KuroroさんのTwitterから、彼が4強になるまでの道のりや、出会った強者との思い出話をまとめました。
著作権は全てkuroroさんです。
Part1はこちら
Part2はこちら
Part3はこちら
Part4はこちら
Part5はこちら
いくつか忘れていた話があるのでタイムスリップ。1999年、新規ぷよらーが居なくなって久しい時、どっぺる君が新人として現れ一気に強くなります。しかし2001年途中に消えます。2003年?ヒロ君(さくおた)も失踪。2004年、わいあいさんと知り合います。
わいあいさんとはまだ互いに敬語で仲良くなるのは暫く先になります。
2005年、久しぶりに名古屋大会へ。記憶が曖昧ですがこの時にFALさん宅に泊まり、一緒に泊ったあんこみちゃんと他人だったのが一気に仲良くなります(2003年くらいかも)。ALFにも久しぶりに会います。…2004~2005は記憶曖昧で正確かは不明です…。
2005名古屋、しゅんぺーちゃん(ALF)と久々に会い復帰を熱望される。当時ミスケンが消えて以降、くま、亀、ALF、そして繰り上がりでKuroroがトップ層に君臨、その↓とはかなり差があり三宅君→sosen→しろま&FAL、という順位だったと思う。
再び2005、2ぷよから生まれた強者トムソンとmas君(2003年以来)がAC業界に現れ、しろまさんを遂に下す。当時にとってこれはかなり衝撃的だった。更にmas&トムソンはACの速度が非常に遅いのも衝撃的だった(この数年後も遅い)
そしてその後を追うように2ぷよからのっくす、かんたた(サイバーサウンド)が現れ、これにトムソン&mas君を入れた『若手第一世代』の四人として上位層から注目される。ぷよ復帰を目指していたワタシは結局あまりやる事は無かった…が、大会には行くようになった。
ワタシは大会に行くものの参加はしなかった(何度も強制エントリーさせられたが)。モチベが無かった代わりに2ぷよで色々な人にぷよを教え、総勢50人以上に教えたと思われる。ちなみに階段5連鎖から折り返しまで教えて1日で5時間教えた事もある。
教えた人達は殆どいなくなってしまったが、タカチン君、nyan2という二人だけは残り、素人から階段折り返し→GTRの定形までを教え忠実に習得し、同レベルの中でもしっかりした強さを身に付けた。暫くしてやめてしまった二人だが、今も交流はある。
2005年、色々な大会には行きながら参加しないワタシは、2ぷよで知り合った中級者の方々を各地の大会等に誘い、会った人達に持っていたミスケンビデオ(2003年に遊びに行って録ったヤツ)を約10本全てあげて回った。ダビングしてないマスターテープだった。
この年代だったはず。久しぶりにセブンアイランドの対戦会へ。すると新人であるトム君が初上陸。正直20歳くらいにしか見えなかったが16歳くらいだったはず。雑な土台ではあるもののしっかりと考え、独創性ある連鎖を使っていたのをハッキリ覚えている。
このトム君を見たワタシとしゅんぺーちゃんは『彼、間違いなく上位に上がってくるね』とその場で話したのを覚えている。まだ当時はトリプルスコアくらい差のある時の話だ。これも2005…だったか?再びセブンアイランドの話。多分トム君参上から数ヶ月後のお話を。
再びセブンアイランド。メンツは誰だったか…Kuroro、ALF、大分強い人3人くらい。その日、再び新人がやってくる。皆さんご存知、後の絶対王者となるモモケン君だ。彼はフィーバー出身?だったらしいがワタシは知らなかった。(そういやトム君は何出身なんだ?)
