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“サザエさん化”したヒーロー──スーパー戦隊が“進化”ではなく“惰性”を選んだ日、そしてテレビ朝日の島流しが招いた“死”と“再生”

これまでスーパー戦隊シリーズを中心に「地の時代の代理店ビジネス」というところにまで話を拡張して論じてきたわけだが、今回の記事はスーパー戦隊シリーズが「サザエさん化」してしまったことについて深掘りしよう。
スーパー戦隊シリーズに限らないが、仮面ライダーもウルトラマンも、そしてプリキュアも共通しているのは「子供向け商業作品」という極めて再現性が低く難易度も非常に高い大衆娯楽であるということだ。
つまり「作品」でもあると同時に「商品」でもあるわけであって、これが一般のテレビドラマや映画と異なるところであり、一般のテレビドラマや映画の場合は「玩具売上」をあまり気にせずに作れる
もちろん一般のドラマには「視聴率」、映画の場合は「興行収入」という「数字」はついて回るが、玩具売上など他の要因に関してはあまり制作に影響しない。

しかし、子供向け商業作品は難しいところがあって、たとえどれだけ視聴率が飛ぶように出てバズろうが、肝腎要の玩具が売れなかったら無意味というシビアなもう1つの現実がある。
だが、最新の記事でも書いたように、もはや今トイザらス自体が閉店し玩具を売りつける代理店ビジネス自体がどんどん経年劣化により「過去の遺産」にすらなってしまった。
2008年におもちゃのハローマックが閉店し、2018年にはトイザらスのアメリカ全店舗が閉店したように、もはや子供達は玩具に興味すら示さない。
だが、スーパー戦隊シリーズの場合はその「玩具売上」という対外的事情だけではなく、対内的事情として放送局であるテレビ朝日との関係性にも問題があった。

そういう諸々の事情が相まって、スーパー戦隊シリーズは「偉大なるマンネリ」、すなわち「サザエさん化」という自堕落な方向に進んでしまったのだ。
テレ朝の無能ぶりに関しては私よりも親友の黒羽翔の方が非常に精度・解像度の高い分析をしてくれているので、細かい対外的事情はそちらにお任せするとして(苦笑)
今回は「対内的事情」、つまり東映とテレビ朝日の関係性に踏み込みつつ、「衰退の歴史」としての「スーパー戦隊」についてを論じてみよう。

なぜスーパー戦隊シリーズは「サザエさん化」したのか?

結論から言えば、スーパー戦隊シリーズが「サザエさん化」したターニングポイントはこれまで何度も語ってきた通り『百獣戦隊ガオレンジャー』からなのだ。
間違いなくあの作品からスーパー戦隊は「作品のための数字」ではなく「数字のための作品」であることを自らの意思で選択し、延命という名の「自動化」「仕組み化」を選択してしまった
継続のための継続はすなわち「形式の自動運転化」を意味するものであり、それこそ「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」「名探偵コナン」はその領域に入ってしまっている。
これに関しては以前にこの記事でも触れた通りである。

」いつからかスーパー戦隊シリーズは「偉大なるマンネリ」とファンからは言われるようになったのだが、私がこのフレーズに違和感を覚えていたのはスーパー戦隊は決して「サザエさん」的な「自動運転」で成り立つシリーズではないからだ。
もちろんそれはスーパー戦隊シリーズのみならず、ウルトラシリーズ、仮面ライダーシリーズ、プリキュアシリーズも含むのだが、いわゆる「子供向けヒーロー番組」として成り立つシリーズは須く「自動運転」で成り立つジャンルではない
これに関しては以前に白倉伸一郎と井上敏樹がクソオブクソな「仮面ライダー1号」という春映画を撮る前のニコ生インタビューで宇野常寛MCで出た時にそのようなニュアンスのことを語っていた。
「サザエさんの領域というのはテレビ屋としては1つの夢なんですよね。仮面ライダーも「なんか変なことやってるな」ではなく「あって当たり前」であって欲しい。でもそんなものが見てて面白いかどうか(笑)」と自嘲気味に語っている。

