3.愛めく追憶は地獄の沙汰
「アーサー! アーサー!」
人々の歓声の声が聞こえる。魔界の扉を守りし者として、魔王と戦う者として、人類に称えられて送り出される。十二人の円卓の騎士が揃って壇上で敬礼をする。
アーサーの称号を得たグレースは、使命感と正義感に燃え、そして眼前に広がる民の様子に熱く胸を打たれていた。
──守らねばならない。私がこの者たちを、魔の者から。
(……なんであの女の記憶が?)
グレースの人生のハイライトを辿るように、次々と場面が切り替わっていく。
魔王に敗北し、仲間の騎士たちが捕われていくのを胸の底が湯立つように憤った。グレースは魔王を睨みつけ体を振りかぶり、鎖のついた腕をめちゃくちゃに振り回して何度も逃げ出そうとした。
初めて女の体を暴かれたときは、さも面白いというふうに体を弄ばれた。
「なあ魔王。せっかくなら髪伸ばしてさ、娼婦の格好でもさせてやろうぜ」
ラムズと呼ばれる銀髪の男がそう提案し、騎士にあるまじき格好をさせられる。他の円卓の騎士らが鎖に繋がれたまま自分の前に連れてこられたときは、次々と言葉を失ったように表情を変えた。
「……アーサー。円卓の騎士は男と決まっていたのに。君は……」
──経典に背いた。裏切りを受けた気分だ。そう彼らの顔が物語っていた。
自分が適任だったのだ。聖魔力を最も多く受け、戦闘力と魔法力に秀でていた。いつか後ろ指を指されようと、世界を守るため、悪魔や魔族を封じるため、闘いから背を向けることはできなかった。
体を晒されたのは構わない、秘密を暴かれたことも。いつかは罪を償うことになると思っていた。
だが、仲間をこんな顔にさせてしまったことが──魔王との戦いで敗北に導いたうえ、収監された彼らの心をさらに挫いてしまったことが、グレースの胸を強く抉る。嬲り者にされ、聖魔力を搾取され、悪魔に犯されて疲弊していく彼らを思うと、心が痛くて仕方なかった。
(アタシの記憶を辿るはずだよね。どういうコト。最後に騎士の女が言っていた。アタシが悪魔と人間のハーフだと。もしそれが本当なら……アタシが継いだ血は……。記憶を取り戻すのにあえてアーサーの部屋に連れてきたのは──)
「さて、お披露目の時間だ」
ラムズは手筈を整え、グレースの隣の部屋に円卓の騎士を次々と連れてきた。既に心が壊れてしまった者、快楽に堕ちてしまった者。ガラス越しでかつての仲間が崩れ落ちるように泣いた。
「アーサー。アーサー……すまない。すまないっ……。もう僕は……」
グレースの前で、ラムズは騎士の顔に魔法の炎を近づけた。引き攣った皮膚がじりじりと爛れ、眉毛が焦げ落ちる。赤黒く膨れ上がって顔が崩れかけては、無理やり皮を縫い合わせるように治癒能力が働く。終わりのない拷問に「助けてくれ」と乞いてひれ伏す騎士たちを、ラムズは軽く笑った。
「足でも舐めたいとか?」
足元で蹲った騎士を彼が踏みつける。
罅さえ入らぬガラスをグレースががんがんと叩くたび、床に敷かれた魔法円が嫌味なほど美しい光を放った。
「お前の負の感情に反応して、魔法円が聖魔力を吸い込んでくれるんだ。誰だって辛いときは美しいものが見たいだろ?」