モモケン君はこの日、AC初参戦。彼が座り強者5~6人の内1人が乱入。初戦、モモケン君のとにかく操作が上手い!初めて触ったとは思えないレベル。慣れてきたトムソン&mas君のACより早かった。更に驚く事に、立て続け6人全員抜き。鮮烈なるデビュー戦だった。
モモケン&トムに関しては2006年かもですが、そして2006年になります。遂にワタシは前線復帰を誓い2003年以来上達するためにまず腕を戻し、やり込みました。2006年春、亀ちゃんと家庭用ですが100本先取りを2回する事になります。
あんこみ君もいる中での連戦。実はワタシにとって初めて亀ちゃんとの100本先取りでした。初日は100対95で負け。しかしワタシは勝てる!と確信しました。あまり良い状態では無かったからです。そして翌日、再び100本先取りをします。
亀ちゃんとの2度目の100本先取り、結果は89対100。ワタシは勝ちました。この時の動画はレオル君が無くしていなければ持っています。後、ニコニコにあるスーファミのワタシが合体上手いヤツ(試合本数少ない動画)も、この時の動画です。
話の焦点は暫くワタシへ。2006年、ワタシは亀ちゃんと五分に渡り合えた事で再び自信を取り戻し大会も参戦します。君らのズーカローヤやお兄ちゃん(勝手にエントリーさせられた)のもこの時期。そして、人生で初めてAC筐体での100先を亀ちゃんに挑みます。
結果は100対91で負け。実は当時、調子が悪いと思い動画はニコニコへアップせず封印。今はニコニコに上がっていて見直すと調子悪く見えませんが…やってる時は凝視が不安定に感じたのかも?この時期くらいに、ダンデが若手第2世代として最初に頭角をあらわします。
2ぷよ時代ダンデの弱い頃は知っていて、センスとしては普通だと感じていたので、驚きました。2006年AC亀戦後、大分上達したFALさんともAC100先をやる事に。不調でしたが100-89で下し、悪くても負けないという完全4位の座を確固たるものにしました。
2006年は亀対ALFが良く連戦をし、毎回しゅんぺーちゃんが確実に下していました。僅差の場合も稀にありましたが大体100-80くらいで、差が開いた時は100-66という差で亀ちゃんを寄せ付けませんでした。くま対ALFはくまが確実に下していました。
記憶が曖昧ですが、亀ちゃんはかんたた君やダンデに挑まれ100本先取りをやっていましたが、100-70くらいで下し、2006年以降くま→ALF→亀→Kuroroの順で4強とし(実質2004年ミスケン引退後からだが)、暫くこの四人が君臨し続けます。
しかし、ワタシはミスケンやy氏が居たらその場には居なかったと思っていたので、頻繁に…いやたまにしか図に乗りませんでした。
同年2006(多分)、久しぶりに千葉君がくまちょむと何故かフィーバーを対戦します。ニコニコにある、くまちょむVS愛がその動画です。

2006年、Kuroroが亀ちゃんとは連戦しながらALFやくまちょむに挑まない理由は『勝てる部分、見込みが無いから』でした。合体手順や技術の部分では勝てている部分もあったりはしましたが、実力に直結する技術で圧倒的に劣っていると感じ、挑みませんでした。
1997年以降、ワタシはミスケンの影響で不定形を練習するようになりますが、ワタシは序盤3~4手目の配色で組める形を3~4パターンに絞り、それ以外の形にはならないよう徹底的に私的化の練習をしました。図の二つの連鎖は似てますが全て別と捉えて練習しました。

2~3ヶ月徹底的にやり、自身の中で一番得意な形になるまでやり、一番得意な形になったモノは卒業、ツモに合う違う形を再び取り入れ必ず3~5パターン以上にならないように練習、途中空白はあったものの、それを延々2006までやり続けます。
折り返しの向きを変えて練習もしました。いつしか殆どの簡単な土台は洗練された手順で出来るくらいに習得、まだ誰もやっていなかったリバーシブル土台を練習したりもします。周囲との差別化のため真似されない事をしたかったからです。
