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屍愛の上で悪魔は踊る作 : 夢伽莉斗X : @yumerito_birt

4.清く正しく真なる愛

 アタシの出生、地獄? こんな酷い産まれ方ある? それに父親がカスすぎない? 終わってる……終わってんな…………。

 ああでも、終わってんのはアタシも同じか。

「シェリン、シェリン!」

 グレースがまだ腕を背中側に拘束されたまま、這ってアタシの寝転ぶ床まで進もうとしている。記憶を見ていた時間は、案外短かったらしい。

 寝転んでいるアタシに、何かが腕を掴んで立ち上がらせた。……パパ、ラムズだ。

「全部戻ったか?」
「……戻りましたけど」
「記憶を封じたときに、お前の人間性も消えたんだ。このままの状態で生きるか、悪魔に戻るか選べ」

 アタシは声を低める。

「また記憶を消すって?」
「記憶は消さない。ただ人間性を捨てるだけだ。薬を飲ませてやる」
「へぇ」

 鼻で笑ってみせれば、後ろで叫んでいるグレースの声が聞こえた。

「ダメ、ダメよ! シェリン、耳を貸さないで。この男は──」
「お母さん。大丈夫、もうわかってる」

 アタシの声に彼女が口を噤む。
 ラムズを見上げた。

「今すぐ決めんの」
「一日猶予をやる。人間性を消さねえなら、お前は母親と同じように幽閉だ」

 唇を傾けて嗤う。ぱっと姿が掻き消えた。


 伸びをするように両肩を回し、翼をばたつかせた。ただ静かに歩き、床で転がっている彼女を抱き上げる。ベッドに寝かせ、腕の枷を外した。

「…………記憶が、戻ったのね」

 優しい声だった。ぎこちない笑顔、笑うのが久しぶりなのだろう。アタシのほうに腕が伸びる。
 記憶で見たときより、ずっとずっと細かった。皮が張り付いてぼろぼろだ。顔も……若いままなのに、生気を失ったように萎びている。
 もうすぐ死ぬ。彼女がもうすぐ死ぬから……アイツはアタシの記憶を戻してくれた。

「シェリン」

 瞳だけはまだ命の色に輝いていて、光を失わないとでもいうふうに、真っ直ぐにアタシを見つめていた。これまで百年間、アタシが記憶を失っているあいだ、そして母親と知らず彼女を犯したときも、拷問にかけたときも、同じ瞳をしていたと気づいた。

「……………………ごめん」

 絞り出すように掠れた声が落ちた。喉が苦しい。胸が痛い。この百年来、初めての経験だった。こんな気持ちで人に謝ったのは、初めてだった。

 お母さんを苦しめたいワケじゃなかった。ましてや拷問にかけるつもりなんてなかった。これもラムズがやらせたことだ。でも。アタシも望んでやったことだ。
 反抗期だったアタシが一時の感情で記憶を封じてしまって、すべて忘れた姿でお母さんに会ったとき、いったいどんな気がしたんだろう。アタシが嗤いながら彼女を犯したとき、愉しそうに腕や肉を食べたとき、お母さんはどんな気がしたんだろう。

 記憶を辿るときに見たあの痛みや苦しみ、絶望、悲しみを、彼女は何度抱いたのだろうか。

『人を傷つける子にならないで。それだけがお母さんのお願いよ。それで人間の国で、幸せに暮らしてほしいの。幸せになってほしいの』

 彼女はよくそう言って、アタシを温かい目で見つめていた。幼い頃からそんな彼女を裏切りつづけた。言いつけを破ったアタシを、泣きながら殺そうとしたお母さんの気持ちは。
 ラムズの青い瞳には、温度がない。いくら目を細めても、彼女のように光は宿さない。


