ホリィ・セン

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ホリィ・セン
@holysen
シェアハウス普及が目的の任意団体「サクラ荘」の代表(をやりつつ不動産屋もやってる宅建士)サークルクラッシュ同好会/ゼロ年代研究会/同人誌「メンヘラ批評」→bit.ly/2VfB87T /社会学(親密性研究)/ディベート
変なサークル学会@circle_ofcircleholysen.hatenablog.comJoined March 2010

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頼まれた宣伝なのですが、お付き合いのある会社が12/5(金)の夜に今出川駅の近くでおでん会やるらしいのでどなたでも(マジでどなたでも)来てください。僕も行きます。
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男女一緒に食事を作ったり片づけたりする場にいると、(やはり?)女性が準備や洗い物などをやりがちな傾向がある気がするのだが、なぜそうなるのかを見てみると、一つのパターンとして男性の側が「後でやればよい」と考える傾向がある気がする。そうすると女性の速度に追いつけない。
「救いたがり」の人間をメサイアコンプレックス略して「メサコン」とよく呼んでいるけど、「誰かを救うことで自分の価値を感じたい」だけなら実はまだマシかもしれない。「相手に投影した自分の劣等感を癒やしたい」「他者を支配して全能感を得たい」とかを無自覚にやってる人こそがヤバいだろうな。
京大の特色入試が女性枠を作るという話を見て、「大学入試◯◯枠」大喜利を考えてみたんだけど、やはり階層固定が多様性を毀損していると思うので、たとえば「親が非大卒」枠を作ったらいいんじゃないかなと思った
「本当は腹黒いけど人が見ている場ではまっとうなムーブをする」みたいなのをうまくやれていると思い込んでいる人っていると思うんだが、絶対ボロが出ると思うんだよな。いざというときにノータイムで正しく動けるように普段から善行を積んで感情を鍛えておくのが正しいな、と最近思う。
僕はADHD的な人を好きになりがちなんだが、たぶん衝動性の強い人間が持つ両義的な側面に惹かれている。すなわち「脳と身体が直結しているような、直情的に没入する」一方、「浮かんでくる思考に取り憑かれ、スルーできずに考え込んでしまってノれない」という、ベタかつメタな人間に魅力を感じている。
ベタな話だが、日々の支出(と収入)を毎日正確に記録し続けるのを人生のどこかでやった方がいいとは思う。 思っている以上にこの資本主義社会においては暗に陽に消費者にお金を払わせようとする装置がありまくるので、意識的に記録をしないと「なぜかお金がなくなってしまう」理由に気づけない。
chatGPTが感情の受容をしてくれるって話、要するに決めつけない(ジャッジしない)ということだと思った。人間は相当気を付けないと人の話聞いたときにジャッジしちゃうからねえ。
昨今のオタク文化の堕落ぶり(マジョリティ化)を見ていると、一周まわって「オタク、キモいんだよ」ってちゃんと言っていく方が倫理的に思える。オタクは日なたに出てくるな。
別の言い方をするなら、人間はクセをなくすよりも別のクセを増やすことの方がおそらく簡単な場合が多いので、「悪行グセがついてしまっていてそれをどうにかしたい」となんとなく思っている人は、悪行グセをなくす方向よりも、善行グセをつける方向がひとまずいいんじゃないか、と思う。
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ホリィ・セン
@holysen
「本当は腹黒いけど人が見ている場ではまっとうなムーブをする」みたいなのをうまくやれていると思い込んでいる人っていると思うんだが、絶対ボロが出ると思うんだよな。いざというときにノータイムで正しく動けるように普段から善行を積んで感情を鍛えておくのが正しいな、と最近思う。
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家事や世話などによって絶えず自分の時間を中断させられるというのが女性ジェンダーに課されがちな役割なわけだが、それも含めて一般化して考えると、女性は「即座に対応しなきゃならない」という心的傾向(ハビトゥスと言ってもいい)を持ってしまいがちなんじゃないかと思う。
「とっとこハム太郎」はなぜタイで反政府デモのシンボルになったか(六辻彰二) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/expert/article ハム太郎のタイトルは「とっとと歯向かおう」を意味しており、ハムちゃんずの地下ハウスでコミューンを形成していく話だから、ごく普通に反政府デモのシンボルなんだよな
