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屍愛の上で悪魔は踊る作 : 夢伽莉斗X : @yumerito_birt

5.屍と化した愛

 ラムズが独房に現れ、ベッドで寄り添っていたアタシたちに近づいた。

「結論は」

 隣のお母さんがこくと力強く頷く。アタシはすくりと立ち上がり、冷たい青眼を見つめた。

「悪魔にはならない。幽閉して」
「シェリン!?」

 お母さんが手を伸ばし、体がもつれベッドから落ちそうになっている。

「シェリン!? 何を言っているの!? 悪魔になりなさい、悪魔になって生きるのよ、シェリン! 約束が違うわ!」

 アタシはお母さんのそばに近づき、彼女と目を合わせた。はっきりと、淡々と言葉を落とした。

「アタシは、悪魔になったらお母さんとの約束を守れない。アタシにはそれがわかる。だから、絶対に悪魔にはならない。もうお母さんを裏切りたくない。約束を守りたい」
「ダメよ。あなたが傷つくでしょう!? 私と同じように拷問を受けるのよ、わかっているの、シェリン。考え直して。シェリン!」

 そっと首を振った。結んだ髪が揺れる。

「それは今までしてきたことへの罰だよ。そうでしょ。お母さんを苦しめた罰。……だから、これでいい」
「ダメ、ダメよ! 話が違うわ! シェリン!」

 アタシは両手首をラムズの前に突き出した。

「薬は飲まない。幽閉でしょ? 早くして」
「……さすが俺の娘」

 ラムズはくつくつと笑うと、コツコツとヒールを鳴らしてアタシの横を素通りした。母の元に向かう彼に、引き留めようと腕に触れる。すぐさま魔法で弾き飛ばされた。

「シェリン! 私はいいから、悪魔になるのよ!」

 ラムズは小瓶の薬を煽ると、グレースの顎を掴み無理やり口づける。彼女は目を白黒させてとくんと喉に薬を通した。

「お母さん!? お母さんに何を飲ませたの!?」
「お前に飲ませるはずだった薬。人間性を失うやつ」
「……お母さん、に、飲ませて……どうすんの?」
「お前が喰う」

 彼は喉を低く鳴らして嗤った。

「ナニ……言ってんの? 喰うわけないでしょ? 話聞いてた? 悪魔にはならない。ましてやお母さんを食べるワケない!」

 薬を飲まされ、しばらく目が飛んでいた彼女が小さく言葉を吐いた。

「シェリン……いいのよ。シェリンの手で終わらせて。お願いよ……」
「嫌だ。悪魔にはならない。絶対にならない!」

 ラムズはそれから、ぱちんと指を弾き、生きた人間を三人召喚した。奴隷のように鎖に繋がれた人間たちが床に倒れ落ちる。

「ナニ始める気」
「必要なんだ。あいつに」

 ラムズは顎でしゃくり、お母さんを指し示した。
 お母さんは胸に手を当て、混乱したように体を震わせている。

「シェリン、シェリン! 変なのよ、体が。お願い……お願い! 早く食べなさい! シェリン!」

 銀髪をさらりと揺らし、ラムズが足を入れ替えて立ちなおす。

「あの薬を人間に飲ませると、悪魔のように加虐衝動に駆られるんだ。お前の母親、頑なに人は殺さない、傷つけるべきではないと頑張ってたからな。最期くらい未知の体験をさせてやるのもいいかと思って」

 お母さんはわなわなと唇を震わせる。

「この外道っ! 娘の前でよくもそんな残虐なことがっ……! は。っく、ぁ……」
「やめろよ!? そんなことしても意味ない。アタシは自分の考えは曲げねえからな!?」
「曲げなくてもいいぜ。餌はいくらでもあるしな」

 お母さんは何かに導かれるようにしてベッドから下りた。駆け寄ろうとするアタシをラムズが後ろから抱きすくめる。

「見てろって。ショーは好きだろ?」

 耳元に冷たい吐息が落ちる。肘でぐっと胸を叩く。

「触んなカス」

 お母さんは胸を強く握り込み苦悶の表情を浮かべ、でももう一方の手が何かを求めるように伸びている。怯えて縮こまっていた人間たちが、さらに悲鳴を上げた。
 ラムズが床に短剣を放ると、お母さんは取り憑かれたように剣を拾い上げ、ひとりの男に振り上げそうになった。頭上に振りかぶった剣、それを左腕で必死に抑えている。

「シェリン、私を食べるのよ! 体が勝手に動いてしまう……! お願いよ……お願い! このままでは殺してしまう……。悪魔になって生きるのよ、シェリン!」
「アタシを狙って!? ラムズでもいい! 人間じゃなくて!」

