その問いかけに彼女はこくりと頷いて立ち上がった。瞳の色は青。アリスだ。
「す、すみません、キリト。彼女の感情があまりにも強くて体の制御回路が一時的にオーバーフローしてしまったみたいです。彼女と制御を取り合う形になってしまい、倒れてしまいました」
「大丈夫なのか?アリスも、エヴァも」
「私は大丈夫です。エヴァは……一時的にスリープモードに入った模様です。人間でいうところの、泣き疲れて眠っている状態でしょう。時間はかかりますが、また目覚めるはずです」
よかった。ほっと一息をつきながらオーグマーを外す。制御端末の隣に置いて、稼働中のサーバーを見上げた。今日は用事があるけれど、また会いに来るよ、エヴァ。
「……エヴァですが、許可が下りればキリトのPCにデータを移行させてあげられるかもしれません。言い方は悪いですが、私の存在でユイの重要度は下がってますから。同型機の彼女も、恐らくは」
「まあ、AI的にはそうだよな……マシンの中に作ってたユイの部屋もメンテしておくかな」
「彼女も喜ぶでしょう。それにしても……強く思われているのですね、ゴローという老人は」
「SAO時代のアインクラッドで繰り広げた冒険の多くでバックアップを……あー、背中を守ってくれていた、いや、支えてくれていた、といった感じかな」
「キリトの相棒、ということでしょうか」
「それを言い出したらアスナが怒るかな……。アインクラッドの攻略という意味ではアスナと一緒に行動してたけど、休日を過ごすときは爺さんが一緒だった。俺が爺さんの相棒だったんだよ」
黒の剣士、暇なら釣りに行くのはどうだ。キリト、ちょっと素材調達を手伝ってくれないか。おめでとう、旦那さん。結婚祝いを持ってきたんだが、代わりに少しだな。とか、言いながら。
あの手この手で沢山の娯楽を楽しんできた。釣りもしたし山登りもしたし狩りもやった、温泉にも行ったし美術館にも行った……あそこは思い出したくない。品揃えが微妙どころかクエストで泥棒疑惑をかけられて散々だった。とにかく、爺さんとは沢山の冒険と書いて、休日を過ごした。
ノーチラスを何度も連れまわしたし、クラインと忍術修行したこともあれば、エギルとオークションで争ったこともある。アスナとの料理勝負の審判させられたり、リズベットにパシられて鉱山に潜ったり。シリカのためにピナのエサを探しに行ったこともあったなぁ。
……そういや、ヒースクリフとラーメン食べたこともあったな。
思い返せば思い返すほど、楽しい思い出も面白い思い出も溢れてくる。きっと、攻略のためだけに生き続けていたら経験しなかった思い出ばかりだった。
「……いい顔をしていますよ、キリト」
「へ?」
「よっぽど、ご老人と楽しい思い出をしてきたのですね。羨ましいです。それなのにどうして今まで私に彼の話をしてくれなかったのですか」
「それは……その、なんかアスナが不機嫌になるというか」
ゴロー爺さん、アスナのことはどういうわけか最後まで閃光ちゃんって呼んでたんだよな。それでいてよくからかわれる。嫌な人じゃないのはわかるし好みではあるけど、関係に困る、とか。
「ならば、アスナがいない時に話してください。今夜、いかがで……はうっ!?」
色っぽい表情をしながら近づいてきたアリスに冷や汗を流しながら後ずさりしていると、突然アリスが硬直して目の色が片方だけ赤色に染まる。
「き、キリトとアスナの関係を邪魔しちゃダメ……!?ちょ、ちょっと待ってください、冗談です。冗談ですって!無理に!無理に制御を乗っ取らないでください!?」
これは……エヴァだな。そういや爺さんはやたらと俺とアスナをくっつけようとしてたけど、当然エヴァもその姿を見てたよな。そりゃこういう考えになるか……教育方針としてはダメだけど。
「くっ、て、抵抗が無駄に激しいっ……!キリト!すみません、後から行きます……!ここの戸締りはしておきます、約束を果たしなさい!あぐっ、ま、負けるかぁ、こっちだって大先輩だし!」
両手で体を抱えながら一人で口喧嘩している奇妙なアリスの姿に苦笑しながら、部屋の出口を開いた。一応アリスの姿を見るが、動きが停まっている。多分アリス内部のストレージに仮想空間を展開してやりあってるんだろうなぁ……その、なんだ。どっちも頑張ってくれ。
「ふぎゃんっ!?」
あっ、エヴァが負けたな。乗り込んだエレベーターが閉まる直前に、叫び声が聞こえた。
というわけなので、皆にアリスは遅れることを伝える。
「あ、あの子寝起きなのにすっごいアグレッシブね……うちの店でも新作の大剣を渡したらぶんぶん振り回すから命の危機を感じたけど。相変わらずねぇ」
「撫でるのが強くてピナに吠えられてましたよね。鎧なのに両ひざ抱えて落ち込んでたの、今でも覚えてます」
苦笑するリズベットとシリカの姿に懐かしさを感じて頬が緩む。ここ最近は皆忙しくて仮想空間でもなかなか顔を会わせられなかった。子供だった頃ならともかく、すっかり大人になってそれぞれの道を歩んでいる弊害だ。成長していくことに嬉しさを感じるが、寂しくもある。
「あっ、いたいた。キリト君、遅いよ。待ちくたびれちゃったんだからね」
凛とした声が響く。手を振りながらやってきた彼女は両手を広げた。ああ、そういうことか。彼女を抱きしめる。ほんの少しだけ抱き合って、放す。彼女の瞳を見つめるとにっこりと微笑んだ。
「おまたせ、アスナ。待たせてごめんな」
