タイピングによる言語化ってなんぞ
言語と音声
書くタイピング=言語化タイピングというものがあるという話をしましたが、しかし、そもそもその言語化ってなんやねんってよくわからないですよね。
ここでいう言語化は、ビジネスとか自己啓発とかの用語的なことじゃなくて、文字通りに思考や感情を言語で表現するという意味です。
当たり前の話ですが、言語は音声から生まれています。つまり、言語化とは「発話」にかなり近い概念と思ってもらっていいです。
最も基本的な言語化とは、思考や感情を声で表すことです。大抵のみなさんは日常生活で毎日やっています。
その応用として、内声による言語化があります。
内声とは心の声のことです。文章を黙読すると、多くの人はこれが表れます(ない人もいる)。
そして、手書きであれタイピングであれなんであれ、文章を「書く」時、多くの人は内声を「書き写し(コピー)」します。
つまり、言語化そのものは内声で行っているわけです。しかしこれは言語化の唯一の方法ではありません。
タイピングによる言語化とは、内声という中間出力を経由せず、タイピングによって直接に言語化を行うことを指します。
最もわかりやすい例が手話ではないでしょうか。手話には音を表す指文字もあれば、意味を表す手話単語もあり、基本的には音声言語とは異なる言語だということができます。
日常会話を手話で行う人は、手話で寝言を言うことがあるそうです。
明らかに、手話で言語化を行っているわけです。これは脳内の言語そのものが音声とは異なる形態であることを示しています。
そして、鈴木隆子さんは手話通訳士として活動なさっている聴者であり、動画からも音声会話を問題なく行えることが明らかです。
つまり、日常音声会話を行っている人であっても、音声以外の形態による言語化は問題なく可能なのです。
言語化タイピングの効用
なんかレトリックめいてますが、基本的には「中間出力がないことそのもの」が効用といえます。
内声という中間出力があるということは、それをタイピングに変換するプロセスが生じます。すると出力ではなく変換に意識を持っていかれ、思考への集中も削がれます。
という話をすると、「変換(タイピング)を無意識化すればええやんけ」という反論が必ずあって、まあそれは間違いではないです。不可能(な人がいる)って点に目をつぶればよォ~~~~。
あとまあ、内声そのものが遅いだとか、pushとpullとか、色々論点はあるんですが、とにかく根本的に、最終的に文章にしたいのに内声を挟む必要がないということに尽きます。
タイピングで言語化することがすごく難しいなら中間出力にも意味が出てきますが、別に技術的に難しいことはないんですよ。前提条件が厳しいだけで。
言語化タイピングの条件
ニワトリタマゴ的な話になりますが、「変換プロセスを減らすこと」が、厳しい訓練無しで言語化タイピングを行う条件だと思います。
タイピングそのものによっぽど不慣れならまた話は違いますが、たぶん本来、内声による中間出力なんかないほうが楽なんですよ。
必要なければ脳はそれをやめるんです。逆に言うとなぜ中間出力が必要なのかという話になる。
野球のバックホームに例えましょう。外野手がフライ捕ったらホームに返したいですよね。でも届かないから中継プレーを行う必要が出てきて、どこをどう中継するかっていう意識が生じるわけです。
肩が強くなればいいって考え方もありますが、ホームが近ければいいっていうのがラクな考え方じゃないでしょうか?
ホームが近い、つまり言語化への距離が近いことの物理(ハードウェア)的な条件は、体感ブラインドタッチができることです。これは過去記事で書きました。
では論理(ソフトウェア)的な条件、言語入力システムの条件としてはどうでしょうか。基本的には言語との一致度の高さといえると思います。
では日本語との一致とはどういうことか。そこで確率論的設計と意味論的設計の話とかもしたいところですが、ごく基幹的な条件としては次の二択になると思います。
モーラ等速かな入力
漢字直接入力
これはまさに、モーラベースと文字ベースの違いです。日本語の文章は漢字仮名交じり文なので、文字ベースの究極は漢直ということになります。
内声を挟むなという話をしているのですから、そんなもん漢直一択やんけという理屈になるんですが、不可能って点に目をつぶればよォ~~~~以外にもかな入力を選択する理由があります。会話的な文章では漢直よりかな入力のほうが自然に入力できるという証言があるからです。
僕は小説が本領であり、小説を会話的な文章とみなしていますので、この点をかなり重要視しています。いやまあその、もっと簡単そうな漢直があれば試してみたいとは思いますけどぉ……
言語表象
以上が脳科学的な文脈を深く参照しない話。この辺、脳と言語のシステムを理解すればちゃんと説明できそうな気はするんですよねー。
いまんところのザックリした理解だと、タイピングとはワーキングメモリにおいて言語表象を運動に変換する行為の一種なんですが、内声コピーだと音声的言語表象をいちいち(口ではなく)指の運動に変換するプロセスが挟まってしまって、タイピングとしての言語表象を直接的に想起すればプロセスが減ってラク……みたいな話だとは思ってる……
最近ペラペラっと脳と言語の本読んでるんで、理解できたらまたこの辺の話書き直すと思います。



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