「同意があったかどうか」を「Yesの言質を取ったかどうか」ではなく「Noが言える状況が作られていたかどうか」で見るべきだというのは目からウロコだな(結局どっちも必要条件だとは思うけど、後者の方が大事だと思う)
僕はフロイト主義者なので「こういう気持ちは持ってはいけない」はダメだと思っていて(抑圧されたものは症状として回帰するので)、「この気持ちはこういうかたちで満たせば社会と齟齬をきたさないだろう!」に持っていくように生きている
そういやデミロマンティックとかアロマンティックがあるなら「オーバーロマンティック」みたいなのもあるんかな。社会で普及している「すぐ恋愛として意味づけてしまう」規範さえも超えて、本当にマジでなんでもかんでもすぐ恋愛的意味づけをしちゃう人。
近年の「言語化」ブームには、「社会にとってわかりやすいものでなければ価値がない」という社会的圧力もたしかにある。しかし、言語化や話を聞いてくれる他者のおかげで私の内面を分節化できることもよくある。言語化によって社会を経由することがむしろ社会から距離を置くための道筋にならんことを。
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蓮見スイ
@HasumiSuis
「好きを言語化する技術」という本が出たときにも思ったけれど、好きは個人の好きに留まらず、社会において好きを発信しなくてはいけないという切迫感がこの社会にあるのだなあと感じた。 好きという個人的な感情が、否応なく社会に引きずり下ろされ、言葉にすることが求められる。
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男性は自殺が多く、女性はうつ病が多い、というよく知られた統計的差異があり、「女性が男性よりもSOSを出すのが早い」と解釈するのが普通だと思うが、アクロバティックにはこうも考えられないだろうか。つまり「即座の対応」が自分の精神状態に対しても及ぶのだと。
ライフハック本を小学生が読むという話、「人々の内面やコミュニケーションのようなごく私的な側面さえも管理統制する権力が作用している」というフーコー的な見方をすべきなのは前提だとは思う。 思うのだが……それにしても若い頃の僕は「暗黙のルールについての教科書」が欲しかった。羨ましい。
「男の理想は"女体化した男友達"=”感情労働を必要としない女”だ」的な話、本当は「コミュニケーションコストをかけずに性愛的に承認をしてくれる女性」と言うべきところだと思うのだが、「コスト」の中心的な部分を「感情労働」と言い換えるのがしっくりくるようなカルチャーがあるんだろうなと思った
ADHD、日本語に訳すとADの部分は「注意欠如」なわけだが、スマホの通知や都市の広告が際限なく注意を引こうとしてくるわ、サブスク系のサービスも「解約し忘れ」を収入源にしているわ……ということで、この時代は、社会の注意への要求水準が高すぎる。そりゃあ、多くの人がADHDに見えちゃうわ。
他人をジャッジする行為、他人を傷つける可能性がかなり高い暴力的な行為だと思うので、他人をジャッジすることに対して慎重になるよう教育することが大事なんじゃないかと素朴に思う。とはいえ、教育というものの大部分にジャッジが含まれている気がするのでなかなか難しそう
九月さん発信の「メロシコ論争」を興味深く見たのだが、「性的であること」を否認したい人ってたくさんいるんだなあと。まあ「推し」もそもそもそういう言葉だよね。フロイト的な事態。 それを理解している人は「シコい」を(本当にシコりたい場合もあるだろうけど)一種の露悪芸として言ってるよねと。
最近思うのだが、メンタルヘルスを個人の問題に還元するのではなくて、集団や社会に根差した問題が「メンタルの不調」というかたちで表現されていると捉える語り口がもっと必要なのではないか? そうすることで、メンタルヘルスを軸に社会への批判が展開できるんじゃないか。
今まで「メンヘラ」的な要素を持つ人と何人も話してきて、この社会がクソだという前提を共有できること、深い自己開示をしやすいことに魅力を感じてきたけど(逆になかなか自己開示できない、順風満帆な人との会話は相対的に苦手だ)、それだけでなく、その人の「世界の見方」に魅力を感じてきたなと。
最近、ウシジマくんみたいなコンテンツやアカウント多すぎないか? 「社会の闇」が注目されるのはある程度大事なことかもだが、さすがに「怖いもの見たさ」的に消費されすぎだろ
「AC(アダルトチルドレン)」から「毒親」へ。そして、「反出生主義」「親ガチャ」へ。というのはまさに宿命論的な考え方に近づいていっているのかなと思う。「文化資本」という言葉が日常語として流行っているのも同じ感じがするし、もっと広げれば進化心理学のブームも?