「うん、よろしい。シノノンにもよろしく言われてきたよ」
リズベットからはお熱いことで、なんて茶化されるけど俺たちはこんなものだ。俺たちは今も昔もこれからも、ずっとこんな夫婦だ。
「……私、最近ちょっとパパとママのイチャイチャは度を過ぎてる気がしてきました」
「やっと気づいたんだね……キリトさんとアスナさん、やっぱりおかしいですよ」
「はい。会社のライターさんに理想の夫婦像を聞かれたのでパパとママのことを話したらさすがにちょっとこれは盛ってるだろう、みたいなことを言われました」
アスナの後ろをついてきた女の子の頭を撫でてやる。成長した俺たちみたいに、成長したボディにしないかと担当者からは言われていたが10年前からずっと姿を変えていない。
ユイ。俺たちの子供。アリスと同じく機械の体を手に入れて、俺たちのそばにいてくれる大切な娘。最近はALOの運営会社にプログラマーとしてアルバイトしている。アリスは例外的なものだからある程度融通が利くけれど、ユイに関してはまだまだ権利的には難しいところにいる。
「んっ……えへへ、ありがとうございます、パパ」
「……ユイちゃんも人のことを言えない気がします」
撫でられて喜んでいるユイの姿を見ていると、そんなものはいつか乗り越えられる気がするが。ところで何を羨ましそうに見てるんだ、シリカ。ユイみたいに撫でてほしいのか?
「ふえっ!?えと、その……も、もう大人ですから大丈夫です!」
……あっ。アスナからの視線が冷たい気がする。
「副団長を泣かせるのもほどほどにしておけよ、黒の剣士」
背後から突き刺さる冷たい視線がいつ閃光となって突き刺さるのかと恐怖している背中を一人の男が叩く。ニヤリと笑って突き出された拳を突き返す。
「相変わらず元気そうじゃないか、ノーチラス」
「そっちは少し疲れてるんじゃないか、キリト」
言ってろ、そっちは肉体労働メイン、こっちは頭脳労働メインなんだよ。
彼の耳には新型のオーグマーが装備されている。オーディナルスケールの続編に運営として関わりながらも、時々ボス役として活躍している噂は耳に入っていた。整った顔つきも相まって、オーグマー開発会社のカムラが協賛する映画に脇役として出演していたがそれがハマり役。
アスナと一緒に映画を見に行ったけど、なかなかにいい演技をしていた。今度また映画に出演しないか、なんてことをカムラの教授からも振られたらしくて迷ってるらしい。
「も、もう!エーくん、歩くの早いよ!」
きっとお父さんは私に構ってほしいんだよ。仕事で教授に会った時、たまたま顔を合わせた娘から娘離れできない父親について相談されて遠い目をしたのはつい先日の話だったか。
息を切らしながら走ってきた女性の顔は帽子に隠されて見えない。向こうでも似たような帽子を被っていたが、目の前にいる彼女はギターを背負っていなかった。流石に演奏はなさそうだ。
「ご、ごめん。キリトの姿が見えたから、つい」
「そーだね。そうだもんねー。エーくんは私のことも大切だけど、キリトのことも大切だもんねー。あーあ、わたしなんだか嫉妬しちゃいそう」
「そう言わないでくれ。色々と訳ありだったんだからさ――ユナ」
そっぽを向いた茶髪の女性を二人で宥める。流石にアスナも呆れていた。
ユナ。重村悠那。ノーチラスこと後沢鋭二の幼馴染だったが、数年前にようやく結婚した。
SAOのアインクラッドで一緒にバンド演奏してからは何度か彼女のライブを手伝う仲になり、持ち前の行動力の高さにノーチラスはもちろん俺や爺さんも振り回されたことがある。
第四十層を攻略していた頃に窮地に陥ったプレイヤーを助けるべく攻略組の二軍と共にダンジョンに向かったと聞いた時は焦ったものだ。ノーチラスと一緒に助けに行って、無事に助かったユナを抱きしめたと思えばそのまま告白してたよな、あいつ……俺も人のことを言えない告白だけど。
どこか危なっかしい彼女だったけど、それ以降は多少おとなしくなった。多少は、だけど。アスナも言ってたかな、恋は女性を美しくするんだ、って。
そして、彼女は無事にアインクラッドから帰還することが――叶わなかった。
SAOがクリアされても彼女は目覚めなかった。ALO事件の裏で行われていた人体実験の被験者として捕らわれてしまったのだ。そこで酷い目に会っていたというのに、アスナを救う為に協力してくれた。
ところが、事件が解決されても眠り続けていた。他の被験者よりも人体実験の進行度合いが深刻だったのが原因らしい。黒幕を殺してやろうと暴れるノーチラスを何とか抑え込んだ日のことは今でも思い出せる。俺もなんとか彼女を助け出そうとあの手この手を尽くしたが、手詰まりで……
「お互いに大切なカミさんのために死力を尽くして殴り合ったんだっけか。な、キリの字?」
最終的に、オーグマーを用いた大規模な事件を起こしてでもユナを目覚めさせようとしたノーチラスと、ユナを目覚めさせるために記憶を奪われたアスナのために戦う俺は、ぶつかり合った。
その結果がどうなったのかというと……
「そうだよ。私が目覚めたらお互いコブだらけの血まみれ。また気を失っちゃいそうだったよ」
俺たちの戦う姿がきっかけで奇跡的に目覚めたユナの仲裁で引き分け。
その後はアスナを助けるため、事件を解決するためにお互いに協力して戦うことになった。
「たっく、男らしいことしてんじゃねえか。あの時は羨ましかったぜ、俺もこいつにやられてなけりゃ一緒に戦えたのかもしれないのによ」