発光の仕組みも、このラムズが仕立てたものだった。
(わかったよ。アーサーはラムズに相当怒ってんのな。で? もういいよ、怒りも憎しみも見たくない。知りたくない)
彼女の記憶はシェリンの体に同調するように流れ込み、憎悪や嫌悪、悲嘆、絶望が杭を打つように次々と体へ染み込んでいった。
それから、特別暗く重たい記憶が始まった。
「アーノルド!」
二百年は経った頃だろうか。円卓の騎士のひとりが、やつれた姿で連れてこられる。聖魔力の加護がほとんど消えてしまっている。もうじき彼がすべての魔力を吸い取られ、死んでしまうことは明らかだった。
「密かに思い合ってたんだって? 女であることを隠していたくせに、色恋沙汰にうつつを抜かすとは」
そうラムズが言うと、拘束されたグレースの目前で、アーノルドは悪魔たちに犯された。みるみる憔悴し、アーノルドは「すまないっ。すまなっ、い……」と喘ぎながら白濁に塗れていく。
最期にラムズはアーノルドに魔法をかけた。皮膚裏の内容物が外側に押し出され、アーノルドの体がのたうつ。
「ぐあ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛!」
肋骨が内側から押され、ミシミシと軋む音が響く。皮膚が裂けて内臓の一部が弾き出され、肉や血が飛び散る。腸が蛇のように飛び出し床に垂れ、耳から脳髄が溢れた。
頰は膨張で腫れ上がり、鼻孔から血泡が吹き出していく。最後に眼窩から温い体液がどっと流れると、急に萎んだように皮膚が骸骨に張り付いた。目玉が片方落ち、首から下が重たい音を立てて床に落ちた。
「っあ。ぅ゛。っく、……あ、ぁ゛ぁ」
グレースの心が崩れ落ちる。嗚咽にもならない呻き声が喉を引き裂く。項垂れ歯を食いしばった。ぽたぽたと落ちてくる彼の血が、ひとつ、ふたつ、みっつ。赤黒い液だまりの上、悲惨な首がごろんと転がった。
……死んだ。アーノルドが。いちばん信頼していた騎士が、最期までグレースと共に闘ってくれていた騎士が、──とうとう死んだ。
もう、自分ひとりだ。
円卓の騎士が死なない限り、魔界の扉は開かない。悪魔や魔族が大勢人間の世界に雪崩込むことはない。そのためにグレースは、決死の覚悟で耐えてきた。
心が壊れてしまえば、聖魔力が底を尽き命も果ててしまう。──生きなければいけない。体だけでなく、心も。だからどんな悪魔の拷問を受けようと、必死に己を奮い立たせてきた。まだ仲間が戦っているはずだと、戦ってきた仲間に報いようと、使命を最後まで果たそうと生き続けた。
それでも──……。たったひとりの円卓の騎士となったグレースは、魔王城の牢屋のなかで静かに涙を零した。ひとりでに魔法円が光り魔力が吸い上げられていく。
ああ、なんて忌々しい光だ。
(悲しい。辛い。痛い。胸が痛い。体が痛い。全身が痛い。憎い。憎い。許せない。怒り。諦念。絶望)
(ああ、可哀想だ。やめろ。弄ぶな。虐めるな)
(……なぜ、どうしてそう思う? アタシは悪魔だ。人間じゃない。同情はしない、この女にも関心はない)
(────本当に? もし彼女がアタシの母親なら?)
(アタシが、人間の血を、もしも引いていたら?)
