R2年12月13日(日) 曇 時々 晴
最高気温は15℃。 天候は曇時々晴 無風 の日曜日。 季節は12月中旬・・・。
最高のお出かけ日和なのですが、困った事に新型コロナウイルスの感染拡大が止まりません。
昨日は全国最多となる3000人が検査で陽性反応。 愛媛県でも松山市を中心にポツポツと陽性反応者が見つかっています。
仕事柄、週3回程度は道後温泉付近に行きますが、他県ナンバーだらけでまずまずの人込みでした。
中にはマスク無しで大声だしたり、道後温泉本館前で集まり肩を組みながら写真を撮る若者の姿も・・・。
寄り添って歩くカップルも多いし、お土産売り場内にも多数の買い物客が・・・(密接に値するくらい)
なんといってもこんな時期ですら、GoToキャンペーンを積極的推進する以外、コロナ対策も経済対策も考えない政府が、多額の税金を投入して観光客を呼びこまそうとするのですから、どうしようもありません。
某番組で 「ガースーです(にやけ笑いしながら)、何も考えていません」 と受け答えするような人が国家の代表?? 世も末です。
こんな状態ですので、本当は香川県の金毘羅さんに行きたかったのですが断念。
親子3人で自然広がる久万高原町の有名ラーメン店で食事をした後、砥部町にある ”日本一長い” パットパットゴルフ に行く、ミニツアーを行いました。
松山市の国道33号線を砥部町に向かって走り、砥部町から久万高原町入り口まで、車で約30分くらいの峠道を 「三坂峠」 と言います。
昭和50年代末になると、バブル景気が強まり、若者が高価なスポーツカーを手にする時代が到来。
バリバリに改造しては、夜な夜な三坂峠に集合。 昇りも下りもお構いなしに、100km超のスピードで暴走しまくりです。
久万高原町は標高720mにあり、小さなスキー場(久万スキー場)もある山地。
三坂峠も例外ではなく、冬は凍結しますし、崖下に落ちたら数百m下まで転落するような危険個所が沢山。
そんな場所ですが、雨でも降らない限り、ローリング族や走り屋が来ない日はなく、その走りっぷりを見ようと、俗に言う 「ギャラリー」 も大集結。毎夜、仲間通しの宴が催しされました。 (当時は飲酒やタバコなんて当たり前?の時代。酒飲みながらギャラリーって人、多かったです)
平成に入ると、各メーカーが新型性能のスポーツカーを続々フルチェンジ。一段と、三坂峠熱は高まり、ついには警察との追いかけごっこにまでなりますが、検問があるとの情報はすぐに洩れ、ネズミ講のように仲間内に伝達。 警察もお手上げ状態。
当時の車は、スープラ、スカイラインGT-R、スカイラインGTS タイプM、シルビアK-S、180、インテグラ、シビック、アコード、RX-7、フェアレディZ、レビン、トレノ ・・・ その他多数。 外車は少ない時代でした。
当時のヒット漫画 「シャコタン・ブギ」 や 「バリバリ伝説」 も、走り屋魂に灯をつけた要因かもしれません(苦笑)
そういう私も、当時は改造サバンナPX-7に乗っており、よく走り屋友達に誘われて、ギャラリーしに行ってました。
今はコースの途中に分岐点ができたり、警察の交通規制が強まったりして、「三坂に行こう!」 の言葉は聞かなくなりましたね。
バルブ経済が崩壊後、スポーツカー自体がなくなっていきましたし・・・。
三坂族のギャラリー場です。急カーブ地点。 族の一番の見せ場です。 その為、大破するような大事故も多発。
ギャラリーは安全なフェンスの部分から観戦します。
ギャラリー観戦場後方です。道横の叢が、ギャラリーの車置き場でもあります。
見知らぬギャラリー同士が、連夜通うことで仲良くなったり、自己の車談話で盛り上がったり。
私もまだ23歳でした。 血の気が多く若かったんですね。 けっして褒められる行為じゃありませんが、初めて仲間に連れられていった時、こんな世界を楽しむ輩がいる事を知り、良くも悪くも衝撃を受けました。
カーブ後の直線、これも走り屋の見せ場です。一体、何キロ出していたのか覚えていませんが、まともなスピードではなかったです。
その為、カーブでスピンし大破する者もいれば、ガードレールを突き破って、崖下真っ逆さま・・ って者もよくいました。
多数の大破事故を目撃しましたが、今でも覚えているのが、事故でひっくり返り燃え盛る車の中で、もがきながら脱出できず焼け死んだ姿です。 事故が起こると、ギャラリーは一斉に救助に向かいます。 走るのをやめさせるため、上下の直線入り口に仲間が行き、中止合図を送る者もいれば、消火器で消そうとする者。 まだ携帯電話が普及される前(ポケベルが最先端)ですので、峠の頂上にあった公衆電話が、事故発生後に消防や警察に連絡する唯一の手段。こういう時、走り屋たちは団結するのです(苦笑) ” いつ、自身が同じ目になるかも・・ といった気持ちがあるからだ ” と話してくれた人がいたのを覚えています。
今はナビがあるので、道の様子がよくわかります。今、印の場所が 「ギャラリー」 です。 上に昇ると3つの魔のカーブがあり、走り屋たちは、「魔の三段」 と呼んでいました。 一見滑らかなカーブですが、予想以上に横圧がかかるそうで、大事故も多発しました。
こういった大破事故や死亡事故が続出した為、いまや三坂峠は 「幽霊スポット」 になっています。
途中、ガードレールから下を見た景色です。まさに空を飛んでいる気分。ある意味、恐ろしさすら感じます。
8歳児の ”お咲希さん” は、「空を飛ぶのが夢」 という人。 超大喜びしていました(笑)