「それについては本当に申し訳なかった。腕に違和感はないか?」
そこまで責めてねえよ、ノーチラスに勝ちきれなかった俺の実力不足でもあるんだしな。そう言って笑ってくれるクラインははじまりの日に出会った時から変わらないいいやつだと実感する。
……大分そろってきたな。あのアインクラッドで知り合った粗方のメンバーはここにいる。
今日はSAO事件被害者のお墓参り。ここにはアインクラッドから帰れなかった人々を弔う石碑があり、プレイヤーネームしか知らない未帰還者への祈りを捧げる場所として使われていた。
何年も、何年も使われているうちに各地に散らばっていた帰還者へとその情報が伝わっていき、いつのまにか毎年こうして未帰還者を弔うための日が誕生した。あのヒースクリフを倒した英雄として俺の名前を旗頭に使われるのはむず痒いが、人々が集まってくれるのならそれでいい。
あの空から帰らなかった人々を想ってくれる人が、少しでもいてくれればそれでいいから。
周囲を見てみれば見知った顔がちらほらいる。その中には面識のある一人の少女もいたが……彼女は仲間たちと話している。話しかけるのは後でいいな。
「あれ?そういえば、エギルさんはいないの?」
「言われてみればいないわね。背が高くて目立つからあたしたちが集まる時の目印になってたのに」
「黒い肌でも照れくさがってるのがわかるのはいい知見だった」
「ああ、エギルか?ちょっと前に連絡があったんだけど、どうも店に急な配送が来たらしくてそれを受け取ってから来るってよ」
ピコン。ピコン。ピコン。噂をすれば俺たちのスマホに通知が入る。チャットアプリにエギルの書き込みが入ったのだ。真っ先に取り出した俺の画面を皆がのぞき込む。
>ちょっと訳ありの品を持ってきた。駐車場まで来てくれないか?
言われた通りに駐車場に来てみれば、店の買い出しにも使っているという大型のワゴン車の前でエギルが手を振っていた。元々いかつい顔つきをしていたが、年を取って益々迫力が増した。
「おう、キリト!それにその仲間たちもお揃いか。なんだよ、俺が最後か?」
だけど、笑ってみれば意外と愛嬌があるのは変わらない。元々大人だったこともあって、俺たちの中では一番変わっていないような気がする。そんな彼の存在がどれほどありがたいことか。
「そうだよ、エギルが最後だ。で、訳ありの品ってなんだよ」
「ああ。ついさっきうちの店に荷物が届いたんだが、変な荷物なんだよ」
ワゴン車の後ろ側に回ったエギルに俺たちはついていく。皆が後ろに回ったことを確認したエギルが後ろの扉を開く。後部の荷台に置かれていたそれには全員見覚えがある。
「……うそ、でしょ。私たちダイブしてないよね?」
「は、はい!そのはず……ですよね?」
リズベットとシリカはお互いの目元や耳元を触る。フルダイブマシンやオーグマーはない。
「こんな代物、どこかのメーカーがいたずらで作ったんじゃないのか?」
「そう思って調べたがどこも作ってない。オーダーメイドだろう」
怪訝な瞳を向けるクラインはエギルに尋ねるが、尋ねられたエギルは首を横に振る。
「これは……鍵穴に何かが仕込まれているな」
「これ、鍵じゃないよ。電子ロックキーの認証装置じゃないかな」
ここにいる面子では少し年上なノーチラスとユナは冷静に装置を調べていた。
「ねえ、キリト君。これって……SAOの、だよね」
「そうだ。ALOではデザインがちょっと変更されたはずだからな。ユイ、どうだ?」
「当時のモデルデータと照合しましたが、間違いありません」
この荷物は、SAOで使用されていた、アインクラッドに置かれていた宝箱と同型です。
ユイの言葉にアインクラッド生還者である俺たちはやはりか、と言葉を漏らした。あの城で生きていた俺たちには見覚えがある品物が、どうして現実世界にあるんだ。答えが出ない謎を悩んでいる俺たちの中で唯一行動していたノーチラスは項垂れてオーグマーを外した。
あいつのオーグマーは特別製だから多少の電子ハッキングもできると聞いていたが、ダメか。
「……あれ?パパ?着信が入ってますよ」
ユイに言われて気づいた。相手は……アリス?何かあったのか。
「もしもし。どうした、アリス」
『やっほー、キリト!荷物は届いた?』
「っ……その声は……エヴァか!」
エヴァ。その言葉を聞いた皆が一斉に俺を見る。スマホをスピーカーモードに切り替えた。
「エヴァ!?あなたがエヴァなの!?ねえ、あたしのこと、わかる!?」
『聞こえるよ。久しぶりだね、リズベット。鍛冶屋、今でもやってるの?』
「ALOっていう別のゲームでやってるけど、なかなかいい感じよ。あっちじゃそれなりに名前が知れてるんだからね。ねえねえ、あんたもALOの世界に来るの?」
『うーん、どうかなー。ピナを撫でられるのなら、考えるかも』
「いーっぱい撫でてください!あ、でも今度は優しくしてあげてくださいね!」
『やった!楽しみにしてるよ。ついでにエギルのコーヒーも飲んでみたいなー』
「わかった。とびっきりのコーヒーを準備してやるよ」
『ありがとう!あ、そうそう。ノーチラスとユナもいる?結婚おめでとう!』
「ああ、ここにいるぞ。ありがとう、エヴァ」
「うん、いるよ。久しぶりだね、鎧のドラマーさん」
『えへへ。またみんなで演奏したいね。アスナは……いるよね、うん。えと、その。アタシが風邪をひいた時はごめんね?』