自分達4強はこの様にお互い練習のため対戦し、研究し合ったりは決してしませんでした。皆、単独の練習。結果的にそのやり方がそれぞれの個性化に繋がり、全員が全く違うスタイルになったんだと思います。
しかし、後にこれは裏目に出ます…が、それはまだ先の話です。
ぷよぷよ4強、Kuroroさんによる昔話 Part7へ続く
著作権は全てkuroroさんです。
Part1はこちら
Part2はこちら
Part3はこちら
Part4はこちら
Part5はこちら
いくつか忘れていた話があるのでタイムスリップ。1999年、新規ぷよらーが居なくなって久しい時、どっぺる君が新人として現れ一気に強くなります。しかし2001年途中に消えます。2003年?ヒロ君(さくおた)も失踪。2004年、わいあいさんと知り合います。
わいあいさんとはまだ互いに敬語で仲良くなるのは暫く先になります。
2005年、久しぶりに名古屋大会へ。記憶が曖昧ですがこの時にFALさん宅に泊まり、一緒に泊ったあんこみちゃんと他人だったのが一気に仲良くなります(2003年くらいかも)。ALFにも久しぶりに会います。…2004~2005は記憶曖昧で正確かは不明です…。
2005名古屋、しゅんぺーちゃん(ALF)と久々に会い復帰を熱望される。当時ミスケンが消えて以降、くま、亀、ALF、そして繰り上がりでKuroroがトップ層に君臨、その↓とはかなり差があり三宅君→sosen→しろま&FAL、という順位だったと思う。
再び2005、2ぷよから生まれた強者トムソンとmas君(2003年以来)がAC業界に現れ、しろまさんを遂に下す。当時にとってこれはかなり衝撃的だった。更にmas&トムソンはACの速度が非常に遅いのも衝撃的だった(この数年後も遅い)
そしてその後を追うように2ぷよからのっくす、かんたた(サイバーサウンド)が現れ、これにトムソン&mas君を入れた『若手第一世代』の四人として上位層から注目される。ぷよ復帰を目指していたワタシは結局あまりやる事は無かった…が、大会には行くようになった。
ワタシは大会に行くものの参加はしなかった(何度も強制エントリーさせられたが)。モチベが無かった代わりに2ぷよで色々な人にぷよを教え、総勢50人以上に教えたと思われる。ちなみに階段5連鎖から折り返しまで教えて1日で5時間教えた事もある。
教えた人達は殆どいなくなってしまったが、タカチン君、nyan2という二人だけは残り、素人から階段折り返し→GTRの定形までを教え忠実に習得し、同レベルの中でもしっかりした強さを身に付けた。暫くしてやめてしまった二人だが、今も交流はある。
2005年、色々な大会には行きながら参加しないワタシは、2ぷよで知り合った中級者の方々を各地の大会等に誘い、会った人達に持っていたミスケンビデオ(2003年に遊びに行って録ったヤツ)を約10本全てあげて回った。ダビングしてないマスターテープだった。
この年代だったはず。久しぶりにセブンアイランドの対戦会へ。すると新人であるトム君が初上陸。正直20歳くらいにしか見えなかったが16歳くらいだったはず。雑な土台ではあるもののしっかりと考え、独創性ある連鎖を使っていたのをハッキリ覚えている。
このトム君を見たワタシとしゅんぺーちゃんは『彼、間違いなく上位に上がってくるね』とその場で話したのを覚えている。まだ当時はトリプルスコアくらい差のある時の話だ。これも2005…だったか?再びセブンアイランドの話。多分トム君参上から数ヶ月後のお話を。
再びセブンアイランド。メンツは誰だったか…Kuroro、ALF、大分強い人3人くらい。その日、再び新人がやってくる。皆さんご存知、後の絶対王者となるモモケン君だ。彼はフィーバー出身?だったらしいがワタシは知らなかった。(そういやトム君は何出身なんだ?)
