文学フリマ東京41に持って行く本 3
2025年11月23日(日)に、ヒラヤマ探偵文庫JAPANで、東京ビッグサイトで開催される文学フリマ東京41に持って行く本の紹介、3日目です。3冊目になります。今日で、持って行く本の紹介、すべてです。
中村進治郎『少女モダン講座』
大正の終わりから昭和九(1934)年にかけて、時代を走り抜けたモダンボーイがいました。
彼の名を、中村進治郎といいました。
不良少年上がりでしたが、ハンサムで身だしなみの美しい彼の姿は、多くの若い女性を惹きつけました。彼は文章も書き、映画関係の文章や短い小説などが売れるようになりますと、吉行エイスケ、北林透馬らのモダーン派作家の仲間入りをして、ナンセンス文学にも筆を染めるようになっていきました。
明治40(1907)年、進治郎は、横浜の菓子商、中村栄次郎の次男として生まれました。大正9(1920)年、吉田高等小学校を卒業。父は、進治郎が子供の頃、なくなっていたようです(一説によると、料理屋の娘と駆け落ちしたともありました)。
進治郎は、大正12(1923)年9月1日に起きた関東大震災の前まで、横浜の逓信省電信電話技術官駐在所の給仕として働いていました。この頃、タバコや夜遊びを覚えたらしいです。
震災後、彼は家を飛び出します。進治郎を厳しくしつけようとする、母との折り合いが悪かったからです。彼はその後、浅草の常設館「大東京」で活弁の見習いになりました。弁士見習いとして、地方を巡業することになり、美貌の彼はどこへ行ってもモテます。そこで、酒と女を知ることになります。長野では、芸者と駆け落ちをしたということですが、すぐに別れて京都に行きます。そして、また東京に戻ってきました。
一方で、彼は文章を書くことに興味があり、そちらで世に出たがっていたようです。大正14(1925)年、進治郎は、詩人としてデビューしようとします。佐藤輝子、野村達二、北村英子らと、詩雑誌『アンデパンダン』を、横浜の本牧から創刊しようとします。しかし、うまくいかなかったようです。
昭和3(1928)年1月には、松竹映画のPR雑誌『蒲田花形』編集部に職を得ることになります。実はこの雑誌、彼一人で全部やっていて、発行していたらしいです。昼間は、蒲田の松竹撮影所にたむろしています。夜になると、きまって仲間とともに銀座に出ます。彼は、この頃から、盛り場をうろつくことで、寂しさを紛らわそうとしていました。そう、彼はたいへんな寂しがり屋だったのです。
これが、のちにおこしたムーラン・ルージュの歌姫との心中事件につながっていくのでしょう。この事件に関しては、以下の記事で説明しています。
さて、この進治郎の生い立ちには、続きがあります。
それを、今回、発行する中村進治郎『少女モダン講座』の解説「モダンボーイ中村進治郎の文業について」に書きました。そこでは、昭和3年から昭和9年までの進治郎の書いた30数編の作品名をあげました。内容についても、少しだけ触れています。全部で7ページも書いてしまいました。ごめんなさい。
興味のある方は、ぜひ、文学フリマ41の会場に来られて、手に取ってみてください。
なお、通販も予定しています。詳細は後ほど、お知らせします。


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