件の絶望から数日。ラムズがまた部屋にやってくる。
嫌悪を顕にするグレースに、彼は飄々とした口ぶりで話しはじめる。
「あれから考えたんだが。グレースは処女だったし、体が結ばれることも遂に叶わなかったわけだ。そりゃ憐れだと思ってな」
ラムズは首だけになったアーノルドの頭蓋を持ち上げる。目玉が外れかけ、粘っこい体液が伸びて床に垂れ落ちる。
「この外道め! 人の遺体をそのように扱うな!」
「使わないともったいねえじゃん」
指をぱちんと弾くと、数人の死体と生きた人間が牢屋に召喚された。突然連れてこられた人間たちは、悪魔を見ると怯えて体を縮こめている。
「何をするつもりだ!? 元の場所に返しなさい! 彼らは関係ないはずだ!」
ラムズは、叫び暴れ惑う人間たちの腕や足を生きたまま引きちぎった。
絶叫とともに、表皮がぴりぴりと伸びて肉の繊維が一本ずつ引き裂かれていく。断面から露出した白い骨髄が鈍く光り、赤い筋束が飛び出して滴る血と共に垂れ下がった。
「やめろ! なんのために罪のない人を傷つけるんだ! 私を苦しめればいいはずだろ!」
彼女は喉を引き絞るように声を上げ、鎖で手首が折れるほど体を迫り出す。
ラムズはふと手を止め、拘束されたグレースに目を合わせた。けろりとした声で答える。
「なんのためって……聖魔力のためだろ?」
加虐を止めた彼に、グレースは少しでも続けさせまいと言葉を返す。
「それでも! 私ひとりを傷つければすむ話だ!」
「……はて。お前を甚振るだけの悪魔は大勢いるだろうが。なんのために"俺が"遊んでやってると思ってる?」
ラムズが指を弾くと、嘘のように人間たちの泣き叫ぶ声が止まった。部屋内を歩き、壁の穴に設置されたガラス瓶を取りあげる。
拘束されたグレースの目の前で瓶を振った。瓶の中の聖魔力が脈打つように美しい白光を放ち、銀白の結晶が耀う。
「見えるか? お前の絶望が深ければ深いほど大量に、より濃厚な聖魔力が摂れる。そしてお前がいちばん絶望するのは、己ではなく他人が苦しめられているときだ」
懐からまっさらの紙を取り出すと、ラムズはびりびりと半分に裂いていく。
「……なら、それを使わない手はないな?」
耳元で甘い囁き声が聞こえたかと思うと、目前で鋭い絶叫が響いた。人間の男の肩から股下にかけて裂け目が入り、骨や内臓ごと真っ二つに千切れた。半分に破れた肢体が無惨にずれ落ち、ばたりと倒れ伏す。それはまるで、割いた紙が床に落ちたときのように。
グレースの喉が固まる。床下の魔法円が、さらに強く白光を放った。
ラムズはまた別の人間の胴体を脚で踏みつけ、両腕を軽々と引き抜いた。悲鳴が耳を劈く。
「やめろっ! ……ゃめてください。やめてくださいっ!」
「助けて」「いやだ」人間たちの慟哭は、次第に意味を持たぬ絶叫に呑まれていく。
グレースは捕らわれたままの自らの無力さを呪い、鎖から抜け出そうと必死に藻掻いた。太い鎖が手首を擦り上げ、軋み皮膚を抉り、ついに骨に達する。ガっと勢いをつけて飛び出せば、両手首が折れて皮が引き千切れた。脳が焼き切れるような激痛に襲われ呻く。
治癒を待たずに彼女は立ち上がったが、既にどの人間も四肢を捥がれて折り重なり、バラバラに転がっていた。あまりの凄惨さに戦慄を超え、寒気を覚えるほど血の気が引いていく。
「顔さえアーノルドならなんでもいいよな」
ラムズは今しがた殺したばかりの人間の胴体に、アーノルドの頭蓋骨を無理やり押しつけた。手足のない体の首から、血がどっと溢れて床に落ちる。
「何をしているっ! 人の命をッ……ぐぁっ」
怒号を飛ばし掴みかかろうとするも、再び魔法の鎖に巻き取られた。