そう、流石に東大卒にして今や東映の社長として出世した戦略的思考は伊達じゃない、白倉伸一郎にはわかっていたのである、仮面ライダーやスーパー戦隊は決して「サザエさん」「ドラえもん」にはなり得ないのだと。
なぜならば、「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」「名探偵コナン」はあくまでも「他愛ない日常=安定」が土台にあるシリーズだからであり、存在自体が「自明」なのだ。
まあ「名探偵コナン」は厳密に言えば事件が起きるので「非日常」の側面もあるし青山剛昌の原作ありきではあるが、それでも「犯罪事件が起こってそれを取り締まる」という刑事ドラマ+探偵ものという推理小説をアクション映画の文脈に落とし込んでいる。
つまり視聴者はこれらの「自明」に対して深く考察をすることなどもなければ、単純に「ああまた今日もやってるわ」という程度の感覚で日常的に消費しているに過ぎず、だから背後に流していても邪魔にならないし、その内容に期待するものなどいない。

しかし、スーパー戦隊シリーズをはじめとする「戦い=非日常」をテーマとする子供向けヒーロー作品はそこが異なっており、言うなれば戦闘系の「脱構築」と「再構築」をずっと繰り返しながら進んできたシリーズだ。
言うなれば1作ごとに全くフォーマットも内容も異なるし、特にスーパー戦隊はウルトラマンや仮面ライダーとは違って「初代こそが原点にして頂点」みたいな縛られたような空気感は作品にもファンにもない。
だが、作品内でのフォーマットは歌舞伎などの時代劇に基づいていて、とにかくコストがバカ高くかかる金食い虫というところで、しかも後述するが無能なテレビ朝日のクソみたいな采配に振り回されていた。
そういう、決して華々しさとは真逆の血まみれの歴史を繰り返してきたのがスーパー戦隊であり、少なくとも『未来戦隊タイムレンジャー』までのスーパー戦隊シリーズは決して「あって当たり前」ではなかったのである。

それはまず歴史の第一歩である実験作『秘密戦隊ゴレンジャー』の2年近く続いたという事実と、2作目として作られた『ジャッカー電撃隊』の打ち切りの歴史が示している。

「秘密戦隊ゴレンジャー」の長期放送と「ジャッカー電撃隊」の打ち切りが意味するもの

スーパー戦隊シリーズが決して「偉大なるマンネリ」、すなわち「サザエさん」的な「自動運転化されたジャンル」ではないというのはシリーズ1作目の「秘密戦隊ゴレンジャー」の長期放送と「ジャッカー電撃隊」の打ち切りが物語っている。
初代『秘密戦隊ゴレンジャー』は特撮のテレビシリーズとしては『仮面ライダー』の98話に次ぐ84話を記録した作品であり、平均視聴率もテレビシリーズとしては破格の16.1%を記録するほどのロングランだった。
それまで『科学忍者隊ガッチャマン』に参加していた曽田博久、更に『ゲッターロボ』などでチームヒーローを書いていた上原正三を中心に高久進なども参加して錚々たるメンバーが「戦隊」の第一歩を作ったのである。
しかしそれはあくまでも『ウルトラマン』『仮面ライダー』と同じで再現性のない「一回性」に頼った博打的な要素が強かったわけであり、これはファーストペンギンならではの「土台を作るプレッシャー」であろう。

「ゴレンジャー」という作品自体が様々なところでパロディされるくらいに完成度の高い作品ではあったが、その後一度として「ゴレンジャー」を徹底的にコピーした作品は一度たりとて生まれていない。
なぜならば「ゴレンジャー」は「仮面ライダー」と違って「人間の自由のために戦う孤独な改造人間としての悲哀を抱えるヒーロー」などという思想や翳りのようなものは全くなかった。
書いている石ノ森章太郎自身、最初は真面目にチームヒーローものとして描いていたが、途中で飽きたのか何なのか「ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ」という「ごっこ遊び」のパロディになったのである。
そう、原作者であるはずの石ノ森先生がそのような「パロディ」としての道を選択し、テレビ版もそれに引きずられたのかシュールギャグ路線へと変質していき、シリーズ開始当初のシリアスな空気は吹き飛んでいた。