「もう、あの時は本当に大変だったんだからね。でもAIが風邪をひくのって不思議だったんだけど、どういうことなの?」
「あれから色々と調べてみたんですが、大量の感情データを受け止めすぎてエラーが起きていたんだと思います。そのパッチデータが作成された痕跡も見つかりましたし」
『だいせいかーい。流石私のお姉ちゃん、凄腕だね!』
「あ、あの!エヴァさんでございますでしょうか!?」
『うん、そ……ん、んんっ!いいから無駄話は後にしなさいエヴァ!』
声の調子から見てアリスに変わったな。そんなぁ、俺もお話ししたかったのにと食い下がるクラインだったがどうせエヴァを食事にでも誘うんでしょう、後にしなさいと一喝。残念だったな。
『あははっ、アリスに叱られちゃった。それじゃ、本題に入ろうか。今、キリト達の目の前にはSAOの宝箱があるよね。実はその荷物を送ったのはね……お爺さんなんだ』
「……なんだって?でも、ゴロー爺さんはもうこの世にはいないって」
『送ったのは2024年11月7日のお爺さんだよ。過去からの、贈り物。茅場晶彦がお爺さんが提供した技術で特許を取ってたんだけど、それを運用して得られたお金でその宝箱を作ったんだ。あ、後で特許の管理者をキリトに移行するからよろしくねー。全部で30件ぐらいあったかな』
「そ、そうか……仕事が増えたな、こりゃ」
『がんばれがんばれ。キリトはお爺さんよりも若いんだからさ。で、この荷物は然るべき時にキリト達の元へ届くようにプログラムされていたんだ。そのタイミングが、アタシの覚醒だったの』
アリスに起こされた時と同時にインターネットにつながったエヴァが信号を発信。そして配送が開始された荷物がついさっき、エギルの店に届いた、と。
『お爺さんは絶対にキリトはそこにいる、とか言ってたからね』
「実際、大抵の休日は飲みに来てくれるからな。残念ながら今日ばかりはいなかったが」
『お爺さんも読みが外れたねー。未来人っていうのは案外大したことないのかも』
「「「「「未来人????」」」」」
『あれ?キリトから聞いてない?ゴロー爺さん、未来人だよ。40年後くらい先の』
全員の目がなにをいってるんだこいつはと言っている。すまないエヴァ、絶対にややこしいことになると思ってまだ言ってなかったんだよ。普通は信じられないだろ。
「と、とにかくエヴァ。こいつをどうすればいいのか教えてくれ」
『そうだった。すぐにキリトのスマホへ鍵アプリをインストールするね。他の誰かが開けないようにアタシが鍵を持ってたんだよ。もうっ、プロフィールデータといいお爺さんはアタシへの信頼が重いよ』
「そりゃそうだ。だってエヴァはお爺さんに最初から最後まで付き添ってたんだろ。俺より長い付き合いじゃないか、羨ましいぜ」
『……うん、そうだね。さて、インストールが終わったかな。アタシも中身は知らないんだよね……後でちゃんと教えてね?』
「わかった。その時はユイと顔合わせできるようにするよ」
『待ってるよ。あ、そうそう。お爺さんから伝言!中身のモノはキリト一人で使うべし!』
「俺一人で?わかった。じゃあ……おやすみ、エヴァ」
おやすみなさい。そう言って電話は切れた。インストールされたアプリを起動すると、画面にはさび付いた鍵が表示された。持ち手に宝石があるそれをノーチラスに見せると噴き出した。
「懐かしいな。例の水路の鍵じゃないか」
このアプリを作ったのも爺さんなんだろうな。全く、イキなことをしてくれる。
宝箱の鍵穴にかざすとあっさりロックは外れる。懐かしい重量感を味わいながら宝箱を開いた。そこにあったのは……梱包材でしっかりと守られた小さな立方体。カセットテープ。
「ラベルに何か書いてあるよ。『浮遊城に生きた者へ感謝を込めて』だって 」
「手書きじゃねえな、これ。見るからにプリント印刷文字だ」
「でも、どうすんのよこんなもの。今時カセットテープを聞く方法なんてあるの?」
リズベットの指摘に俺はユナを見た。同じことを考えたノーチラスもユナを見ていた。俺たちの考えを察したユナがはっとひらめいてバッグから小さな機械とイヤホンを取り出す。
「初代WALKMAN!?なんでここにそんなものが!?」
「あははっ、エギルさんのその反応も懐かしいですね。ゴロー爺さんがこれを模したケースを私とエーくんの交際記念にプレゼントしてくれたんですよ。あ、もちろんアインクラッドで、です」
「それで、ユナが目覚めた後に二人で中古ショップを回って同じものを探して、修理したんだ。今でも時々音楽を聴くために使っている。動作確認は十分だ」
さあ、キリト。キリト一人で使うべし。それを聞いていいのはお前だけだ。
ノーチラスの言葉と共にユナが差し出したウォークマンを受け取る。そして、操作方法を二人に教わりながらイヤホンを付けた。そして、再生ボタンを押す。カセットテープが回り始めた。
かすかな作動音と共に、懐かしい声が聞こえてきた。
後味の悪い死に方をしてすまないな。これしか方法がなかった。
だから、君にサヨナラは言わなかった。探さない限り、私が死んだことを知らないで済む。
あの浮遊城で生きた者の思い出の中の存在として、終わることになるからな。
それでもこれを見つけ出して聞いてくれている、ということは……
エヴァの奴が教えてくれなかった、最後の秘密を聞きたい。そうだろう?