世間知として共有されているフツーの恋愛って、一種の性的嗜好というか、プレイなんだろうなとふと思った デートスポットでデートをするというプレイ、並んで歩くというプレイ、好きと言い合うプレイなどなど。文化的に方向づけられた欲望の形式。
割と最初から男性性をスッと降りられている男性と、ずっと男性性に囚われている男性との間で薄っすらバカにし合ってしまうみたいな構造があるんだろうな、と最近思う。お互い同じ男性なだけに、なぜそんな簡単に降りられるのか/そんなことに囚われるのか、理解不能なんだと思う
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しかし、(洗い物や準備などと違って)つらい精神状態はすぐには変えられないので、「即座の対応」は誤作動し続けてしまう。そのことで「うつ」化しやすいのだという仮説。
自分が中学生ぐらいから23歳ぐらいまでの間にやってきたキモ加害的行動、たまに思い出しては恥や罪悪感をおぼえる。特に中高生ぐらいのときのそれは、自分でも自分の行動のロジックを追いにくいレベルだ
「本当はみんな恋愛目的で下心があるのだが、その目的を隠して行動するのが上手なのかヘタなのかに差があるだけだ」という偏見メガネをかけると世界が面白く見えてしまうバグがある
ケア論も弱者男性論も含め、きわめて重要な論点が一つある。それはケア的な関係や親密な関係は「関係の履歴」がある人にしか価値を持たない部分があるため(経済学ではこういうのを「特殊財」というらしい)、容易に「再分配」できない(代替できない)部分があるということ。たとえば恋人関係も夫婦関
「自立とは依存先が複数あること」が個人への提言になってしまうと結局、自己責任論になってしまう。本当に大事なのは依存先が社会に(アクセスできる情報や場所として)整備されていること。 「男も弱音を吐いていい」も同じで、男性個人の問題にしてはダメで、弱音を吐ける場があるかどうかが大事。
「歳を取ると体感時間が短くなる」ってのを実感しているんだけど、これにADHD的な先延ばし癖が加わり、若いときだったらせいぜい2,3日しか先延ばさなかったものを1週間2週間とか平気で先延ばしていて、社会生活が送れなくなってきている
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あと列挙的に思いつくものを挙げると、「ひとり親」枠、「ヤングケアラー」枠、「社会的養護」枠、「子ども期逆境体験」枠かな
「自分の感じた感情が性欲か性欲じゃないのかは分かる」という前提の人が増えているような気はする。セクシャルマイノリティのカテゴリーで言えば「Q(クエスチョニング)」というカテゴリーは性自認や性的指向だけでなく性的/恋愛的惹かれについてももっと用いられてよいのかなと。
石丸構文は要するにこの質疑防衛法をやっているんじゃないかなと思う
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ホリィ・セン
@holysen
答えにくい質問をされたときに切り抜ける「質疑防衛法」一覧です(『オルグ学入門』より)
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しかし、「言語化」という言葉の流行自体が「言語化」という言葉を陳腐さを象徴しているのはメタ的で面白いな。結局多くの人は自らの言葉を突き詰める気はなくて、一定の納得が得られる「正解」を求めている。自分にとって「言語化」が何なのかを深く掘り下げる気はない。「考察」ブームも同じかな。
ADHD者は「思考の声」がうるさい場合が多いと思う(肩こりとも結びつくのか!)。 「声」は豊かな連想力に繋がる"強み"ではあるが、ネガティブな「声」を止められないという問題がある。自動思考に気づくことと、気づいたらそれに囚われずに意識を皮膚の外側にあるものへと持っていくことが重要だ。
気づいたんだが「認知の歪み」って概念がマズいのは、「歪み」って言葉が個人を貶めているからだけではなく、「認知」って言葉が個人のものであることを前提としているからだな。実際には「認知」ってものはその人が生きてきた環境や社会や言語体系などによっても強く決定されているものだろう。
病院行ったけど診断がつかなかったときに「怠惰」ということになるのがそもそも何かおかしいというか、それは治療の枠組には乗せられないだけで、生活環境に自分をアジャストできなくて困っているのはたしかなのでは、と思う
社会学が何をしているのかを説明するのが面倒くさいことがあるので、とりあえず暫定的に「社会学は自己責任論の物語に囚われている人に、別の物語を処方する学問です」と言いきってから話を始めた方がいい場合もある気がしてきた
