世界は広く、世間は狭い。矛盾しているようだが決して矛盾ではない、人によっては納得のいく言葉。
現世界最強という呼び名に相応しい義理の母親、アルフィアという女性を身近に持つベル・クラネルにとって、冒険者という見聞はとても近しいものだった。ただ英雄譚を聞きかじるのではなく、彼女の冒険に想いを馳せる。
が、ここで一つ断言しよう。ベル・クラネルはアルフィアの冒険譚に自身を重ねる妄想、言わば共感性の余地など1ミリも無かったと。
やれ「両腕が折れながらもイグアスを
理解不能だった。それほどまでの理不尽の塊だった。何なら一番身近だろうレベル3の経験ですら何を言ってるのか分からなかった。
そんなベルの困惑を理解していたのだろう。アルフィアは訓練を施す際に、自身の解を利した戦闘方法をベルに教授する事はなく、基礎だけを叩き込んだ。理由は明白。覚えていようが動きを理解できねば動けないから。故にベルはアルフィアの動きを覚えていても、それを再現する事は出来ない。才能の権化と呼ばれるアルフィアに5年もの間師事されて尚レベル3である理由は、ベルの動きが基礎に忠実すぎるが故。相手の動きへの対応で応用は出来ても自身からの仕掛けで相手を崩すには馬鹿正直すぎる。
それはアルフィアも理解しており、ベルがオラリオへ到達するまでにアストレア・ファミリアへと伝えてある。それは巡りに巡り、やがては絶対悪の下まで話が及んでいた。
英雄の在り方を一番に理解しているのは、かの理不尽を英雄の一撃で葬り去った姿を知っている
「で、どうだったかしら?」
「どうだったかしら、と言われてもなぁ……」
どうせ意見は同じだぜ? と言うかのように苦笑するかつての絶対悪、エレボスに、アリーゼは不満げに目を細める。ベルを連れてこいと言ったのは他ならないエレボスだ。はいはいと両手を挙げながら言葉を紡ぐ。
「うん、ありゃ
「……やっぱりね」
「そりゃそうだろ。魂の本質が同じであれ、目指すものが同一とも限らん。……しかしまあ、アレはアレで相当なものだけどな。詳細は知らんけど、他人の動きを自身に反映できるんだろ? アルフィアとかザルドみたいな、そもそも身体能力の格差がある動きは別として」
「守秘義務なので詳しくは話せませーん」
「チッ、協力してやってんのに……」
「……私、まだリオンを弄ぼうとした事許してませんけど?」
「アッ、ハイすみません」
幾ら絶対悪としての責務を果たそうとしたとかの理由があれど、リューの目の前で
人の人生弄ぶなよオイコラ絶対悪様? と良い笑顔で額に青筋浮かべながら喋るアリーゼに、さしものエレボスも身を震わせて謝った。アイズに剣を突き立てられるロキや、現能力は人の子と変わらないにも関わらずアルフィアに吹き飛ばされ続けるゼウスの二柱を頭に浮かべ、「最近の下界の子供って怖いな。神様泣いちゃうぜ」とエレボスはつい思う。
「うん、でもまあ通常の冒険で言えば間違いなく化けるな。考えてみろ? アルフィアが教えたのは基礎だけだ。今までは他の冒険者との接触はなく、つまるところ“技”の会得は殆どない。にも関わらず、
「基礎って、突き詰めれば怖いもんね。しかも“基礎”を教えたのは……」
「才能の権化。はは、言わば彼は
無論、基礎は基礎。技がなければ駆け引きの幅は狭くなり、相手に読まれやすくなる。それこそレベル8基準の基礎を習得しながらもレベル3の器に止まっている何よりの理由。
だが逆に言えば、技さえ覚えればレベル8の体捌きから繰り出される訳だ。予備動作や体の使い方は技のキレを左右する重要な要素。それをベルは世界最高レベルの状態で整えている。
「【
「……え、そうだったの? 通りでなんか隣にいる気配が薄いなぁって思った訳だ。なるほど」
「ありゃ……」
おいおい団長、と。アルフィアの案か、或いは輝夜の独断か。いずれにせよホウレンソウがなってないなと苦笑するエレボス。
「まあ要は、【英雄の一撃】をこそ扱えずとも、普通に対人、及び少・中サイズ程度のモンスター相手なら英雄以上の強さだろうな」
「けれど」
「ああ、それだと足りない。俺が絶対悪を演じてまで英雄を選定したのは、それだけ黒竜が絶望的故だ。だが英雄は消え行き、約束の刻は近付いている」
「……アイズちゃんやアルフィアは?」