2072年、未来人であるはずの私がどうして『未完成のナーブギア』を使ったのか。
キリトが生きる2022年にはすでに完成しているはずのナーブギアをなぜ使わなかったのか。
その答えは、君だけに伝えたい。これだけは誰かには言えない。
キリト。友人として、お前だけにしか話すことはできない。
……覚悟はあるようだな。ありがとう、キリト。それじゃ、聞いてくれ。
私が未来人であることはエヴァから聞いているだろう。そこに捕捉したいことがある。
私が生きていた世界はキリトが生きている世界とは別世界の2072年なんだ。
具体的に言うのなら、『ナーブギアが生まれなかった』世界の2072年だ。
茅場晶彦はいない。アーガスもない。レクトもない。
アンダーワールドはない。アリス・ツーベルクは生まれない。
後沢鋭二も、重村悠那も存在しない。
朝田詩乃も、紺野木綿季も、桐ヶ谷直葉も、結城明日奈も。
桐ヶ谷和人も、いない。おまえたちのいない世界の、2072年だ。
だが、それならおかしいことがある。どうして私はお前たちを知っているのか?
存在しない人物のことをどうして知っていたのか?
それは……それはっ……っ、くそっ、言うぞ!勇気を出せ、吾郎!
おまえたち、が。黒の剣士が。浮遊城が……全部、全部っ!!物語の、存在だったんだ。
……こっちの世界での2009年4月10日。一冊の本が発売された。
『ソードアート・オンライン1 アインクラッド』。
煙草が好きな父親から誕生日プレゼントとして当時16だった私は受け取った。
そういえば、この言葉を覚えているか?
『なるほど、では禁煙をやめるいいきっかけになったんじゃないか?』
2001年に発売されたゲームのセリフだ。そっちの世界でも2001年だろう?
初めて出会った時に言ったら、ゲーム好きか?と反応したのを覚えている。
それに私は子供の頃にハマった、とか言って返したっけな。
笑わせる。2022年から見て20年程前に子供だったとか、どんな爺さんだ。
……過去の過ちを振り返る前に、続きを話そう。
この本に記されていたのは、黒の剣士がSランクの鼠肉を手に入れて、
それから紅の騎士の秘密を暴いて打ち倒し、愛する女の元へ歩き出すまで、だ。
君が経験した冒険からしてみれば、ほんの一部だった。
だが、それでも。私の心には強く焼き付いた。
ゲームが進化してたどり着くであろう理想。フルダイブマシン。
デスゲームは……少々やりすぎだと思うので後で実行者は殴っておく。
そして、仮想空間を必死に生き抜いて、愛する者と共に戦い抜いた黒の剣士の物語。
ソードアート・オンラインが見せてくれた未来と、物語に。夢を見たんだ。
単なる偶然だけど、同じキリガヤだったのも理由だ。
それからも物語は綴られていった。君の冒険を物語として知っていく。
フェアリィ・ダンス、ファントム・バレット、マザーズ・ロザリオ。
そして、アリシゼーション。プログレッシブ。
全ての物語がこっちの世界ではアニメにもなったし、映画にもなった。
私はそれを追いかけ続けた。黒の剣士に憧れたから。
人間、かっこよく生きてみたいものさ。あんたみたいにな。
そして、抱いた夢を形にしようとした。フルダイブマシンを作りたい。
君たちが生きたあの世界をこっちの世界でも実現させてみたい。
茅場晶彦の夢を飛び続ける浮遊城、アインクラッドに生きてみたかったんだ。
そして……夢を抱きながら、絶望的なほどに、時は流れていった。
こちらの世界でナーブギアと呼べる代物が完成したのは、2072年。
ソードアート・オンラインのサービス開始から50年先になって、ようやく、だ。
ナーブギアの完成度と迎えた末路については……エヴァから、聞いただろう。
私は事故でアインクラッドに流れ着いた。そして、茅場晶彦に見つかった。
彼に語った事故の経緯、それから訪れる未来を少しだけ語った。
それが彼の琴線に触れてくれた。異常な存在でありながらも、生きることを許された。
そして、エヴァと二人で旅に出た。浮遊城に、生きるために。
同時に……誓った、はずだった。黒の剣士には、会わない。
今のおまえは私が知る全ての冒険を終えたはずだ。なら……知っているはずだ。
ユウキは。病魔に体を蝕まれた、幼い剣士は……君のそばに、いないだろう?
