まず前提として、アストレア・ファミリアは多忙である。その中でも都市最強と名高いアルフィアは特に多忙で、病をものともしない身体となった彼女の“才”はあらゆる面にて役立てていた。
だがアルフィアが突出しているだけで、アストレア・ファミリアに所属する人物は例外なく多忙である。第二級以上で構成される冒険者達だ。
少数精鋭のファミリアであるが故に、個人依頼というのが非常に多いのも理由の一つ。
また、依頼がない時は巡回にて都市警護をガネーシャ・ファミリアと共に行うのも理由の一つ。
はたまたその人気性から客寄せ看板にする為に休むついでと店に引き込まれるのも理由の一つ。
そんなこんなで、事実上身体を休められるのは睡眠時や食事中程度。故にこそのファミリア入団条件の厳しさだ。他の探索系ファミリアであればギルドからの強制任務や主神の気まぐれでも起きない限りは自由に出来るのだが、基本的に自由時間というものがない。
とは言え、例えばリュー・リオンというエルフの女性が己の故郷に帰るとでも言うのであれば、当然その件は了承される。別にファミリアそのものを辞めてもいいし、都市警護中でも自身の巡回範囲という名目から外れない限りは動き回れる。
書類上は探索系ファミリアと記入されているから、ハッキリ言ってしまうとアストレア・ファミリアの行動は『自己満足』でしかない。
だがその自己満足も長く続けば習慣となる。受け入れるオラリオにとっても、行うアストレア・ファミリアにとっても。だからこそガネーシャ・ファミリアと共にギルドからの支援を受けられ、都市警護は義務となった。
だから、こうして何日もの休みが出るというのは貴重だ。それは周りからの認識も同じで、普段ならば迷惑にならない様に挨拶程度のやり取りしかしない人物達も本人達が嫌がらない程度に会話を望んでいる。
例えば一人は酒場の手伝いを。例えば一人は他派閥の団長にちょっかいを。例えば一人は医療派閥の手助けを。例えば一人はお気に入りの店へと。
そんな風に各々が行動をしている中で、
「……アイズさん。どうしたんですか?」
「……?」
「いえ、その……エルフ耳」
「ベルの好みらしいから。ロキに連れてって貰って、買ってきた。こすぷれ……? って言うらしい」
教会の地下隠れ家にて、アイズと過ごしていた。
あの時かぁ、と。目を逸らしながらアルフィアとの訓練時のやり取りを思い出していると、むふふと満足そうに笑ってアイズはベルの心臓の上で手を滑らせる。
「心拍が上がってる。顔も少し赤いよ。やっぱりこういうのが好きなんだ?」
「……はい」
「でも、ロキみたいにはならないね」
「ロキ様が何か……?」
「えっと……」
「エルフ耳アイズたんマジ神秘的! つ、次はこれ着てくれへん? これも着けて? エルフ耳メイド服メガネっ子アイズたんになってくれへん!?」と、鼻血を出して息を荒げてコスプレ用のグッズを大量に用意していたロキの様子を伝えてベルは苦笑する。
緊張気味だった表情は和らげに、微かに加速していた心拍は平常となる。アイズがそれに気付くと耳当てに触れながら呟いた。
「やっぱり、本物との差異がある?」
「そうですね。作り自体はいい出来だとは思うんですけど……やっぱり当人の意識の問題が表れちゃうんだと思います。生業にしてる人なら『成り切る』というのが出来るみたいなんですが……アイズさんの場合、着けてるだけと言いますか」
アイズさんって大根役者だから意識すればする程にドツボにハマっていくんだよなぁ、と。言葉には出さなかったが意識は伝わったのだろう。不満気にエルフ耳を外すアイズを見て、ベルは外す時に微かに乱れた横髪を撫でながら優しく笑って言い放つ。
「アイズさんにはアイズさんの良さがありますから。無い物ねだりをしても良い。無駄を極限まで熟していい。ふとした拍子に自分の欲しいものが浮かびますから、その考えは捨てなくていいと僕は思います」
無い物ねだりをしても仕方がない。
自分の求めるモノの為に無駄は削ぎ捨てろ。