 ラムズを振り切り、アタシは駆け出して彼女の腕を掴む。でも信じられないほど強靭な力だ。魔法も使えない今、純粋な腕力だけでは敵いそうにない。

「お母さん、お母さん。アタシを刺して。お願い。人間じゃなくてアタシを……」
「無理なの! 無理なのよ! 無理なの……!」

 目から大粒の涙が零れる。ぎ、ぎ、と短剣を持つ腕が落ちていく。人間たちが逃げようと体を捻れば、鎖が絡みついて固定される。
 ラムズはベッドに足を組んで腰掛け、歌うように言った。

「その薬な。理性を保ったまま加虐心が暴走するんだ。おあつらえ向きだろ?」
「笑えねえよ!? 魔法解けって! アタシの父親だろ!? アタシに捨てられっから!」

 お母さんの体を後ろから強く抱きしめ、剣先を自分のほうに近寄せようとする。

「お母さん! アタシを狙えばいい! アタシは少しの傷なら死なない! ラムズでもいい! 人間はダメ、お母さんは人間を傷つけたくないでしょう!?」
「……嫌。嫌よ……殺してはいけないっ。私から逃げて、逃げて……!」
「お母さん聞いて! アタシを刺してよ!」

 ラムズの低い笑い声が聞こえる。

「無駄だって。加虐心が芽生えると言っただろ? シェリン、頭を使え。この場で誰を殺すのがいちばん愉しい?」
「愉しいって──」

 はっとして唇を噛んだ。
 アタシを刺しても、アタシは心を痛まない。仮に死んだとしても、お母さんに殺されるのなら受け入れる。ラムズも、アタシが死んで絶望することはないだろう。
 お母さんがラムズを刺すのは、そも成功確率が低い。成功したとて、アタシは衝撃を受けるけど、人間は喜ぶ。お母さんも嬉しい。

 ──でも、人間を殺したら?

 まず人間が喚き散らす。そしてアタシが苦しむ。お母さんに、いちばんお母さんがやりたくないことをさせてしまったと、記憶で見たような胸の息苦しさが蘇るだろう。

 加虐嗜好を持つ悪魔が望むのは、最も最悪の結末、なにより最低のエンディング。だからお母さんはアタシを刺せない。ラムズを襲うこともできない。

「……お母さん、頑張って。お願いっ……お母さん」
「ぁ゛っ、あ゛あ゛ぁ。だめ。だめだっ、やめろぉぉぉぉおおぉお」

 甲高い雄叫びを上げたかと思うと、人ならざる力が働き真っ直ぐに剣が振り下ろされた。男の首に直撃し、母は気が触れたように首筋に何度も何度も剣を突き刺した。飛び散る血で顔がみるみる穢れていく。

「ごめんなさいっ、止まって……止まって! あ゛ぁ。殺して、しまっ……わたしが。あぁ、あ、ああ゛。あ゛、あ゛…………」

 部屋の下に敷いた魔法円が白く光る。聖魔力が吸い取られていく。

「ラムズ! 治せって、助けろよ! このクズ!」

 代わりにアタシがなんでもする、ラムズの奴隷になる、宝飾品貢いでやる──思いつくものはあるのに、口から言葉が出てこない。

「助けてやる方法は教えただろ? お前が喰えばいい。母親ごと薬を取り込んで、悪魔になれ」

 ……嫌だ。嫌だ。
 人間性を消せばもう約束を守れない。もうこの手には何も残らなくなってしまう。記憶があってもソレは意味をなさない。ただ文字が脳に浮かぶだけ。
 それに記憶を失う前から、たしかにアタシは母を嫌煙していたのだ。人を傷つけたアタシを説教する母が嫌いだった。自分のやりたいことを否定する母が面倒だった。

 母の記憶と同調して、愛を知って、かろうじて繋がったこの糸は──感情が消えたらもうぷつんと千切れてしまう。


 お母さんは急に蹲り、胃の中の内容物を吐き出した。人を殺したショックか、薬の副作用か。床に散らばった吐瀉物は、胃液と半消化の固形物が混じり合い、鼻を突く酸腐臭を放つ。

「薬の効き目が悪くなりそうだな。吐いたモンは喰え」

 後ろで悪魔が喋り、組んだ足の爪先を揺らした。母に対するさらなる屈辱的な仕打ちに舌を打つ。

「そんなの食べなくていい! お母さんッ!」

 アタシの声に、母は自分でも理由がわからないというふうで、這いつくばって舌で吐瀉物を舐めはじめた。

「なっ、な。何してっ。お母さんっ、やめて!」
「ッ……これぐらいっ。いいから……いいから!」

 血の混ざった生温かいぬめりを啜り、一心不乱に舌を這わせている。

「お母さ……っ」

 すべて舐め終わると床から顔を上げ、母は怯えた人間たちを視界に捉える。

「この人たちを助けて! お願いよ、私を食べて! シェリン……シェリンッ!」

 母は円卓の騎士に選ばれたのだ。その正義感と高い誇り、志を神に認められた人。その彼女が自らの意図に反して人を殺めるというのは、筆舌に尽くし難い絶望だろう。さっきから魔法円は白く発光してやまない。