「シェリン。気にしなくていいわ。このまま早く逃げなさい」

 彼女は嘘みたいに優しい声で言った。

「……このまま逃げたりできないよ」
「私のことはいいの。私なんかより、シェリンのほうが大事なのよ。どうかお願い。早く魔界から出て」

 ……そもそも、逃げられるわけがない。

 アタシはもう一度魔法を使おうとして、やはり効かないことを確認した。それから窓や扉に近づき、魔法を解く方法ないか、力づくで外せないかを確かめる。

「……ん、ごめん。逃げらんない。アタシ魔法使えなくされた」

 母は綺麗な涙を落として顔を悲痛に歪めた。
 ベッドボードに彼女をもたれ掛からせると、そっと抱きしめる。

「……ごめんね、お母さん。すべての恩を…………アタシは仇で返した。何も成し遂げられなかった。約束はひとつも……守れなかった。ずっと破っていた。悪魔のアタシを愛してくれたお母さんをアタシは。記憶を失ってからも、アタシは…………」

 どう話せばいいかわからない。胸を締め付け、脳や体を支配するこの〝悲しみ〟に、〝罪悪感〟に、──どう対処すればいいのかわからない。悪魔が知らない感情、アタシがいらないと捨て置いた感情。

 お母さんは少しのあいだ黙って背中を摩っていた。

「あの悪魔のそばにいれば、そうなってしまうとわかっていたわ。……たしかに、凄く悲しかった。シェリンが約束を破ったことも、人を傷つけてしまったことも……。でも、シェリンのせいじゃない。私は産みたいと望んでいたの。今も後悔してない。……でも、私が無力だったから。あの悪魔から取り上げて、シェリンをひとりで育てることができたら……」
「…………でも」
「何も知らない無垢な子供に、あの悪魔が何もかもを教えこんだのよ。あなたは無垢な子供だった、だからそうなっても仕方ないの。彼がいかに人を傷つけ心を惑わしているか、シェリンは知っているでしょう?」
「そう、だね。だけど、アタシも望んだの。悪魔の本能に身を委ねてしまった。そうしたいと思っていたの」

 アタシは体を離して、自分のことを伝えた。悪魔の感情が七つの大罪で構成されており、自分は色欲がいちばん高く、それ以外の感情も人並みに持ちえていることを。そしてそれらの感情が何かと結びつくと、人を殺したり傷つけたりしたくなってしまうと話した。

「……色欲は、いいのよ。人を傷つけないかぎりで、お互いの了承を得て行えばいいの。人間同士でも普通に行われていることよ」
「うん……」
「……でも、あの悪魔は信用できないわ。わかるわね。あなたを利用しているの、今後もあなたを苦しめるかもしれない」

 彼女は少し控えめに尋ねた。

「記憶がないあいだ、彼と関係を持ったの?」
「ううん。アイツがしないって言ってたから……今日初めていいって言ったの」
「それはきっと私を苦しめるためね。──シェリン、彼と関係を持ってはダメよ。近づいてはダメ」

 ……記憶を消す前、幼いころ交わっていたことは黙っておこう。これ以上お母さんを苦しめたくない。

「うん、大丈夫。しないよ」
「……じゃあ、人を傷つけないように自制することはできるかしら。お母さんとの約束を、もう一度思い出してくれないかしら」

 母を見つめる。
 約束……約束。
 今の状態なら、守れるかもしれない。

 魔王やアイツに痛めつけられたときの、母の心の痛みを知った。同調して、彼女に本当の意味で〝共感〟した。あれだけアタシに「人を傷つけてはいけない」と伝えていた意味が、「ラムズを信用してはいけない」と言う理由が、ようやく理解できた気がした。
 今もお母さん以外を傷つけることに抵抗感はないけれど、彼女をこれ以上悲しませたくないという気持ちは芽生えている。記憶で共有した感情さえ呼び起こせたら、踏みとどまることができるかもしれない。

 この共有はきっと、お母さんと血が繋がっていたから。彼女の人生のハイライトがアタシの魔力に継がれていた。これさえあれば──。


「お母さんが……今までずっと苦しんで……。アタシを産むときも、アタシを身ごもったときも……。お母さんの人生は辛いことばかりで……」

 彼女ははっとして目を瞬いた。きらきらと光る涙がつぃと流れ落ちていく。

「それはシェリンが気にすることじゃないわ」

 言い聞かせるように、丁寧に言葉を紡いでいく。

「私はね、シェリンと出会えて幸せだったのよ。最初の三年間……四年間……、本当の、家族みたいだった。幸せだった。これまでのすべての辛い経験が報われたの。シェリンが笑う顔や、話す声や、抱きしめる感覚が、私を幸せにしてくれたのよ」