強くなる為に突っ走ってきた今までを溶かす、いつも違う内容の言葉で、それでもいつも同じ声音で語られる優しい言葉。
「試したい事は何でも試して、自分に合うと思った事を手探りで探っていけば……いつの日か、自分の在りたい姿になれます。その時までは僕が一緒にいますから。寄りかかって、頼って、そして思い浮かぶ事を何でもして下さい」
「……すけこまし」
「え」
「天然ジゴロ。人たらし」
「えっ!?」
───かの英雄の、かつての決戦の時の言葉を思い出した。彼は愚直に己の想いを告げて、アイズの欲しかった言葉を投げ掛けてくれた。
そして今のベルも。アルフィアの英才教育が施されている分なまじ賢いから言い回しが上手く、それでも変わらない自分の想いと相手への思いやりがある。アイズの心を幾度となく溶かす。
側に居れればそれで良い。離れていかないならば何をしても一緒にいよう。何時だって近くにいる様に感じ取れるのだから、これ以上の高望みはしなくていいんだ。
その気持ちは今も変わらない。五年前の「はじめまして」の時から、何も。
でも、ベルがアイズの想いを尋ねるから。アイズは自分の想いとは何なのかと思考する。こうして自然と出てくるベルとのやり取りもまた本心。側に居れればそれで良いと思える気持ちもまた本心。
それでも、寄りかかって良いからアイズの良さを教えてくれと言われた。
良いのかな。離れていかないかな。自分の求めた英雄が忽然と消えていったあの日の様に、ふとした瞬間に消えて無くなるなんて事にならないかな。
そんな気持ちを抱いて塞いでいた記憶が、ただの
まさかアイズにそんな言葉を投げられるとはと本気でショックを受けているベルに、アイズはかつての記憶を重ねた。
「お母さん、みたいに」
そして、無意識に言葉が放たれる。
「お母さんみたいになりたい」
あの風の様な人に。
誰にでも笑顔を運ぶ、優しい風の様に。
大好きだった母の様に。
「……」
「───っ!? ご、ごめん……流石に無茶……」
呆然とするベルに、アイズはハッと我に帰りながら謝る。言葉通りの無茶振りだ。ベルは己の母を見たことがない。知るはずが無い。そもそも自身の記憶すらあやふやだ。朧げに楽しい思い出があるだけで、鮮明な記憶なんかじゃ無い。
何を口走っているのだろうと表情乏しく落ち込むアイズに、ベルはふと笑みを溢しながら言葉を紡いだ。
「これは、受け売りの受け売りになるんですが」
「……?」
「奇跡は在るべきだ。でも奇跡はない方が良い……らしいです」
かつてアルフィアが己の主神───
どういう事かと首を傾げるアイズに、ベルは言葉を続ける。
「奇跡というのは魅力的で誰もが惹かれる言葉です。でも、履き違えちゃいけない。奇跡というのは起こり得ない事が起こるからこそ存在している言葉なんだと」
英雄譚に力の覚醒や逆転劇というのは付き物で、それらを総称して運命と呼ぶ。言い換えれば運命を破る者……奇跡、とでも呼ぶのだろう。
なんて事のない物語のありふれた一端で、それこそオラリオの英雄は存在そのものが“奇跡”とでも言える。
「奇跡なくして起こせる事象に奇跡はいらない。理想は誰もが奇跡の無い、全てが順調に運ぶ事です」
「……無理、だよね?」
「はい。理想としては奇跡なく解決できる事。でもかつてオラリオが奇跡に救われた様に、奇跡は在るべきなんだ。もう自分の力ではどうにもならなくて、他人の力にも頼れなくて。それでもその状況を打破してくれる奇跡は、きっと在るべきなんだと」
全てが順調に事柄を運んでくれるならば奇跡なんていらない。でもどうしようも無いなら奇跡は在るべきだ。
要らないと拒みながら、いざという時には在って欲しいと言う。
非常に我儘で。
自己中心的で。
ご都合主義で。
でも、それこそ
「そして、これは『人の想い』による小さな奇跡の積み重ねで、必然なんだと僕は思います」
「ベ、ベルっ?」
「アイズさん、魔法を発動して下さい」