「アルフィアは、まあ可能性はあるだろうな。一度敗北した身とはいえ、その時とは一線を画した強さを今は持っている。継続性って意味でな。
アイズの潜在値や成長速度を考えればアルフィアに勝てても決しておかしくない。だが勝てない。それが英雄足りえない何よりの証拠だとエレボスは一度溜め息を挟んだ。
英雄を求める少女でありながら、その想いで己を強くした少女。英雄の素質を持ちながらも英雄から程遠い状態にあるが故に、アイズは至らないと判断した。
「アルフィアの場合は……どうだろうな。俺も分からん。更なる昇華を果たせば勝てる可能性はより上がる───筈なんだが。何だかな。可能性があると思っている筈なのに、同時に勝てないという確信がある。……んー、や、違うな。
「……あー、なるほど」
全知である筈のエレボスの自身に困惑した様子を見て、アリーゼはその気持ちを理解する。それは先程の話同様、理屈なんかではなく。
「肩入れしてるって事ね。ベル君に」
現在のベルの“想い”を理解している
その言葉を聞いて数秒。はっと思い出した様にエレボスはキメ顔で笑って言葉を紡ぐ。
「もちろんアリーゼにも英雄候補として期待してるぜ」
「うわ、きもっ」
「ひでぇ……」
遠征までの日は短いが、決してダンジョン探索が不許可になった訳ではない。ベルの場合は例外としてアストレア・ファミリアの誰かを側に置かねば許可されない事になっているが、別に彼女達も地上に縛りつけようという気は更々ない。休みの人に話し掛ければ好意的に頷くのが殆どだろう。
お昼前までのリューとの
「……ええ、丁度いい。遠征前に一度はダンジョンへ行く予定なのは貴方が来る前から決まっていた事です。本来ならば1人でも問題なかったのですが」
「ぅ……」
「まあ、もう一つの予定を巻いてもいいでしょう。同伴もある意味タイミングが良かった。例の武器を持たせる見極めにもなります」
例の武器。ベルはその言葉を聞いた瞬間、緊張しないように少し距離を置いていたリューに目を輝かせながら近付いた。
「ぶ、武器ってあのアストレア・ファミリアに置いてあるかつて英雄が使ったとされるあの武器ですか!?」
「え、えぇ」
幾度となく味わった英雄に関する話を聞いた時のアマゾネス達の様な圧。種族も性別も、ましてや性格なんか似ても似つかない筈なのに、英雄と聞いた瞬間にこれだ。
アマゾネス達の光景を思い出して思わず顔を引き攣らせると、その様子を見たベルはハッと我に帰り、身体を近づかせた事に一度顔を赤くし動揺。また普段のリューの表情との乖離点、微かに引いてる様子を見て顔を青くし身体を引き離して頭を下げる。そんなベルの行動を理解したリューは頭を振って謝罪はいらないと言った。
「ああ、いえ。別に近付かれたのが不快だったという訳ではありせん。……話を戻しますが、英雄の武器といっても彼本来の主武器とはまた別のものです。あの決戦の為に用意した三つの短剣が、今アストレア・ファミリアに存在する例の武器に当たります」
「【
「はい。まあ銘を付けたのは英雄ではなく、私達ですが……」
正確には英雄が使っていた時は無銘の武器だ。英雄が去った後に、アリーゼと輝夜とリューによってそれぞれ付けられた武器銘である。
「今回は【
「
「その通りです。壊れない
では準備を終えた後、ダンジョンへと向かいましょうという言葉で締め括り、装備を整える為にリューはアストレア・ファミリアへ。ベルはアルフィアと暮らす教会へと向かった。
ベルは普段アルフィアとの訓練をする際に着用する装備に加え、ポーションを仕込んだポーチと、普段は見かけない
「え、と……気になりますか?」
「ええ。貴方がオラリオに来た際に持ってきたアイテムの中にその様な装備はなかったと記憶しています」
「オラリオに来てから貰った装備なので」
「なるほど」
「輝夜さんと他派閥への挨拶に向かった時、ゴブニュ・ファミリアの方から渡されたんです。試験も兼ねて使ってみて欲しいって」
アルフィアとの訓練で既に使用感は把握しており、ゴブニュ・ファミリアの人達には一通り報告してある。装備も返そうとしたが、「開発試験に付き合ってくれた礼」との事でプレゼントされたので、折角だから使おうと装備してきた訳だ。