だが、それはあくまでも偶然の産物に過ぎず一回しかそれはできないからと、2作目として作られた『ジャッカー電撃隊』は『仮面ライダー』のチームヒーロー版として「サイボーグ」として作られている。
これはアクションパート以外のドラマパートで視聴者を惹きつけようという意図があってのことだったのだが、前作「ゴレンジャー」からのあまりにも急すぎる方向変換に視聴者はついていけず、数字は伸び悩んだ。
当然こんなことやってて人気が出るわけでもなく、平均視聴率も前作の16.1%から9.8%という一桁台へ急激に下降してしまい、その後ビッグワン/伴場荘吉などのテコ入れが図られても視聴率が回復することはなかった。
ここでスーパー戦隊シリーズは実は一度「終了」という名の「死」を余儀なくされたわけであり、その後東映版『スパイダーマン』で一度休止を挟んで『バトルフィーバー』からまた復活している。

シリーズ1作目が長期政権になり、シリーズ2作目が打ち切りという不名誉な形で終わった例は他になく、ウルトラシリーズでもライダーシリーズでも、そしてプリキュアシリーズでも経験したことのない事例だ。
この事実が示すことはスーパー戦隊とは本来「ゴレンジャー」の一回きりの独自性の高さが売りであり、それは決して仕組み化できるものではないということの難しさである。
どんなに意欲的なことに挑戦しようが、数字が取れなければ打ち切りは免れないという翳りをスーパー戦隊は皮肉にも最初の躓きとして経験したのだ。
その事実が『バトルフィーバーJ』以降のスーパー戦隊シリーズの「死と再生」を何度も繰り返しながらの蛇行運転で進んでいく道のりを決めたのである。

そして、その道のりの対内的要因として影響したのが間違いなくテレビ朝日の無能な采配による「島流し」に他ならない。

テレビ朝日の「枠移動」という名の「島流し」でスーパー戦隊は何度も滅び蘇る

ここでようやく親友の黒羽翔が書いてくれたテレビ朝日の「無能なテレビ朝日」の話と繋がることになるのだが、黒羽翔は『地球戦隊ファイブマン』での「打ち切りの危機」とマンネリ化についての責任をテレビ朝日に求める論を展開している。

ちなみに同時間帯の裏番組は、フジテレビで放送されていた『らんま1/2 熱闘編』である。当時はインターネットは無かったら公式サイトなんて存在しないので新しい版の方の公式サイトのリンクを載せるが、当時人気絶頂の高橋留美子先生のアニメ作品の裏にわざわざ移動させるなんて、何があったかは知る由も無いが、テレビ朝日の編成はバカとしか言いようがない

確かにこの「裏番組」の存在は間違いなく盲点ではあり、実際「ファイブマン」が視聴率・玩具売上共に苦戦を強いられた原因として「らんま1/2」と「勇者エクスカイザー」のことを挙げているが、実はテレ朝は「ファイブマン」以前も以後も似たようなことを繰り返している。
最初の一歩が「ジャッカー電撃隊」の打ち切りであり、これはまだ納得の範囲ではあるのだが、その後『バトルフィーバーJ』から再開したスーパー戦隊シリーズの枠を『科学戦隊ダイナマン』の初期1クール目を過ぎたあたりからテレ朝の都合で尺が30分ではなく25分に削られた
これがまずスーパー戦隊シリーズの第二の「死」であり、これが『電磁戦隊メガレンジャー』の途中まで続くことになるのだが、何でこうなったかは知らないが詰め込む尺を圧迫されるということはその枠の中で表現できることが更に制限されてしまう。
まあ尺が削られたことで「限られた時間の中で展開を圧縮する技術」だけは向上したことになるのだが、あくまで結果論であって、やれる内容に更に制限がかかってしまうというのは決してプラスではないから、そんな中で作品を作れというのは無理がある。