 ……そっか。わかるよ。そうだったね。
 アタシはもう一度彼女を抱きしめる。

「……でも、それなのにアタシは」

 喉が潰れて声が出ない。お母さんはアタシの目元を拭い、柔らかく微笑んだ。

「この百年も、シェリンを信じて待っていた。こうして話ができて……本当に、本当に幸せなのよ」

 ……こんなことで。百年間も苦しめつづけたのに、たったこの一度話した、だけで。

「シェリンはまだ子供だったの。周りの悪に染まってしまっただけ、それは当然のことよ。私がもっと支えられればよかったの。自分を責めないで。これからを生きて」
「……アタシはたくさん人を殺したのに、お母さんは──もうアタシを殺さないの?」

 彼女は腕を持ち上げた。たるんで変色してしまった皮膚。ぴくぴくと痙攣する指先、力を込めなければ曲げていられない関節。

「力が……出ないの。聖魔力が宿っていても魔法は使えない。……だから……」

 彼女はしばらくのあいだ悩んでいた。
 アタシはただ黙って隣に座り、これまで積み重ねてきた罪について考えていた。泣き叫ぶ声や縋り付く顔、怒り、涙、憎しみ──人間のソレを見るのが好きだった。グレースのそれさえも愉しんでいた。

 ……アタシは悪魔だ。産まれてからずっと、悪魔だった。


「シェリン。明日あの男が来たら、悪魔になりなさい」
「…………え?」
「お母さんと同じ道を辿らないで。このままでいると言えば、あなたは私のように死ぬまで苦しめられるわ。──シェリンに生きてほしい。人の道を歩んでほしい」
「……でも、アタシは罪を…………」

 彼女の生きた瞳から大粒の涙がこんこんと湧き出していく。

「我儘な私を許してちょうだい」

 涙に掠れ、上擦った声が聞こえる。魔王やラムズに逆らい、詰責し、慟哭し──記憶で聞いたどんな声とも違っていた。

「……わかっているのよ、そうね。あなたを悪魔にして……世に出してはいけない。罰を与えなくてはいけない。そして、これ以上人を殺すのを許してはいけない……悪魔にさせては、いけない」

 彼女の瞳が太陽のように輝いて、涙に濡れたまま笑った。

「──でもね。シェリンは私の娘なの。娘なのよ……」

 彼女は項垂れたように顔を覆った。



 アタシは、悪魔に……戻りたいのだろうか。元の生活に戻りたいのかな。それとも、このままでいたいのかな。
 ──アタシは……。



 彼女の嗚咽が止んだあと、ぽつりと零した。

「……悪魔には戻れないよ。また約束を破っちゃう」

 お母さんは凛とした瞳をこちらに向ける。

「いいえ。大丈夫よ」

 骨ばった手がアタシのそれを力なく握る。

「記憶は残ると言っていたわ。……いい? シェリン。悪魔に変わったら、魔王たちに従う振りをして、隙を見て逃げるの。そばにいたら、騙されて利用され苦しむことになるわ」
「……でも人間性がなくなったら……」

 言葉に詰まると、そっと首を振る。

「人間性を失っても、記憶は残っているでしょう? 私の言葉を思い出して。今度こそ……約束を守って、人を傷つけずに生きてほしい」
「でも……私にできるのかな、」
「色々な後悔があるのよね。感情は消えても、それは覚えているはず。シェリン、シェリン。記憶を頼りに……幸せになってほしいのよ」
「……わかった」

 それから、彼女は何度もアタシの名前を呼んだ。まるで、この先もう二度と話せなくなるとでもいうふうに。アタシの名前が世界一大切で、世界一好きな言葉だとでもいうふうに。大事そうに囁いて、優しく抱きしめて、何度もその美しい瞳にアタシを映して、愛をくれた。

「愛してるわ。愛してる。シェリン」
「……アタシも。お母さんのこと愛してる」