「作ってんの」
彼は軽い口ぶりで答えると、腐肉となった首の皮膚に針を差し込んだ。魔法で器用に針を操りながら、柔らかく沈み込んだそれを、今度は胴体に縫いつける。糸を引くたび皮膚が引き攣り、赤い糸に筋繊維が絡みつく。そうして不自然に首の短い胴体ができた。
それから古い死体の腕を捥ぎ取って、同じように胴体に縫い付けた。破裂寸前の風船のように膨れ上がった腕は、青緑色に変色し、斑点のような色ムラが浮いている。縫い目から蛆が這い出てアーノルドの唇の中に割り入った。
また別の死骸から脚をもらい、まだ温かい頭部から耳を削ぎ落とし、腐乱死体から陰茎を切断して無理やり股間部に嵌め縫った。魔法で糸が通るたびに小さな穴から膿が滲みだし、黄ばんだ体液がそれを穢していく。
生温く湿った悪臭が部屋に漂う。ラムズはついに完成したそれを魔法で浮かび上がらせた。
「ッッ。なんて、ことを…………」
ただひたすら惨烈な〝彼〟に、グレースは全身が痙攣するように震え上がった。
継ぎ接ぎ死体で作り上げた〝アーノルド〟。
雑な縫合で向きも形もめちゃくちゃのままに、関節のズレた脚や腕が繋ぎ合わさっている。不揃いの四肢から血や膿、肉があちこち解れ落ち、ぽとぽとと甲虫が床に落ちた。
グレースの腕の鎖が突如外れ、魔法で弾き飛ばされるとベッドに仰向けで磔にされる。
「悪いな、アーノルド。服を脱がすくらいは俺にやらせてくれ?」
ラムズは宙に浮いた血縫い人形にそう声をかけると、ベッドで叫ぶ彼女のドレスと下着を切り露出させる。
それから懐から取り出した小瓶を煽り、腰を曲げて唇を合わせる。首を絞め口を開かせると、ヤスリのように棘を生やした舌を入れ腔内を荒らしていく。媚薬が喉を滑り落ちた瞬間、グレースの体がカッと熱くなった。
顔を離すと、血濡れの舌がぺろと舌なめずりをする。
「んじゃ、アーノルドと愛し合ってもらうとするか」
ラムズはそばの肘掛椅子に座ると、魔法の鎖を操りグレースの両脚を引き上げる。淫らな開脚状態の腰元に、継ぎ接ぎ死体が落とされた。猟奇人形はがくんと首が傾き、アーノルドの白く濁った眼球がグレースを捉えた。
「まさ、かっ! やめっ! やめろ!」
「交尾なんて腰動かしてりゃなんとかなるんだし……魔法でこう──」
ラムズの指がくぃと曲がるたび、骸人形がひとりでに動く。
魔力で強制的に勃ち上がらせた屍の陰茎は、不自然に膨れ上がり蛆が数匹這っていた。血縫い人形から漏れ出る黄色い体液が潤滑剤のように働き、器用に女膣へあてがい押し込まれていく。強烈な異臭を放つ継ぎ接ぎ死体が、ぐったりとグレースの体に覆い被さり、奥を貫いた。
「ぅ゛っ。ぁ゛」
体をばたつかせれば、屍と肌が擦れ合い媚薬の効果で絶頂してしまいそうだった。膣内で冷たい陰茎が抽挿し、膨張しながら粘膜を擦り上げる。
ラムズは赤子を宥めるような口調で喋った。
「愛し合うっていいな。ペニスが誰のものかは知らんが、顔はアーノルドだ。これで生前の夢も叶えられて、めでたしめでたしだな?」
「きさま、っ。ゆるさっ、ぁッ……」
「ああ、キスもしたかったな? 気が利かなくて悪りい」
彼はくつくつと笑って宙で指を動かし、魔法操作をする。
鼻か唇か、ぶにぶにとした感触が唇に擦り付けられた。柔らかくなっていた皮膚が裂け、温い体液が零れて口に入った。同時に蛆が唇を這って頬から耳へ細かな振動を与え、それさえ甘い疼きに変わっていく。
「……っ。っく! ぁっ、は」
乱暴に揺すられる人形では、肉棒は柔膣に嵌りこんでしまって大きくは動かない。だがたしかに下腹部に感じる肉厚な魔羅の感覚に、媚薬の催淫が反応してしまう。はっ、はっ、と熱い息が落ちそうになるのを唇を噛んで堪え、首を背けた。
