───下界は絶望に立たされていた。あらゆる悪は街を滅ぼし、被害を甚大にする。死者が出た。建物は崩れた。希望は、段々と薄れていった。
でも諦めない。正義は存在して、脆いながらも足掻き続け、やがてその街には『英雄』が現れた。彼は宣言する。「もう死者は出さない」と。そして彼は成すのだ。正真正銘、『不殺の英雄譚』を。
その脚は速い。自爆覚悟で突っ込む“悪”さえ助ける様に、その自爆装置を取り上げながら駆ける。その末に強大な敵ともぶつかるが、勝利の鐘の音と共に放たれた一撃が敵を撃ち返す。
そして、二度目の戦。英雄の意思は伝搬し、多くの者はその意思を受け、自分も、次は自分もと立ち上がる。でも、たった一手で戦況はひっくり返った。なんと神様が喰われたのだ。不思議と神の力を使用できる、神を喰らった怪物は、その権能を余す事なく使う。多くの怪物は比にならないほど強くなり、英雄の意思を受けた者達も心が折れていく。
けど、英雄の意思を受けた正義は決して折れない。立ち向かい、勝利し、必ずや英雄に繋げて見せると宣言して見せ。やがて流れる『勝利の鐘の音』に背を押され、立ち向かう。
英雄も一度は折れた。立ち向かう術などないのだと。一人では無理だと。その時に味方が現れて、笑いながら頼み込む。力を貸してくれと。仲間との協力を経て、『英雄』は怪物を倒し、神様を助け出す。『英雄』は文字通り、誰も殺さず、誰も悲しまず、苦しまず、笑顔の終焉を迎えたのだ。
「……この英雄は、ほんとうにいたの?」
「ああ、居たとも。まあこの物語を終えて何処かへと旅立ったが……彼に助けられた者、勇気を与えられた者は、数多く『冒険者の集う街』にいる」
「いっぱいヒロインがいたのに、どこかに行っちゃったんだ」
「そうだな」
「このヒロインたちは、いまも『冒険者の集う街』にいるの?」
「ん? ああ、殆どは其処にいるだろうな。或いは───」
白っぽい銀の髪を揺らす女性は、白髪紅目の少年の頭を撫でながら、その質問に答えた。
「英雄の卵に寄り添って生きている……かもしれないな」
「───死ぬかと思ったわ!」
「……自業自得だ。単身で深層に突っ込む馬鹿がいるか」
赤髪と黒髪の女性は対比の感情を見せながら話し合う。一人は嬉々としながら、一人はゲンナリとしながら。
黒髪の女性が文句を垂れる様に疲れた様子で放てば、赤髪の女性は片目を閉じながら文句ありげに口を尖らせながら反論した。
「私よりもバカはいるわ!」
……そうそうおらんだろう。黒髪の女性の率直な感想を言えばそうなるのだが……そう、
兎の如き容姿。それを認識した黒髪の女性は、深く、ふかーく溜め息を吐き、納刀した刀をその少年に思いっきり振るう。
鈍い音。間違いなくタンコブが出来たであろう衝撃。少年を抱えていた赤髪の女性は浸透した衝撃に「ぐふっ」と声を漏らしつつも、自分への罰混じりだろうかと文句は言わずに受け入れた。
少年は激痛に頭を押さえながら飛び起き、刀を振るった姿勢の黒髪の女性を認識し、恨みがましい目で見る。
「いっ〜〜! 何するんですか輝夜さ───ひっ!?」
……恨みがましい目なぞなんのその。怨念でも込められているのかと問いたくなるほどの鋭く冷たい目つきで睨みつける“輝夜”に、少年は文句も言えず子兎の様に震える。
「何を……? 此方の台詞だぶぁーかめッ! 良いか、
「うぐ……け、けど……」
「けどもクソもないわ戯け! 依頼だったから? 救出依頼だったから時間が惜しい? それで死んだらタダの無駄骨だ! 自分ができる範囲を間違えるな!」
輝夜は言い終えると、縮こまっている少年に短く溜め息を吐き、キッと隣を睨みつけた。
「そして団長も団長だ!