「男性同士のケア」のできなさについて、どのようにできないのかについて、どうにか社会調査できんもんかな、と思ってる(方法論的な関心として、起きていることについては調査できるが、起きていないことについて調査するにはどうしたらいいんだろうというのがある)
性欲の表れ方はセックスしたいとか射精したいとかだけじゃないってのはそれはそうで、フロイト的な考え方をちゃんと持っていればそんなことは当たり前だろうと僕は思ってしまうな。たとえば幼児性欲について真面目に考えたフロイトは、当然幼児がセックスしたいなんて思っていないことは分かっていた。
『さよならを教えて』の高田望美の「街は燃えても、一番ダメな私は残るの」っていうセリフ、筋少の『踊るダメ人間』の歌詞「この世を燃やしたって 一番ダメな自分は残るぜ!」が元ネタだったことに気づいた
永田カビ先生の「レズ風俗レポ」は(Twitterが普及した)2010年代を席捲した、生きづらい系自分語りエッセイ漫画の金字塔の一つなのだが、2020年代に明日カノとかタコピーとかみたいなある種ポルノ的な「社会の闇」系の作品が流行ってしまっている今こそ辿り直す価値があるとも思う
うつ状態が資本主義への抵抗って、マーク・フィッシャーも言ってたやつだけどマーク・フィッシャーそれで死んだわけだし……資本主義に過剰に適応しようとすることがうつを生み出す、みたいな側面にはどう応えるんだろう。
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猫の泉
@nekonoizumi
「脱走こそ、唯一可能な倫理的選択にして合理的戦略である 経済成長の神話を支え暴力を生み出しつづける、あらゆる行為を放棄すること。…」 ⇒フランコ・ベラルディ(ビフォ)/杉村昌昭訳 『脱走論 -うつの時代の新しい倫理-』 青土社 seidosha.co.jp/book/index.php
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(最後の「うつ」の話については、doingモードが抑うつを引き起こすのだというティーズデールの理論からアイディアを得て連想した。ティーズデールの理論についてはこれによくまとまっていた↓ うつ病の異常心理学 ─再発予防とマインドフルネス認知療法の観点から─
『セックスする権利』って本を読んでるんだけど、めちゃくちゃ良い本。エッセイ集なのだが、英米のフェミニズムのいくつもの立場を、固有名詞たくさん出しつつ整理していて、性的同意やポルノやインセルなどの問題を具体的題材に基づいて論じている。フェミニズム入門としても優れていると思う。
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頂き女子りりちゃんマニュアルを読む会をサークラ同好会でやったが、まっとうにマニュアルで示されている虚実に対して不快さを示す人もいれば、りりちゃんへの信仰を告白する人、りりちゃんによりラディカルさを期待する人など様々だった。個人的には、
「相手にコミュ力を要求するのがコミュ障である」は面白い視点だ 「コミュ障に見えるかコミュ強に見えるか」の軸と「相手にコミュ力を要求するかしないか」の軸で2×2マトリックス作ったら、「一見コミュ強っぽいけど相手にコミュ力要求する人」が出てきて中学校のイジリ=イジメみたいだなと思った
まさにサークルクラッシュ問題は「異性と一緒にいる方が楽で、同性同士でケアができない女性」の問題が核心にあり、もっと言えばそういう女性は「女性だったらケアできる」という規範の犠牲者でもある場合があるとは思う(が、そういう女性が多数派かと言われたらそういうわけではないだろう)
「恋愛は二者関係のように見えて、実は第三者や集団も重要だ」ってのが去年書いたサークルクラッシュについての論文を貫くテーゼなんだが、これは関係の成立についてだけじゃなくて、「恋愛関係になりうる候補者との出会い」についても、「恋愛関係成立後の持続」についても言える話だなとふと思った
ケア(弱音を吐くのを聞く、とか)の能力の高い女性が男性に好かれてしまってクラッシュするみたいな問題は実際あるあるだと思うので、男性は「恋愛関係になろうとするのを抑えながらケアされる」能力(?)も大事だと思う。そもそも「非恋愛・非結婚のケア」のロールモデルがもっと必要なんだろうね。
フェミニストであろうとしている男性の話を聞くと、「道徳的でありたい」と強く意識すること自体が症状なのではないか? という精神分析的な視点で見てしまうな。 つまり、無意識へと抑圧しきれない女性への欲望を意識しないように意識しないように……と「反動形成」がはたらいているのではないかと。