分校の歴史を後世へ 宮城・栗駒小耕英分校跡地に住民らが記念碑建立
宮城県栗原市の栗駒山の山麓(さんろく)にあり、昨年解体された旧栗駒小耕英分校の跡地に住民が記念碑を建て、17日、除幕式をした。「分校の歴史を後世に伝えたい」との思いを卒業生が形にした。
耕英地区は戦後、旧満州からの帰還者らが原生林を切り開いて開拓した。閉校記念誌によると、耕英分校は1951年に児童17人で開校。64年のピーク時には、5学級に80人が在籍したこともあったが、2008年の岩手・宮城内陸地震の時には通っていた児童3人が避難し、休校に。そのまま11年で60年の歴史を閉じた。卒業生は192人を数える。
山中に残る鉄筋コンクリート平屋建ての校舎は、住民の集会所や民間企業による利活用が模索された。しかし、開拓2世が高齢となり住民も減る中で、雨漏りするほどの老朽化と維持管理費がネックとなり、昨秋、惜しまれながらも解体された。
ただ、住民はここに校舎があったことを残したいと卒業生に寄付を呼びかけ、約100万円を集めて記念碑を建てた。記念碑は高さ1メートル、横1.8メートル、幅15センチの黒御影石。単独校だった時代もあり、耕英小中学校の校歌と沿革を刻んだ。
栗駒山麓ジオパーク内でもあるため、市はこのタイミングでジオパークの歴史が分かる「文化サイト」と位置づけ、耕英分校の説明板を設置した。
記念碑建立の中心となり、卒業生でもある斎藤英志さん(75)は「この辺りは幼稚園はなく、入学前から学校で遊んだ。卒業後も盆踊りや飲み会をしてコミュニティーの中心、よりどころだった。これで後世に伝えられる」と喜んだ。