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十刻通信

つれづれなるままに

都南村の思い出

2022-11-01 21:37:19 | つれづれなるままに

 

 昭和30年(1955)4月1日、紫波郡の見前、乙部、飯岡の3村が合併して都南村が生まれた。ちなみに、私は同年2月に岩手郡御所村繋に生まれた。御所村は4月に(新制)雫石町と合併、10月には繋地区だけが盛岡市に編入された。私は村で生まれ、8カ月のうちに町民を経て、市民になっていた。
 それはそれとして、平成4年(1992)4月1日、都南村は盛岡市に編入され、地図上からは姿を消した。今年は盛岡市・都南村合併30周年として、さまざまな記念行事が行われている。
 小生も旧都南村とは少しばかり縁がある。まず、母校である県立盛岡第四高等学校が都南村にあった。26歳のとき、半年間だけだったが、都南村商工会(現・盛岡商工会議所都南支所)の職員として働いた。
 昭和57年(1982)1月21日、商工会主催の研修視察団が、開業1カ月後の江釣子ショッピングセンター・パルを訪れた。都南村ではその3年前にオープンしたニチイ都南店(都南ローズタウン)の出店をめぐってすったもんだの大騒ぎとなったことがあるだけに、パルの出店に強い関心を抱いていた(ニチイ都南店はのちに盛岡南サティとなり、2006年3月末に閉店)。
 視察団の面々は、当時の理事長だった髙橋祥元氏から説明を受けた。

 時は流れ、平成27年(2015)4月、『革新 挑戦 中小小売商の灯を消すな 江釣子SC「パル」理事長、髙橋祥元という生き方』(盛岡出版コミュニティー)が出版された。(口述筆記というかたちで髙橋氏が著者を名乗ってもいいのだが)本人の希望で、取材・執筆した私が著者となった。6月23日、北上市内のホテルで開催された「出版を祝う会」では、テーブル(円卓)53卓、地元政財界の関係者ら500人という壮観なパーティ会場で、拙いスピーチまでさせてもらった。髙橋氏の盟友でもあるイオン名誉会長の岡田卓也氏らともご挨拶する機会があった。

 パル視察の前日、1月20日、都南商工会主催の新春講演会が旧都南村公民館(当時は木造2階建ての小さな建物)で開かれ、映画評論家の水野晴郎(はるお)氏(1931年7月19日~2008年6月10日)が映画のすばらしさを熱く語った。
 講演が終わったあと、控室(会議室)でひとしきり映画談義を交わし、水野さんの著書にサインしてもらった(私は盛岡タイムス記者のとき、毎週木曜日、自分が見た映画の感想として「スクリーン拝見」を掲載し、それが縁で淀川長治さんから手紙をいただいたことがある)。あのとき水野さんは50歳。健康優良児がそのまま大人になったような偉丈夫だった……。

 昭和59年(1984)3月10日、作家の長尾宇迦氏と初めてお会いした。同月はじめから、私は総合雑誌「地方公論」の編集人として、再刊(通算39号)に向け、津志田の地方公論社という印刷会社で働いていた。
 長尾夫妻は当時、国道4号を挟んで西側にある一軒家に住んでいた。長尾さんは58歳、私は29歳。当時、私は同人誌「時圏」の同人で、この年の「文学界」新年特別号の同人雑誌評で、ほんの数行だったが、初めて拙作「69冬」がとりあげられた。そのことを話すと、長尾さんは顔をほころばせた。それを機に家におじゃまするようになった。
 実は長尾氏は、私が盛岡第四高校に入学した当時、教諭をしており、『小説現代』新人賞を受賞するなど新進気鋭の作家として将来を嘱望されていた。私が2年生のとき、長尾氏は作家としての道を選び、上京していた。
 再刊「地方公論」は8月に発刊された。巻頭エッセイは三好京三さん、長尾宇迦さんら名の通った作家が飾った。都南村にまつわるエピソードはまだまだあるが、昔語りはこれぐらいにしておこう。