ベルが披露する様に手首を曲げると、刃が飛び出した。グリップはなく刃は籠手に固定され、その全長は手首から指先の長さ程度。手首を元に戻せば自動的に刃は収納される。
「ほう……」
「手首を曲げる・伸ばすだけで武器の取り出しと収納が行えるので、結構便利なんです。まあ中の刃を交換したりするには面倒ですし、改善の余地はあるとゴブニュ・ファミリアの方達は息巻いてましたけど」
多少武器性能にも難ありだが、それは素材次第でもあるし、何より知恵の回るモンスター相手ならば隠し武器というのは非常に効果的になる。個人的にはかなり気に入ってるんですとベルが機嫌よく言えば、リューは「確かに貴方が好みそうな装備だ」と微笑んだ。
無論、ふとした瞬間に刃が飛び出ては危険な為、セーフティの機能は付いてある。ベルは籠手に付いているロックをカチリと動かし左手を振って念のために確かめる。刃は出ない。ロックの解除はダンジョンに入ってからだ。
よし、と頷く。では行きましょうというリューの声掛けのもと、二人はダンジョンへと向かった。
「今回向かうのは中層。もちろん階層主の階を抜けるつもりはありません。あくまで
「はい」
「ダンジョン探索の経験がない貴方にとっては中層でも危険ですが……最悪私が対処しますので、先ずは貴方のやり方で探索を進めて下さい」
アルフィアから出来る限りの知識と知恵を継いだ。レベル8の経験を伝えられたベルに今更“予習”は要らないだろう。現在彼に必要なのは経験を積ませて、アルフィアからの知識を自分の知識とする事だ。
今のリューはあくまでもサポーター。ベルが求めるならば必要な助言はするが、基本的には魔石の採取に専念するつもりだ。
「それと私が扱えるモノに厳選はしてありますが、武器を揃えました。弓・直剣・刀・メイス……くらいなものですが」
「通りで普通よりバックパックが大きいと思いました」
複数の装備を用意すれば当然嵩張る。大きな荷物を背負うリューを見てベルは苦笑し、凄く世話を焼いてくれるなぁと嬉しく思う。
「弓と、矢を三本ほど貰っても良いですか?」
「三本ですか? 矢筒も用意しているので、全部を装備出来るようにはしていますが」
「あくまで試したい事があるだけなので」
ベルはつま先で地面を叩き、腕を伸ばしてストレッチ。そして一つの詠唱。
「【
増幅・強化・遮断。三つの内の一つ、強化。発現したての頃は増幅と効果が被っているのではと思ったモノだが、試行錯誤する度に全くの別物だと理解した。
増幅と遮断はその名の通りのシンプルさだ。増幅は音の増幅。鳴らす音を大幅に変化させられる。遮断は音を消す事。会話内容の盗聴を回避する事が出来るし、足音、服が擦れた時の小さな音さえも遮断する。
だが強化は別物だ。増幅が音“を”変化させるモノであれば、強化は音“で”、或いは音“への”変化を可能とする。
例えば現在ベルが行なっているのは索敵の為の聴力強化。他にはシンプルに“音”という属性を乗せただけの
何より恐ろしいのは、この付与の対象は生物に限らない事。
「……三体。
現在近くにいる……というよりは、ベル達を目掛けて近付くモンスターの数を把握したベルは、その方角を見つめ武器を持たずに両手を構える。
そして、モンスターの姿が見えると同時に───
「【
両手を叩く。ただそれだけ。
リューはベルの行動を見て耳を塞ぐ行動を取ったが、想定していた爆音は響かない。いや、正確には、想定していた爆音が
リューの思考通り、ベルの手で叩いた音はモンスターの背後にのみで増音した。これがベルの魔法の利点。鳴らす手に付与魔法を掛けるのではなく、音が届く範囲に魔法を付与する───音が届く範囲であれば、全ての音の増幅・強化・遮断を可能とする、無機物にすら付与できる魔法。最早音の結界と呼んでも良い。
突然の背後からの爆音に驚いたモンスター……上層である十階層のインプは振り向き、
「【
その一瞬でベルは脚と弓、そして矢に遮断を付与し近場の壁を蹴り宙返り。インプの視界から外れた遥か上空で身を翻し、天と地を逆さにしながら矢を放つ。
視界が霧で見えづらい場所だが、ベルは完全記憶により地形を把握しており、かつ掛け直した聴覚の強化によりインプの位置を理解している。逆にインプはベルの補足が叶わず、視界の霧が邪魔して戸惑いを生む。