そして第三の死が「高速戦隊ターボレンジャー」であり、今度は尺が25分のまま視聴率で苦戦を強いられたからといって「放送時間帯の変更」を余儀なくされたわけであり、原因としてはビデオデッキの普及による録画環境の充実が挙げられるだろう。
要するに子供たちが塾だとかで見れなくても録画さえしておけばリアルタイムで視聴をしなくてもいいということになってしまい、前作『超獣戦隊ライブマン』の10.5%から7.6%へ急激にまた落ち込むことになる
それでも改善がなされることはなく、次作『地球戦隊ファイブマン』では6.5%まで冷え込んでしまったのだが、この時期あたり実しやかに「ジャッカー」以来となる「打ち切りの危機」が囁かれていたらしい。
それを次作「ジェットマン」の7.1%である程度盛り返したことにはなるのだが、それでも平均視聴率は『恐竜戦隊ジュウレンジャー』『五星戦隊ダイレンジャー』まで横ばいとなり大きく変わることはなかった。

そして「第四の死」として訪れたのが『忍者戦隊カクレンジャー』の5.7%、『超力戦隊オーレンジャー』の4.5%で一気に落ち込んでしまい、「ファイブマン」の時以上に平均視聴率の低下が深刻化したのである。
それは『激走戦隊カーレンジャー』でも改善されることはなく平均視聴率は4.8%にしかならず、結局のところテレビ朝日は「もう金曜夕方では数字が取れない」と判断して『電磁戦隊メガレンジャー』の途中で日曜朝の7時半に枠移動した。
そのお陰か「メガレンジャー」では平均視聴率が6.5%と一気に回復傾向になり、更に『星獣戦隊ギンガマン』ではそれを上回る平均視聴率7.9%を記録したこともあって、ようやくスーパー戦隊は枠移動というなの「島流し」に振り回されることはなくなる
華やかに見えるスーパー戦隊シリーズの歴史だが、こうして見ると実に紆余曲折を繰り返してようやく「ギンガマン」で安定を見たことになるわけであり、いかにテレビ朝日が無能な采配を繰り返してきたかを示してもいよう。

「ギンガマン」の素晴らしさというか奇跡っぷりに関しては親友の黒羽翔が語ってくれてる通りだし、私もレビューで書いてる通りなので今更多くは語らないが、本当の意味での「安定期」に入ったのは間違いなく「ギンガマン」からだ
その後は『救急戦隊ゴーゴーファイブ』の6.6%、『未来戦隊タイムレンジャー』の7.1%を繰り返しながら数字が下がることは無くなり、2000年には『仮面ライダークウガ』という歴史の転換点が来たこともあり、「ニチアサ」ブランドが確立される。
これだけの血まみれの歴史に1つの答えが出た瞬間だったわけだが、スーパー戦隊はそういう意味で少なくとも『未来戦隊タイムレンジャー』までは「枠との戦い」「打ち切りとの戦い」を演じていたのであり、決して「自明」ではなかった。
いつ打ち切りになってもおかしくない環境にあったわけだし、そのことが画面を通しても緊張感として張り付いており、「タイムレンジャー」までの作品は良きにつけ悪しきにつけ「驚き」「衝撃」の対象ではあり得る

しかし、その「驚き」「衝撃」の対象であったものを一気に「自明」に塗り替える、つまり「サザエさん化」という名の禁断の手法に手を出してしまったのが『百獣戦隊ガオレンジャー』以降だ。

『百獣戦隊ガオレンジャー』が選択してしまった「サザエさん化」という名の惰性

スーパー戦隊シリーズが「サザエさん化」という名の「偉大なりマンネリ」への最初の一歩を踏み出したのが『百獣戦隊ガオレンジャー』であることは言うまでもない。
2020年の東京国際映画祭でのトークショーをご覧いただければお分かりだろうが、「ガオレンジャー」は役者たちから出てくる裏話がどれも「お金」と「ビジネス」の話に満ちている、もちろん悪い意味で
特に金子昇と酒井一圭が当時数百万単位の借金を抱えていて、「ガオレンジャー」で儲けたお金の一部を裏で苦拗ねて借金返済に当てていた話に関しては「どういう金勘定してんだ東映は!?」という話である。
だがもっと驚きなのはプロデューサーの日笠淳自らが「合体前のメカを全てフルCGでやるという新機軸が上手くいっているという手応えがあり、これが成功すれば変身前のキャラクターに力がなくとも成立してしまう」という話をしていたことだ。