ベルは立ち上がり、アイズを抱き上げて自身の膝の上に座らせる。困惑した様子で問うアイズに、ベルは微笑みを絶やさずそう告げた。
目を開いて閉じて、何度も繰り返し、やがて力を抜いて背を預ける。身長差なんて全く無く、それでも体格に性別の差を感じながら、心臓の位置を合わせながら、慣れた詠唱を口にした。
「……【
柔らかく二人を包み込む透明な優しい風。出力を調整して魔法威力を皆無に、ただ靡く風の様に魔法を継続させる。
二人を纏めて包み込む風。凪の如く静かな空間。それでも確かな温かい、息吹よりも遥かに大人しい空気の揺らぎ。
ベルはそれを感じながら、ふと目を閉じる。風を感じるこの身体に染み付いた、全てを覚える【完全記憶】へと身を任せた。
魔法から意思を感じ取れる特異な
二人に確かに宿る意思が齎した必然は、確かな小さな奇跡となって現れる。
「─────」
揺れる木々の影に座っている二人。精霊の様に儚く、それでも確かに存在していた笑顔。
感じ取れるのは“意思”だけだ。記憶そのものでは無く、アイズが想う記憶の感情に触れるだけ。
でも、きっと。それだけ大事な記憶だったのだろう。小さい頃の朧げな記憶でも、強い感情はその光景を鮮明にイメージさせる。
儚く、でも強く。弱く、でも不朽で。
色褪せても尚、染み付いた想い。
時間にして何秒だろう。永遠にすら感じ取れるイメージの中で、目を開こうとする。膝の上に、腕の中に居座るアイズを感じ取って、いつまでも想いの中に囚われてるわけにもいかないと、ふと先までの光景へと戻ろうとした。
そんなたった一瞬の刹那。視界の奥で、自分と同じ様に少女を抱き抱える女性が、自分を見つめて口を開く。
───ありがとう。
ただのイメージで、捏造や干渉など出来る筈もない。知らない記憶に願望を抱く事なんて出来ない。
なのに、ベルの存在を認知したかの様にその言葉を発する女性に驚愕する。
唖然と現実に戻り、先までの光景が蘇った。ふわふわとしていた感覚は確かなものとなり、あまりの鮮明な情景にベルの思考は停止していた。
「……」
ふと、腕の中に居座る年上の少女に目を向けた。イメージの中の女性と似ていて、それでいて違うと断言できる在り方。きっと彼女がアイズの母親なのだろう。まるで精霊の様な存在なのだろう。
我に帰り己の目的を思い出して、ベルはアイズを抱き抱えて立とうとする。だが微動だにしない少女に、思わず声を掛けた。
「……アイズさん?」
そして、手の甲に零れ落ちる雫。生暖かい水滴に、ベルは立ち上がろうとする足の力を抜き、背もたれに背を預ける。その手は、アイズの美しい髪を優しく撫でていた。
「……───っ」
ドバドバと溢れる事はない。悲しくはないから。
ポツリポツリと、感極まって涙が溢れる。懐かしい感情と思い出と、確かな母の“想い”に触れて、嬉しさが結晶となって目から溢れる。
奇跡は在るべきなんだ。そして、奇跡は確かに在ったんだ。実感を持ってその言葉を心に灯す。
ベルを感じ取るそのスキルが共鳴して情景をイメージさせ、色褪せた記憶を鮮明にした。ベルと同じ光景を、ベルとは違う視点から感じ取った。
アイズは目元の涙を拭い、体の向きを変えてベルに笑顔を見せる。
「ありがとう」
「───……どういたしまして」
ああ、これは。
今のアイズは。
“お母さん”みたいになれているのだと、そう確信した。
意思から感じ取って化粧を施し近付けようとしていたが、そんな必要なんてないのだと、この風の様な笑顔を見つめて理解する。
心は高鳴り、顔は蒸気して、思わずその視線から逃れたくなってしまう。何て魅力的な笑顔なんだろうと。アイズがそれを感じ取れる事を分かっていても、逃げ出したくなってしまう様な強い感情。
壊れた人形なんて其処には居ない。
寄り添う必要も無くなった。
でも、あるべきではないと思っていた感情が同時に込み上がってきて。
───複雑だなぁ、と。ベルは天を見上げながら、己の感情を理解して苦笑した。
傍に寄り添っていなきゃいけないという義務感から、傍に寄り添いたいと想ってしまう、自分の感情に。