そうだ。私は知っている。おまえの物語には命を落とす者がいることを知っている。
特にアインクラッドで命を落とした者は何人もいた。何人、何十、何百、何千人……
だけど、私に運命を変える力はなかった。ラグで、ソードスキルがうまく使えない。
戦士として戦う力がない私に、命が救えるとは……思えなかった。
運命を知りながら変えられやしない私は、卑怯者と罵られるべき男だ。
特に、黒の剣士。おまえからは一番罵られても仕方ない。切り殺されても、文句はない。
だから、辺境で怯えるかのように暮らして行くつもりだった。
だが……おまえは私と出会った。あの雨が降る森の中で、馬車に招き入れてしまった。
……好奇心に、負けたんだ。黒の剣士と話してみたかった。
黒の剣士と共に戦ってみたかった。黒の剣士と……共に、生きてみたかった。
欲望に負けた私は、結局のところ英雄に憧れるだけのこどもだったのさ。
それからは、言うまでもない。君と一緒に浮遊城を遊びまわった。それだけだ。
ただ、君と出会ってからは。運命を変えるために、出来ることはしていった。
月夜の黒猫団を覚えているか?彼らのもとに何度か差し入れに行ったな。
少しでもレベリングに貢献すれば、あの罠から潜り抜けられるかもしれない。
黄金林檎を覚えているか?結婚を祝ってやった夫婦だよ。
少しでも、夫の感情が変われば。妻が夫に殺される悲劇を防げるかもしれない。
ノーチラスは……そこにいるだろう。だが、ユナは。そこにいるだろうか?
少しでも、ノーチラスのFNCを直せたら。彼の歌姫を救えるかもしれない。
クラディールは、逮捕していたな。
物語では、あいつに襲われたおまえが、殺してしまった。
アインクラッド全百層の内、全てが物語になってはいない。
君と出会ったきっかけの煙草に関しては物語になっていなかったよ。
それでもおよそ四十層分くらいは把握していた。やれる限りの行動は取った。
誰かの力となり、誰かにそれとなく関わり、誰かへ助けを求めて。
ただ、それでも……全ては救えなかった。何人かは取りこぼしている。
結局のところ、私はその程度の人間だ。君のような英雄にはなれなかった。
誰かが命を落とした時はいつも悲しみに暮れたが、君には見せなかった。
私は、君に憧れている。黒の剣士みたいに、なりたかった。
だからこそ。足枷になってはいけない。錘になってはいけなかったんだ。
君を遊びに連れ出す時も、なるべく君の力になる遊びを選んでいたよ。
レベリングしやすい場所だとか、武器アイテムの素材をそれとなく渡したり、
各種ギミックを解き明かすための手助けや、知識を得られる遊びを、な。
それでも、私は君の重荷になっていなかっただろうか。
好奇心に負けて遊びに誘いすぎたのではないか、と。
黒の剣士が紅の魔王に負けないか、と。不安を感じながらこの記録を残している。
その時は……キリト。地獄で、私を殺してくれ。十六、いや、二十七連撃きっちりと殺してくれ。
……すまないな。結局のところ。この記録は自己満足なんだ。
色々な知識を抱えながらも。誰かに伝える勇気を最後まで持てなかった私の、懺悔。
この記録を聞いた君は、失望するだろうな。私は……ゴローは、臆病な男だったんだ。
おまえに聞かせてはいけないものだったのかもしれない。後悔しても、遅いが。
だけど。それでも。最後にこれだけは、伝えさせてくれ。
私はあの城に生きることを許された。とある男の夢を飛び続ける城に。
だからこそ。あの『浮遊城に生きた者たち』に会いたかった。
君たちが私に見せてくれた夢を、もう一度見たかったんだ。
これだけは、私の心からの想いだったんだ。
そして、今。2024年11月7日。
浮遊城に生きた者へ感謝を込めて。言葉を紡いでいる。
私はあの城に生きることを許された。とある男の夢を飛び続ける城に。
だからこそ。あの空で焦がれていた『騎士』に手を差し伸べたかった。
ノーチラス、いや、エイジ。私にできるのは足枷を外してやるのが精一杯だ。
待ち受ける運命を本当に変えられたのかどうか、2024年の私にはわからない。
私はあの城に生きることを許された。とある男の夢を飛び続ける城に。
だからこそ。あの空に輝いた『閃光』を見てみたかったんだ。
キリト。おまえのそばで輝く光は眩しいな。燃え尽きない流星のようだ、なんてな。
あの光を少しだけ独り占め出来たあの夜は、おまえに自慢できる思い出さ。
そして……そして、そして、そして。最後に。聞かせてくれ。
私はあの城に生きることを許された。とある男の夢を飛び続ける城に。
だからこそ。あの空で生きた『誰か』になりたかったんだ。
なあ、キリト。私は、黒の剣士にとっての『誰か』になれただろうか。
……っ。よかった。そうか。おまえはやったんだな。
ヒースクリフを、倒せたと。こっちでもアナウンスが聞こえるよ。
そろそろ、録音限界か。自分のことを。ちょっとだけ言って終わりにする。
私の名前は、キリガヤゴロウ。ソードアート・オンラインの、キリトのファンの老人だ。
間もなく私は死ぬことになるだろう。だけど……怖くない。恐れはしない。
この胸には、子供の頃に黒の剣士からもらった思い出がある。
老人となり、夢見た城を生きて、生きて、生きて、生きて!生きぬいて!
