悪法も、また法なり

 しかし、量刑に変更はなかった。その理由について高裁判決は、

 自閉スペクトラム症を有していた被告人が、その影響で近隣に住む小学生の男児がストーカー行為などをしているなどの妄想を抱き、憤懣から男児を刃物で突き刺すなどして殺害した事案である。(中略)

 動機についてみると、それ事体は短絡的で同情の余地のないものであるが、その形成過程に被告人のために有利に考慮すべき事情が認められる。本件では被害者に落ち度は認められず、それなのに、被告人は、一方的に被害者が悪人と思い込んで殺害にまで及んでおり、この経緯は、被害者にとってあまりにも理不尽というしかない。しかし、この動機は、生来の自閉スペクトラム症の影響を色濃く受けたもので、加えて、最終的に被告人が殺人という過激な手段を選んだことにも自閉スペクトラム症の影響がある

 そして、

 生来の自閉スペクトラム症の影響を受けている側面が大と考えられるから、量刑を左右するものとして大きく考慮することは相当ではない

 と結んでいる。

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 さらに量刑については、

 怨念を動機とする被害者1名の殺人1件を中心としている量刑傾向をみると、特殊な事案を除けば、概ね懲役13年から15年を中心に分布している

 から、裁判員の判断を尊重して同じ量刑を選んだというものである。先にも述べたように父親である森田はこの判断に今も理解も納得もしていないというより、裁判官の説明が理解できていない。

 私は、加害者の「精神障害」を理由に量刑を下げる裁判官をたくさん見てきた。家族──それも幼い子ども──を殺された被害者遺族からすれば納得できるはずもなかろう。精神に障害があろうとなかろうと、それが犯罪行為と因果関係があろうとなかろうと、奪われた命は返ってこない。

 悪法もまた法なりというが、加害者も結果的に法に「守られた」といってよい。「心神喪失者等医療観察法」は、不起訴処分や無罪になった重大犯にしか適用されない。当該加害者の場合はそれに該当しない。

 出所後も加害者とコミュニケーションをとっていかねばならないことを考えると、意思疎通が可能なのかどうか。二審の判決文も触れているが、仮に自閉スペクトラム症であれば、被害者の痛みを加害者がどこまで「理解」しているものかわからない。

次の記事に続く 心臓マッサージをすると、波うつように傷口から血が…幼い息子を残酷に殺害された被害者家族のもとに届いた“加害者”からの“リアルなメッセージ”