 新しい人間のほうへ進む彼女を、力の限り引き止める。

「お母さんを……食べる、っんだよ……。もう……食べたくないっ……こんなに、苦しめたっ、のに。アタシッ……」

 記憶を失っていたとはいえ、何度も母を襲って食い散らかした。痛みに絶叫している彼女を嗤って見下して、心無い言葉で傷つけた。他でもない悪魔に成り果てた娘を見て、母は殊更胸を痛め、…………だからアタシは、誰よりも彼女から聖魔力を搾取できた。それをアタシは何も知らずに喜んで……ラムズや魔王に──嬉々として報告して……そんなの、それをまた……アタシは。

「しぇりっ、んっ! ぁ゛あ゛あああぁ゛!」

 母から剣を取り上げようと腕を伸ばせば、アタシの手首に母が噛み付いた。

「っめ、めんなさい。シェリン、……しぇりんっ、生きるのよっ……! 約束を……!」
「いや……嫌。もう、もう嫌なの。もうお母さんを苦しめたくないっ……」

 お母さんから、血と混ざった涙が蛇口を捻ったように湧き出した。最後、どこか意識を持っていかれたような声で弱音を吐いた。

「私っ、私は……私は──人間を救いたくて、ずっとここでっ……生きて────。それなのに彼ら、を。……っく、ぁ。ああ゛あ゛」

 彼女はまた雄叫びを上げ、アタシを振りほどいて次の人間の腹に剣を突き刺した。絶叫する人間の口に短剣を突き刺しては、既に息のない彼の胸や顔までもを滅多刺しにしていく。

「あぁぁ゛! ああ゛! あ゛、あ゛…………」

 迸る血とともに、涙が混ざりマーブル模様になって床に染み落ちていく。
 ……お母さん、が。アタシのお母さんが。……優しくて美しくて、太陽みたいな光をしたあの金色の瞳が────。

 アタシはお母さんの背中に飛びつき、首筋に噛み付いた。

 …………ああ。
 これでもう親孝行はできない。

 お母さんは人を殺すのが嫌いだ。傷つけるのが嫌いだ。人を救うことを信条に生きてきた。そんなお母さんがこうして人を傷つけているのは、きっと……アタシがまたお母さんの約束を破ることよりもずっとずっと苦しいことだよね。

「シェリンっ、シェリン……」
「……ごめんね、お母さん」

 ──これが、アタシができる最初で最後の親孝行だよ。

 肩の肉を食べ、腕に噛みつき、指を噛みちぎった。食べれば食べるほど悪魔の力が戻っていく。そして、昨日見たお母さんの感情が──同調で知った感情が色を失っていくのを感じる。

「応えられなくて……ごめん。約束……守れなくてっ、ごめん、」

 母の瞳を見つめる。痛みと喪失感と、それから──わなわなと唇を震わせ、「シェリン」と掠れた声が落ちた。

「悪魔でごめん、弱い悪魔でごめん」

 胸を締め付ける感情が、ぱちんと切れる音がした。

「…………ママの娘で、ごめん」

 もう一本の腕を取り、肉を噛みちぎって血を飲んだ。聖魔力の宿る彼女の体は美味で、知らず知らずのうちに舌が味を覚えて体の裏側が滾った。

 魔法円が眩しいくらいに白く光っている。

 ああ、ママが絶望しているんだな。
 アタシが……約束を守れないって伝えちゃったから。
 アタシを産んだことを後悔しているのかな。円卓の騎士である自分が世界に悪魔を産み落としてしまったと、恥じているのかな。それとも、自分はやっぱり無力だったって、責任感の強いママは思うのかもね。約束なんて……最初からしなきゃよかったね。

 ──ま。もう、よくわかんないけど。

 ややもすると魔法円の光が消えていく。
 絶命したんだろう。まあ、美味しいしもったいないから、最後まで食べておくか。せっかくのママの体、無駄にはしないよ。


 そうして、骸となった彼女の跡を見下ろした。

「さよなら、ママ」



 唇に付いた血を舐めとったあと、浄化魔法を使って体を洗う。さっぱり綺麗になった体で、ベッドに腰かけていたラムズのほうを振り向く。つまらなそうに欠伸をしている。

「クーズ。さいてー。ラムズさいてー。悪魔になったからもう出ていくもんね〜」

 アタシはひらひらと手を振り、部屋の扉のほうへ歩いた。腕を掴まれる。

「シェリン」

 目を細めて見上げる。

「もう用ない。アンタとはこれから他人になる。悪魔にはなったけど、別に仲良くする必要はないでしょ? ま、怒ってるワケじゃないんだけど……」

 首を傾げる。

「数分前のアタシは怒ってたから。怒ることにした」

 にこっと微笑み、アタシは自分の部屋に転移した。