”Orients”by Sapho
SFとミステリーの作家であるフレドリック・ブラウンに”未来世界から来た男”という短編集があって、これが要するに艶笑SF集である。軽いエロ落ちのショートショートで繋ぎながら、いくつかの短編を読ませて行くという仕組み。
この本を私は中学生の時に読んだのだが、情けない事ながら、その”艶笑”の部分が理解できなかった。
すでに素早い奴は不純異性交遊で名をはせていたというのに、その方面にまるで目覚めていなかった当時の私なのであって、性的知識において、大幅に後れを取っていた悲しさ、たとえば次のような小笑話があるのだが、こんなものが理解できなかったのだからお笑いである。
(ネタバレというよりネタそのものを書くので、これから該当図書を読む予定の人は”このオチが理解できなかったのだ”の行まで飛んでください。と気を使うほど重要作とも思えないが)
~~~
アメリカ人の夫婦がインド旅行をする。ちなみにダンナはインポテンツに悩まされている。
夫婦は旅した地で街角の芸人が魔法の笛を使って、ただのヒモにまるでヘビのように鎌首を持ち上げさせるのを見た。
夫婦はその笛を芸人から購い、夜のベッドで妻は横たわる夫に向い、その笛を吹いた。と、夫のパジャマの股間がモコと持ち上がったのである。
妻は喜んでさらに笛を吹いたのだが、パジャマの前を掻き分けて立ち上がってきたのは夫のパジャマの紐だった。
~~~
このオチが理解出来なかったのである。まあ、理解できなくともとくに惜しいような作品でもないのだが、ともかく当時、何が面白いのか最後の一行を読んでも理解不能だった。
ただ、シンと静まり返った夜の中でユラと立ち上がったパジャマのヒモ一本、そのおかしいような物悲しいような光景だけが妙に記憶に残った。
子供の頃の夜というのは、そんな、幼い者には理解不能の秘密の気配がどこかに潜んでいたものである。そいつは悦楽の予感の向こうに、先のパジャマのヒモの物悲しさを孕み、しかし子どもが見てはいけない、気がついてもいけない禁忌として夜の向こう側に広がっていた。
異色のシャンソン歌手、サッフォーの歌の世界は、そんな夜の向こう側で演じられる不可思議な幻想劇としての性の予感に満ちている。フランス人ながら北アフリカのアラブ世界、モロッコで育ったと言う履歴を持つサッフォーにしか描き得ない幻想。それはリアルなそれとは微妙なところで異なっているデフォルメされたアラブ音楽の影が差すフランス歌謡の世界。
打ち鳴らされるアラブの打楽器が、笛が、ウードがカーヌーンが異国情緒を盛り立てるが、それはおそらくサッフォーが少女時代に耳に馴染んでいた故郷でもあり異郷でもあるアラブ世界の歪んだ記憶の模写である。リアルに見えて作り物であり、作り物でありながら、血肉が通っている虚実皮膜の賜物。
それら音の迷宮を縫って流れるサッフォーのフランス語の妖艶な歌声は、遠い昔にその言語がアラブ世界の言葉たちと交わした密約の開示のようにも思われてくる。パリ~モロッコを繋ぐ夜はますます深い闇に沈む。
『真っ白な嘘』とか『天使と宇宙船』とか、いくつか短編集を読みました。あの単純な世界って、すごく愛嬌があったなあ。
モロッコで育ったフランス人って面白そうですね。日本でいうなら満州からの引揚者のようなものでしょうか。それとも沖縄人かな。サッフォーというと、大昔の詩人くらいしか思いつきません。
フレドリック・ブラウンは、同期(?)のたとえばブラッドベリみたいに強烈な個性を感じさせないんで普通に読み流してしまったんだけど、今となっては非常にいとおしいです。なんか失ってしまった陽だまりの中のとりとめも内読書の時間を象徴しているみたいな感じで。
サッフォーは、日本人で言えば満州帰りの人でしょうね。それが売りで、歌詞の中に何かと中国の地名が入ったり、メロディに中華っぽいものが入ったりする。その辺がフランス人が聞くとどれほどリアルでどれほどわざとらしいのか、その辺の間合いが知りたいです。知りようもないんだけれど。