放たれた矢は静かに突き進み、インプを穿った。
「……マジですか」
レベルが低い相手。勝てて当然だというのは前提とし、今の一連の流れを振り返る。そしてベルの呟きを思い出し、「まさか」とは思うものの推測を続けた。
(索敵、戦闘能力は勿論……だがそれ以上に予知能力が想定以上だ。彼は索敵を始める前に三本の矢を要求した……つまり、索敵する事なく相手が三体であると予知していた事になる。時間がある時にダンジョンでの記録を漁っていたのは知っていた、が……)
まさか、ダンジョンの構造の把握のみならず、
「リューさん、弓ありがとうございます」
「……ええ。それと一つお聞きしても宜しいですか?」
「? はい」
「アルフィア曰く、武器の基礎は教えたが技は教えていないとの事でした。が、今の弓の扱いは明らかに基礎から逸脱した“技”です。誰から教わったのですか?」
ベルが自由に出来る時間はそれほど多くない。これはアストレア・ファミリアに居る全員に共通する事で、それこそ今の様な休暇だったり、夜の時間帯でない限りは正義のファミリア故の仕事がある。
そしてベルは休みの時間はアルフィアとの訓練だったり、それこそダンジョンの記録に目を通してるくらいだ。巡回がまともに休みなのは今日が初であり、自由に出来る時間は殆ど無かったと思って良い。
「ええと……教わった訳じゃなくて、見て覚えたんです」
「……見て、覚えた?」
「はい。輝夜さんに連れられてファミリアの挨拶に向かった時に、アルテミス・ファミリアの鍛錬を見ました。で、身体の使い方を記憶して……自分に合う身体の扱いに修正してやってみました。
ほっ、と。ニヘらと気の抜けた笑顔で一息吐くベルを見て、リューは戦慄を覚えた。
(……そうか。完全記憶ともなれば幾度となく完璧な光景を思い返せる。レベル3の視力ともなれば、筋肉の膨張、腕の動かし方、体幹の保ち……その全てを覚え、自身に反映できる)
とは言え。
(ぶっつけ本番……? 例え覚えたとしても、それを実践に活かせるかは別の問題だ。私自身、輝夜の技を訓練で扱えたとて、実戦では到底彼女に及ばない。……アルフィアが教える基礎が基盤になっている?)
アルフィアが基礎を徹底して教えたのは、どんな技であれ完璧に熟せる身体作りの為。ともすれば。
(今のクラネルさんは、一度技を見ただけで完璧に模倣───いや、自身に修正したともなれば、自身の技とする事が出来る。技を見るだけ、彼は強くなる)
もしアストレア・ファミリア……否、このオラリオのそれぞれの極致をもその眼に収めたのであれば。
「……末恐ろしいですね」
「へ?」
レベル8を相手に幾度となく経験を重ねたが故の、本番に物怖じしない度胸。相手の模倣ではなく自分の動きに出来る完璧なまでの身体操作。情報を溢さない完全記憶で、相手より確実に駆け引きで勝る圧倒的なアドバンテージ。
あまりにも冒険者として必要な素養が揃いすぎている。いや、揃えたというべきか。一体どれだけの無理難題を与え続けたのか───レベル8の本気に一撃をレベル3の身で当たり前の様に躱す事実を顧みれば、最早想像もしたく無かった。
一体誰が、この姿を見て「才能がない」などと思えるのだろう。
「いえ……少し見誤りました。今日を通しての見極めなど必要もなかった。クラネルさん、これを」
「え、ゆ、【
「はい。持つべき……というよりは、持たせて技の経験を積ませる方が良いと判断しました。中層まで行く予定でしたが、今日は帰って私の出来る限りの技を見せましょう」
「……僕、短剣の扱いはまだ見せてない様な……?」
短剣の扱いが問題なければ与えてくれるという意味ではなかったのか? と、そう困惑するベル。だがそんな困惑も、受け取った短剣に目を奪われて掻き消える。
「あ、でもちょっと待って下さい」
「はい?」
「この後、数十分後くらいに
「…………わかりました」
あくまで推測に過ぎなかった『モンスターの生み出される周期を把握している』というものが、今の言葉でリューの中で確信に変わった。
完全記憶と、覚えようとする努力。幾ら一度見れば覚えられると言っても、覚えるという動作が疲れるのは変わらない筈だ。
やはり末恐ろしい。再びリューはそう思う。