【経済】日本が経済大国になれたのはただの「幸運」だった
以下、その「幸運だけで経済大国になってしまった国」の成り立ちと末路を予測していきたいと思います。
○高度経済成長は地政学ブーストの賜物
戦後の日本は、敗戦国でありながら短期間で復興し、高度経済成長という言葉まで生み出しました。ここだけ切り取ればたしかに見事です。
しかし、その立ち上がりを支えたのは、
・アメリカからの巨額援助・特需
・朝鮮戦争に伴う兵站工場としての需要
・冷戦下での反共のショーウィンドウとしての優遇
・安保条約による防衛費の低負担(他国なら軍事に回るリソースを経済に全振り)
……といった外部からのボーナスでした。
戦後数年で日本は米国から巨額の経済援助を受け、1950年代前半には朝鮮戦争に伴う米軍の「特需」が殺到し、それが最初の戦後景気を押し上げました。 1955年頃から1973年のオイルショックまで続いた日本経済の奇跡期も、冷戦構造のもとで西側市場へのアクセスと、固定為替相場(1ドル360円)による外需ドーピングの影響が大きかったのです。
もちろん、企業側の努力やインフラ整備もありましたが、幸運と庇護がなければ、ここまでのスピードと規模の成長は物理的に不可能で、これがなければ日本は極東の貧しい島のままでしょう。
○1970年代、ラストチャンスをスルー
本来なら、第一次オイルショック前後の1970年代は、日本にとって「追いつき型」から「自力で持続する成熟経済」への切り替え期だったはずです。
この頃の日本は、
・若い人口構成(人口ボーナス)
・世界有数の貯蓄率
・まだ現役のインフラ投資余地
・教育水準の向上
と、構造改革のための素材がほぼ揃っていた時期でした。
ここで必要だったのは、
・教育のアップデート(記憶偏重型から、創造・批判思考型へ)
・規制緩和と起業環境の整備
・終身雇用・年功賃金・企業別組合といった高度成長専用モデルの見直し
・小企業の生産性引き上げ(ゾンビ企業の整理)
……といった、成熟国として当たり前のメニューです。
ところが、日本はそれらから逃げ、追いつき型経済の設計図を抱えたまま、低成長時代に突入します。
高度成長期の日本は、西側が先に開発した技術やビジネスモデルをコピー&改良して輸出することで成功しました。これはキャッチアップ期にはとても合理的な戦略です。
しかし、追いついた後も「研究開発よりも改善の方が安心」「新産業よりも既存産業の保護が政治的に得票しやすい」「規制を壊すより横並びでみんな一緒に行きましょうの方が叩かれにくい」というメンタリティが変わらなかった結果、今日の不健全な状態に陥りました。
○【よくある勘違い】バブルは実力ですらない
1980年代後半のバブル期は、今なお「 日本の黄金期として懐かしむ声が多いですが、蓋を開けてみれば金融政策と規制運営の大失敗の結果として起きた資産価格の暴走に過ぎません。
バブル崩壊後、日本経済は長期停滞に入りました。その要因として、全要素生産性の伸び悩みや、金融機関・企業のバランスシート悪化、規制改革の遅れが指摘されています。
にもかかわらず、国内では今もなお「バブル期こそ日本の実力だった」と語りがちな風潮があります。しかし、実力なら崩壊して30年経っても戻らないのはおかしいわけで、冷静に考えれば、実力でも何でもなく、単なるレバレッジと勘違いと政策ミスの塊だったと認めるほかありません。
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総括すると、戦後日本が経済大国と呼ばれるまで成長できたのは、
・米国による庇護と特需、冷戦構造という地政学的な大当たり
・人口ボーナスと高貯蓄率という、歴史的に一度きりの組み合わせ
・追いつき型モデルが通用する時代に、ちょうど追いつく側でいられた偶然
……といった幸運が主成分でした。
本来は1970年代以降、その幸運を成熟した先進国としての制度・教育・産業構造に変換していく必要がありましたが、日本はそれを選びませんでした。
代わりに選んだのは、高度成長期の構造を維持したまま、人口ボーナス前提の制度を温存し、バブルという政策ミスで一度現実から逃避し、その後の30年を「失われた」と呼ばれるほど改革なく過ごし、いまもなお、「減税・給付金」と「アジアの国々は劣ってる、日本すごいコンテンツ」で気持ちよくなるというルートです。
日本は、自らの実力で経済大国になったのではありません。幸運に恵まれたうえに、惰性でここまで引きずられてきただけです。
そして今、その惰性のベルトコンベアは、ゆっくりと先進国から滑り落ちる方角に向かって動いています。
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