機械的に動き続けていた人形だったが、雑な縫合にみるみる体が解れ落ちていく。初めは腕が外れ、体が傾いた。脚は一本ベッドの下に落ちて、アーノルドの頭が九十度に傾く。粗末な縫合糸が引きちぎれ、生々しく赤黒い首の断面が覗く。ぼと、と乳白の目玉が落ちた。
「アーノルドがもう逝きそうだってさ。せっかくだから一緒にイくか?」
ラムズは魔力を込めてもう一度人形を起こすと、大きく腰を動かして膣奥を穿った。液状化した魔力が子宮口を叩き、どくどくと流れ落ちていく。
「ああぁぁぁッ!」
敏感な襞肉が震え、グレースは射精の勢いで絶頂してしまった。そのまま命を失ったように死体がグレースの体に倒れる。
死体から這い出てる蛆がグレースの乳房や鼠径部をぬるりと移動していく。蛆の小さな脚が皮膚を微かに削り、小さな刺激にひくんと脈打った。やっとの思いで体を振り、死体がズレてベッドに落ちる。未だ主張を続ける床の魔法円の白光に、くっと目を瞑った。
「アーサー。いい夢を」
(──もうわかっていた。これが〝ソレ〟だ。)
(アタシの誕生は、この瞬間だった。)
(死体を通してラムズが無理やり魔力を注ぎ込んだとき、この女が身篭った。悪魔さえ吐き気を催すほどの行為で、グレースは、最悪な奇跡を起こした。)
妊娠したと聞いたとき、グレースは絶望を感じた。だがそれでも、自らの腹に宿る命に「愛おしい」と思ってしまった。まだなんの罪も犯していないこの子を殺すべきではないと、こんな境遇でも、こんな場所でも、……見捨てることができなかった。
悪魔と人間の子供。……それも、あの憎い銀髪の悪魔の子供。
アーノルドが亡くなったことも大きかった。たったひとりになってしまった円卓の騎士で、この子と支え合って生きていけたら。私がこの子を育てることができたら。
数週間悩みつづけ、彼女は産む決意をした。
そのあともラムズは、悪魔と人間のハーフは強い子だからと言って、熊手のような鉄爪を女膣に挿入し、子宮内を掻き回し胎児を引きちぎり、そうしてまた大きくなった子を何度も何度も胎内で壊した。壊しては蘇り、腹が膨れ、──ついに飽きたのか、〝その子〟を産ませた。
──母親の顔が見える。
グレースがアタシの頬を優しく撫でる。柔らかな金色の目が細まり、涙が一滴落ちてくる。「本当にかわいい子」そう言って撫でて額に口づけをする。「愛おしい子。ずっと待っていたのよ。ずっと会いたかった」何度もそう零しては、ガラスに触れるようにそっと抱き寄せる。
──愛されてる、愛されてた。……グレースに。お母さんに。
出産後すぐ、一日のほとんどはラムズが自分の部屋にアタシを連れていき、悪魔の魔力を注いだ。母乳や人間の食べ物では体が衰えてしまったのだ。
「名前はシェリン」
「……それは私が!」
母が声をあげると、ラムズは青眼を細めた。ひやりとした温度に、彼女は俯き唇を噛みしめている。アタシを取り上げられないだけマシだと、名前は諦めるしかなかったのだろう。
母は初めは敵意を剥き出しにしていたけれど、子供の前で両親の不仲を見せるわけにはいかないと、純粋に育児に協力するだけのラムズを見て、徐々に憎しみを隠そうしているようだった。
一ヶ月にも満たないうちに、ラムズはいくつもの本や玩具を持ってきて、母の独房に運び込んだ。
「この子に何を吹き込むつもりだ!」
「疑うならお前が全部チェックしろ。生きていくのに必要になりそうなものしか持ってきてねえよ」
母は隅から隅まで本を読み、たまにアタシの手を当てて魔力で隠した仕掛けがないかも探った。問題ないとわかったあとは、読み聞かせたり文字を教えたりしてくれた。