「……みんなとの思い出が無くなるのは嫌だわ!」
「ならば少しは落ち着きを覚えろ……団長は兎も角、私とリオンがいなければ、この馬鹿者は死んでたぞ?」
馬鹿者と指差された少年は「う」と心を穿たれる様に声を洩らす。自覚はあったか。ならば何故だと再びジト目になるが……答えは決まってる。少年の願いを思い返した輝夜は額に手を当て深く溜め息。
やがて近寄って来た足音に反応し、輝夜はそちらに視線を向けた。
「リオン、依頼の者達は?」
「衰弱しては居ますが、命に別状はありません。発狂されても困るので、取り敢えず睡眠薬で眠らせましたが……」
「ああ、良い判断だ。比較的安全なスペースとは言え、下手に暴れられてはダンジョンが牙を向く」
「……貴方の声も結構大きかったですが」
「……」
呆れた様に言葉を吐くリオン……リューに視線を合わせない様、輝夜はプイッと横を向く。リューの言ってることは正しいけど、同時に輝夜の説教も間違いではない。何より心配していたのは目に見えている事。あまり責める事でもないと判断したリューは、赤髪の女性へと視線を向けた。
「アリーゼ、一先ずコロシアムの方は魔法で天井を壊して落石させ、入り口を塞ぎました。例のモンスターが出るには……」
「ん、全然平気。ウラノス様から聞かされる限り、何階層かに盛大なダメージを与えない限りは現れないって。削る程度なら問題ないわ。尻拭いさせちゃってごめんね?」
「……私は構いませんが、輝夜は」
「公衆の面前で土下座五時間で許しを請うわ!」
「私への罰ゲームだろ、それ」
輝夜は頭痛がした様に顔を顰めて呟く。
「……さて、クラネルさん」
「ひぅっ……は、はい」
「……輝夜から散々に怒られたでしょうから、私からは多く言いません。取り敢えず───貴方が無事でよかった」
「あ……う……〜〜〜っ」
顔をボンッと赤くした少年……ベルは、リューの笑みを直視出来ずに顔を俯かせる。……相変わらずだと苛立った輝夜は、足蹴りをベルの尻へと放った。
アストレア・ファミリア。今や最強派閥の二角、ロキ ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアに次ぐファミリア。団員構成はレベル5が三人にレベル4が八人。そして
正義の派閥とだけあって、そのファミリアへと入団を希望する者は数多い。
───下心が丸見えだ、戯け。せめて自分の正義を確立してから来い。
───街の巡回、孤児院へのボランティア、ガネーシャのとこと協力して時折警備員、幅広い技、戦闘に限らず出来ることを増やし、かつ戦闘能力は高く。四年以内にレベル3まで上げてこれらをマスターするなら文句無しだな。じゃないと足を引っ張るだけだ。
前者は男性に、後者は主に女性に。ファミリアトップ2の厳しさを持つ輝夜とライラによる面接での見極め。これにより全ての冒険者は落ちている。
そういった理由で、
しかし、意外な事にもそれを望む冒険者はいない。ハードルが高いとか主にダンジョン探索をしたいからとかではなく、それぞれが願望を胸に抱いているからだ。
そう、願わくば。またあの正義の派閥に、英雄の姿を置きたいと───。
白髪と紅眼は英雄の象徴であり、鐘は勝利を示す栄光の音。それが迷宮都市の共通認識であり、近年の誇りだ。そう、故に。
「───おおい君ッ、ウチのファミリアに入らないかい!?」
「いや俺だ、俺のファミリアに入らないかッ!?」
「ふふふ、この結末は神のみぞ知る……だが神が関与すれば全ては崩れ去る! そこの白髪少年、我がファミリアへ!」
そして不幸な事に、慌てて路地裏へ駆け込もうとすると強力な風が彼を襲う。駆け込もうとしていたからフードを掴む暇はなく、バッと顔が現れた。そしてそこには英雄と同じ姿。当然注目は集まるだろう。
ただ、その少年がかつての英雄でない事は明白だった。幾ら恩恵が若さを保つ事を出来ると言っても、未成熟のままでいられる訳ではないから。かつて童顔だった英雄は、七年も経てば青年と呼んで良い年齢となる。少年とは呼べない。ただ、目の前の彼は正真正銘、あの時の英雄と全く変わらない“少年”の姿。
