第2章: 日本の賃金が上がらない本当の理由
いま、日本社会における最も根源的な問いはこうだ。
なぜ賃金は上がらないのか。
そして、どうすれば物価上昇を上回る「構造的な賃金上昇」を実現できるのか。
その答えを与えるのが、ノーベル経済学賞を受けたアギヨン=ホーウィットの「創造的破壊」理論である。この理論は、賃金上昇を「政策や企業努力の副産物」としてではなく、技術革新と社会制度の“設計された連鎖”の帰結として位置づけている。
1. 賃金上昇の“数式”で考える
アギヨン=ホーウィット理論の中核方程式はこうだ。
ここで、λ(革新頻度)は新しい技術・企業がどれだけ生まれるか、γ(改良幅)はその革新がどれほど生産性を押し上げるかを意味する。つまり、成長とは創造(innovation)の頻度と質の掛け算で決まる。
さらに、賃金上昇の実質的な構造は次のように整理できる。
この二つの式を重ねると、賃金上昇とは次のように読み替えられる。
・λを上げる(新陳代謝を高める)ことで、生産性と競争力が向上し、
・γを拡大する(技術と人材を深める)ことで、付加価値が高まり、
・適度な競争と利益分配制度で、成果が賃金へ波及する。
この連鎖を「国家と企業の設計原理」にすることこそ、“創造的破壊による賃金上昇エンジン”の本質である。
2. 日本の問題:賃金が上がらないのは、創造が足りないから
日本経済の賃金停滞を「分配問題」として論じることは多い。しかし、アギヨン理論の観点から見れば、真の原因は生産性と新陳代謝の停滞にある。日本の起業率はOECD平均の半分以下、倒産率も低く、企業の平均寿命は30年を超える。
これは「安定」ではなく、「動かない構造」である。経済は生き物だ。創造がなければ新しい産業も雇用も生まれず、破壊がなければ資源は動かない。結果として、労働や資本の投下量ではなく、技術や仕組みの革新によって生産性をどれだけ向上できたかを示す指標である全要素生産性(Total Factor Productivity、TFP)は上がらず、賃金上昇のエネルギーも生まれない。日本の賃金停滞とは、言い換えれば「創造されず、破壊されず、よって成長しない経済」なのだ。