最初の二年が過ぎ、アタシはおおよそ人間でいう四歳の体と脳を持っていた。魔法の飲み込みは特に早く、お母さんからもラムズからもみるみる吸収していく。
「ねぇお母さん。アタシ、外に出たいな。この窓の外が見たい。お父さんと外に出たらダメ?」
「シェリン……。そうよね……」
彼女は悩んだ素振りを見せ、丁寧に言い聞かせるように話した。
「お父さんは悪魔だって話したわね。だから……私は怖いのよ。覚えてる? 私との約束」
「人を傷つけない!」
「……そう、そうよ。お父さんはもしかしたら、シェリンに人を傷つけるようなことを頼むかもしれないの。それは、断れるかしら?」
アタシは喜んで頷いた。
「大丈夫。嫌なことは嫌って言う。お母さんとの約束は破らないよ!」
母はアタシを強く抱きしめた。
「……そうね、あなたを縛り付けておきたくはない。シェリンには人間の世界で幸せになってほしいから。外の世界を見て、好きなものを探して、好きなことをして過ごしてほしいの」
彼女の微笑みは美しかった。
母の許しを得たあと、ラムズは人間の街を見せてくれた。アタシの聞くことに答え、ものを教え、人々と触れ合わせ、挨拶をして、花や虫、空や海を見せて帰ってきた。
無事に部屋に戻ってきたアタシを見て、お母さんは目をいっぱいに潤ませて抱きしめた。お父さんから何か教わってはいないかと、妙なことをされなかったかと、何度も優しく尋ねられた。
それからまた年が経ち。アタシは週に三度はラムズと過ごしていた。今のところ悪い影響は与えられていないと判断した母が、ラムズと過ごすことを許してくれていたのだ。
ラムズは自分の部屋で優しくアタシの髪を撫で、額にキスを落とす。
「パパ♪」
「ん? キスされると嬉し?」
膝に乗せられたまま、アタシはこくんと頷く。ラムズの首筋にしがみついた。
「大好き。ふたりとも大好き」
「俺も。愛してるよ」
ラムズはそう和やかに目を細めると、体を離し、アタシの唇をやわやわと冷たい親指で擦った。とくん、と胸の底が瞬く。
「最近、お口がムズムズするの。でも、お母さんに唇でちゅーしてみたいって頼んだら、ダメだって言われた。血の繋がった人と、唇のキスをするのはダメなんだって」
「なんで唇でキスしたいの」
「柔らかそうで……気持ちよさそう!」
目を輝かせるアタシを、温度のない青眼が見下ろしている。
「んー。ママには内緒にできる?」
「できる、する!」
ラムズはそのまま、小さな唇に自分のそれを合わせた。ふに、と冷たく柔らかな感触が伝わって、細かな刺激が走り体の底が疼いた。
「わ、わっ! こうなるんだ! お母さんとお父さんがしてるヤツ!」
「お前がしろって言うからな」
「だって愛し合ってる証拠、でしょ?」
ふたりが仲が良いほうがいい、抱きしめたりキスしたりしているのを見るのは愉しかった。
「そ。俺もシェリンのこと愛してるからしたの」
「ん。もっかい!」
唇を重ねたあと、ラムズがアタシの上唇を小さく舐めていく。さらに甘い刺激が這い、見えない興奮に心が浮き足立っていく。
「ソレ、ソレ、好き! もっとする、もっかいしたい!」
今まで唇がもぞもぞとしていたのが、どこか解消したような気がした。
「ママにはやんなよ?」
「どぉして? 愛でしょ?」
「ママは違う愛の価値観を持ってるんだ。俺は悪魔であいつは人間だろ。でもお前はそのふたりの子供だから、両方の愛を知っておくべきだと思った」
「……お母さんは、こういう愛がキライ?」