故に多くの人は別人として彼を見て、しかし白髪紅目というかつての英雄と同じ容姿を持つ彼を縁起が良いと認識して勧誘している。
その上でだ。
「少年! 名前は何と呼ぶんだ!?」
「べ、ベル・クラネルですッ!?」
神威と迫力に圧された少年は思わず名前を名乗ってしまった。ベル。姓は兎も角、その名前はかつての英雄が
勝利の鐘の音を鳴らした『英雄としての名』には相応しいし、かつての英雄が多くの名を有していた例はある。だから特には疑問を抱かれていない。ただまあ、この場に於いては『英雄の名前』というのが重要であり、姓に関しては特に疑問視されず。
「よっし連れて帰るぞ! 攫え攫え! 来たばっかなら恩恵は無いはずだ! レベル2の力もあれば行けるだろ!」
(誘拐!? う……いやでも、
ベルの伯母は言っていた。「オラリオの連中の勧誘を受ける真似があれば、追い払え。奴らはゴキブリみたいな生命力だから死にはしない」と。
装備はある。ただ獲物を使うのは傷付けさせるのと同意だから、素手で払ってなんとか逃げ出すのが吉か……。そう思考して脚を一歩下げて跳躍する準備。しかし。
「【
一つの詠唱が聞こえた途端、ベルは反射的に耳を塞ぎ伏せた。聴き慣れた超短文詠唱。ただ聴き慣れた詠唱より
倒れ伏す多くの神、冒険者達の奥に立つただ一人。銀髪の女性を見て、ベルは嬉々とした表情で近付いた。
「おば───」
ドゴォッ───と、とても人から鳴ってはいけない音を鳴らしながらベルは倒れ伏す。折角魔法を回避したのに無念。だが自業自得である。
ピクピクと全身を痙攣させるベルに、銀髪の女性は一言。
「私の事は?」
「お
よし、そう女性は肯く。
「この数日で鈍った……なんて事はなさそうだな。安心した」
「……いやまあ、8歳の頃から受け続けてたら流石に反射的に」
「愛故だな」
「身体に染み付いた恐怖だよ」
うんうんと肯く義母に対してベルは半目で見つめつつ、周りに視線を移して問い掛ける。
「これ、大丈夫なの?」
「ん……安心しろ。
そう。オラリオ唯一のレベル8。アストレア・ファミリアに身を置いているのは、ベルの伯母。アルフィアだ。かつてヘラ・ファミリアに所属していた才能の権化。一度悪としての立場を経ていた彼女だが……同じく悪に位置していた【
アルフィアは一息。
「さて、では私のファミリアへと行こうか」
「ふふーん、漸く“私の”と言えるようになったわね! いつもいっつも「私に正義は似合わない(ションボリ)」って言ってるから、団長の私としては嬉しいわ!」
「……ションボリはしていない」
ベルに手を差し伸べたアルフィア。その背後から聞こえてきた声に、ベルは目をパチクリとさせる。団長……アルフィアが所属しているファミリアの団長だ。つまり、
アルフィアは溜め息を吐くと、ベルの手を取って歩み始める。ベルは困惑しながら問いた。
「あ、ちょ……この人は?」
「気にするな、ただの雑音だ」
「え、音!? 生物ですらなく概念的な扱いなの!?」
耳障りだと言わんばかりに顔を顰めるアルフィアの言い草に、赤髪の女性……アルフィアが所属するアストレア・ファミリア団長、アリーゼ・ローヴェルはガーンと効果音でも付きそうな表情でショックを受ける。
「……まあ煩わしいのは否定出来んがな」
「輝夜までぇ……」
「わ、私はアリーゼのそういう所を気に入ってます……いやでも時折面倒なのは否定出来ない……」
「ちょっとは取り繕ってよリオン!?」
───あ、金髪エルフだ。ベルはリューの姿を見ると全身を硬直させ、呆然と思考する。やがて顔を真っ赤にして慌てた。
リューは不思議そうな表情でベルを見つめ、一歩前進。ベルは一歩後進。リューが二歩前進、ベルも二歩後進。───避けられてる。何故だ。リューはオロオロ、ベルは目をグルグル。
アルフィアが一息吐くと、ポツリと呟く。
「……やはり性癖は矯正すべきだったな」
取り敢えず一発頭を叩いた。