手に入れた宝物のような思い出が、溢れている!何一つ、取りこぼすものか!
全部を抱えて、私はあの世へと行ってやる!笑いながら、旅立ってやる!!
ありがとう、アインクラッド!ありがとう、ソードアート・オンライン!
ありがとう……キリト!おまえがどう思っているのかわからないけど!
私にとっておまえは、最高の友人だよ!!我儘かもしれないけどな!
さよならは、お別れは……言わない!君が望むのなら、どこかで会いたいから!
浮遊城に生きた者へ……生きた、者へ!
キリト!エヴァ!アスナ!オウム……いや、ノーチラス!ユナ!ヒースクリフ!
エギル!クライン!シリカ!ピナ!リズベット!ユイ!アルゴ!サチ!
クソみたいな連中だが……PoH!ザザ!ジョニー・ブラック!クラディール!ロザリア!
シュミット!ヨルコ!カインズ!グリムロック!グリセルダ!
シンカー!ユリエール!サーシャ!ニシダ!ディアベル!キバオウ!リンド!
キズメル!ネズハ!シヴァタ!リーテン!ミト……ちくしょう、一万人は多すぎるか!
録音時間の関係でこれ以上は言えないから、ここで区切る!
浮遊城に生きた者へ感謝を込めて。
誰が何といおうと、私にとって最高の夢だった!
浮遊城から旅立った者たちに。幸があらんことを願って。
以上っ、終わりだっ!……はは……ははははは!あーっはっはっはっは!!
「……パパ?パパ?大丈夫、ですか?」
「……ああ、ユイ。聞いてたのか?」
「内容については聴こうと思えば、聴音機能を調整すれば聞けます。でも、聞いてません。私は時期が悪くて直接会ったことはありませんけど、ゴロー爺さんは大切な人、なんですよね」
「っ……ああ。ああ、そうだよ。爺さんは、大切な人だ。馬鹿な爺さんだったよ。毎日のようにタバコ吸ってるし、酒だって飲むし。駄目な人の典型的な感じだったよ」
「それはまあ、否定しないわよ。あたしの前でもそんなんだった。だけど泣きながら言ったところで、説得力ないわよ。ほら、ハンカチ」
「悪い……悪い、リズ。爺さんは、本当に馬鹿だ。未来を知ってるから、救えた命があるはずなのに救えなかったって。そのことで罵ってくれって謝ってたんだ」
「そいつは……きついぜ、キリト。俺もさ。救えるものなら救いたかった命ってもんはある。結局は力不足で届かなかったことはあるし、キリの字もそうだ。爺さん……そいつは、無茶だぜ」
「わかってる。わかってても……爺さんは謝ってた。それどころか、俺と遊んでたことすら謝ってた。遊びすぎてて俺がヒースクリフに勝てないんじゃないか、って、不安だったんだよ」
「私たちと……遊んでて、いつも楽しそうに笑ってたのに。あのお爺さんは。ずっと……怖がってたんですか。そんな、そんなことって……」
「っ……爺さんに見せてやりたかったな。おまえがよ、あのヒースクリフの剣を打ち砕いて、競り勝った瞬間をよ。勝てないどころじゃねえ、文句なしの勝利を手にした姿を、な」
「爺さん、言ってるんだよ。これは自己満足だ、懺悔だ、って。俺に聞かせなきゃよかった、って。その癖にさ……最後の最後にさ、きっちりと感謝の言葉を入れてるんだよ」
「ははっ……爺さん、らしいな。あのクソジジイ、なんだかんだ言ってやることは、きっちりやる男だからな。それでさ、おまえのことを、ちゃんと呼んでるんだろう?」
「そうさ、俺のことを、友人だって。友達だって。さいこうの、ゆうじんだってさ。我儘だって?そんなことないよ。俺も、さ……爺さんと遊んでて、楽しかった思い出で一杯だっての」
「……いいなぁ、いいなぁ。男の子ってずるいなぁ。そうやって、呼び合えるんだもん」
「それで、さ……最後の最後に、皆の名前を呼んで。感謝してた。ここにいる皆の名前どころか、ヒースクリフまで呼んでたよ。それがさ、なんというかさ……」
「「爺さんらしい」でしょ?」
「……ああ、そうだな。なあ、アスナ。一つだけ……お願いあるんだけど、さ」
「えっ?ああ、そういうこと。もう、しょうがないなあ。一本だけだよ。クラインさん、ライターある?」
「おう、あるぜ。本当なら俺がつけてやりたいけど、人生初だろ?嫁さんにつけてもらいな。あ、ユイちゃんはちょっと下がっててな。あれは機械には毒だからよ」
「はい。今日だけは特別、ですよ?」
「ありがとう、ユイ。これだけ。今日だけだから、さ」
「もう、お爺さんみたいなこと言うんだから。……吸い方はわかるの?」
「爺さんから教えてもらってる」
「だから私爺さんのこと嫌いなんだよね。キリト君にたくさん悪い遊び教えてるみたいだし」