「ああ。だからママが嫌いなものの話はしないでおこう。人を傷つけるなって約束してるだろ? 俺と一緒にママを傷つけないようにしよう?」
「ん、そうする! 傷つけない!」
そこでふと立ち止まって、首を傾げた。
「でも……お母さんは嘘や隠し事はダメって言ってたよ?」
「ママは人を傷つける嘘しか知らねえんだ。俺が、人を傷つけない、優しい嘘を教えてやるからな」
それからラムズは少しずつ舌を割り入れて、小さな舌と絡め合わせるようにキスをした。次第に深くなっていく口づけに、必死に追いついて蕩ける蜜のような唾液を絡み合わせていく。
「すきぃ、これ好き。もっとしたい」
「お前が秘密を守れたら、次もしてやる」
それから、ラムズと会うときは決まってキスをした。次第にキスの刺激だけでは足りなくなり、ラムズが新しい遊びを教えてくれた。「お前は色欲値が高いから、満たしてやろうな」と言って。
体を撫でられ、胸や耳を舐められると気持ちいいと知った。下腹部がじんと疼きはじめると、ラムズがそれを舐めてくれ、「イく」という感覚を刻まれた。
みるみる夢中になって彼に応え、せがみ、ついに体まで交えた。別におかしいとは思わなかった。
「小せえ体」
彼はくつくつと笑って見下ろし、アタシの裸体を撫でていく。ぎゅうぎゅうに詰まった下腹部に息が止まりそうで、でも幸せな一体感に心は夢見心地で。
「愛してるよ。シェリン」
「あたっ、……しも。ぱぱ、すきっ、だいすき」
くつくつと笑い、銀髪を揺らして首を傾げる。
「両思いじゃん。俺たちが愛し合ってるから、こうできるんだよ」
「んっ。ん……ぅん、」
「いっぱいシような、シェリンの大好きなこと」
「ぅんっ!」
低い嗤い声が聞こえる。
「アイツの人間性のおかげか? なんでも信じて、素直で、ほんといい子だな」
気持ちよくて、幸せで、アタシにとってはイイコトしかない。ラムズは溢れるほど白濁を何度も流し込み、それでまたさらなる多幸感に酔いしれた。
ママがコレを否定する理由も、パパを信用するなと言う理由もよくわからなかった。
ラムズと過ごす時間が増えるにつれ、人間の街だけでなく、悪魔の街にも出かけるようになっていた。アタシにぶつかりそうになった魔族を、ラムズはその場で首をねじ切って殺した。首がごろんと転がって地面に落ちる。
「……あ、れ。コレ……ママがダメって言ってたヤツ……」
「お前はしなくていい。ママの約束を守って。俺は悪魔だからこういうこともするんだ」
「……ダメなことなのに」
「シェリンを守るためにやったんだ。シェリンのほうが大事だから。今こいつを殺さなかったら、次こそお前にぶつかるかもしれねえだろ? そしたらお前が傷つく」
……〝アタシが傷つく〟。
アタシは傷つきたくない。痛いのも苦しいのも嫌いだ。
「シェリンを愛してるからやったんだよ」
ふぅん。これも愛なんだ。ママが知らないだけで、パパにとっては愛らしい。
また少し体が大きくなって。ラムズと別の女悪魔が交わっているのを見ながら、アタシは血を飲んでいた。ママが血を飲むのはいけないよと言っていた気がするけど、最近、ママは少し面倒くさい。禁止事項が多すぎる。
アタシが好きなことを許してくれるのはパパのラムズだけだ。ママと狭い部屋で過ごしているのもつまんないし、今はもう週に一度ママの部屋に戻っているだけになっていた。ママに秘密にすることが増えて、話をするのも大変だった。
女悪魔がラムズに抱きついて、好き好きと喚いて、それに対してラムズも頭を撫でて「愛してる」と言った。それがどうにも苛立って、ラムズの腕を引っ張った。
「……楽しくない」
「ん、ちょっと待って」
女悪魔は顔をしかめる。