モモケン君はこの日、AC初参戦。彼が座り強者5~6人の内1人が乱入。初戦、モモケン君のとにかく操作が上手い!初めて触ったとは思えないレベル。慣れてきたトムソン&mas君のACより早かった。更に驚く事に、立て続け6人全員抜き。鮮烈なるデビュー戦だった。
モモケン&トムに関しては2006年かもですが、そして2006年になります。遂にワタシは前線復帰を誓い2003年以来上達するためにまず腕を戻し、やり込みました。2006年春、亀ちゃんと家庭用ですが100本先取りを2回する事になります。
あんこみ君もいる中での連戦。実はワタシにとって初めて亀ちゃんとの100本先取りでした。初日は100対95で負け。しかしワタシは勝てる!と確信しました。あまり良い状態では無かったからです。そして翌日、再び100本先取りをします。
亀ちゃんとの2度目の100本先取り、結果は89対100。ワタシは勝ちました。この時の動画はレオル君が無くしていなければ持っています。後、ニコニコにあるスーファミのワタシが合体上手いヤツ(試合本数少ない動画)も、この時の動画です。
話の焦点は暫くワタシへ。2006年、ワタシは亀ちゃんと五分に渡り合えた事で再び自信を取り戻し大会も参戦します。君らのズーカローヤやお兄ちゃん(勝手にエントリーさせられた)のもこの時期。そして、人生で初めてAC筐体での100先を亀ちゃんに挑みます。
結果は100対91で負け。実は当時、調子が悪いと思い動画はニコニコへアップせず封印。今はニコニコに上がっていて見直すと調子悪く見えませんが…やってる時は凝視が不安定に感じたのかも?この時期くらいに、ダンデが若手第2世代として最初に頭角をあらわします。
2ぷよ時代ダンデの弱い頃は知っていて、センスとしては普通だと感じていたので、驚きました。2006年AC亀戦後、大分上達したFALさんともAC100先をやる事に。不調でしたが100-89で下し、悪くても負けないという完全4位の座を確固たるものにしました。
2006年は亀対ALFが良く連戦をし、毎回しゅんぺーちゃんが確実に下していました。僅差の場合も稀にありましたが大体100-80くらいで、差が開いた時は100-66という差で亀ちゃんを寄せ付けませんでした。くま対ALFはくまが確実に下していました。
記憶が曖昧ですが、亀ちゃんはかんたた君やダンデに挑まれ100本先取りをやっていましたが、100-70くらいで下し、2006年以降くま→ALF→亀→Kuroroの順で4強とし(実質2004年ミスケン引退後からだが)、暫くこの四人が君臨し続けます。
しかし、ワタシはミスケンやy氏が居たらその場には居なかったと思っていたので、頻繁に…いやたまにしか図に乗りませんでした。
同年2006(多分)、久しぶりに千葉君がくまちょむと何故かフィーバーを対戦します。ニコニコにある、くまちょむVS愛がその動画です。
2006年、Kuroroが亀ちゃんとは連戦しながらALFやくまちょむに挑まない理由は『勝てる部分、見込みが無いから』でした。合体手順や技術の部分では勝てている部分もあったりはしましたが、実力に直結する技術で圧倒的に劣っていると感じ、挑みませんでした。
1997年以降、ワタシはミスケンの影響で不定形を練習するようになりますが、ワタシは序盤3~4手目の配色で組める形を3~4パターンに絞り、それ以外の形にはならないよう徹底的に私的化の練習をしました。図の二つの連鎖は似てますが全て別と捉えて練習しました。
2~3ヶ月徹底的にやり、自身の中で一番得意な形になるまでやり、一番得意な形になったモノは卒業、ツモに合う違う形を再び取り入れ必ず3~5パターン以上にならないように練習、途中空白はあったものの、それを延々2006までやり続けます。
折り返しの向きを変えて練習もしました。いつしか殆どの簡単な土台は洗練された手順で出来るくらいに習得、まだ誰もやっていなかったリバーシブル土台を練習したりもします。周囲との差別化のため真似されない事をしたかったからです。
自分達4強はこの様にお互い練習のため対戦し、研究し合ったりは決してしませんでした。皆、単独の練習。結果的にそのやり方がそれぞれの個性化に繋がり、全員が全く違うスタイルになったんだと思います。
しかし、後にこれは裏目に出ます…が、それはまだ先の話です。
ぷよぷよ4強、Kuroroさんによる昔話 Part7へ続く
2017.03.01 / Top↑
| Home |