これに関しては以前も述べたことだが、作り手自らが「ガオレンジャー」という作品はスポンサーのみならず製作陣そのものが「お金のためなら魂を売り渡します」という選択を自らの意思でやってしまった最初の作品であることを白状したも同然である。
それを私は「ガオレンジャー」の1話の放送を最初に見た時にその匂いを肌感で感じ取ってしまったからこそ「ああ、スーパー戦隊シリーズはここからどんどん堕落していくんだな」という風に感じ取ってスッと離れたのだ。
やはり良くも悪くも作品というのは作り手の思考や姿勢が画面に反映されてしまうものであり、実際私は「ガオレンジャー」という作品に対しては「金のなる木」という印象しかなかったし、それは今でも変わらない。
ここから「作品のための数字」ではなく「数字のための作品」という名の「奴隷」あるいは「意思なき操り人形」に成り下がったわけであり、しかもこれが当時視聴率8.8%という異例の記録を叩き出すためということになった。

しかも何が厄介と言って、この「ガオレンジャー」で培われた手法が一種の「成功体験」「勝ちパターン」として形式化(後に形骸化)してしまったことであり、少なくとも『炎神戦隊ゴーオンジャー』まではその路線だった。
もちろんそんな中でも『特捜戦隊デカレンジャー』『魔法戦隊マジレンジャー』『轟轟戦隊ボウケンジャー』のような面白い力作はあるし、それこそ『侍戦隊シンケンジャー』はそんな00年代の風潮に意義を唱えるかのように90年代的な緊張感を取り戻そうとしていた。
しかし、長年によって「サザエさん化」してしまったシリーズの代償はたかが一作やそこらでどうにかなるものではなく、「ボウケンジャー」「シンケンジャー」ですら「驚き」「衝撃」の対象ではなく「自明」になっていたのではなかろうか。
実際00年代に入った辺りからスーパー戦隊は「偉大なるマンネリ」と呼ばれるようになり、「面白いことをやっている」のではなく「あって当たり前」の存在に成り下がってしまった

スーパー戦隊は常に枠移動と打ち切りという名の「」という緊張感と向き合いつつ、常に形式を大なり小なり更新していこうとすることでの「創造性」があったわけであり、それ自体がシリーズに活力をもたらしていたのだ。
しかし、そこを玩具販促のためだとかあるいは視聴率という数字を取るためだとかに方針がシフトしてしまった時点で、スーパー戦隊は皮肉にも「自動運転」のシリーズに成り下がってしまったといえる。
戦隊が形式として成熟した瞬間に作品として死んだのであって、スーパー戦隊は“サザエさん”に「結果的になって」死んだのではなく、“サザエさんになること”を「自らの意思で選んで」死んだのだ。
それが私がこれまで示してきたところの「延命という名の自己模倣を繰り返すことによる縮小再生産の末の凋落」に他ならないし、それが私が繰り返してきた「利確」の失敗の中身である。

こうして見ると、スーパー戦隊シリーズの50年の歴史は表向き華やかでありながら、裏側は常に血反吐吐きながらやってきた「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」の歴史だったといえよう。


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コメント

3
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八衛門

プロデューサーの要求が無茶苦茶で、 それに折り合い付けられる人が少ないのだろうな

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八衛門のプロフィールへのリンク
八衛門

新しい脚本家をろくに育てなかったのも良くなかったなぁ キラメイ、ドンブラで古株に頼った時点で新世代が育っていない証拠だし

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ヒュウガ・クロサキのプロフィールへのリンク

小林靖子が事によると最後の名脚本家だったということになる その小林靖子ですら「トッキュウジャー」を最後にニチアサからは離れた 本当の意味で「作家」が戦隊シリーズにいたのはギリギリそこまで キラメイ、ドンブラは本当に東映の人材不足が露呈していて、その時点でもう寿命が尽きることは確定…

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“サザエさん化”したヒーロー──スーパー戦隊が“進化”ではなく“惰性”を選んだ日、そしてテレビ朝日の島流しが招いた“死”と“再生”|ヒュウガ・クロサキ
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