「なんでこんなチビの悪魔が見てんの? 追い出してよ。私がせっかくラムズと愛し合ってるのに……。それより、服は? 脱いでくれないの?」
女はにこやかに微笑んでラムズを見つめた。
「脱ぐの面倒」
「どうしてよ! 私だけ脱ぐなんて寂しいじゃない!」
女が服に手をかけて、ラムズはますます嫌そうな顔をした。
「いいでしょう?」
女は体を半回転させてラムズを組み敷いた。無理やり服を剥がそうとする彼女を見て、ぱちんと何かが切れた。
アタシは彼女の背中の翼を掴み、壁まで放り投げた。どこからそんな力を、と目を白黒させている彼女を無視して、ベッドに乗りラムズに抱きつく。
「……アイツ、ラムズが嫌なことしてた」
「ああ、めちゃくちゃ嫌だった。ありがとうシェリン。殺してくれる?」
ラムズはなんでもないことのように言った。手を挙げてくれる?とか、魔法を使ってみて、とか、それくらい簡単なことで、取り留めもないことというふうだった。
「……ママの約束、破ることに、なる?」
「ん。嫌なら大丈夫」
どこか寂しげに落ちた言葉に、アタシは指で鉄砲を作って女悪魔に向けて打った。彼女が叫び声を上げて絶命する。
ラムズはアタシを抱き寄せて膝に乗せ、頭を優しく撫でてキスをしてくれる。
「俺のために殺してくれたの? すげー嬉しい」
「ほんと? 嬉しい?」
「ああ。愛じゃん」
「ん、愛」
ラムズは額にキスを落としてから首を傾げた。
「どうだった? 嫌な気分がするなら、次はママの約束を守ってあげて」
「嫌な気分はしてないよ。アイツ、ラムズを愛してるって言っててウザかったから、もう喋らなくなって気持ちがスッとしたかも。……でも、約束は…………」
約束を破ったことは悲しい気がした。ママを悲しませたいわけではなかった。パパにも喜んでほしいし、ママにも幸せでいてほしい。
──でも、罪が増えるにつれ、拮抗する思いの辛さに約束を破ったことを謝ってしまった。ママはとても悲しい顔をして、「もうラムズと出かけてはいけないよ」と言う。
彼女を振りきって出かけて、またラムズとセックスをして、人を殺して血を飲んで、帰ってきて、それがまたなぜかバレてしまって、──グレースはアタシを殺そうとした。
「……ママと会うの疲れた。愛してるのに殺すって言ってくる」
彼女はただ泣きながら、アタシの首をキツく絞めた。「ごめんね、ごめんね」と謝り「私が間違えてしまった……。シェリンを殺してから、私も」、そう何かを呟きながら、今まででいちばん辛そうな顔をしていた。
既のところでラムズが助けにきて、アタシとママは引き離された。
もう会いたくない。ママを困らせたくもない。でも、自分のしたいことを諦めたくもなかった。多すぎる感情が脳を蹂躙してパンクしそうだった。
「シェリン。一度記憶を封じてみるか」
「……そうすると、どうなるの?」
「まず、お前はもう会いに来なくていい。ママも、今は何も知らないお前に話しても無駄だと悟るから、少し気持ちが落ちつくはずだ」
「……でも、ママやパパのこと忘れたくない」
「また思い出させてやるし、忘れてもシェリンは悲しまないよ」
「どうして?」
「悪魔だから気にしない。記憶が戻ったときはもっと歳を取っているし、お前も上手く整理できるはずだ」
ラムズのことは忘れたくなかったけれど、ママのことを忘れられるのは有難かった。最近の悩みの種で、考えるだけでムシャクシャしてしまうから。これのせいで余計に人に当たってしまい、約束を破る回数が増えた。そうして自己嫌悪に陥り、さらに人を傷つけることになった。
「ちゃんとまたママに会わせてくれる?」
「ああ」
彼の青眼が冷たく笑った。