「それで反応が悪いのか……その。そういう俺も嫌い?」
「……ううん、悪くないよ。ほら、ついた。吸った吸った」
初めて吸ったその味は、口の中をざらつかせた。そして、煙の辛味が口の中を蹂躙するが、むせて吐き出すような真似はしない。記憶の中にいる、ゴロー爺さんを真似するように。
爺さんは、俺のことを。俺たちのことを。物語として知っていた。
そして。俺たちが必死に生きている姿に。俺たちが生きる世界に。夢を見てくれた。
ちょっとばかりぞっとしたけど。その事実はどこか誇らしかった。かつて、ソードアート・オンラインに触れる前の、キリトに出会う前の自分を思い出した。茅場晶彦には消されたけど、背が高くてどこか昔の勇者染みていたベータテストのキリトに夢を見ていた。
あんな自分になりたい、って夢を描いて。たどり着いた自分はありのままだけど。
それでも、俺に。キリトに。桐ヶ谷和人に。ゴロー爺さんは、夢を見てくれていたのだ。誰かに夢を見せられるだけの生き方ができていたことがとても誇らしかったのだ。
咥えた煙草が一気に灰になる。吸い方下手だな、と笑っているノーチラスや男性陣にムッとにらみつける。爺さんは、こう言ってたはずなんだよ。吸って吸って、吸いつくして。吸いきって初めて、終わるのだと。煙草もそうだけど、男もそうかもしれないな、なんて。
そうだ。俺はまだ、吸いつくされていない。まだ、生きている。まだ、戦える。
俺が望めばいくつもの冒険に飛び込むことができる。ゴロー爺さんが、茅場晶彦が、誰かが夢見た仮想世界へと俺は飛び込むことができる。そして。誰かに夢を見せられる冒険ができるのだ。
あっさりと喫いきったそれをクラインが携帯灰皿で受け止めてくれた。吸い殻はちゃんと灰皿へ。爺さんは面倒だからってSAOでは握りつぶしてばかりだったな。気持ちが分かった気がする。
かすかに煙草の煙が香る空を見上げれば、爺さんの言葉が聞こえた気がした。
なあ、キリト。私は、黒の剣士にとっての『誰か』になれただろうか。
「そうだよ、爺さん。あんたは、黒の剣士のあこがれ、だったんだ」
あんたは戦いしか知らない黒の剣士に憧れてくれた。だから、もっと強くなりたいと。一歩を、また一歩を踏み出すための力を与えてくれた。あんたに憧れられるような、黒の剣士でいたい。
俺は遊びを知っている爺さんに憧れてたんだ。あんたみたいに、毎日を楽しんで生きてゆける人になりたいと。戦い漬けの黒の剣士にはあんたは眩しくて、憧れていたのさ。
お互いにファンだったのかもしれないな。いや、そんな言い方は無粋だな。
ウォークマンからカセットテープを取り出す。そして、宝箱にしまおうとして……気づいた。中に敷き詰められた梱包材の下に何かが隠されている。全て取り出すと、包装された立方体が一つ。べりべりと剥がして、露になったその宝物に皆が感嘆の声を漏らした。
「……ったく。どうやってこんなもの作ったんだよ」
それは、スノードーム。地面には俺のエリュシデータやダークリパルサー、アスナのランペントライトにクラインの刀やエギルの斧、リズのスミスハンマーまで刺さってる。ノーチラスの剣のそばにはユナのギターが寄り添っていた。そして、地面に腰掛ける少女と竜……ユイとピナ。
それらは全て、真ん中に浮いているソレを見上げているようだった。
「ゴロー爺さん。あんたは、最高の友人だ!俺にとっても、あんたにとっても!」
スノードームの空に浮かぶ鋼鉄の城の名前は、アインクラッド。
俺たちが必死に生きた場所。そして、爺さんも一緒に生きた場所。
With gratitude to the people who live in Aincrad.
台座に刻まれた言葉は、あんたにそっくり返す。浮遊城に生きた者へ感謝を込めて。
ゴロー爺さん。あんたも浮遊城に生きた者だぜ。
だからさ、いつかまた会おうぜ。俺も、さよならは言わないよ。
あんたに自慢できる冒険を、あんたが夢を見る冒険を、あんたみたいな爺さんになってもやってやる。
そして、たくさんの冒険譚を抱えたお爺さんになってさ。
浮遊城の思い出をたくさん抱えたあんたに会いに行くよ。
久しぶりだな、友人。俺の冒険譚、聞いていかないか?なんて、言ってやりたい。
それじゃ、まずはどんな冒険をしてみるかな。
煙草の煙が空に消えた空の元で、黒の剣士は冒険の夢を描いた。晴れた表情の男を、仲間たちは笑顔で迎える。そして、黒の剣士は新しい冒険に向かって最初の一歩を踏み出す。